第六四章 幻影との戦い
魔物は翼を広げて大空間に飛翔すると、翼を閉じて蔵人たちへ突進してきた。蔵人たちは思い思いの方向へ跳んで、くちばしでの一撃を回避した。
恐ろしい事に、魔物は落下してきた体勢を保ったまま、くちばしだけ石の床に刺さって直立していた。
「皆気をつけて!あの一撃を食らったら、いくら神聖魔法の加護があっても無事では済みません!」
エイシャはそう叫んだ。蔵人は全員に指示を出した。
「皆、散開しよう!まとまっていると危険だ!」
一行は丁度魔物の一撃を回避した方向へ走り、魔物を四方から囲んだ。正面には遜、左右にはサムとエイシャ、そして魔物の背後には蔵人が陣取った。
魔物は地に足を着けてくちばしを抜くと、それぞれの方向を見て、一行の隙を窺った。魔物も誰か一名に集中しては、あとの三名にやられる事を理解していた。魔物を中心に、蔵人一行が四方を囲み、じりじりと好機を探った。
刹那、魔物と遜の目が合った。魔物は遜目掛けて、口から炎を吐いた。
「遜!」
蔵人が叫んだ。炎が止むと、傷一つない遜の姿が確認できた。
「あれくらいなら、神聖魔法の加護で恐るるに足りません。皆、安心してください」
遜も応えた。
「おれは問題ない!ちょっと熱かったが、火傷もない!もっと攻めて大丈夫だぞ!」
それに応えたのがサムである。
「我らを囲む石よ、岩よ。我が命に従い、我が望むところを為せ。メテオフォール!」
天井の岩の一部が崩れ、落下し、魔物に直撃した――――と思ったが、落下の衝撃が収まってよくよく見ると、魔物は後退して、間一髪で回避していた。
蔵人はその隙に、魔物の懐に飛び込んでいた。魔物の頭を切り落とそうと、剣を振るった刹那、魔物は頑丈なくちばしで蔵人の剣を受け止めていた。
「神聖魔法の加護があっても、くちばしは切れないか。だが、それなら――――」
蔵人は鍔迫り合いをしていた魔物にわざと吹っ飛ばされる形で、エイシャの傍に転がった。
「蔵人!平気ですか?」
エイシャの問いに、蔵人は言った。
「大丈夫だ、問題ない。それより、やってほしい事がある」
蔵人はエイシャに耳打ちした。エイシャは了解して、蔵人の剣に手を触れ、より強固な加護を加えた。
エイシャは言った。
「無茶な提案ですわね」
蔵人は応えた。
「でも、無理ではないだろう?」
「――――ええ、わかりましたわ」
蔵人は駆け出した。そして、サムと遜に向かって叫んだ。
「サム、遜!攻撃と牽制を!」
二名からは揃って、
「了解」
との返答があった。
エイシャも駆け、遜も獲物へと向かった。その隙に、蔵人は魔物の後方へと回った。
遜はサムが落下させた石の塊を踏み台にして跳躍し、魔物に無数の針を飛ばした。うち一本が目に刺さり、魔物は呻きながら体をよじった。
そこへ左右から、サムの作った氷塊とエイシャの拳が同時に魔物の頭にぶつかった。魔物は動きたくても動けなくなった。その隙を突いて、魔物の背に飛び乗り、跳躍して魔物の頭目掛けて落下し、その勢いも活かして剣を突き刺した。
頭を剣が貫通した魔物は、体を震えた後、ゆっくりとその場に伏した。
蔵人一行の勝利であった。
魔物が倒れると、拍手の音が空間内に響いた。拍手していたのは、魔王の幻影であった。
「いや、見事、見事。そなたらは真に勇者一行と呼ばれるに相応しい。実力といい、各地での人望といい、素晴らしいものがある」
敵を褒め称える魔王の意図が解せない。蔵人は魔物の遺骸から剣を抜き、血を払って構えた。他の三名も臨戦態勢を崩さず、魔王の幻影を直視した。
拍手を終えると、魔王は言った。
「そこでだ。妾が配下となって、妾の力となってはくれまいか?褒美は各々が望む物を、望むだけ与えよう。どうじゃ、悪い話ではあるまい?」
魔王は一行をそれぞれ品定めするように見回した。各自が、魔王の視線には誘惑の力を感じた。
蔵人は仲間たちを順々に見た。サム、遜、エイシャは、皆視線を合わせて頷き、蔵人は仲間の回答が一つである事を確かめた。
蔵人は剣を片手で持ち、切っ先を魔王に向けて宣言した。
「断る。我らの中に、死者の王たるそなたに仕えたいと願う者はいない。早々に去るがいい、魔王よ」
魔王は残念そうな顔をして言った。
「それはそれは、大層無念じゃ。しかし、その高き志の故に、少なくない者が、そなたらを勇者一行と呼ぶのも頷けるというもの。
惜しい。実に惜しいが、ならば!ここで妾の計画の障害になるそなたたちには、消えてもらおう!そして、死して妾が配下となって働いてもらおう!」
魔王は魔力を防壁、ないし空間に満ちる場のように展開した。この大空間全てが圧力を受け、神聖魔法で加護されている蔵人たちすら吹き飛びそうになった。そしてその圧力で、壁にはヒビが走った。
「なんて魔力だ……これで、幻影?幻影魔法を介したやり取りでは、実力の半分しか力を送れないはず……」
サムの小声の分析も、魔王は聞き取った。
「左様。妾の力の半分も出せぬ幻影を介した戦いで、妾とそなたたちとはこれほどの実力差があるのだ。
降参して妾の軍門に降るなら今のうちじゃぞ?」
だが、魔王の度重なる勧誘を、蔵人一行の全員が蹴った。
「生憎だが、我が主君は生涯ただ一人。ましてや死者の王など、自然の摂理を乱す不届き者だ!」
蔵人が吠えると、遜も意気込んだ。
「確かに綺麗な姉ちゃんだとは思うが、近くにいたいとは思えないな。悪いが、一人で踊ってろ」
エイシャも信仰の下に、魔王を断罪する言葉を発した。
「全ては大地たるイアグ神より生まれ、死した後はイアグ神の懐に戻るのが摂理。それを乱すあなたに、従うわけには参りません」
そして、一行の中で魔王の恐ろしさを誰よりもわかっているサムも言った。
「魔王よ、お前は確かに群を抜いて優れた魔法使いだ。だが、死の魔法で死者を愚弄するお前の行いは、止めなければならない」
蔵人は全員の宣言が終わると、魔物の遺骸から降りて、床に立った。そして両手剣を構えた。
魔王は残念そうな顔をして言った。
「誠に惜しいのう。そなたらのような有能な者を殺すのは。しかし、我が軍門に降らぬとなれば尚の事、ここで殺さねばならぬ!」
魔王の言葉が終わると、戦いが始まった。
最初は魔王の放つ膨大な魔力が壁となり、一行は近づく事さえできなかった。
「そら、どうした?敵は、妾はここだぞ。倒すのではなかったのか?」
魔王から二〇歩以上の距離で、歩を進めぬ蔵人たち。焦燥感と無力感に支配されかけたが、
「皆、諦めるな!困難を突破してきたのは、一度や二度じゃない!必ず魔王の幻影を打ち倒すんだ!」
蔵人の鼓舞に、全員が武器を構え、吹き飛ばされぬように魔王の魔力に抗った。
蔵人は、友に呼びかけた。
「サム!攻撃魔法を!」
しかし、意図がバレては魔王も対応できてしまう。
サムはそれを承知で、この場で最も威力を発揮する魔法を放った。床に落下させた石から、無数の大人くらいの大きさの錐状の物体を作り、五本余り魔王に向けて放った。
魔王は左手を正面に向け、全ての錐状の石を苦もなく全てを砕いた。魔王の足元には砕かれた微小な石が転がった。
しかし、蔵人は勝機を見出した。そして再びサムに言った。
「サム!一〇倍頼む!」
「了解!」
サムが錐状の石を数十と作る間、
「遜、エイシャ!突っ込め!」
蔵人は二名にそう指示した。遜もエイシャも、
「わかった」
と、二つ返事で応えた。
エイシャは蔵人と遜にそれぞれ更なる加護を授け、自身も改めて魔王に向かう体勢を整えた。
魔王は、蔵人一行の作戦をおおよそ理解した。自分の注意が錐状の石に向く瞬間、魔力による暴風のような圧力は弱まる。そこを突こうとするのは自然な事であった。
「惜しいのう」
魔王は眼前の敵たちに憐れみを感じていた。殺さぬ限り、この四名は抵抗を止めまい。生者を操るよりは力が劣る事になるが、死して自らの配下としよう。
魔王は既に勝負の後の事を考えていた。
「食らえ!」
サムは猛り、地の魔力結晶を一つ使い、数十の錐状の石を魔王に向けて放った。
魔王は難なく、少し注意を向けて片手をかざし、全てを砕いた。そして、魔王の気がわずかに逸れた隙に突っ込んできた遜とエイシャを、眼前で金縛りにした。
魔王の眼前で動きを止められたが、遜もエイシャも笑顔だった。
「何がおかしい?」
魔王の静かな言葉に、遜が答えた。
「なに、作戦成功だと思ってな」
「なんだと?」
魔王は一瞬顔をしかめ、そしてはっと息を呑んだ。その時には、魔王の幻影は肩口から腰に至るまで両断されていた。壁を駆け、魔王の背後に回った蔵人による致命的な一撃だった。
「ば、馬鹿な……」
魔王の幻影は、ゆっくり倒れながら、消えていった。しかし、その口からは呪詛の言葉が吐かれた。
「この恨み、決して許しはせんぞ……勇者、一行……」
消滅した幻影を見て、全員が安堵した。
しかし、全員が魔王の強さにほとほと参っていた。
「蔵人の奇策がなきゃ、勝てなかったぜ。魔王の立っていた場所と運で、やっと勝てたものだ。これで半分以下の力だっていうんだから恐れ入る」
遜がその場にへたり込むように座った。エイシャも大きく嘆息した。
「全くですわ。本物は、周囲を覆う魔力もあの倍以上という事ですからね」
あれこれと疲労の声を上げている遜とエイシャだが、他方、蔵人は自分の手を見下ろしたまま沈黙し、立ち尽くしていた。異変に気づいたサムが近寄った。
「蔵人?どうかしたの?」
蔵人はサムに尋ね返した。
「魔王ノルアスは、千年前の人物なんだよな?」
「うん、そうだよ」
蔵人は戦慄しながら言葉を紡ぎ、サムは平常心で応えた。蔵人は寒気を覚えながら、更に言った。
「当然、さっきの魔王も蘇った死者たちと同じ存在のはずだよな?」
「そうなるね」
「でも、でも――――」
蔵人は我知らぬうちに涙していた。
「でも、とても死者を、それも幻影を斬ったとは思えないんだ。前に斬った時とは違う。生身の、一人の女性を斬ったような手応えで、俺は……俺は……」
蔵人はその場に崩れ落ち、嗚咽を漏らし、涙を流れるままにした。
いつの間にか、遜とエイシャも泣き伏す蔵人の傍に立っていた。どう慰めるか困ったサムには頼もしい援軍だった。
「魔王を斬った蔵人には、あれが死者とも幻影とも思えなかったわけだ。一人の女を斬ったとあっちや、騎士の名折れ。蔵人が寄って立つ地盤が揺らいでいるようなもんだろうぜ」
遜の分析に、エイシャは皆に提案した。
「私に、少し蔵人を任せてくれませんか?体も心も、癒やすのは僧侶の役目です」
サムと遜は無言で頷き、エイシャは蔵人の前にしゃがみ込んだ。その際、イアグ神への祈りを捧げていた。
エイシャはしゃがみ込むと、優しく蔵人の顔に触れた。
「顔を上げてくださらない、蔵人?」
蔵人はエイシャの両手の介助に促されて顔を上げた。しかしエイシャの目に飛び込んできたのは、虚ろな目をした蔵人だった。
エイシャは思い切って、鎖帷子も兜も脱いだ。そして、蔵人の頭を、自分の両乳房の間に埋めた。
「万物の祖たるイアグ神よ、この者に祝福を、力を授け給え。この者が行いし事は善行てあると、わからせ給え」
蔵人は、エイシャの両乳房に挟まれ、抱きしめられながら泣いた。しかしそれは虚ろな涙ではなく、安堵の涙であった。
「大丈夫ですわよ、蔵人。相手は魔王。恐らく最も生者に近い死者です。魔王を斬ったのを、生身の人間を斬ったと勘違いするほど、敵が巧妙だっただけですわ。
でもそれは錯覚です。蔵人の誤認に過ぎませんわ。気にしなくていいのです」
エイシャは、自分の胸元で泣く蔵人の頭を撫でた。蔵人は、徐々に泣き止んでいった。
半刻の、さらに半分ほどの時間を経て、蔵人は自我を取り戻していった。エイシャの柔肌と、イアグ神の優しい加護が、蔵人を包んだ。
その一方で、エイシャが蔵人の治癒に時間を費やしている間、サムと遜は魔物の遺骸に近寄った。
「こうして討ち取ったが、首でも持って帰らないと信用されないだろうな。さて、どうしたものか」
サムはそれを聞いて、遜に尋ねた。
「首さえ持って帰れば、信用されるの?」
遜は歯切れ悪く答えた。
「まあ、普通の戦なら、敵の大将首を討ち取った奴が、一番手柄だしな」
首を傾げる遜に、サムは言った。
「遜、少し魔物から離れていて」
「なんだ?いい方法があるのか?」
「僕の得意な魔法、なんだか知ってるでしょ?」
不敵に笑うサムの表情を見て、遜は慌てて魔物の遺骸から離れた。
サムは杖の先を遺骸に向けて、静かに呪文を唱えた。
「地に満ちたる空気よ、風よ、我が意に従い、我が命によりて、切り裂き給え。
SLASH!」
床の石まで削りながら、サムの魔法が遺骸の首元を通過した。鈍い音と共に、首は切断され、魔物の頭部が転がった。
「おお!すげぇな、風魔法は」
感嘆の声を上げた遜に、サムは自虐的に答えた。
「確かに、風魔法は便利だ。でも、色々な事ができる分、器用貧乏な属性だって言われているよ」
遜は顔をしかめてサムを問いただした。
「器用貧乏?確かに色々できるのはわかるけど、これだけできれば器用万能だろ?」
「いやいや、遜も僕の水魔法の応用で半身を凍結されているからわかると思うけど、相手の動きを封じるなら水魔法が一番良い。全身を氷の中に閉じ込めたり、波を起こして相手をのみ込ませたりできる。
火魔法は、殺傷力が一番高い。焼き尽くす想像さえできれば、簡単に相手は消し炭だ。
地魔法は、とんでもない自然現象を簡単に再現する。大地を裂いて森の中に道を作ったり、崖崩れを起こして逆に道を塞いだり、とにかく一撃が『重い』んだよね」
サムの説明を聞いた遜だが、半分も信じられなかった。
「そういうもんかねぇ……地水火風の区別はわかるが、魔法にそんな優劣があるとは思えないが。まあ、サムが言うように、各属性ごとに得意分野があるっていうのは納得した」
遜は魔物の首に近寄り、角らしき部位を持ってみた。意外にすこぶる軽く、とても自分の半身ほどの大きさがあるとは思えない。
「軽いんだな、こんなでかい首なのに」
遜の感想に、サムは説明した。
「魔物は、魔法で体つきを変えられ、大きくされた存在だ。だから大きさの割に軽いんだよね。というか、そうじゃないととても飛べないよ」
「なるほどな。どうやってこんな馬鹿でかい物が飛んでるのかと思ったが、そういう事なら納得だ」
サムと遜が魔物の遺骸を見分していると、立ち直った蔵人と、僧侶としての役目を果たしたエイシャが近づいてきた。
「皆、すまない。心配させたな」
蔵人の物言いをからかうかと思った遜だが、大真面目に問いかけた。
「もう平気か?」
「ああ、次は一切のためらいなく、魔王を斬る。そうしないと、皆にも迷惑をかけるからな」
蔵人の言葉に、しかし遜は次のように言った。
「なに、おれらは通常、お前のカリスマ性に惹かれて、お前の統率の下で動いている。だが、真の統率者は、部下から、この人はおれたちがいないといけないと思わせるものだ。持ちつ持たれつ、無理はしなくていいんだぞ」
遜の言葉に、蔵人は暗い地下迷宮の中で、爽やかな陽光を浴びたように感じた。
この物語はフィクションです。実在する人物、団体、事件等とは関係ありません。
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