第四六章 交易の帝国
ガウロン帝国は、まさしく「交易の帝国」であった。蔵人一行が目指す港街までに、小さな村落をいくつか通ったが、どこの村でも広場に市が立っていた。もっとも、交易品の中には奴隷も含まれており、蔵人は複雑であった。しかし、長年奴隷の存在が当然とされてきた国で、奴隷解放を謳っても意味があるとも思えない。蔵人は奴隷市に怒りを覚えつつも、旅の目的は死者掃滅と魔王打倒だと己に言い聞かせた。そうして自制しなければ、何をしでかすか、自分でもわからなかった。
道中での野宿の際、どうしても怒りが収まらない時があった。皆が寝静まった頃に、蔵人は一人寝袋から出て、近くの小川に向かった。ただし、サムは欺けなかった。
蔵人は靴を脱ぎ、下着一枚で足首まで水に浸かり、剣を持って構えた。蔵人は武道で育った者である。武道で心を鎮めるのが一番だった。
蔵人は、眼前に今まで出会った敵たちを思い出していた。戦士だった死者、厄介な弓兵の死者、死の魔法を操る魔法使い、そして幻影の中で対峙した魔王ノルアス――――。集中し、想像上の敵と向き合い、斬り込む隙を窺った。死者は倒せる。魔法使い相手はサムやエイシャの援護無しには厳しい。そして、魔王は――――勝てる気がしなかった。
空想上の魔王に、踏み込めないのを嘲笑われ、蔵人は無理を承知で、
「はっ!」
一歩前に出て剣を振った。目を開け、脂汗をかいているところで、蔵人は友の気配を感じた。
「サムか?」
振り返ると、川辺に立つサムがいた。下着姿なのは蔵人と同じである。
「蔵人、奴隷市の事で心を痛めていたみたいだからね。遜やエイシャは騙せても、僕は騙せないよ」
夜の闇の中でも、サムが笑うのがわかった。蔵人は剣を下ろし、大きく息を吐いて川から上がった。
「敵は切れた?」
サムの問いに、蔵人は首を横に振った。
「いや、駄目だ。どうも集中を欠いている。人間、心がぶれると剣もぶれるな。こんな心では魔王を斬るのは無理だ」
蔵人は川辺に座った。サムも無言で隣に座った。
サムは言った。
「いっそ、心がぶれてもいいんじゃないかな?」
「サム?」
蔵人は、友の言う事に合点がいかなかった。しかし続く言葉は理解できた。
「人間、心は常にぶれるものだよ。
僕ら魔法使いの戦いは、最後は想像力という心の勝負になる。万物を凍らす魔法と聞いて、氷で目に見える範囲を覆う魔法と、あらゆる物の動き、目に見える物体全ては勿論、空気まで完全凍結させる魔法とが戦ったら、勝つのは後者だ。
でも、想像力も、心がぶれては充分な力を持てない。ただ、だからって諦めてはいけないというのが、魔法使いの教えだ。たとえ恐怖して、普段の一割しか想像力を発揮できなくても、それでも魔法を行使できるようにするのが魔法使いだ。一割の力でも、魔力を発揮できるように、心を鍛えているんだよ」
サムの言葉には、蔵人は頷くしかなかった。
「そうか、そうだな……一割の力でも立ち向かう、それは大切な教えだ。
ありがとう、サム。サムには、教わる事ばかりだし、何度も助けてもらってる。本当にありがとう」
蔵人はサムを抱きしめ、感謝を述べた。
二人はしばし夜の歓談をした後、野営の場所へと戻り、眠りに就いた。
馬で駆ける事二〇日余り。蔵人一行はガウロン帝国一番の港街に着いた。行商の往来が激しいが、真に驚くべきは城壁が存在しない事だった。
「城壁無し?信じられねぇ。まあ、交易はしやすいだろうけど、そこまでするか?」
遜の驚愕に、サムは説明の要を覚え、声に出した。
「この港街は、ガウロン皇帝肝いりの工事で造られた都市だからね。交易立国ガウロン帝国の重要拠点として、帝都の近くに造られたんだ。
ここから数里行けば帝都だけど、帝都の守備隊はこの港街の防衛も担っているんだ。有事の際は馬で駆けるとその日のうちに、徒歩でも二日とかからず着けるよう、街道も敷設されてるよ」
馬を徐行させながら、三名はサムの説明に耳を傾けた。確かに内陸へ向かう、石造りの街道が伸びている。
蔵人は、ふと疑問を覚えた。
「サムって、よくそんなに国々や都市の歴史を知っているよな。まさか、旅の途中で全て立ち寄ってきたわけじゃないだろ?」
サムはすぐに否定し、そして答えた。
「まさか!目ぼしい街には行ったけど、魔法の向上に繋がらないと判断した都市には立ち寄ってないよ。これも、地理誌や歴史書で得た知識だ」
続けて、サムは次のように言った。
「魔法使いが現総督として街を取り仕切っているらしいから、会って色々聞くのが楽しみだな」
それを聞いた遜は、蔵人に意地悪く言葉をかけた。
「蔵人、サムを取られて、寂しがるなよ?」
蔵人は意外そうに、きょとんとしている。
「サムを取られるって、誰に?」
余りにあっさりと返答されて、遜はからかう箇所を見出せなかった。
「いや、その、そのだな……」
エイシャは笑って解説した。
「このオジさまは、蔵人とサムが恋人同士のようだから、からかってみたかったんでしょうね」
蔵人もサムも笑った。
「恋人同士?」
「ないない」
二人揃っての否定に、遜は言葉の行き所を見出せなかった。しかし、エイシャを道づれにはした。
「まあ、大の男が同じ男に忠義を尽くすような場合はある。おれにも過去、この人のためなら戦場で死ねると思った人物がいた。
しかし、エイシャはそういう経験がないらしい。もしかしたら女全般にないのかもしれない。一番初めにお前ら二人を恋人同士と評したのは、エイシャだからな」
エイシャは激昂した。
「な、なんでそれをバラしますの?私は別に、そんな、その……」
遜の声を殺した笑いに、エイシャは反論の言葉を持たなかった。
言い合いが落ち着くと、蔵人とサムは揃って肩をすくめ、
「やれやれ」
「喧嘩するほど仲が良い、ってね」
そう締めくくった。
馬上のまま、蔵人たちは都市内に「入った」。城壁がないのでどこからが都市内かわからないが、建物が道の両脇を埋めるようになり、都市としての雰囲気を感じるようになったのだ。
適当な宿屋を見つけ、四名は馬を繋いだ。
サムは言った。
「船で大陸を渡るとなると、この子たちともお別れだね」
馬の顔を撫でながら残念そうに言った友に、蔵人は俯いた。
「そうか……馬を船に乗せるわけにはいかないものな。長い友として、よくこの大地を駆けてくれたけど……」
蔵人は改めて顔を上げ、馬の目を見た。
「よく走ってくれたよ。この馬たちの機動力と、エイシャの神聖魔法の加護があって、初めてこの大陸を横断できたんだ。感謝してもし足りない」
遜はふてぶてしく、
「いっそ総督に売ったらどうだ?大事に使ってくれそうだろ?」
そう述べた。しかし、大事に使ってくれそうなのは事実なため、他の仲間たちも文句の付けようがなかった。遜も、馬との別れを惜しんでいるのだ。
エイシャも、
「スンも、たまには良い事を言うのですね」
と言った。
四名は揃って総督に挨拶すべく、午前のうちに総督府宮殿に参上した。例によって、サムの仰々しい上から目線の口上により、衛兵は慌てて上に取り次いだ。ガウロン皇帝からも通行手形を受け取っているとあっては、主君の賓客も同然である。衛兵が慌てるのも当然の反応だが、一々口上を述べるサムも人が悪い。
「サムって、権力に弱い方なんですの?上から出れる相手には居丈高に出てますけど」
サムは不満そうに反論した。
「いや、今まで魔法使いは爪弾きされる存在だったのに、死者の乱が起きた途端、重用されるようになったからね。恨みや鬱憤を晴らさないと、気が済まない」
蔵人がいの一番に納得した。
「なるほど。魔法使いと聞いて無条件に取り立てたのって、平明王陛下くらいだもんな。マウリーア皇帝たちは、死者の乱に前後して、この異変の答えを持っている魔法使いを登用したらしかったから」
蔵人の言葉に、サムは敏感に反応した。
「その通り!知見を広く持つべき為政者さえ、魔法使いを重視してこなかった。それが、何か知っているとわかった途端、それまでの態度を一変させたのが、どうかと思うんだよ」
その言には、エイシャも納得した。
「サムの言う事にも、一理ありますわね。ルマーク王国では、神聖魔法の使い手である僧侶はいましたが、サムのように四大魔法使いを祖とする魔法使いはいませんでした。他の諸国も、似たりよったりだったのでしょうね。
それを思えば、サムの気持ちも理解できるというものですわ」
賛同者が増え、サムは得意になった。しかし、最後に遜が言った。
「意趣返しもいいけどよ、ほどほどにしていたのがいいと思うぜ。じゃないと同じ穴のムジナになっちまう」
サムの表情が引きつって固まった。そして遜から顔を背け、明後日の方角を見たまま凍りついた。
「おい、サム……図星か……」
遜の問いに、サムは黙ったままである。蔵人は苦笑しながら話を逸らした。
「おい、皆、衛兵が戻ってきたぞ。総督に会えるんじゃないか?」
総督は玉座のある謁見の間ではなく、椅子と大きな卓が並べられた応接間で蔵人たちを歓迎した。
一人掛けの椅子には総督が、それと直角に置かれた長椅子に蔵人たちが腰掛けた。初めは総督と対等に近い形で座るのを、蔵人が真っ先に固辞したのだが、
「いやいや、各地で上げた武勲、そして同じ魔法使いがいるとあっては、外交的儀礼無しで話し合いたい。跪かせたまま長々と喋らせるのも気がひけるし、玉座は固くて座り心地が良くないのでな。
わしのわがままと思って、付き合ってほしいのだ」
恰幅の良い総督は、自分の手で蔵人を押し込む勢いで、応接間に強引に連れ込んだ。そして侍従には、
「おい、茶と菓子を持ってきてくれ。それと、今日の午前はこの者たちとの話を聞きたい。誰も通すでないぞ」
と言って、嬉々として蔵人たちを椅子に座らせた。蔵人もこれ以上逆らう方がどうかと思い、椅子に腰掛けた次第である。
茶と茶菓子が揃うと、総督は真っ先にサムに視線を向けた。
「そなたが、この勇者一行の魔法使いだな?」
やや太り気味なのが、礼服の上からでもわかる総督だったが、視線は鋭かった。
「左様です、総督閣下」
サムの答えに、総督は満足そうに笑った。
「いやはや、最後に魔法使いに会ったのが、一〇年以上も昔でな。下手な儀礼抜きで言葉を交わしたかったのだ。
わしは水魔法を得意とする、オレニア大陸出身の魔法使いだ。名をフィールードという。昔は魔道書の執筆で生計を立てようと意気込んだものだが、中々人生は上手くいかんでな。結局、売れたと言える本は『オレニア大陸魔法系統』という本だけだ。
そなたが魔道書を書けば、わしなど及ぶべくもなかろう」
総督は悲哀をにじませた苦笑を漏らした。しかし、サムは言った。
「閣下、お気を確かに。我も『オレニア大陸魔法系統』なら拝読しております。」
サムの言葉に、総督は目の色を変えた。
「なんと……あれを書いたのは五〇年近く前だぞ……まさか、まだ新しい読者を得ていようとは」
総督は感激し、矢継ぎ早にサムに尋ねた。
「ど、どこで、どこでわしの魔道書を見つけたのだ?それに、もしそなたに魔法の師がいるなら、わしの魔道書を知っていたか?」
サムはしどろもどろになりつつも、冷静さを取り戻してから、順々に話した。
「えっと……まず我が師はデニミウスといい、旅の魔法使いでした。我と師が出会ったのは一〇年前で、その時に『オレニア大陸魔法系統』を拝読するよう薦められた次第です」
「デニミウス殿が?」
総督は立ち上がっていた。突然の挙動に、皆の理解が追いつかない。
サムは総督の心中を伺うべく、
「い、いかがされました、総督?」
と、恐る恐る口にした。総督は立ち上がっていた事に初めて気づいた様子で、ゆっくりと座り直し、自身の行動を詫びた。
「ああ、いや、すまぬ。驚かせてしまったな。
実はな、わしが一〇年以上前に会った魔法使いが、デニミウス殿なのだ」
今度はサムが立ち上がり、
「我が師が来ていたのですか?この地に?」
そう叫ぶように声を上げた。
「し、失礼致しました」
サムは非礼を詫びてソファに座した。縮こまるサムに、総督は笑った。
「なに、気にするでない。それより、どうやら共通の知人がいるらしい事もわかった。お互い、もっとよく話し合いたい」
サムが座り直す際に、蔵人は隣のエイシャから話しかけられた。
「クロード、妬いていませんの?」
小声での唐突な質問に、菓子を噛み終えてから蔵人は反応した。
「妬く?誰に?」
エイシャの質問が全く解せないという体の蔵人に、エイシャは呆れ、諦めて言った。
「あー、質問した私が馬鹿でしたわ。
それにしてもクロード、茶菓子、食べ過ぎじゃありませんの?」
蔵人は次の茶菓子に伸ばしかけた手を止め、
「いや、出された物は全部食べなきゃ失礼かと思ったんだけど、違うの?エイシャこそ、全く手を付けないのは失礼じゃないの?」
エイシャはため息をついて、
「そうですわね、一つくらいいただきますわ」
エイシャの挙動を不審に思いつつ、蔵人はサムと総督の会話を集中して聞いた。
サムと総督は、二人にしか完全には理解できない、魔法使い同士の会話をしていた。しかし、蔵人にも理解できる部分は多い。
「わしが宮廷お付の魔法使いとして、長く皇帝陛下に仕えていた時に、デニミウス殿は唐突に現れた。魔法使いを名乗る人物が謁見を申し出ているとして、わしの所に話が飛び込んできた。
初めは魔法使いを名乗る香具師かと思ったが、ふと魔力探知をしてみれば、わしより遥かに強大な魔力が、城外から発せられていた。
わしは慌てて予定を変更し、面会を決めた。いや、あの日の事は昨日のように思い出せる。宮廷内に設けられた私室で、わしはデニミウス殿に会った。その強大な魔力に、わしはひれ伏さんばかりだったが、
『皇帝に仕える者が、下手に頭を下げてはなりませんぞ。そなたは宮廷魔法使い、我は一介の旅人に過ぎません』
とお言葉をいただき、対等の立場で会話をした。わしの『オレニア大陸魔法系統』をいたく気に入っておられた様子で、弟子とする魔法使いに会えたら見せたいとの事だった。
わしは、魔法使いとしての仕事が初めて認められたように感じ、是非ともとお願いした。だが、弟子にしてくれとは、言えなかった。何分歳を取りすぎていたし、宮廷お付の魔法使いの立場を捨てるのは惜しかった。妻子のいる身では、流浪の魔法使いについていくなど……
デニミウス殿は船でオレニア大陸に渡ったと聞いているが、船が向かったであろう港街が、謎の現象で壊滅したという……何があったのか、今となってはわからぬが……」
港街の壊滅――――それがサムによるものだという事は、蔵人にもわかった。
サムは、旅行鞄から一冊の書物を取り出した。
「閣下、これが、我が師デニミウスより与えられた、『オレニア大陸魔法系統』にございます」
サムが取り出した年代物の本を前に、総督は涙していた。
「行政官として認められてはきたが、今日ほど……今日ほど魔法使いとしての仕事が報われたと思った日はない」
総督は、その目に若き日の想念を思い出していた。
この物語はフィクションです。実在する人物、団体、事件等とは関係ありません。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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