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剣の勇者  作者: 坂木陽介
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第二九章 精神治癒

 蔵人は叫び声を抑え、虚ろな目で涙をとめどなく流すようになった。しかし精神的外傷が快癒したわけではない。ただ叫ぶ力さえ失われてきただけだった。サムは変わらず、脂汗を流しながら蔵人の精神を探っていた。

「おかあさん……」

 弱々しく母親に呼びかける少年蔵人は、

「うるさいねぇ!飯食わしてもらっているだけ有り難く思いな!全く、子供なんて、重荷だよ」

 という罵声を返された。埃や塵にまみれた少年蔵人は、部屋の隅で声を抑えながら泣き続けるのが日常になった。服は汚れ、外に出ると、売女の息子と罵られながら泥を浴びせられた。おかげで母親が客を取って抱かれている部屋の端で、震えているしかなかった。

 ある時、裸の母親が抱かれたまま部屋の外に連れ出された。

「ち、ちょっと!どこへ連れていく気だよ?」

 母親の当然の疑問に、客は、

「なに、もっと稼がせてやるだけさ。別に今更裸で外出たって、恥ずかしくなんかねぇだろ?」

 そう言って母親と外へ向かった。いつもと違う様子に、少年蔵人は二人の後を追った。

 集合住宅の外に出ると、裸の母親が大勢の裸の男たちに囲まれていた。母親は股を広げられ、男たちの視線を集中的に浴びている。

「いやっ!ちょっと!やめてよ、こんなの!」

 母親を抱きかかえる男は嘆願を無視して群衆に告げた。

「さあ、騎士の花嫁だった美貌の麗人の股だぞ!皆金は持ってきたろうな?お前らの肉棒で穴という穴を埋めてやれ!」

「おぉ!」

 そこからは、裸の男たちが金を落としながら、母親の肉体を貪り食う様が展開された。かつて街行く人々が振り返った美貌と身体は、下衆な男たちに征服され、蹂躙された。

 最初こそ丁寧に列を成していた男共だが、次第に理性を無くし、母親を囲むように輪を作った。そして性欲の赴くままに、獣の如く母親を食らった。

 裸の男たちによる母親の蹂躙は、半日続いた。最後の一人が満足して去ると、後には砂利道に横たわり、痙攣する裸の母親が残された。傍の籠には銅貨がうず高く積まれていた。

「おかあさん!」

 少年蔵人が母親に駆け寄った。しかし、道に横たわる母親は虚ろな目で痙攣するばかりだった。

「おかあさん!おかあさん!」

 罵声一つ飛んでこない状態に、少年蔵人は涙をとめどなく流した。

 結局、その後少年蔵人が母親の声を聞く事はなかった。小便を垂れ流しつつ、母親は痙攣するばかりで、意識を失っていた。

 そして、丸一日が経った。あれほど熱を上げた女でも、汚れて地に伏す存在になっては魅力がなくなるらしい。

「おい、そいつが邪魔だ」

 集合住宅の入口に横たわる母親は、男たちに足蹴にされた。少年蔵人は、泣きながら母親を引きずり、体を入口から離した場所に動かした。

 そして、不衛生な環境かつ排泄も不完全になった母親は、感染症に罹患した。やがて口から泡を吹き、激しい痙攣を起こして帰らぬ人となった。



 少年蔵人は、無意識のうちに母親が亡くなった事を察した。母親に呼びかけるのをやめ、蝿のたかる母親の亡骸をしゃがみ込んで見ていた。空腹も喉の渇きも、全て無くしたように感じなくなっていた。しかし、蔵人は小声で泣いていた。

「えぇぇん……えぇぇん……」

 これが、心の奥底、腹の芯の最奥で、泣き腫らす蔵人の姿だったのだ。このしゃがみ込み、泣く時までに負った傷を、蔵人はひた隠しにした。厳重に封印し、剣の道に邁進する事で、自尊心を装う事が出来ていたのだ。ガルデニウスとの戦いで剣を折られた時、幼児のように大泣きしたのは、自尊心を折られたからだ。母親の骸の前で泣く、少年蔵人に回帰したからなのだ。そしてこの少年蔵人を泣き止ます事でしか、蔵人の回復はあり得なかった。

 しかし、そのためにはまだ情報が足りない。蔵人は自信がなくても、自信を抱いているように振る舞う事はできた。この泣いている少年蔵人が、常人を装う状態へ変化した出来事があったはずなのだ。

 サムは、更に少年蔵人の辿った軌跡を追った。すると、母親が亡くなった数日後、平明王が王都内を巡幸する行事が見えた。ボロ家に住んでいる者たちも、王の先触れたちに引っ張り出され、廃屋街のすぐ傍にある道に整列させられていた。

 王が馬に乗ってゆっくり進んでいると、視界の隅に少年蔵人を認めた。

「あの子供は?」

 主要な道から伸びる路地に、少年蔵人は母親の骸と共にいた。国の主要人物たちからは無縁の、路地に沿って並ぶ廃屋街である。王が立ち入る事など、絶えてなかった。

「まだ残っていたか。失礼致しました、陛下。すぐにあの小僧も連れてきて跪かせます」

 平明王お付の者はそう言った。しかし平明王は、

「待て」

と言って、馬を廃屋街の中へと進めた。

「陛下!その先は王族が立ち入るような場所では……」

 臣下の言葉を無視して、王は白馬と共に廃屋街の中へと分け入った。

 少年蔵人は自分の傍で馬を止めた平明王に気づいた。

「おじちゃん、誰?」

 蔵人の言葉に、先触れたちが鞭を持ち出そうとしたが、平明王は無言のまま制止させた。平明王は少年蔵人の問いに答えた。

「余か?余はこの曙王国を治める国王、平明王である」

 少年蔵人は王様という人物が、この国で一番偉いと聞かされていたのを思い出し、自分から跪いた。

「失礼しました、国王様」

 言葉遣いはまだ整っていない。しかし王は独り言を漏らして感心した。

「ほう、余が王と聞いて臣下の礼を取るとは。利発な子だ。鞭で追い立てられて整列する連中とは大違いだな」

 平明王は伸びかけの顎髭をさすった。サムが会った時より若いため、平明王もたどたどしさを感じさせた。しかし、その慧眼はサムの知る平明王その人に間違いなかった。

 不意に、平明王は言った。

「ふむ……そなたとは初対面の気がせぬ。父親の名を申してみよ」

 蔵人は、

「もうなんねんも前に死にました。名前は結城実人です」

と短く答えた。それを聞いた平明王は、目を丸くして驚いていた。

「なんと、実人の子息か!確かに面影がある!そなた、父親の死について、なにか伺ってはおらぬか?」

 蔵人は王に問われ、

「王子様を守るために死んだと、きいています」

 そのように答えた。平明王は興奮気味に、しかし涙を見せて述べた。

「これは天の図らいか?実人の子にこんな場所で会うとは!実人は王子だった余を逃がすために、見事な最期を遂げたのだ。無謀な追撃命令がなければ、そなたがこのような場で苦しむ事はなかった!すまぬ!本当にすまぬ!名誉の戦死と謳いながら、苦しい思いをさせた!」

 平明王は砂利道に降り立ち、跪く蔵人に手を差し伸べた。喚く側近たちの言葉も、耳に入っていないらしい。

「そなた、名はなんという?そなたを、騎士候補として、王宮に迎え入れたい」

 少年蔵人は、神様でも見るような目つきで、

「ぼく、いえ、我は結城蔵人。なります……騎士になります」

 そして、蔵人は剣士の道を歩み始めた。



「これが、蔵人が記憶を封じた経緯と、立ち直るきっかけか」

 サムは、ようやく全ての辻褄が合う情報を入手し、整理して考えられるようになっていた。ほとんど忘れかけている幸せな幼児期。その後の最悪な幼少期。それを経て初めて手にした剣士の道。

 しかし、どれほど自信を装っても、それはかりそめの仮面、蔵人の顔に貼り付いた一面でしかない。その裏には何も見えない暗黒面が潜み、さらに奥まで探査して、ようやく幼少期の泣き続ける少年蔵人に辿り着く。

 確かに蔵人は、剣の道に邁進して自信を得たように見えた。しかし、自信を体表に貼り付ける事はできても、全ては世界を否定した、幼少期の泣き続ける姿の上に載っている。簡単に壊れる見事な建築、砂上の楼閣に等しいのが、蔵人の自信に満ちた人格だった。どれだけ自信を付けても、砂の上に建てられた物は簡単に崩れ、砂に埋もれる。蔵人はそうして、数々の自信を得ながら、全て砂の中に埋もれさせてきた。そんな砂漠の中心で、少年蔵人は一〇年もの間泣き続けてきたのだ。この少年蔵人の涙が乾かない限り、蔵人が真の意味で立ち直る事はない。

 様々な属性の魔法に長けたサムも、途方に暮れた。精神魔法は水魔法の領域とされる。身体中に水が満ちているため、精神魔法で相手の心中を覗くのも、地水火風の四大分野のうちで、水に属するという考えだ。実際、水分野に秀でた魔法使いが、精神魔法を得意とする集計も作られている。

 しかし、水魔法を不得意とするサムは、何故か精神魔法にも長けていた。よって集計による分析にも懐疑的である。また、精神魔法について記された魔導書を読んでも、相手の精神の把握や、精神魔法による攻防について書かれているばかりで、癒しや回復について触れられてこなかった。

 まさしくサムは、前人未到の地平に立っていた。精神回復魔法を、独力で、今すぐ構築する必要に迫られているのだ。

 サムは蔵人の心の成り立ちを把握できた。また、精神は一人一人違う様相を呈している事も知っていた。万人に効く魔法を構築する必要はない。ただ目の前で泣き続ける友を癒せられればいいのだ。

 何が効くかわからないなら、思いついた事を片っ端から試してやる。そう開き直って、サムは再び、しゃがみ込んで泣き続ける少年蔵人の傍に降り立った。



 汚泥と埃にまみれ、母親の骸の傍で、しゃがんで泣き続ける少年蔵人。サムはすぐ横に共にしゃがんで、少年蔵人の顔を覗き込むように声をかけた。

「蔵人、もうここで泣かなくていいんだよ。さぁ、行こう」

 サムは手を差し伸べたが、少年蔵人は泣くばかりでそれに応える気配がない。サムは手を引っ込め、少年蔵人に尋ねた。

「何が悲しくて泣いているの?」

 少年蔵人はぐずりながら言った。

「おかあさん……しんじゃった……」

 鼻をすする少年蔵人に、サムはそれに対して答えた。

「でも、お母さんは平明王陛下が、立派に葬ってくれたろう?」

 先ほどの記憶の延長線上には、丁寧に埋葬される母親の葬儀も見えた。

 しかし、それでも少年蔵人の心は癒えていないらしい。サムは、別の説得方法の必要性を感じた。

 サムは改めて尋ねた。

「お母さんにあれだけ酷い事をされても、お母さんが死んじゃったのが悲しいの?」

 これは、先ほどよりは核心を突いたらしい。少年蔵人は次のように答えた。

「うん……だって、おかあさんしんだら、悲しい」

 あれほど罵声を浴びせられても、少年蔵人に母は二人いない。それこそ唯一無二の存在だった。だからこそ、このような返答をしたのだ。幸せな家庭で親族の不幸が悲しまれるのと同様、不幸せな家庭でも、家庭の二文字が当てはまらなくても、親に亡くなられたら悲しい。そういう思いを、少年蔵人は抱いているのだ。

 ここに至り、サムは蔵人に必要なのは説得ではない事に気づいた。いくら説き伏せても、巧みな弁で本人すら説得されたように感じても、それは仮面の上塗りにしかならない。蔵人に必要なものは、本来少年蔵人が手にすべきだった情愛なのだ。あれほど酷に扱われても、少年蔵人は母親を愛していたのだ。たとえ報われなくても、愛し返されなくても。

 サムは正直な思いを胸に、少年蔵人に呼びかけた。

「僕じゃ、駄目かな?」

 少年蔵人は顔だけ上げて、不思議そうにサムを見つめ返した。

「お兄ちゃん?」

 サムは言った。

「僕に、蔵人の母親の代わりはできない。でも違う形で、心の支えになれると思うんだ。だって、僕は友達の蔵人の事が、好きだから」

 いつしか少年蔵人と同じ目線の高さで、サムはしゃがんで相対していた。少年蔵人の目には、涙が浮かんだ。

「ほら、蔵人。僕の胸なら貸すから、良かったらここで泣いてよ」

 サムは腕を広げ、笑った。少年蔵人は飛び上がるように、サムの胸へと駆け寄った。

「うわあぁん!えぇぇん!」

 少年蔵人は、サムの胸に顔を埋めて泣いた。サムは幼い友を、力いっぱい抱きしめた。激しく声を上げる少年蔵人を、膝立ちで抱きしめつつ、サムは慈愛に満ちた言葉をかけた。

「良いんだ、良いんだよ。そんなに気負って生きなくても、一見格好悪くても、いいんだ。

 だから、帰ってきてくれ、蔵人。これからは、僕も君を支える力になるからね。好きな友に、目いっぱいの情愛を注ぐから」

 いつしか、少年だった蔵人は、一七歳の青年の姿になっていた。

 本来の姿を取り戻し、サムの胸から離れた蔵人は、涙の伝う頬もそのままに、

「サム、ありがとう」

 そう礼を述べていた。サムは言った。

「帰ろう、蔵人」

「ああ、わかった、サム」

 蔵人はサムの言葉に応え、内面世界から現実世界へ帰還した。



 額を付けていたサムが離れると、蔵人は目に生気を取り戻していた。蔵人は脂汗をかいている友を見て、サムがいかに大変な思いをして自分を救ってくれたかを察した。蔵人は改めて、現実世界での友の献身に涙した。そして、サムを抱きしめた。青年の身体では、長身な蔵人が立て膝状態で小柄なサムと同じ体格である。その状態で、蔵人は強くサムを抱きしめた。

「ありがとう、サム。ありがとう……サム……サム、俺も、サムの事を好きだからな……」

 嗚咽を漏らす蔵人に、サムは笑いながら蔵人の黒髪をさすった。

「良かった……蔵人、本当に戻ってきてくれたんだね。ありがとう。蔵人は立派にやってきているんだ。ちょっとくらい格好悪くてもいいんだ。もしそれを否定する奴がいても、僕は大好きな蔵人の側に立つからね」

 蔵人が正気を取り戻したのは、遠目から見ていた遜にもわかった。騒ぎ立てそうな女中を口説く事で時間を稼いでいたが、

「やれやれ、慣れない言葉じゃ、口説くのも大変だ。この大陸の公用語は、おおよそ覚えたつもりだったんだがな」

 そう愚痴りながら女中から離れた。しかし、女中が遜など眼中にない様子で、蔵人とサムを見ているのに気づいた。

「凛々しい黒髪の男子と、金髪碧眼の可愛らしい男子の抱擁……愛の告白……ああ、これが男同士の愛情の姿なのですね」

 女中は三十路ほどの歳に見受けられる。その女中が興奮して赤面し、鼻血を微かに流していた。

「馬鹿!腐った目で見るんじゃない!」

 遜は愛や男という単語から、女中の発した言葉の大意を理解していた。怒鳴り散らして女中を黙らせたものの、これは誤解される場面だと遜も思っていた。

 しばし時が止まっていたが、一番初めに事態を思い出したのは蔵人だった。

「そ、そうだ!俺たちは総督に化けた魔法使いに襲われたんじゃなかったか?」

 その場にいた全員が我に返り、立ち上がった。

「ひっ!か、閣下?」

 総督の服を着た死体に、女中はまたも悲鳴を上げそうになったが、遜に服の襟を掴まれて死体の前へ突き出された。

「よく見ろ。この顔は総督のものか?」

 女中はよくよく死体を見て、

「あ、確かに違います」

と、おとなしくなった。

 蔵人は女中に尋ねた。

「総督を最後に見たのは、どこです?」

「ええと、執務室にいらっしゃるのを、夕刻に拝見しましたが」

 女中の答えに、サムが、

「多分、僕らがこの街に来た時には入れ替わっていたんだ。僕が風魔法で探査する」

と言って、杖を両手で床に突き立て、

「どこだ、どこだ?我が求める探しもの、一体いずこに存在す?」

 呪文を詠唱した。そして、寝室で縛られている総督を発見した。

「寝室にいるみたいだ!皆、急いで」

 サムの呼びかけに一同は駆け出していた。

この物語はフィクションです。実在する人物、団体、事件等とは関係ありません。


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