第六九章 死者しかいない国
ナメドリアを目指して、蔵人一行は馬で駆けた。魔王の探知の及ばぬよう、四名全員にも馬にもエイシャの神聖魔法がかけられていた。
とはいえ、ラジャムも広大な国である。まずは先日、ジャイーラが陣を張っていたララムシィ川を目指した。と言っても、陣営があった地点よりはるかに上流である。清涼な水気に満ちた空気が漂っていた。
蔵人たちは久しぶりに、皆裸になって沐浴した。裸体で高笑いしながら全身を水に浸し、その後は川辺でいびきをかいて寝る遜。皆から隠れる位置で髪をよく洗い、梳かすエイシャ。そして川辺に座るサムの膝に頭を乗せ、横になる蔵人がいた。
蔵人とサムにとって、サムが蔵人を膝枕している時が一番互いに優しくなれる瞬間だった。蔵人もサムも、互いに自分の心全てを預け切っていた。
濡れ髪を友の膝に乗せていながら、蔵人は言った。
「この瞬間が、一番落ち着く」
サムは思わず笑って、
「こういう行為って、普通は恋人にしてもらうものだと思うよ?」
そう反応した。蔵人は静かに反論した。
「いや、サムの優しさに身を預け切っているからか、安心できるんだ」
「蔵人も、色々大変だったよね。魔王を斬った時の取り乱しぶりは、半端じゃなかった。多分、幻影に込められた魔力が、前より増していたんだ。そのせいで斬った時に、幻影とは思えない手応えがあったんだと思う」
サムの説明に、納得する蔵人だった。サムが言った。
「僕も、こうしている時が静かでいいな。天下無敵の剣豪の蔵人が、こうして全身を無防備に委ねてくれているのが、嬉しいんだ」
「なんだ、それ?変な事言うなぁ」
「蔵人こそ」
二人は微笑して、濡れ髪を風に吹かれるに任せていた。
蔵人は起き上がり、サムの隣に腰掛けて言った。
「たまには逆も良いだろ?ほら、こいよ」
自分の太腿を叩いて、サムを促した。サムはおかしそうに、
「じゃ、蔵人の膝を借りようかな」
そう応えて、今度はサムが蔵人に膝枕してもらった。
穏やかな時間である。この時が永遠であれば、どんなに平和であろう。どんなに静かであろう。
しかし今こうしている間にも、魔王は奸計を巡らし、死者は跋扈し、魔物は横行している。
だが、勇者一行にも休息は必要である。晴れ渡る空の下、温暖な気候の中で自然と一体化したような、この上なく穏やかな心持ちでいれた。
一刻ほどの休息の後、皆は改めて武装した。蔵人や遜は皮革の防備と着剣をし、サムは外套と杖を、エイシャは鎖帷子と兜を被り、全員に改めてイアグ神の加護を授けた。
そして四名は、再び馬上の人となった。
ラムシィ川から、さらに馬で道を駆ける事七日余り、蔵人一行は破壊された関所に差し掛かった。死体が死臭を放つが、活動している死者はいない。ここで戦闘が行われたのは間違いないようである。
「ひでぇな……首を何回も噛まれて、蛆を植え付けられての死か……ぞっとするぜ」
遜の分析は的確であった。
「恐らく、数名の詰所でしかない関所に、何十という死者が押し寄せたんだろうな。幸い、今は付近に死者はいないよ」
サムが馬を引きながらそう言った。狭い窮屈な道のため、全員が馬から降りて手綱を引いていたのである。ここで死者と遭遇すれば、魔王に探知されていただろうが、幸いそれも杞憂だった。
「サムの読みが当たりましたわね。下流の渡りやすい街道沿いの関所では、まず間違いなく死者に待ち伏せされて、魔王の探知に引っ掛かってましたわ」
エイシャがサムを賞賛した。しかし蔵人は言った。
「余りぼやぼやしていると、魔王がこちらの関所にも目を向けかねない。早く渡って、魔王の裏をかく勢いで、馬を飛ばそう」
他三名は揃って、
「了解」
と言って関所を通過した。そして馬が余裕を持って駆け出せる余裕が出る辺りまで来ると、一行は馬上の人となり、黄昏の頃合いまで疾走を続けた。
夕刻、皆はエイシャの結界内で、ラジャムの銘酒に舌鼓を打ちながら今後の作戦を練った。焚き火を囲い、その光と熱に当たっている。
サムが言った。
「この国では、必ずしも偉い人と接触する必要はないと思うんだ。僕らの最大の目的は、あくまで孤島に住まうとされる水の大精霊だからね」
「なるほど、そりゃそうだな。しかし、死者掃討に手こずっていたらどうする?謁見を求め、死者掃討に協力するんだろ?」
遜の指摘はサムに向けられたものだったが、蔵人が答えた。
「ああ、その時は助けよう。お手伝い感覚で、通行中の死者を退治する事はしないが、死者の掃討は最優先だ。その時はジャイーラ陛下から賜った書状を見せて、謁見を申し出る。もし断られたら、進行方向とは逆の死者を一掃して、次々と街を渡り歩いていけばいい」
蔵人の方針は明確だった。それだけに、仲間も賛同しやすかった。
「水の大精霊がいる孤島って、具体的にどの辺りにありますの?」
エイシャの問いに、サムが答えた。
「ここから街道を直進して、四日余りの距離か。死者の妨害があるだろうから、五日は見ておいた方がいいかな」
「五日か、長いような短いような――――まぁ、おれはこれが飲めれば言う事無しだ。ナメドリアにも、銘酒はあるだろ」
遜が酒杯を掲げた。
「まあ、それは立ち寄った町々で買えると思うよ?」
サムの苦笑に、蔵人とエイシャもつられて笑った。遜は反論する。
「何を笑ってやがる?酒は百薬の長って言うくらいだ。適度に飲んでりゃ健康にもいいんだぞ?」
蔵人は盛大に笑った。
「うわっ、一番不健康そうな人から、健康なんて言葉が出てきた」
そんな冗談が飛び交いながら、夜は更けていった。この時はまだ、この国での苦労を予想もしていなかった。
翌日、蔵人一行は街にたどり着いた。城壁に覆われた本格的な城塞都市である。
「今日はあそこで骨休めといくか」
蔵人の言葉に、皆思い思いに賛意を口にした、
「賛成!」
「そうだな、日もだいぶ傾いたし、丁度いい」
「それがいいですわね」
しかし、蔵人一行は妙に感じた。城塞を地平線上にうっすら確認した時は気づかなかったが、街に近づくにつれ、死者の数が増えていったのだ。街まで数百歩の距離まで来た時には、死者の数の多さに、応戦せざるを得なくなった。
「明らかにおかしい――――サム!炎を俺らを取り巻く壁のように起こしてくれ。死者を足止めしている間に、街の城壁内を調べるんだ!」
「了解!IGNIS!」
サムの叫びと共に、蔵人一行を炎が包んだ。熱気は周囲の死者より、周囲を囲まれた蔵人たちに一層強く感じられた。馬がいななき、暴れかけたが、エイシャが守護の神聖魔法で熱を遮ると、大人しくなった。
馬が落ち着くと、サムは全集中力をもって、城塞都市の内部を探った。そして、驚愕の余り、絶句してしまった。
「おい、サム!」
蔵人が呼びかけたが、反応がない。
「サム!」
蔵人の大声に、サムは我に返って謝った。
「ごめん、あまりの惨状に、固まってた」
「いいさ。それより、都市内の様子は?」
サムは言いにくそうにしていたが、はっきりと結論から話した。
「都市内は死者だらけで、生きている人は皆無だ」
「マジかよ」
「なんですって?」
遜とエイシャも動揺する中、サムは蔵人に指示を仰いだ。
「どうする?エイシャの神聖魔法で、死者に気づかれず都市に潜伏する事はできるけど?」
蔵人は首を横に振った。
「いや、駄目だ。この場で戦闘が起こった事は、魔王も察知しているだろう。長居すれば増援がやってくる。そうなれば勝ち目はない」
蔵人の判断に、真っ先に遜が同意した。
「酒が手に入らないが仕方ねえ。サム!炎を消せ!」
「わ、わかった」
サムが指を鳴らすと、瞬時に炎は消えた。燃えた草が焼けた炭になって火がくすぶっている。
蔵人はすぐに決断をくだした。
「都市の城壁を迂回して、反対側に行こう!城壁のこちらで戦闘を起こした以上、魔王は必ずこちらに増援を送ってくる。城壁を挟んで反対側なら気づかれにくい。エイシャ!」
「神聖魔法の気配遮断なら、もうかけてありますわよ!」
エイシャが合流してかれこれ一年近くになる。皆の連携も慣れたものだった。
「よし!皆、城壁に沿って馬を走らせ、反対側に回り込むんだ!その後は森の中に入って、夜を明かそう」
「了解!」
蔵人の指示に、三名の声が唱和した。
蔵人一行はエイシャの神聖魔法に守護され、城壁を迂回、その後反対側の城門まで来た所で都市を離れ、一目散に森へと逃走した。
夜、念の為焚き火も灯さず森に潜伏した蔵人一行は、食事を取りながら話し合った。
ただ、遜が全員を代表して不満を口にした。
「しかし、真っ暗だとさすがに不便だな。お前らの顔が一人も確認できない」
サムが思案した後、
「五歩歩くともう見えなくなる弱い光なら作れるけど、それくらいなら平気かな?」
蔵人にそう問うた。蔵人は首を縦に振り、
「まあ、それくらいなら大丈夫だろ」
そう言って、魔法の行使を促した。
サムは囁き声で呪文を唱えた。
「小人よ、小人よ、小人さん、あなたたちのその灯り、私たちにも分けておくれ」
熱を感じない微かな灯りが、一行の中心に灯り、地面に置かれた。これで焚き火を囲むように光を円く囲めば、四名の顔はそれぞれ確認できた。
「おお!こりゃ便利だ。エイシャ、酒取ってくれよ」
遜の頼み事に、エイシャは不満顔である。
「何であなたのお酒を、私が取らなきゃいけないんですの?」
喧嘩しそうな両者を、蔵人が宥めた。
「まぁまぁ、エイシャ、馬に一番近いのはエイシャだ。この小さな明かりだと、不用意に歩けば転ぶ危険もある。ここは一つ、我慢して取ってやってくれ」
エイシャは嘆息しつつ、
「仕方ないですわね。なら、全員で飲みませんこと?一人だけ気分良くなるのは、不公平というものですわ」
と提案した。蔵人とサムは口々に、
「いいな、賛成」
「僕も賛成だよ」
そう応えた。エイシャは四名分の酒杯と酒樽一つを持ち、皆に注いで回った。
「く〜、美味い」
「やっぱり、お酒は皆で飲む物だよね」
「おう、サム、わかってるじゃねえか」
「これで気分良く過ごせるというものですわ」
四名は美酒に舌鼓を打ち、幸い何事もなく、夜は更けていった。
遜は、
「歳を食うと夜更かしが応える。先に寝かせてもらうぜ」
と、言って早々に寝床につき、すぐにいびきをかき始めた。
エイシャも早くに、
「私も寝かせてもらいますわ。神聖魔法の連続行使は疲れますから」
そう言って寝床に就いた。その言葉を聞いた蔵人が申し訳なさそうに、
「すまないな、エイシャ。神聖魔法をずっと使ってたら疲れるのは当たり前だ。本当に参っている時は、何か代替案を考えるぞ?」
そう気遣った。それを聞いたエイシャは心底おかしそうに笑った。
「あははっ、ありがとう、蔵人。でも、心配無用ですわ。夜一眠りすれば、神聖魔法を二〇や三〇重ねがけできるくらい回復できますわ。
でも心配してくれて、嬉しかったです。おやすみなさい、蔵人」
「そうか、わかった。おやすみ、エイシャ」
エイシャも間もなく寝息を立て始めた。
最後まで起きていたのは、蔵人を除けばサムだった。風魔法の寝床に腰掛け、小さな光源を見つめていた。
「考え事か?」
蔵人が声をかけると、サムは小さく頷いた。
「良ければ、話を聞くぞ?」
自分の寝床に腰掛けた蔵人は、小声でサムに言った。サムは応えた。
「そうだね、皆の統率者の蔵人には話しておいた方がいいな。
実は、この森を抜けた先にある村を千里眼の魔法で見ていたんだ。村って言っても、周りを防柵と堀で固めた、城塞都市の支城と言ってもいい存在だ。
でも、そこにも生きている人はいない。いるのは皆死者だ」
城塞都市も村落も死者だらけ。ひょっとすると、
「まさか、この国は――――」
顔をしかめる蔵人に、サムは言った。
「うん。死者の群れの討伐に失敗して、死者しかいなくなっている可能性がある」
その言葉は蔵人の眠気を奪うほどの重みを持っていた。
翌朝、皆が起きて朝食を摂っている間に、蔵人とサムは、昨晩二人が行き着いた結論を話した。
「国が、死者の手に落ちたってのか?」
「そんな……じゃあ、この国は死者の国と化しているという事ですの?」
遜とエイシャは、二人の結論に開いた口が塞がらない様子だった。
サムは、自分の発言に付け足した。
「あくまで、まだ仮定の話だからね。王都や港街は、まだ無事の可能性は残っている」
だが、と蔵人は言った。
「この国の現状が把握できるようになるまでは、慎重に行動する必要がある。サム、ここから王都と港街まで、どちらが近い?」
サムは念の為尋ね返した。
「近い方から、行ってみるわけだね?」
「そうだ」
蔵人が力強く頷く。サムは迷いなく応えた。
「ここからなら、リトレイアの方が近いな。ただ、それはこの国の街道を通った場合の話だ。街道を馬で疾走すれば三日で着くけど、大通りを通り、市街地や村落の集中する場所を通る事になるから、死者と戦闘になる可能性も高い」
三名は難しい顔をしたが、蔵人は迷っていなかった。
「リトレイアへ向かおう。どの道、一番街道が集中するのは王都周辺だろ?なら、一番の目的地である水の大精霊の孤島に行った方がいい」
蔵人の迷いなき言葉に、全員が勇気づけられた。
「そうだね。そうしよう」
「決まりだな」
「それがいいですわね」
蔵人は言った。
「そうと決まれば、食う物食わないとな」
蔵人は短剣で保存食の肉を切り、口いっぱいに頬張った。その様子を見たエイシャは、思わず笑ってしまった。
蔵人はゆっくり肉を噛み、飲み込んでから、エイシャに尋ねた。
「なんだ?俺の顔に、何か付いてる?」
エイシャは答えた。
「いえ、頬張る蔵人の顔が、げっ歯類、リスやネズミを連想させたものなので、つい――――」
蔵人は手を止めて、赤面した。エイシャの言を聞いたサムと遜も笑っている。
蔵人は半ば自棄になって言った。
「あー、もう!俺は何と表現されても食うぞ。皆もよく食っとけよ?すぐ出発するからな?」
全員は肉や乾パンを頬張った。
半刻ほどして、太陽が山から出てくる時分になり、皆出発の準備を終えていた。
馬上の人となる前に、蔵人は皆と確認した。
「サムは、先頭を走ってくれ。道を知っているのはお前だけだからな。でも、迷った時はすぐ止まるように。道を間違うのは恥じゃない。間違いに気づいても同じ道を歩き続けるのが恥なんだ」
「わかった。不安を感じたら、すぐに馬を止めて地図を広げるよ」
蔵人は遜にも指示した。
「遜、手癖で、死者を退治しようとするなよ。この国が死者の国と化していた場合、死者一体倒すだけで俺たちの居場所は魔王に丸わかりになる」
「あいよ、任せとけ。逆にお前を注意するくらい、気をつけるぜ」
最後はエイシャだった。
「神聖魔法は、俺たちと馬全員にかかっているな?」
「ええ、何重にも重ねがけしてますわよ。こちらから仕掛けない限り、死者は私たちに気づきもしませんわ」
全てを確認し終え、蔵人は言った。
「よし!全員乗馬して、進もう!いざ、リトレイアへ!」
蔵人の号令一下、馬上の人となった皆は駆け出していた。
この物語はフィクションです。実在する人物、団体、事件等とは関係ありません。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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