第四一章 共和政国家
蔵人たちは、夏も終わりが見えてきた頃に、エセックシア共和国に足を踏み入れた。ガウロン帝国にはマウリーア皇帝から、死者の乱の治め方を伝える特使が届き、死者が順調に掃討されているという。これで死者の乱で混乱する、このエージア大陸の四大強国はエセックシアだけだった。
国境付近の川で、蔵人一行は久しぶりに沐浴していた。全員が裸になったが、女性のエイシャは少し離れた所にいて、他三名からは見えない位置取りをしていた。
遜は豪快に何度も全身を水で洗っている。一方で体全体を水で流した蔵人は、裸体で濡れ髪のまま、同じ状態のサムに膝枕してもらっていた。そしてエセックシア共和国について、サムから教えてもらっていた。
「共和政って事だけど、何でも皆の投票で決めるのか?」
君主政の国に慣れた蔵人には、共和政という概念そのものに馴染みが薄い。サムはなるべく簡単な説明を心がけた。
「そうだね、問題が重要であればあるほど、投票で決められるな」
蔵人にはそれが謎だった。
「重要であればあるほど、即断即決が求められると思うけどな……のんびり意見を集めていたら、その間にも問題が悪化するんじゃないか?」
「そうだね。だから議論は貴族たちだけで済ませて、投票では賛成か反対かを問うだけの事が多い。仮にもこの大陸の四大強国の一角だけあって、その辺りの政治制度はしっかりしているよ」
サムの丁寧な説明にも、蔵人は理解が追いついていない自覚があった。
「なんにせよ、俺たちはエセックシアのお偉いさんたちに、死者討伐のコツを教えればいいわけだ。それでこの大陸から、大方の死者は掃討される」
蔵人の言葉に、サムは頷いた。
「そうだね。マウリーア皇帝の通行手形を見せれば、向こうも僕らを無下には扱えないだろうし」
話が一段落したところで、二人の前を遜が抜き足差し足で横切った。
「遜?」
蔵人が呼びかけると、
「しー、静かにしててくれよ」
そう言って歩みを再開した。蔵人は体を起こし、サムと視線を交錯させたが、遜の行動の意図が読めない。二人も立ち上がり、遜の後を尾行した。
遜は川辺に仰向けで眠る、エイシャに近づいた。エイシャは穏やかに眠りに就いており、胸と股を布地で覆っているだけだった。筋肉質だが、張り出した胸やくびれた腰つきが遠目にもわかる。知らず、蔵人は生唾を飲み込んでいた。
蔵人は情欲を煽られつつも、冷静さを保ち、遜に言った。遜の股ぐらはいきり立っていたからだ。
「まさか、遜――――」
エイシャの寝込みを襲おうという魂胆が明らかになり、蔵人とサムは遜に自制を求めた。
「やめとけよ、遜」
「蔵人の言う通りだ。遜」
小声で訴える二人を尻目に、遜はエイシャの傍にかがみ、そっと胸元に手を伸ばした。しかし、次の瞬間、
「がっ、はっ……」
うめき声を上げて遜はエイシャの横に伏した。エイシャの蹴りが、遜の股を直撃したのだ。
「う〜ん、イアグ神、の……加護に……より、我を襲う……事……叶わぬ」
エイシャの寝言に、蔵人とサムは顔を見合わせた。
「もしかして、エイシャ、寝る時は――――」
「うん、僕らを神聖魔法で覆うのと同時に、自分一人にも別の魔法をかけてるんだね」
安眠するエイシャの横で、遜はしばらく苦悶の時を味わった。そして二人は、何も見なかった事にして、その場を離れた。
道中、遜が問題を起こしそうになったわけだが、旅は順調に進んだ。エイシャの神聖魔法による結界は、死者や死の魔法使いによる探知から、蔵人たちを守った。
「本当に神聖魔法ってすごいんだな!馬で駆ける時を除くと、死者に全く遭わない」
焚き火を囲んで夕食を摂る最中、蔵人はそう言ってエイシャを褒め称えた。エイシャは少し照れたように、
「そう言ってくれると嬉しいですわ。寝込みを襲う誰かさんとは大違い」
そう言った。遜がむせかけたが、皆その事には深く触れず、夕食を平らげた。
翌日、秋深まりし時節に、蔵人たちはエセックシアの玄関口の都市、コローニへと着いた。段々と寒くなってきており、蔵人たちも外套を身にまとうようになっていた。
死者の乱の影響で、この都市でも城門で検問が行われていた。蔵人たちは馬から降り、手綱を引きつつ列に並んだ。
蔵人たちが衛兵の前まで来るのに、馬を時々宥める必要があった。それだけの時間がかかったわけである。
やっと蔵人たちの番になったが、見慣れぬ出で立ちの冒険者の集まりとあって、衛兵は不審がった。
「そこの黒髪の二名は、どこの生まれだ?この辺の者ではあるまい?」
長身の蔵人を見上げつつも、威圧的態度を崩さぬ衛兵に、
「待たれよ、エセックシアの兵士よ」
と、サムが勿体つけた口調で進み出た。衛兵は小柄なサムを見下した。しかしサムは物怖じせず、次のように宣告した。
「この手形をご覧あれ。これはマウリーア皇帝から直々に我らが賜りし物。誇り高きエセックシアでも通用するとは思わぬが、我ら一行がただ者でない事の証明にはなろう。いかがいたす?」
サムにしては珍しい、尊大な口調であった。衛兵はまじまじと手形を見てから、
「す、少し待たれよ。市長との話し合いが要る」
そう言って都市内へと駆けていった。蔵人は面食らって友を見た。
「サムがあんな上から目線なの、珍しいな。どうしてあんなふうに言ったんだ?」
サムは答えた。
「舐められたら終わりだからね。この共和国では、外人は政治に参加できない。良くも悪くも、君主の一声で物事が動く国じゃないんだ。最初からこうして振る舞っておけば、政治の中枢にいる貴族たちも、僕らの言う事を聞きたくなると思ってね」
遜はサムの肩を持った。
「なるほどな。そりゃ確かだ。貴族が何百人といて、何万人もの投票で事が決まる国だと、権力の中枢に近づくのも難しい。というより、あれか、誰か一人に近づいたところで、権力の中枢に近づいたとは言えない」
エイシャは目を丸くしていた。
「サムって、本当に頭が回りますわね。単細胞な誰かとは大違いですわ」
この言葉に対する他の一同の反応は、あえて伏せておく。
サムの機転により、蔵人一行は首都エセクスより派遣された、コローニの市長と面談する機会を得た。
首都での政治判断こそ「共和政」だが、中央集権のエセックシアは、各地に市長・総督を派遣しているらしい。首都でこそ一政治家に過ぎない人物が、総督になると専横を振るうのは矛盾である。しかしサム曰く、その矛盾が限界に来ているとの事だった。
市長は、堂々たる体躯かつ禿頭の男だった。公邸の応接間に蔵人たちを通し、エージア公用語で会話をした。
暖炉の焚かれた、広い部屋であった。部屋には蝋燭が幾本も据えられ、密室にもかかわらず明るかった。市長は一人用の椅子に、蔵人たちは五人余りが座れる長椅子に腰掛けている。市長の椅子と長椅子は直角に交わる位置取りだった。
市長は言った。
「そなたたちがマウリーア皇帝に厚遇された者である事はわかった。しかし、そなたらの目的がわからぬ。何故我らエセックシアに参った?そなたらを、マウリーアの間諜と疑う者もおるのだぞ?」
蔵人は驚いて反論しそうになったが、友の手に制止された。
サムは冷静に反駁した。
「それならば、我らは一路首都エセクスに向かっております。一〇万人が暮らすと言われるかの都に紛れれば、間諜など容易でしょう」
市長はさらに言った。
「では、改めて率直に問おう。そなたらの目的はなんだ?」
サムより先に、
「閣下、我らは死者の掃討を目指して、旅をしておりますゆえに」
蔵人が滑らかなエージア公用語で答えていた。今ならば、何故この大陸がエージアと呼ばれ、エージア公用語なるものが存在するか、わかっていた。全て、四大魔法使い「地のエーグ」から来た名称なのだ。
蔵人の言に、市長は椅子から身を乗り出して蔵人に尋ねた。
「死者の掃討だと?あのうろつく亡者どもを、打倒する手段があるのか?」
蔵人は視線を市長の顔に向けて答えた。
「はい。我らはクローヴィス王国、マウリーア帝国で、死者の乱の沈静化をお手伝いした者どもにございます」
市長は明らかな疑問を表情に出した。
「死者、の、乱?なんだ、それは?」
市長のこの態度に、四名もまた疑問を感じた。神聖魔法の使い手も含め、およそ大なり小なり各国に「死者の乱」については伝わっていたからである。
四名は顔を見合わせた後、サムが市長に尋ねた。
「閣下、死者の乱については、ご存知ありませんか?」
サムの問いに、
「今初めて耳にした」
と、市長は短く答えた。そのため、サムは一番詳細な、魔法使いに伝わる死者の乱に関する説明を行った。
死者の乱についてのサムの講釈が終わると、市長は椅子に深く座り直し、
「ふ〜む、死者の乱……まさか、四大魔法使いの予言とは……我らには初耳の事ばかりだ……」
そう呟くばかりだった。
サムはエセックシアの政情を考え、市長に尋ねた。
「閣下、エセックシアは広く人材を登用し、市民権を与えるという開かれたお国だと伺っております。その中に魔法使いはいらっしゃらないのですか?」
市長は顎の白髭を撫でつつ答えた。
「いや、魔法使いなら、貴族の一家系が担い、魔法官として働いておる。その家系は代々魔法使いとしての力を継承し、有為天変の事象を占う役職だ。そのような伝説があったなら、その家系の者が知っていたはずたが……」
煮え切らない返答だったが、一行の誰も市長を咎める気はなかった。ただ、サムには魔法使いが登用されながら、死者掃討に手こずっている共和国の現状が解せなかった。
ひとまず、四名は市長との面会を終え、市長マルヌデスの名の下、共和国内の通行手形を入手した。
四名はその後間もなく市長公邸を辞した。しかしサムにはどうしても市長の言に納得がいかない。その様子を蔵人は見逃さなかった。
「サム、納得してないみたいだな?」
歩きながら、サムは驚いて蔵人を見上げた。しかしすぐに前方に視線を戻した。そして答えた。
「市長の魔法に関する知識が、どうしても解せないんだよね。魔法使いとしての資質は、遺伝しない。親が強大な魔法使いでも、子供は一般人な事が当たり前だ。
もし本当に魔法を遺伝させている家系があるなら、魔法を遺伝させる魔法を開発した事になる。それはそれですごい事だ。
でもそれなら、死者の乱に関する伝承が伝わっていないはずはないんだ。正直市長の言っていた事は、魔法使いからするとちぐはぐしている」
眉間にしわを寄せるサムに、遜は言った。
「まあ、おれたちがここで悩んでも答えは出ないだろう。市長の証文も手にした事だし、首都エセクスに行ってみる他ないな」
遜の言葉に、蔵人やエイシャも賛同した。
「遜の言う通りだな。サムの疑問を解く鍵は、首都エセクスにある」
「そうですわね。スンの言う通り、ここで悩んでも、答えは出ないでしょう。
行きましょう、都、エセクスへ!」
朗々としたエイシャの声に、サムも頷いた。
「よし!行くしかないね!
ただ、ここからだと馬を走らせて二〇日くらいかかると思うけど、皆平気?」
サムの問いかけに、他三名は固まった。
「馬で二〇日か……」
「遠いな……」
「そんなかかりますの……」
エージアを四大強国の一角だけあって、エセックシアの領土は広大である。その事に、三名は思い至っていなかったらしい。
固まる仲間を目にして、サムは言った。
「まあ、野宿続きで疲れているから、この街で少し休憩してから出発しようよ」
仲間たちは、強く頷くばかりだった。
三日間羽根を伸ばした後、四名は馬上の人となり、エセクスに向かって出発した。
しばらく野宿とはいえ、エイシャの神聖魔法の力により、路傍での寝食も格段に楽になっていた。
何日か経ち、日が暮れて野宿する地点を決めた後に、
「我が神、いと高きイアグ神の御力よ、不浄なる者どもから我らを隠し給え」
エイシャは簡単な呪文を唱え、結界を張った。焚き火を中心に、半径三〇歩余りの領域は、死者からも魔王の魔力探知からも逃れられる。これで不意打ちを恐れず、翌朝まで寝ていられるのだから頼もしかった。
蔵人は聖典を手に呪文を唱えたエイシャを、焚き火を起こしつつ褒め称えた。
「エイシャの神聖魔法って本当に頼りになるな。仲間になってくれてから、死者の襲撃に遭わなくなった。お陰で夜も怖くなくなった」
素直な称賛に、エイシャは照れ笑いで応えた。
「蔵人ったら、褒めても何も出ませんわよ?」
しかし、蔵人は尚も言う。
「いや、本当に旅が楽になったよ。本当にありがとう、エイシャ」
火が安定したところで、蔵人は微笑みながらエイシャを見つめた。エイシャは苦笑しながらサムに尋ねた。
「蔵人って、昔からこんな感じですの?」
サムも苦笑気味である。
「まあ、そうだね。人望厚かった王様を幾人も宿している、って遜が言ったのは、その通りでしょ?」
「全く、困ったものですわ」
蔵人は二名が同意し合っているのを、首を傾げつつ見ているしかなかった。
遜は馬に餌を与えて、焚き火の近くに戻ってきた。
「いやぁ、だいぶ冷えてきたな。邑や曙王国ほど冷え込まないとはいえ、四季がある国だもんな」
遜が焚き火の前に座って手をかざすと、エイシャは呆れた様子で、
「この程度の寒さで、泣き言ですの?それに、年寄りくさいですわ」
と言った。
しかし、遜は動じない。良くも悪くも、川辺での一件以来、エイシャを女扱いするのはやめたようだった。
遜は酒瓶と人数分の酒杯を見せて、
「まぁ、そう言ってくれるな。体を温めると言えば、これだろ」
そう言って皆に杯を渡し、マウリーア皇帝から頂戴した酒を注いだ。皆口を付け、舌鼓を打った。
「マウリーア皇帝ともなると、これほどの美酒を嗜んでいらしたのですね。ルマークにもこれほどの酒はないでしょう」
エイシャが杯を真っ先に空にした。それを見た蔵人は尋ねた。
「エイシャは武僧だったわけだけど、禁酒とかはなかったのか?俺の故郷では、僧侶は酒に手を付けられなかったな」
エイシャは応えた。
「酒もイアグ神のもたらした自然を原料とする飲み物。ルマークの僧侶たちは修養の一環として、作物を育て、果実から酒を造る事をしていますわ」
蔵人は目を丸くして、
「なるほど……酒は神様の贈り物みたいなわけか。そういう考え方もあるよな――――くーっ、効くな、この酒は」
エイシャの答えと酒を二つとも臓腑に落とした。
保存食や酒に困っていないため、エイシャの結界により、四名は酒と食物を堪能し、眠りに就く事ができた。
しかし、死者を恐れなくて済むようになった代わり、別の恐れが出てくる事を、四名は想像だにしていなかった。
この物語はフィクションです。実在する人物、団体、事件等とは関係ありません。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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