第三一章 様々な価値
四、五冊の書を手に、サムは自身と蔵人を宙に浮かせ、建物の屋根に下り立った。徐々に空は暗くなってきている。なるべく早く総督府に戻るのが良さそうである。
サムは座って書物を検品していたが、蔵人は店外に出たとあって、立ったまま、改めて不満を述べた。
「全く、なんだあの態度は。臣民にあるまじき考えだ」
店主が国王に全然忠誠心を持っていないのが、よほど不満らしい。サムはまたも蔵人をなだめた。
「まあまあ、蔵人。人には色々な価値があるさ」
しかし蔵人は納得できない。
「それはそうだ。価値観は人それぞれだからな。だが、衣食住を保障する良識に富んだ王の治世を不満だというのは、いくらなんでも度し難き不忠というものだ」
国王は臣民を慮り、臣民は王に忠誠を尽くす。それが蔵人の価値であった。理に適った価値観であり、反論は難しい。
だが、サムはあえて反論を試みた。
「蔵人は、平明王の先代の、不識王に忠誠は誓えた?」
「え?」
蔵人は驚いて、そして悩んだ。無理な徴兵で領内に不安をもたらし、それでいて戦下手で、蔵人の父親も戦死させた王である。良識を持ち合わせていなかったとして、死後に不識王と呼称されるようになった君主だ。
蔵人は悩みに悩み抜いた末、
「それが、騎士の務めならば、従おう」
と言った。しかし、サムはさらに問い質した。
「じゃあ騎士になれず、幼少期を過ごした貧民街で育ったとしても、忠誠心は持てた?」
この問いかけには、蔵人は閉口した。あの筆舌に尽くし難い、幼い頃の暮らしで育ったとしたら、しかもその境遇を生み出した人物に忠誠を誓う事になるとしたら――――答えは、
「いや、無理だろうな。確かに、王として不出来な人物だというのもあるが、そこに個人的感情が入っているのは否定できない」
蔵人はここに至り、あの気難しそうな老店主の態度を、否と判定できなくなった。自分が個人的感情で不可能だとする行為を、他者に強要はできない。少なくとも蔵人にはできない。
蔵人は独り言のように呟いた。
「そうか、そうだな。俺が貧民街で暮らす事を余儀なくされたのは、不識王のせいだ。先王の未熟な指揮統制で、遜率いる軍の待ち伏せに遭い、父は亡くなった。そして俺の家は、一家を切り盛りするには稚拙な母が詐欺に遭い、貧民街に追いやられた。もし先王に会う機会を与えられていれば、俺は斬りかかっていただろう。
あのご老人も、同じか」
納得した蔵人にサムが優しい言葉をかけた。
「本当に、蔵人は良くできた人だね。他者の悲しみに共感して、自分の考えを改められるんだから。真に思い遣りのある人しか、できない事だよ」
蔵人は少し照れた。
「そ、そうかな?」
サムは微笑んだが、一つの疑問を蔵人にぶつけた。
「蔵人、父親が亡くなったのは遜の配下に待ち伏せされた時って気づいているのに、遜に恨みはないの?」
蔵人は迷う事なく答えた。
「武人が、武人に、戦場で敗れたんだ。戦死したのは致し方ない。不出来な統率をした不識王に恨みはあっても、見事な指揮をした遜の振る舞いに恨みを持ちはしないよ」
真っ直ぐ笑い返してきた蔵人に、サムは安堵した。
夕食は総督府で摂った。総督自身は重症で寝台から離れられないのをいい事に、マナーを無視してご馳走にありつけるという魂胆だった。
予想通り、総督の食事は珍味や豪奢さに満ちた物ばかりだった。野菜から肉に至るまで、サムは苦笑しつつ、蔵人と遜が下手にナイフとフォークを扱うのを見ていた。
満腹になった三名は、魔法使いの死体が片付けられた後の寝室に引っ込んだ。総督に刃を向けた悪逆の徒として、死体は総督府前の広場で晒し者になっている。しかも、きちんと蔵人たちが倒した事までお触書に記され、三名の名声は上がる一方だった。
「やれやれ、昼間大変だったぜ」
大人の店で女漁りに行った遜が愚痴をこぼした。蔵人は不思議そうに、
「なんだ?楽しめなかったのか?」
と尋ねた。遜は首を横に振った。
「いや、女にモテるありがたい。でも同時に何人も迫ると、一人ずつ相手するの疲れる」
蔵人は笑いつつも、次のように言わずにはいられなかった。
「よくこの大陸の公用語をそこまで覚えたね。この大陸に上陸してから、一ヶ月経たないっていうのに」
遜は曙王国の言葉で、滑らかに答えた。
「サムに辞書借りて、必死に学んでいるんだぜ。曙王国の言葉なら自然に出てくるようになったが、この大陸の公用語は文字も文法も別物で、苦労してるよ」
遜の勤勉家な一面が覗けるやり取りだった。
サムは寝台の上に座り、杖を前に置いて瞑想している。消費した魔法結晶を創り直しているのだ。
その様子を見ながら、遜は言った。
「魔法使いも大変だな。俺は、もっと気軽に何でもできるのが魔法だと思っていたよ」
遜が母語の邑の言葉を使ったため、蔵人もそれに合わせて会話に応じた。
「でも、魔法使いって杖を持って、修行僧のように瞑想するって想像図通りじゃないか?」
蔵人の言葉に、遜は首を縦に振った。
「違いない。そういう流布した虚構にも、ちゃんとした理由があったんだな。
魔法使いが杖を持つのは、弟子探しで旅をするためと、魔力の種、魔力結晶を貼り付けておくため。
瞑想するのは、魔力の種を生成するため。
一般に考えられている魔法使いの姿に、理由があったとはな」
「本当だよね。
ただサムの場合、呪文も必要ないくらい、魔力が強大だけど。魔王ノルアスに会った時に、古の四大魔法使いにも匹敵するって評価されてたよ」
蔵人の言葉を聞いた遜は、
「四大魔法使いと同等?そんな人物と旅をしていたのか……ありがたや、ありがたや、サム様」
と、唐突にサムに向かって拝み始めた。
蔵人は笑ったが、これだけ頭が切れて、軽妙洒脱な会話ができる遜が、モテるのは当然だと思っていた。
そして、自分も頭が切れる上に容姿端麗なのには無頓着であった。
サムが瞑想を終えるまで、二名は部屋の明かりを消さなかった。サムが目を開き、瞑想を終えると、蔵人と遜に言った。
「なんだ、二人ともまだ起きてたのか。明かりも消して、寝てても構わなかったのに」
蔵人は答えて言った。
「なに、遜と話し込んでいただけだよ。魔法使いについてね」
遜も言った。
「魔法使いって中々お目にかかれないが、一般に流布する想像図があるからな。で、その想像図が本当で、それにきちんとした理由があるって事を話しててな」
サムは笑った。
「魔法使いの想像図?杖持っていて、外套を常に着てるとか?」
遜はサムの挙げた単語を聞き、逆に聞き返した。
「そうそう。そういえば、外套を常に着てるのは何故だ?もう初夏と言っていい頃だろ?なのに冬物のような外套を着てるのはなんでだ?」
サムは、
「言ってなかったっけ?外套には、裏地にびっしり魔力結晶を貼り付けてあるんだ。魔力結晶のせいで重いけど、布地は夏でも快適に出来てるよ」
と説明して、外套の裏地を見せた。遠目でもわかるほど、びっしり貼り付けられた魔力結晶が光を反射していた。
遜は驚いてさらに尋ねた。
「すげぇな、おい。それだけあれば、杖に魔力の種を仕込んでおく必要ないんじゃないか?」
サムは答える。
「この魔力結晶は、言わば防御用でね。炎や落石などにも耐えられるよう、本当に万一の時のために温存しているんだ。遠くから矢で狙撃されても、当たった時に矢が折れる。
もっとも、その分大量の魔力の種を食うからね。敵へ攻撃するより、まずは自分の身を守る事のが優先順位は高いだろう?」
遜は、
「確かに理に適っている。しかしまあ、魔法使いがますます無敵の存在に見えてきたぜ?」
そう言ったが、サムは首を横に振った。
「いや、魔力の種は一つ作るのに、半刻近い瞑想が必要だ。今だって、僕の瞑想時間は一刻になっていたと思うけど、出来上がった魔力の種はたった三つだ。この外套の内側の魔力の種を全て一から作るのには、丸三日の瞑想が必要になる。
魔法使いは確かに強力だけど、戦闘で消耗戦になったら、蔵人や遜には絶対に勝てない。
魔法使いが直接戦闘を好まないのはそのためだ。だから魔王も、死者を蘇らせて手駒にしたり、自分に味方しそうな魔法使いに目を付けて懐柔しているんだ」
蔵人は歯ぎしりした。
「魔王め、卑劣な手を使うのはそのためか」
怒りに燃える蔵人にはあえて反応せず、遜はさらにサムに尋ねた。
「そういえば、サムは旅の魔法使いに弟子入りして、魔法を習ったんだろ?その魔法使いも、やっぱり同じような感じなのか?」
サムは悩みながら、
「そうだね……茶髪栗色の目をしていたけど、会った時には白髪も目立ってたな。でも、強い魔法使いだったよ。僕の魔法使いとしての在り方は、全て師匠譲りだ。さっきの外套や杖の話もね。僕の事を自分より強い魔法使いになるって言ってくれていたけど、師匠と魔法対決して勝てるとは思えないな。もう一度会ってみたいけど、出身地がどこか聞かなかった。心残りと言えば、心残りだね」
遜はそれを聞いて、次のように言った。
「じゃあ、この旅の目的が増えたな。魔王打倒は大目標だが、蔵人はガルデニウスと再び闘うため、サムは師匠ともう一度会うためだ」
こうして、旅に新たな目的が加わった。
翌日、蔵人たちは都市を後にした。
総督府を辞するにあたり、未だベッドから離れられない総督に挨拶に行った。三名は通常の服装で、いつでも出立できる格好だった。
総督は三名が挨拶に来ると言った。
「無駄とは思うが、問わずにはいられない。私の、いや、ルマーク王の下で働く気はないか?恐らく国王陛下ご自身も、同じ問いをなさるだろうが」
三名は互いに顔を見合わせつつも、蔵人が代表して言った。
「閣下、そのように仰っていただけるのは光栄ですが、我々は流浪の道を選んだ身。主君を戴く気にはなれません」
「そうか……そなたたちが探しているという人物も、恐らく国王陛下はお声をおかけ遊ばした事だろう。全く、良い人材は網にかかりにくい。いや、流浪の身を心変わりさせるほどの魅力を、我々が持っていないだけか」
総督は長い息を吐き、副官に声をかけた。
「アッディ、書簡は出来ているな?」
「はっ!こちらに」
副官がきらびやかな装飾が施された、黒い筒を蔵人に差し出した。
総督は言った。
「国王陛下への書状が入っている。死者の跋扈する世の中になってしまったが、そなたたちなら王都へ無事着けるだろう。私の代わりに、陛下に渡してもらいたい」
蔵人は書簡を両手で受け取り、
「承知致しました」
と了承した。
その後、サムがおずおずと総督の枕元に立ち、
「総督閣下、何度も申し上げましたが、私は医師ではないため、治療が不正確かもしれません。万一何かあれば――――」
そう細々と釈明する言葉を、総督の笑い声が遮った。
「ハハハッ!くっ……笑うとまだ傷に響くな。勇者御一行の魔法使いが、そんな弱気になるな。なに、そなたの治療以降、徐々に力が戻ってくるのを感じる。そなたが魔法を施してくれなければ、私は既にこの世の者ではないさ。
大丈夫だ、問題ない」
総督の笑い声に背を押される思いで、サムも笑顔になった。
総督の寝室を出る際に、総督は言った。
「そなたちの魔王打倒は大望だ。無理だと思ったら、誰かに助力を求める必要もある。いかに世界の一大事とはいえ、我が子とそう年齢の変わらない者たちが、また死ぬのだけは忍びない。
目標の成就を、心から祈っている」
総督の親心にも似た言葉には、人生の酸いも甘いも噛み分けた者の深さと温かさが宿っていた。
蔵人たちが都市から立ち退く際にも、街の住民は盛大に見送った。馬上の人間となった三名に無闇に近づくものだから、馬が興奮して暴れないようにするのが難しいほどだった。
三名は馬で進むのを諦め、馬の手綱を引いて徒歩で進んだ。それでも、馬が暴れ出さないよう、細心の注意が必要だった。
総督府を挟み、来たのとは反対側の門まで数百尺の道のりを、半日近くかかってようやく踏破した。
さすがに城壁の外まで出てくる人はいなかったが、
「気をつけてー!」
「また来ておくれよー!」
三名は大勢の群衆の声を背に、都市を後にした。城壁外ですぐに馬に乗り、鞭を入れてすぐに馬を走らせた。
人の声が届かなくなり、平野を駆ける段になって、遜が不平を言った。
「やれやれ、歓迎されるのも困ったもんだ。小便我慢するのも疲れたぜ……」
サムも同調し、
「僕はお腹が空いたよ……」
そう言ってため息をした。
蔵人が提案した。
「もらった地図によれば、この先に川があるらしいから、そこで水浴びしながら昼飯にしよう」
他二名は、
「賛成〜……」
「了解だ……」
そう力ない返事をした。
半刻と経たぬうちに川に着いた。広い浅瀬の川で、馬での渡河も問題ない。
晴天で、青空に千切れた雲が点在している。皆素裸になり、水浴びをした。
「あ〜、やっと小便出せたぜ。気持ちいいな、おい」
大声で言い放つ遜に、蔵人とサムは冷たい目を向けた。
「頼むから下流に向かってしてくれよ?」
「僕らも水浴びする事を忘れないでね?」
遜は首だけ振り返り、
「お前ら!おれの事を汚物か何かだと思って見てるな!ひでぇ言い草だ!」
と、抗議したが、二人が言った事は最初から守っていた。
皆水浴びをし、もらった保存食に手を付けた。
「うおっ!これが保存食かよ?美味いなぁ」
遜が言った。蔵人やサムも口々に、
「確かに美味い」
「美味しいね」
そう評した。
食後、遜は軽い仮眠を取ると言って裸のまま眠りに就いた。その間に、蔵人とサムは濡れ髪のまま語り合った。川辺に腰掛けたサムの脛まで、水は流れている。そこへ、サムの太腿を膝枕にして、蔵人が横たわった。
「なぁ、サム」
「なんだい、蔵人?」
お互い素で話せる間柄である。言葉遣いはとても穏やかで優しかった。
「あの古書店の店主の姿を見て、また少し視野が広がった気がする。人には色々な価値観がある。そう日頃から考えていたはずなのに、自分と異なる考えの人と会って、俺は反発した。
でも、それは違うんだな。一つの真理しか認めない生き方なら、対立意見を認めなくとも済む。でも価値の軽重は人それぞれだとするなら、異なる考えの人間も認めなければならない。仮に非人道的な思考の持ち主でも、その意見はその人の意見として尊重して、人格や思想まで否定する事はない。一つ、大きな学びを得た気がするよ」
サムは笑顔で、友の濡れ髪を撫でて言った。
「そうして、素直に学びを活かして己の考えを改められるのは、蔵人の長所だよ」
優しい言葉に、蔵人は首を曲げて友の顔に視線を移した。
「そうかな?長所、長所か……面と向かって言われると照れるな」
蔵人は居心地悪そうに、上半身を起こしてサムの隣に座った。頭を掻く蔵人にサムは追撃を放った。
「長所だよ。だから、その思いを大切にしてね」
赤面する思いをしていると、不意に蔵人はある事を思い出した。そしてサムに体ごと向き直り、友の両手を取って言った。
「そういえば、総督府で敵の魔法から救い出してくれて、ありがとう。面と向かってお礼言ってなかったよな?
サムがいなければ、俺は敵の魔法で精神を破壊されていたし、幼少期の心の傷もそのままだった。ありがとう、本当に、本当に……」
蔵人は思わず泣き出し、裸の胸にサムの頭を抱いていた。強くサムを抱きしめ、蔵人は涙と共に礼を述べ続けた。
「蔵人、苦しい……」
サムがそう言うと、蔵人は我に返り、サムを離した。そして涙を拭って言った。
「ありがとう、サム。サムも、聞いて欲しい悩みとか、辛い事とかあったら、遠慮なく言ってくれよ?サムの苦労なら、俺の苦労だ。俺にもサムの重荷を、背負わせてくれ」
真っ直ぐな目と言葉で直視され、今度はサムが照れた。しかし、すぐに言った。
「悩み、辛い事か――――蔵人になら、明かしてもいいかな」
そうして、サムは初めて、己の過去を他者に開陳した。
この物語はフィクションです。実在する人物、団体、事件等とは関係ありません。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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