リスロウ王国記~力無き勇者~
「ごめんなさい……」
その美しい少女の青い目が涙に濡れ、目の前で母を亡くした少年以上に表情は悲痛であった。
「私の力では苦しみを和らげる事しかできないのです」
「十分です。これ以上何を望みましょう」
母を看取ってくれた心優しい少女を悲しませまいと少年は首を横に振った。
「本来ならここは姫様が訪れるような場所ではないのです」
澄んだ青い瞳と流れる銀色の髪を持つ美しい少女の名はシルヴァリア――ここリスロウ王国の第3王女である。
市井の家庭を訪れる筈のない身分なのだ。
数奇な運命の巡り合わせがお忍びで街に来ていた彼女と助けを求めていたこの少年――ソアルを引き合わせた。
彼の母は残念ながら手遅れだった。そこでシルヴァリアはスキル『灯火』を使って苦しみを和らげ看取ったのだ。
スキル――
スキルとは魔物が蔓延る過酷なこの世界で非力な人間が生き延びる為に、各人に必ず1つ神が授けてくれる恩寵である。
ただその能力には差がある。
彼女の『灯火』は小さな火を灯すだけのとても力の弱いものだ。
しかし、物質以外にも効果を及ぼせる『灯火』で、彼女は少年の母の死に道標の火を灯し、安らかな死を贈ったのだ。
「私にもっと力があれば……」
スキルは13才の時に神よりの与えられる。
シルヴァリアはこの『灯火』を得てから2年、こうして人々を看取りながら己の無力に苛まれていた。
しかし、この年若い娘にどれ程の事を望もうか。
まだ若輩のソアルにもそれは十分に理解できた。
「見てください母の安らかな顔を」
息を引き取った自分の母に視線を戻し、少年は涙を浮かべながらも笑顔を作った。
「お陰で母は苦しまずに済みました」
「そんな……」
シルヴァリアはふるふると首を振った拍子に目から涙が零れ落ちた。
「本当にありがとうございました」
頭を下げて礼を口にする少年の目からも涙が溢れた。
たった1人の肉親を、愛して止まない母を喪って悲しくない筈もない。
だけどその辛さも、苦しみも、悲しみも、母の死に関わる全てをこの美しい少女が一緒に背負ってくれた。
ソアルが母の死を受け入れる支えになってくれた。
だから少年は誓った――
今年13才になりスキルを神より賜る。
その力を鍛えて彼女の為に強くなろう。
そしていつか必ず彼女にこの恩を返すのだと……
その誓いから2年――
残念ながらソアルの得たスキルは速く走れるだけの『翔ける者』という微弱なものだった。
ここに集まった英雄達の様に強力なものではなかった。
英雄――
強大なスキルを持ち偉業を成し遂げた者。
少年の目の前には数多の英雄が集っていた。
これからリスロウ王国は戦場となるのだ。
相手は氷雪の魔王と呼ばれる魔法使いゼガン。
魔法――
神授のスキルを悪魔に捧げ、魔に堕ちた者が身に付けた超常の力。
スキルは失うが得る力は途轍もなく強力だ。
ゼガンもそうして圧倒的な氷の魔法を手にした1人である。
そのゼガンが美しく成長したシルヴァリアに目をつけた。
彼女は近隣諸国でも銀嶺の美姫と名高くなっており、ゼガンは差し出すように要求してきたのだ。
しかし如何にリスロウが小国とは言え王女を易々と引き渡せば国の沽券に関わるし、彼女は国民から絶大な人気がある。当然このような横暴は拒否した。
だがゼガンは氷の魔法とそれを使って創生した氷の軍団を持ち、弱小リスロウに抗う力は無かった。そこでシルヴァリアは自分が犠牲になると主張したのだが、彼女を慕う人々から止められ逆に国一丸となって戦う気運が高まった。
国王は各地より英雄を招聘し、血気盛んな猛者達が美姫を救って名を上げようと集まったのが今回の経緯である。
その英雄達の中にソアルはいた。
「おい、坊主も戦に出るのか?」
「止めとけ止めとけ死ぬのがオチだ」
ソアルはその英雄の2人に嘲りを受けていた。
『神弓の射手』ウェーバーと『灼熱の業火』ルガートである。
神技とも言える弓の使い手ウェーバーと凄まじい炎を操るルガートは、集まった英雄の中でも飛び抜けた存在である。
「力不足は承知の上です。だけど僕は姫様の為に戦う!」
「お前じゃ足手纏いなだけだ」
「身の程を弁えな」
ソアルはギリっと歯を食い縛り拳をグッと握ったが、目の前の2人の英雄とでは力の差は歴然である。
「それくらいにしろ」
「その少年は力無くとも他人の為に命を賭して戦える勇者じゃ」
見かねたのか2人の英雄が割って入ってきた。
『無双の剛力』ガヴァロと『疾風の剣士』ゲイルである。
巨岩さえ持ち上げるガヴァロと神速剣技で他者を圧倒するゲイルも先の2人と同様一目置かれる大英雄である。
さすがのウェーバーとルガートも舌打ちしてその場を去った。
「ありがとうございます」
「味方同士で争っている場合ではないからの」
かつては剣豪と謳われた初老のゲイルが好々爺の如く可可可と笑う。
「俺は坊主みたいなひた向きな奴は嫌いじゃねぇぞ」
巨漢のガヴァロは威圧感があるが、実際に接してみるととても気さくな男だった。
「しかし英雄は強大なスキルを持っているが纏まりが悪いのぉ」
「氷雪の魔王相手ならウェーバーとルガートの力が最も有効なんだがあいつらは協調性がないしな」
「ゼガンはそんなに強いのですか?」
大英雄でさえ警戒する相手と知りソアルも息を呑んだ。
「まあ強いってのもあるんだが……」
「儂とガヴァロとでは相性が悪すぎでな――」
ゼガンの魔法は大地を凍てつかせ近づく者を凍らせてしまう。
接敵しなければ能力を発揮できないガヴァロとゲイルには分が悪いらしい。
2人は大声で騒ぐ英雄達に視線を向けて溜息を吐いた。
「英雄のスキルは確か強い。だが、奴らの豪胆さは全てその力あってのものだ」
「己の力及ばぬ難敵にも立ち向かえる本物の勇者はいったい何人いるかのぉ?」
「明日の戦は厳しくなりそうだ」
翌日、この予言めいた言葉は現実のものとなった――
「ちくしょう! ルガートの奴が先走らなければ!」
「ウェーバーも駄目じゃ。完全に恐怖で萎縮しとる」
戦いの当初、万を超える氷の髑髏の軍団が王都の城壁に迫ってきたが、ルガートの炎で焼き払い、ガヴァロの怪力で打ち砕き、ゲイルが次々と切り裂いた。
やがて悪魔の氷像の一団が空襲してきたが、これもウェーバーを始めとした弓兵がこれも射落とした。
この英雄の奮戦でリスロウ軍は開戦当初は優勢であった。
ところがゼガン子飼いの氷竜ケートスが登場して事態は一変した。
竜殺しは英雄にとって最大の名誉だ。功名に焦ったルガートや幾人もの英雄がゲイルの制止を無視して突っ込み討死にしてしまったのだ。
氷に対抗できるルガートを失い、ウェーバーも竜の鱗を破る事ができず戦意を喪失してしまった。
ゼガンに対抗できるルガートとウェーバーを欠き、瓦解した軍を立て直すのは至難である。
もはや勝ち目は無いとガヴァロとゲイルは判断した。
「小僧、生きてたか」
「ふむ、まだ戦意は無くしておらんな」
必死に戦場を駆け回るソアルの姿が2人の目に入った。
「僕は姫様から受けた恩に報いる為にも絶対に諦めません!」
「その心意気や良し!」
ゲイルが可可可と笑うとソアルもまだ希望があると思えた。
だが――
「この戦は負けじゃ」
「だから坊主は逃げな」
――悲壮感はなかったが勝てるとも思ってはいなかった。
「僕も最後まで戦います!」
意地を張るソアルの頭にガヴァロは大きな手を乗せてわしゃわしゃと撫でた。
「死んだら姫さんを守れんだろ」
「うむ、小僧は王女を連れて逃げるんじゃ」
「お前は名を上げたいんじゃなく姫さんを守りたいんだろ?」
「……2人ともご無事で」
ソアルはそう言い残して城へと走った。
「小僧のスキルなら逃げ切れるじゃろう」
「まあ、俺らがゼガンをぶちのめせればいい話だがな」
「さて最後のひと暴れといくかの」
並んでゼガンへと特攻をかけた2人は帰ってくることはなかった……
ソアルはシルヴァリアの下へと全力で走った。
彼には走ることしかできないから。
この唯一の力でシルヴァリアを守ると決意した。
ガヴァロもゲイルもその為に犠牲になってくれたのだから。
「姫様!」
彼女は城内の礼拝堂で祈りを捧げていた。
その無事な姿にソアルもほっと胸を撫で下ろし、彼女の前で傅いた。
「貴方は確か2年前の……ソアルでしたか?」
「僕の事を覚えているのですか!?」
シルヴァリアにとってソアルは数ある看取った者の身内の1人に過ぎない。
そんな自分を覚えている事にソアルは驚いた。
「敵が迫っております。急ぎ脱出を!」
しかしシルヴァリアは首を横に振って拒んだ。
「原因は私です。逃げるわけには参りません。貴方だけで逃げて下さい」
「姫様を残して逃げられません!」
「ソアル……」
「姫様が残るなら僕も最後まで戦います!」
ソアルの決意にシルヴァリアは悲しそうに目を伏せた。が、彼女はすぐに強い視線をソアルに向けた。
「貴方にお願いがあります。この城を抜け神珠を探し出してきて下さい」
「神珠?」
「その力があればゼガンを討てましょう」
どんな氷も溶かす『真夏の陽光』と全てを焼き尽くす『煉獄の業火』という神の力を宿した宝珠が存在し、神の試練を乗り越えれば手に入るのだとシルヴァリアは語った。
「お願いできますね」
「姫様……はい……」
シルヴァリアの威厳に逆らえずソアルは承諾するとリスロウから脱出した。
こうしてリスロウ王国は吹雪に閉ざされた氷の国となった……
「リスロウは酷い有様らしい」
「ああ、各国の放った密偵も帰ってこられた者は僅か……」
「王族から国民まで全員が氷の像に変えられたって話だ」
「まあ、1人だけ逃げ出した臆病者はいるみたいだがな」
何処でも同じ話題だ。
氷の国となったリスロウと臆病者の謗りを受けるソアル。
だが、そんな誹謗中傷など彼にはどうでもよかった。
ただシルヴァリアを守れなかった自分が許せなかった。
その後、言い付け通り2つの神珠を求めて旅に出たが、得た情報は絶望的なものだった。
確かに2つの神珠はあるらしい。
しかし、それを得るには神の試練に挑まねばならず、それは今まで幾多の強力なスキルを持つ英雄達を退けてきたらしい。
シルヴァリアはソアルを逃す為にできもしないお願いをしたのだ。
「いや諦めるのは早い。2つの神珠ならゼガンを倒せるんだ。今の僕の力で無理なら……」
本当はすぐにでもリスロウへ戻りたかった。
だがそれではシルヴァリアを救い出せない。
この苦しみも悔しさもゼガンへの憎しみも、そしてシルヴァリアへの想いも、ソアルはその全てを胸の中へと押し込めて決意に顔を上げた。
ソアルは姿を消した……
人々はいたたまれなくなって姿をくらませたのだと笑った。
そして月日は流れ……
リスロウ王国が氷漬けとなってから3年――
3年も経つと人々の口から氷の国が話題に上らなくなっていた。
今、その国に1人の青年が入り込んでいた。
王都の城壁を睨むように見上げている青年。
――18才になったソアルであった
「僕は戻ってきたぞ……今、参ります姫様」
少年の頃の面影は残していたが、3年とは段違いに精悍になっていた。
「意気込むのは良いけど油断しないでよ」
彼の耳元で可憐な声が忠告した。
見ればソアルの肩に透き通った調の様な紋様の羽を背に持つ緑髪の小さな少女がちょこんと腰掛けていた。
人の手の平ほどの大きさしかないが、容姿は人形のように美しいこの少女の名はファリエ――妖精である。
「油断なんてしないさ。僕は奴よりずっと弱いんだから」
「情け無いこと言わないでよ。この3年死に物狂いで頑張ったでしょ?」
「それはそうだけど……」
彼も昔よりずっと強くなった。
だが、とソアルは思う。
勇敢に戦った英雄達には未だ遠く及ばない。
ゼガンはそんな彼らでも勝てなかった相手なのだ。
「私はソアルの努力を知っているよ」
「ファリエ……」
「それに勝算もあるでしょ?」
「そうだね」
ファリエに励まされソアルは城郭の大きな門へと進んでいく。
「ファリエ……いつもありがとう」
「何よ急に」
「僕がここまでやってこれたのは傍でいつも励ましてくれる君がいたから」
「それは違うわ。私はソアルがずっと頑張ってきたのを見てた……例え数多の英雄にその力及ばずとも……ううん」
ファリエは首を横に振った。
「そうじゃないわね……英雄の如く力ある者が試練に立ち向かえるのは当たり前なのよ。でも力無き者が内から湧く恐れを乗り越え試練に臨むのは本当に勇敢だからよ」
ファリエは華麗な翅をパタパタと羽ばたかせ、フワッと肩から飛び立つと彼女の翅から鱗粉のような細かい粒子が舞いキラキラと輝く。
彼女はソアルの眼前で止まると真剣な眼差しをソアルに向けた。
「スキルの強弱は関係ない。私は知ってる……ソアルは真に勇者よ」
「ファリエ……」
神の試練に立ち向かう為に旅立ったソアルの前に現れた妖精の少女。
気まぐれな妖精が3年近くも一緒に行動しソアルをこうやって支え続けてくれた。
何度も挫けそうになったソアルにとって彼女の存在がどれほど心強かったことか。
彼女はいつも一緒にいてくれる。
「でもやっぱり……ありがとう」
「あーもう、ハイハイ分かったわよ」
腕を組んだファリエは耳まで真っ赤にしてそっぽを向いた。
「さっさと行きましょ」
「ああ、必ず奴を倒す!」
到着した城壁の門は3年前の戦で門扉が破壊され開け放たれた状態だった。門外からも城下町を窺えたが、門は閉ざされ入ることが叶わなかった。
それは侵入者を拒む透明な氷の門扉……
余りに多い間者に辟易したゼガンが氷で閉鎖してしまったのだ。
「まずはこの氷を突破しないと」
「こんなのあれでチャチャッと溶かしちゃお」
「あれを使っていいの?」
この日の為の切り札をソアルは用意してきた。
「1回しか使えないんだよ」
しかし切り札は強力な代わりにそうそう何度も使えないから切り札なのである。
「だいじょーぶだいじょーぶ!」
「だけど街中は氷の骸骨兵や悪魔の氷像で溢れてるって話だよ?」
「私を信じなさい。私はあれの効果を十全に知らないソアルの助言者なんだから」
「分かった……ファリエを信じるよ!」
ソアルは強く頷き懐から黄金の珠を取り出した。
「さあ、その『真夏の陽光』を空に向かって投げるのよ!」
ファリエの指示にソアルが天に向かって神珠を放り投げると、意思でもあるのかぐんぐんと上昇し王都の遥か上空で激しく燃え上がった。
すると眩い光が王都を照らし、極寒の寒さがあっという間に灼熱の夏の暑さへ変化した。
「あれは太陽の神力を集めたものよ!」
「凄い!……門の氷がみるみる溶けていく」
「とーぜん! これは神の太陽光。魔によって作られた氷なんてイチコロよ」
「試練を乗り越え手にした神珠はやはり無駄じゃなかった」
「さ、行くわよ」
ファリエがひゅーいと飛んで門を潜って行くので、ソアルは慌てて彼女の背中を追った。
「待って!」
「遅い遅い置いてくわよ」
「駄目だよ。街には氷の軍団が……」
迂闊なファリエを嗜めようとして街に入ったソアルは絶句した。
「氷の軍団がな〜に?」
勝ち誇った様子のファリエだったが、ソアルはそれにも気付かないほど驚いた。
「こいつらはゼガンの魔法で作られた魔物よ――」
氷の骸骨兵や悪魔の氷像は確かにいた。しかし、それらはドロドロと溶けてすぐに跡形もなくなってしまった。
「――氷の門と同じで『真夏の陽光』の熱で溶けちゃうに決まってるでしょ」
唖然とするとソアルを見てファリエはクスッと笑った。
「そのうち氷漬けにされた人達も解放されるわ」
「みんな生きてるの?」
「生きてるわ。ソアルがゼガンを倒すころには氷から解放されてるんじゃないかな?」
「なら氷から解放された英雄達と一緒にゼガンを倒すのはダメかな?」
「『真夏の陽光』が沈むまで半日。英雄達の回復を待っていたらゼガンにリスロウは再び氷の国にされちゃうわ」
「分かった……行こう」
「チャチャッとゼガンを倒せばいいだけよ」
「簡単に言ってくれるよ」
ソアルの気持ちを理解して場を和ませようとしてくれるファリエは戦う力が無くても正しく彼の相棒である。
こうやって今まで彼女に何度救われたことか。
言葉にすると照れて憎まれ口を叩くのは分かっていた。
だからソアルはありがとうと再び心の中で感謝した。
「ゼガンは自分の力に絶対の自信を持っているはず」
「だからコソコソ隠れるず王城にいると僕も思う」
2人は急ぎ王城へと向かった。
「私達の推測は大当たりみたいね……見て!」
ファリエが前方を指し示す。
そこには大きな城門が聳え、その前には白銀の大きな山。
突然その山が動き出す。
――あれは氷竜ケートス!
白銀の大山に見えたのは氷の竜が丸まって休眠している姿であった。
彼の者は近づく者の気配に鎌首を擡げてソアル達を睥睨した。
「気をつけて!」
いつも飄々としているファリエが珍しく切羽つまった声を張り上げた。
彼女の忠告したのと同時にケートスが大きく息を吸い込む動作を始めた。
「氷の息吹がくるわ!」
悲鳴に似たファリエの声にもソアルは慌てなかった。
ブオワァァァア!!!
彼のいた辺り一帯を猛吹雪を凝縮したような竜の息吹が襲った。地面が一瞬にして凍りつく。
しかし、そこには既にソアル達の姿はなく、敵を屠ったと確信していたケートスは戸惑った。
カキィィィン!
そのケートスの足元で乾いた金属音が鳴り響き、竜は同時に僅かな痛みを感じた。
「かったー!」
ソアルだ。
ブレスの発動に合わせてスキル『翔ける者』で一気に横に走って躱し、助走をつけてケートスの足元を斬りつけたのだ。
「ちょっと鱗に傷が入った程度だね」
「あれ硬すぎだよ!?」
「ソアルが非力過ぎなのよ」
ケートスの意表を突いての斬撃は見事に決まった。
並の相手なら今ので決着がついていただろう。
しかし、ケートスの高硬度の鱗はソアルの剣をいとも容易く弾いてしまった。
「その剣は名匠ファイストが鍛え、私達の女王ティターニア様が手ずから祝福してくださったのよ」
「そう言われても僕のスキルは速く走るだけで、力が上がるわけじゃないもの」
鱗を傷つけられ怒ったケートスがドシンドシンと暴れ、ブンブンと尻尾を振るってソアルに襲いかかった。
だが、それら大振りの攻撃はソアルにとって却って躱しやすく、軽く回避してはケートスの足を斬りつけた。
しかしソアルの斬撃はケートスに痛みを与えても倒すには至らない。
「しょうがない。ケートスを避けて先にゼガンを倒しに行こう」
このままでは埒が明かず時間ばかりが無駄に過ぎてしまう。
ブオワァァァア!!!
ソアルは再び放たれた氷の息吹をスキルの力で回避するとケートスをそのままやり過ごそうとした。
「それはダメ!」
しかしそれをファリエの鋭い叱責が止めた。
「ゼガンを倒した後に支配下にあったケートスがどう動くか分からないわ」
それはソアルも危惧しているところであった。
「だけど……」
今のままではケートスの攻撃はソアルに届かないが、ソアルの斬撃もケートスを倒せないのだ。
ドォォォン!
実際に今もケートスが振るい地を叩きつけた尻尾を危なげなく躱したソアルが隙のできた胴へ斬りつけたのだが――
キィィィン!
――やはりその剣はケートスの鱗に易々と弾かれてしまった。
「このままじゃ『真夏の陽光』が落ちる前に倒すのは無理だよ」
「あれを使いましょう」
「あれは1回しか使えないけど?」
「今がその時よ」
「分かった!」
ソアルは頷いて懐から真っ赤に燃える炎を宿した球を取り出した。
それは透明なガラスのような球体で、不思議なことに中で血のように真っ赤な炎が燃えているのに全く熱くなかった。
――神珠『煉獄の業火』
ソアルは神の試練を乗り越えて『真夏の陽光』だけではなく『煉獄の業火』も手に入れていたのだ。
「いっちゃえー!」
ファリエの元気なかけ声に後押しされて、ソアルはケートス目掛けて神珠を投げつけた。
その真っ赤な神珠は真っ直ぐケートスに向かって飛びながら紅蓮の炎へと変わり、その様子に城門を守る氷の竜は慌てて氷の息吹を放った。
しかし、その強烈な氷の吹雪にも『煉獄の業火』は消えることなく赤々と燃え、飛翔速度も落ちるどころかますます速くなりケートスに炸裂した。
グギャァァァアアア!!
不思議な赤い炎は一気に燃え上がり、ケートスは苦しみにのたうち回る。
「こんなに盛大に燃えているのに熱くない?」
「この炎は神の血なのよ。実際の火ではなく対象の業を燃やすの」
「本当に燃えているわけじゃないのか。だからケートスの氷の息吹にも消えなかったんだね」
やがてケートスは燃え尽き灰となって消え去った。
後にはケートスが暴れて破壊された城門だけ。
ソアルは門扉だった残骸を乗り越えて城の中へと歩を進めた。
「気をつけてね。建物の中だと『真夏の陽光』の力も弱いからゼガンの領域よ」
ファリエの忠告通り外はあんなに暑かったのに城の中は冷んやり涼しい。
「氷に触れたらダメだからね」
「ゼガンには氷に触れた者を凍結させる力があるんだよね」
3年前の戦でソアルは氷像となったガヴァロやゲイルの変わり果てた姿を目撃していた。
回廊を進んで行くと気温がますます下がっていく。
辿り着いたのは謁見の間の扉。
ゼガンがこの先にいる!
扉を開けると中の広間は床も壁も天井さえも氷漬け。
極寒の広間の奥、氷の王座には青髪、碧眼の大男が鎮座していた。
その隣には美しい少女の氷像――それは祈りを捧げる姿勢で氷漬けにされたシルヴァリアだった。
「姫様!」
「気をつけて! この部屋全体が奴の領域よ!」
中へと駆け込むソアルの後を追いながらファリエの忠告が飛ぶ。
「騒がしいと思ったら、やってきたのは小物が1匹か」
ソアルを見てゼガンは侮蔑の嘲笑を浮かべる。
「神珠を使ったみたいだが、貴様のようなゴミがどんな手を使って入手した?」
「神の試練に挑んだだけだ!」
「信じられんな。あれは大英雄でも大魔法使いでも手にできん代物だ……まあよい。既に2つとも使ったのなら我に対抗できる手段はもうあるまい」
そう言ってゼガンが立ち上がると重厚な黒い鎧がガチャリと鳴った。
坐していても大きいと分かるゼガンであったが、立ち上がった姿はやはり巨躯でその醸し出す存在感から更に大きく見えた。
ごくり……
気圧されたソアルは生唾を飲み込む。
剣を握る手には汗が浮き、自然と身体が強張った。
「ソアルをバカにしないでよね!」
「妖精?」
突然ファリエが2人の間に割って入りゼガンをビシッと指差した。
「お前なんかソアルがけちょんけちょんにしてやるんだから」
「矮小な小虫がよく吠える」
ふんと鼻を鳴らしたゼガンはファリエを見てにやっと笑う。
「……が、見栄えは悪くない。置き物にしてシルヴァリアの側に飾ってやろう」
そう言ってどんな芸術よりも美しいシルヴァリアの氷像に触れるゼガンにソアルの静かな怒りが恐怖を上回った。
「今すぐ姫様からその手を離せ!」
スキル『翔ける者』を発動し、ソアルは弾かれたようにゼガンへ向けて走り出す。
その姿が霞むような速さは驚異的であったが、ゼガンは焦る様子もない。
「馬鹿め、氷漬けとなれ!」
ゼガンは己の作り出した氷に触れた者を凍らせる力を持つ。
どんなに速くても氷の床に触れている時点でいつでも凍結可能なのだ。
だからゼガンが右手をソアルの方へと突き出しても、ソアルは慌てず真っ直ぐゼガンへと向かった。
まるで凍る気配も見せず――
「バカな! 何故凍らん!!」
ゼガンはいくら魔法を行使しても凍らないソアルに驚愕し、それが大きな隙となった
「もらった!」
ゼガンに肉迫したソアルは一撃に全身全霊を注いだ。
キィィィン!
ソアルの剣がゼガンを捉える。
鎧が裂け吹き飛ぶゼガン。
「やった!」
剣から伝わる確かな手応え。
間違いなくゼガンを斬った。
だが――
「なるほど……」
倒れていたゼガンがむくりと立ち上がった。
「貴様のスキルは空中を翔けるのか」
そう……
『翔ける者』は誰よりも速く翔けることができる。
それはどんな場所であってもだ。
それを知ってソアルはこのスキルを磨いてきた。
「確かに斬ったはずなのに!?」
「ひやっとしたぞ。鎧の下に氷を張っておいて正解だった」
見れば鎧の避け目から体を覆う氷が見えた。
蜘蛛の巣状に入った皹も次第に綺麗に消えていく。
「種が割れればどうとでもなる。次はないぞ小僧!」
「くそ!」
ゼガンの周囲から生まれた槍の様な氷柱に襲われ、それらを剣で斬り裂きながらソアルはいったん飛び退いた。
「絶望して死ね小僧!」
次々に床から湧き出す氷柱を叩き割りながら宙へと逃げるソアル。
粉々になった氷が宙を舞い、ステンドグラスから入り込んだ僅かな光を乱反射して煌めく。
神秘的とも思えるその光景だが、ソアルには鑑賞に浸る余裕がなかった。
「これまでなのか……」
弱音が漏れた時――
「諦めないで!」
――ファリエの叱咤が飛んだ。
「妖精女王様の剣はあいつの氷を斬り裂けたし触れても氷にされてないわ」
「ちっ、羽虫が余計な事を……」
「そうだね、僕はまだ戦える!」
舌打ちして悪態をつくゼガンにソアルは剣の切っ先を向けた。
「お前の力は途轍もなく強大で僕の力はとても小さい。それでも僕は貴様を倒す為に何度だって剣を振るう!」
「吠えるな小者が!」
再び駆け寄ってくるソアルにゼガンは嘲笑を持って応えた。が――
「なに!?」
身構えたゼガンであったが、迫ってきたソアルが突然垂直に翔け上がったのだ。
そしてソアルはその先にあるステンドグラスを斬りつけた。
パリィィィン!
乾いた音と共にガラスが砕け散り、破片が光を弾きながら粒子となって周囲へ撒き散らされる。そして破れた窓から射し込むのは『真夏の陽光』から発せられる灼熱の光。
光が当たる部分の氷があっという間に溶けていく。
「やってくれたな!」
ソアルは怖気付くことなく剣を下方に構え、下で吠えるゼガンに向かった。
「死ねぇぇぇ!」
床から幾条もの氷柱がソアルを迎え撃つ。が、『真夏の陽光』に晒されたそれはソアルの一振りで簡単に砕ける。
ゼガンが抜剣してソアルを睨み、振るって氷を払ったソ剣をソアルが構え直す。
「ゼガァァァン!!」
「小僧ォォォ!!」
2人の叫びが交差した。
ザシュッ!!
「くっ!」
着地したソアルが小さく呻きがくりと膝をつく。
頬からは一条の血がツゥーっと滴る。
「小僧……」
そのソアルを見下ろすゼガンは――
「馬鹿な……」
――信じられないと言った表情で口から血を流し、ドシンと大きな音を立てて斃れ臥した。
「やったー!」
ファリエが喜びはしゃいで光の鱗粉を撒き散らしながらソアルの周囲を飛び回る。
「今度こそやったの?」
「大丈夫よ――見て!」
「姫様の氷が!」
氷像となっていたシルヴァリアの氷があっという間に溶けて無くなっていた。
「ゼガンの魔力が途切れた証拠よ!」
つまりゼガンは事切れたのだ。
だがソアルにとってゼガンの事などもはやどうでもよかった。
「姫様!!」
ただシルヴァリアの安否だけがソアルの頭を支配し、氷から解放され倒れ伏す彼女を抱き起こした。
溶けた氷でしとどに濡れたシルヴァリアは冷たく死人の如く真っ青であったが、微かな呼吸音と僅かに胸が上下する様子を見てソアルはほっと安堵した。
「ん……う…ん……」
「気がつかれましたか姫様?」
か細い呻き声とともに目を覚まして、まず目に入った自分を抱き起こす凛々しい青年が誰か分からずシルヴァリアは戸惑った。
「あな…た……は?」
シルヴァリアの時が氷の中で止まっている間にソアルの歳が上になっていたせいだ。しかし、その青年から少年の面影を見つけて彼女は目を大きく見開いた。
「まさか……ソアルなの?」
「そうです……お助けするのが遅くなり申し訳ありません」
シルヴァリアの無事な様子にソアルの目頭が熱くなる。
一方、難敵を倒し自分を助けるほどに逞しく、そして見目良い青年に成長したソアルにシルヴァリアは真っ白な肌を朱に染めた。
「ソアルが魔王を討ち果たしてくれたのですね」
「はい……他の皆も解放されていることでしょう」
どちらからともなく手を握り見つめ合う2人から気付かれないようファリエがふわりと宙に浮く。
「もう大丈夫だよね」
小さな声で独りごちて割られた窓から飛び立ったファリエが上空から城下町を見れば人々が喜び沸いていた。
「これからはお姫様と仲良くねソアル……」
もう一度、彼女は城を振り返ったが、その拍子に目元から何かがキラリと光る。
「あーあ……この3年で情が湧いちゃったかなぁ」
気まぐれな妖精が1人の人間にここまで長く肩入れするのは珍しい。
「でもまあソアルの記憶から私はいずれ消えちゃうし」
妖精は儚い。
その存在はとても希薄で、その出会いの記憶も曖昧となって消えていく。
だから隣人であるはずの妖精が人間にとって珍しいものとなっている。
「そして本来なら私もあなたとの記憶を忘れちゃうでしょうけど……」
悠久の時の中を生きる妖精であるファリエにとってソアルとの冒険は一瞬の出来事。いずれは多くの記憶の中に埋没し、擦り切れてしまうように消えていく。
「でも私はきっとソアルを忘れない――」
小さな妖精はソアルとシルヴァリア、2人の行く末を見守る事なくリスロウから消えた。
その時、可憐な少女の声が耳に届いた……シルヴァリアを助け起こしたソアルはそんな気がした。
――だってあなたは私の勇者だから……




