第二八章 精神の奥底に
「わあぁぁ!うわあぁ!」
泣き崩れ、悲鳴を上げ続ける蔵人に、サムも遜も狼狽するばかりだった。
「しっかりしろ!おい、蔵人!」
遜が近くにしゃがんで声をかけても、
「あーーーーー!わぁーーーーー!」
蔵人は頭を抱えて叫んでいる。仲間の声も、届いていない。
「おい、サム!さっきの魔法は、一体何だ?」
遜の声に、サムは蔵人の顔を覗き込み、推測を述べた。
「精神魔法だ。人間のどこに心があるかは、哲学的問題とされている。ただ、人の心、精神は実在していると想定して、作り上げられたのが精神魔法だ。相手の精神を探り、操り、壊す。そうした魔法は実際に研究されて、効果も実証されている。特に心に傷を持っているような人には、効果覿面な魔法だ」
遜はサムの講釈を、要点に絞って整理した。
「つまり、相手の精神を操る魔法があって、心に傷を抱えた人間には有効って事か。おれには効かないから、さっきの魔法は大した威力じゃなかったろう。なのに、蔵人には効果抜群。これはつまり――――」
「蔵人は精神に大きな傷を抱えている。その傷を、さっきの魔法はえぐり出したんだ」
サムはそう言った。
冷静さを取り戻してきた二名だが、蔵人の悲鳴を聞きつけた女中がやってきた。
「一体、どうなさったのですか?」
遜は開かれた扉を一瞬だけ振り返り、サムの目を直視した。
「サム、蔵人を頼む。おれは時間を稼ぐ」
サムは仲間の真剣な眼差しに、はっきりと応えた。
「わかった。全力を尽くす」
遜はこの国の言葉がわからない、マナーもわからない――――そうした疑問を全て飲み込んでの返答だった。遜は立ち上がり、扉へ向かった。
サムは蔵人の顔を両手で抱えた。
「わあぁぁ……うわあぁーーーー!」
蔵人の目は虚ろでありながら、涙がとめどなくあふれている。
「蔵人、敵うなら、僕の言葉に応えてくれ。少しでも、敵の魔法に立ち向かってくれ。僕は蔵人の過去を知らない。だけど、よほど辛い経験をしたのはわかる。敵の呪縛を解くには、僕の助力だけでは不十分だ。
でも、全力で助けるよ。待ってて、蔵人」
サムは蔵人の額に、自らの額を軽く触れさせた。そして目を閉じ、蔵人の精神へと慎重に触れていった。
魔法は才能があれば誰でも、どこまでも鍛錬できる。では鍛錬とはどういうものか。答えは単純であり、想像力を磨くというものだ。
細かな力線が現れては消える、それがこの世界の理だ。その力線を、自らの心、想像力によって何万倍にも膨れ上げる。それが魔法の初歩にして限界である。
魔法の才能、得意分野が同等とされる魔法使いが二人いたとする。その二人のうち、片方は街を焼く火炎の魔法と聞き、街中を火事にする魔法を思いつく。しかし他方は、街を一瞬で一木一草残さず消し炭にする魔法を思いつく。両者がぶつかると、当然軍配は後者に上がる。
魔法において、最後の最後に物を言うのは想像力だとされるのは、そうした経緯があるからだ。
しかし、別の心、別の精神が絡む魔法となると、想像力だけでは行き届かぬ面が出てくる。術者の強すぎる想像力が、相手の精神を吹き飛ばしては、相手は廃人と化す。精神の破壊だけならばそれでいいが、精神を操り、助けるとなると、蜘蛛の糸を真綿で撫でる繊細さが求められる。
サムは精神魔法にも長けていた。しかし、心に傷を負った者の治療など、経験はない。ぶっつけ本番の一度きりの勝負だ。
しかし、サムは死者掃討の冒険に出て以降、己の判断で勝負に出て、「勝った」事はない。蔵人の心に触れながら、その事実に戦慄していた。
――――でも、やってみせる。必ず救ってみせる。
サムの胸には、熱い決意が宿っていた。勿論、熱の入った精神で蔵人の精神に触れれば、蔵人の精神は消し炭である。強く固い決意で、針の穴を一本ずつ見ていく慎重さが要求された。
蔵人の精神に触れた時、サムには違和感があった。確かに触れたと思った蔵人の精神だが、何も見えてこないのだ。大体の人間は、精神に触れると様々な記憶が浮かび上がるように見えてくる。しかし蔵人の精神は、暗黒の空間が広がっているようにしか感じられなかった。
蔵人の精神は、既に手遅れなのかという絶望がサムの脳裏をよぎった。大抵の人なら、脳を分析するように接すればいいが、蔵人の脳裏は真っ黒である。しかし、蔵人は生きている、いや、生きねばならない人間だ。サムにとって最初で最後かもしれない友だ。何が何でも生かしてみせる。
己の決意を翻す事なく、サムは虚心に蔵人の全身を点検するように、蔵人の暗黒の精神を探査し直した。
すると、微かに腸に当たる、曙王国では丹田と言われていた場所に反応があった。人の気が集まる箇所、とされていたのを、サムは思い出した。曙王国で生まれ育った蔵人なら、そこに心を集中させているのも頷ける。
一縷の望みをかけて、サムは暗闇の中で、わずかに光る部分へと慎重に近づいていった。
「えぇぇん……えぇぇん……」
弱々しい泣き声が、確かに捉えられた。その方向へと、サムが意識を向けた直後、サムはボロ家の前でしゃがみながら泣く子供の横にいた。蔵人の精神の中だとするなら、空間的な距離の概念は当てはまらない。そして、この泣いている子供こそ、
「蔵人」
その人だった。少年蔵人はサムの声に反応し、顔を上げた。
「お兄ちゃん、誰?」
ぼろぼろであちこち破け、土色に汚れた服を着ている。黒髪も泥や埃にまみれ、顔や手の汚れもひどい。しかしまごう事なく、少年時代の蔵人だとサムにはわかった。
「僕かい?僕はサムっていうんだ」
サムは自然と自己紹介し、少年蔵人と会話していた。少年蔵人は言う。
「髪が金色……きれいだね」
涙に濡れた頬で、少年蔵人は可愛いらしく笑った。あどけない顔だけに、この不衛生な身なりが不憫でならない。これが蔵人の負った傷なのかといぶかしむと、不意に場面が変わった。少年蔵人が、さらに幼い時のようだった。先ほどは六、七歳だった少年蔵人だが、今度は四、五歳のようである。ボロ家ではなく、しっかりした邸宅に住み、家政婦までいる。まとう服飾は、洗濯の行き届いた生成りの短衣で、全身も清潔だった。
「あ!おとうさん!お帰りなさい!」
邸宅の扉を開けて、父親が帰宅した。それを真っ先に出迎えたのは、少年蔵人である。家事をしていた母親も、
「お帰りなさい!良かった、今年も無事で」
目に涙を浮かべ、温かく出迎えた。
「二人とも元気そうだな!おれが死ぬわけないだろ?来年も、無事帰ってくるさ」
口周りに髭を蓄えた父親は、実に頼もしい存在である。頼りになる両親。その存在が子供にどれほど力強さを与えるかは、サムも痛いほどわかっていた。
そこから、家政婦は帰宅し、一家三名だけの団欒の時が流れた。父親は騎士団の一員であり、王子の護衛隊でもあった。己の武を誇る父に、少年蔵人は憧れている。母からは、王国の開祖、開明王の武勇伝も聞かされ、
「いつか開明王みたくなるんだー!」
と、勇む少年蔵人は、幸福な家庭の中にいた。
それが、数年で何故――――サムが思考すると、それに合わせたように場面が変わった。
「お気の毒ですが――――」
見知らぬ男が邸宅の入口で告げると、母親は固まったまま杓文字を落とした。
「そんな……あの人が……」
絶句している母親に、
「どうしたの、お母さん?『せんし』って、お父さんの事?」
と、戦死の意味すら知らない蔵人が、無邪気に声をかけた。
王国中から強引な徴兵を行い、五〇〇〇の兵数で邑諸都市の軍勢を破った曙軍。しかし、遜が率いる少数部隊による待ち伏せで、五〇〇〇の軍勢は潰走した。まだ王子だった後の平明王を逃がすため、王子付きの親衛隊を蔵人の父親が率いて殿となった。そして、殿は全員玉砕し、使命を全うした。
その報せを受けて以降、少年蔵人の人生は一変した。母親は何をするでもなく、ぼんやりして放心する事が多くなった。
「おかあさん、お腹空いた」
母親は少年蔵人のその言葉を聞いて、やっと台所に立つ有様だった。
「ごめん、ごめんね。今用意するわ」
しかし、料理を始めた母親は、ため息をついて手を止め、泣き腫らす始末である。
涙を流して立ち尽くす母親に、少年蔵人は尋ねた。
「おかあさん、大丈夫?おとうさんは、今年は帰ってこないの?」
少年蔵人は、母親が泣く理由を察していた。しかし、戦死の意味すら知らぬ幼年の子供には、母親を癒す事は無理難題だった。
母親は一応、
「ああ、うん、大丈夫よ。すぐ作るわね」
そう返事はするものの、言葉とは裏腹に手は動かなかった。掃除を終えた家政婦が、
「奥様、お休みください。あとは私が」
と言うと、母親は台所を離れ、寝室に下がる始末だった。そして閉じられた扉の奥から、泣き声が聞こえてきた。少年蔵人は扉の前に立ったが、子供心に扉を開ける事を恐怖した。そして、箒を手にし、剣に見立てて素振りをした。
「お坊ちゃま、何をなさっているんですか?」
家政婦に聞かれると、少年蔵人は言った。
「剣のれんしゅう。おとうさんがいなくても、おかあさんは僕が守る」
子供心ながらの、精一杯の努力だった。
しかし、かろうじて均衡を保っていた少年蔵人の生活は間もなく底辺へと落ちる事になる。
ある時、少年蔵人の伯父が訪ねてきたのだ。体の線が明らかな、黒い洒脱で異国の服装に身を包んでいる。杖をついているが、足が不自由というわけではなく、装飾品という位置づけらしい。一〇年以上前のクローヴィス王国にて、貴族の間で一般的だった服装だ。
「お義兄さん、どうなさったんですか?」
伯父は武の道を諦め、商いに従事する豪商の一人となっていた。一代で曙王国の富の一〇〇分の一になるほどの財を築いた人物である。
「ご無沙汰しております。弟夫婦の一大事という時に、何の力にもなれず申し訳ない。しかし、もう心配はありません。弟の遺族年金だけでは、家計もぎりぎりでしょう?」
伯父の言葉に、母親は遠慮がちに答えた。
「いえ、なんとかやっていけるだけのお金は陛下から賜っておりますから……」
すると、伯父は声をひそめて言った。
「実は、昨年の無茶な徴兵で、王国内には反乱の噂が出回っておりまして……このままだと、年金の支給にも影響が懸念されます」
「ええっ?」
驚く母親に、伯父は言う。
「そこでです。私どもは新たに商売を始める資金を探しておりまして。その出資者として、貯蓄をお貸しいただけないでしょうか?利息は年一割。これなら、生活も安泰かと」
母親はためらいがちに、
「しかし、商いには疎くて……」
と答えた。しかし伯父は尚も食い下がった。
「ご心配には及びません。お金の運用は私どもにお任せください。上がった利益を、ただお渡しするため、黙って待っているだけでお金が手に入ります」
結局、母親は折れ、伯父の提案を受け入れた。
「では、こちらの書類に一筆お名前を」
母親が無心で署名している間、少年蔵人は邪険な目で伯父を見ていた。
「蔵人くん、だったよね?今後は伯父さんをお父さんと思ってくれ」
伯父の言葉に、しかし少年蔵人は反発した。
「いやだ。おじちゃん、きらい」
「こら、蔵人!なんて事言うの!」
母親は椅子から立ち上がり、蔵人の頬を叩いた。
頬の痛みと謎の悔しさから、少年蔵人は泣きべそをかいて奥の部屋へと逃げた。背後から、
「確かに、署名をいただきました。これで、全て順調にいきますよ」
そう言う伯父の言葉が聞こえてきた。
語るまでもなく、伯父の話は詐欺だった。伯父は母親から受け取った資金を、別事業への投資に使った。新規事業は存在せず、その架空の事業から利益が出た場合にのみ、利息を払うという空約束にも等しい証文に、母親は署名していた。事業が存在しないのだから、儲けも存在しない。少年蔵人の家の資産は、伯父にただで譲り渡されたようなものであった。
いつまでも返ってこない資金に業を煮やし、母親は蔵人の手を引いて伯父の豪邸前へと向かった。しかし、その門が開く事はなかった。
「ご主人様から、今日は誰かと会う約束はないと伺っている」
「そんな……私はこの家の主の親戚です。弟夫婦なんです!一目だけでも――――」
門兵は食い下がる母親に、
「ええい!やかましい!」
痛打を与えて追い払った。よろめく母親を、少年蔵人は泣きながら見守るばかりだった。
貯蓄も収入も、全て明け渡した母親は、まず家政婦を解雇した。しかし邸宅を維持する事は難しい。日々の食費さえ捻出できず、自宅を抵当に借金をしたが、ほどなく自宅は競売にかけられた。
「おかあさん、どうしておうちに知らない人がいっぱいきてるの?」
しかし母親は少年蔵人に答えず、黙って手を引いて王都の端、治安の最悪な無法地帯へ向かった。
傾きかけた賃貸住宅の一室で、少年蔵人の新生活が始まった。女手一つで子供を育てる、と言えば美談のようだが、母親はもう少年蔵人をほとんど顧みなくなっていた。
「お母さん」
と、声をかけようものなら、
「うるさい!あっち行きなさい!ご飯ならあげてるでしょ!」
そう追い払われるのが落ちだった。
そして、蔵人に受け継がれた容姿端麗な美貌は、少年蔵人の母親を売女へと堕とした。少年蔵人に、どこまで性知識があったかはわからない。しかし、母親が知らない男たちと関係を持っているのは目にしていた。それが世間一般で、いかがわしく視られる行為だという事もわかった。
母親は、無法地帯一の女として扱われている事で、堕ちた自尊心を満たしていた。一〇年に一人の女がいると有名になり、お忍びで王宮の家臣までが通った。
続けて何人も相手にするうちに、母親はボロ家には場違いな寝床を用意させ、客を取るようになった。銅貨、銀貨、時には金貨さえ母親の手元に残った。見知らぬ男と母親の性行為の最中、少年蔵人は部屋の隅で震えていた。
「あん!やぁ!あぁ!」
裸の母親の下卑た喘ぎ声と、
「おぉ!いぃ!すげぇ!いぃ!」
野卑な醜男が上げる声は、少年蔵人に心的な傷を付けた。
しかし、一連の蔵人の記憶を追ってきたサムは、違和感を覚えた。自分と違い、蔵人は性行為自体にためらいを見せなかった。
サムは違和感の原因を、必死に考えた。いつもの、頼りになる指導者蔵人が、心にこれだけ多くの闇を抱えていた事実は信じがたい。これだけの負荷がかかりながら、蔵人が真っ当に、真っ直ぐに振る舞える原因、落差、解離――――。
解離という単語に、ふとサムは注意を引かれた。普段の蔵人と、蔵人の心の中とは、埋めがたい解離が起きている。そのため、
「そうか、蔵人。蔵人は、この負の記憶たちを、表に出さないよう抑えつけていたんだね」
という論理が、ぴたりと当てはまった。
しかし、蔵人の治癒は道半ばである。どうやって巨大な暗黒面を蔵人に克服させるか、サムは模索していた。しかし、答えは中々出てこなかった。
この物語はフィクションです。実在する人物、団体、事件等とは関係ありません。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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