第一章 5話 「鬼ごっこ」
昼食を取った後——
「それじゃあ、始めっ」
合図とともにイオは走り出す。ドゥーベから、出来るだけ遠くへとむかって。
何故、こんな状況になったのかは今朝のこと——
——鬼ごっこをしよう!
そんな言葉から、始まった。
「鬼ごっこって、確か鬼人族が由来だったよね?でも、どうして急にそれを?」
「おお!物知りだね……理由は……」
君の持ってきた本に書いてあったんだよ——と、イオは口を挟むがそんなこと気にもせずドゥーベは話を続ける。
「鬼ごっこは素晴らしい競技だからさ!」
「……競技?」
鬼ごっこに競技性があると主張するドゥーベに、未知の存在を見るような視線を向ける。
「そんな目で、見ないでくれ!」
ふざけながら言い、急に真面目な顔に切り替わったと思えば——
「脚力、知力全てが詰まった真剣勝負、これを競技と言わずして……何を競技と言う……!」
自慢げに語るドゥーベに、イオはため息を吐き、今度は真剣な眼差しで視線を交差させる。
「……僕はさ、地獄マッサージ明けなんだよ……しかも疲れも抜けきっていないし……」
「まあまあ、良いから……!」
「良いって……」
イオは地獄マッサージ——地獄みたいな痛みからイオが名付けた——から数日しか経っておらず、おまけに疲れも抜けきっていないのでイオは、少しの休養をとっていた。
しかし、ドゥーベがよりによって走り回る訓練をすると言うのだ。嫌に決まっている。
「はあ……ドゥーベの無茶振りはいつものことだしね……良いよ、やろう」
「やった!」
結局イオが折れる結果となった。
——草をかき分け、足元に注意し、走る。
何年同じところを走っても、何故か若干地形が変わっているのでイオはまだ、足元を注意していた。
「はあ……はあ……」
まだ、少ししか走っていないのに、疲労からか肩で息をしだした。
(いや……でも……楽しい)
イオたちの家の周りには神殿くらいしか無く、あまり遠出もしたことがなかった——ほとんどドゥーベと一緒にいたから——ため、新たな発見が待っているのかと思い、イオはわくわくしていた。
——ドゥーベには地の利がある。
たった数年の違いでも、イオたち程の強さになると、その数年が大きく違うのだ。
——ドゥーベが来た!
イオは音や気配でドゥーベを察知した。
「……足、遅いんじゃない?」
「まだ完全には回復仕切ってないからね……!」
ドゥーベの煽りを返しつつもイオは足を止めず、走り続ける。
(どうする……どうする……!)
周りを見てもあるのは木々だけ。
(……ドゥーベを迎え撃つか……そうだ……!)
手を木に向け——
「火球!」
昔と比べ、威力の上がった火球を放つ。
(……ごめんなさい)
自然に謝りながらも、炎は広がっていく。
最近は雨が少なく、木も草も乾燥していたため、燃え広がりやすかったのだ。
「……頭を使ったね……でも……」
ドゥーベは舌打ちをしそう漏らす。
(……ここで離す!)
「……残念!」
残念?どう言うことだ……と思ったイオは、ドゥーベの「残念」と言う言葉がだんだん小さくなって言っていたことを思い出した。
「まさか!」
イオが勢いよく上を向く。上には、太陽を背に、黒い細長い紐のような影が見えた。
——ドゥーベだった。
「……やっぱり!」
「よく気づいたね……!」
イオは背中にさしている棒を引き抜き、ドゥーベに向かって振る。
「おっと……危ないね……!」
空中にいながらも華麗に避け、イオに向かってドゥーベは尻尾を伸ばす。
「……はッ!」
触られそうになる——が、振り下げた棒を地面に突き刺し、地を蹴り、跳びあがる。
「危ない……!」
なんとか避け、空中に浮かんだイオは、『巻風』を使い、更に遠くへと逃げていく。
そう、この鬼ごっこは、魔法などの攻撃を許可されている鬼ごっこなのだ。そのルールを最大限利用したいイオだったが、ドゥーベ相手には、簡単にうまくものではなかった。
だが、巻風を使おうとそう自由に、飛び回れるものでもない。せいぜい数十秒だ。
(——そろそろか……!)
イオは勢いよく落下する——が、出来るだけドゥーベから離れるため、地面にぶつかる直前に、巻風を使う。
なんとか受け身を取ったイオは、また走り出す。
「くそ……!」
もう魔力は切れかけで、体力も限界だった。幸いドゥーベの気配はしなかったが、それでも走る。走り続ける。
何分——いや、何十分経ったろう。時間の感覚すら無くなっていた。現在位置が、わからなくなるくらいには、集中していた。
まだ走ろう——そう、考えた。
途端——足場は無くなっていた。
——崖だった。
「うわぁ————ッ!」
落下した衝撃で、イオは意識を失った。
※※※
「……ここは?」
イオは周りを見渡すと、川のほとりに打ち上げられていたことがわかった。
川の上流をみるとかなり遠くに、落ちたと思われる崖が、あったので相当な距離を流されていたのだった。
「……うぅ……!」
無理に体を起こそうとしても、痛みが響く。
「ヒール」
イオの唯一使える回復魔法を駆使し、多少の回復はできたが、それでもまだドゥーベが診れば、安静にさせられるほどだった。
「……よかった」
(幸い、ドゥーベはいない。それなら川を、下ろう……!)
川に沿って10分ほど歩いていくと、急に——気配が変わった。
「魔力の……密度が……濃くなった!?」
魔力の密度が濃くなれば、魔力適正のない人や魔力循環の遅い人は、その場にいられなくなることもあり、死に至ることもある。
今、イオがいる場所は、魔力なしの人では死んでしまうほどだった。しかし、イオには魔力を持っているため、多少の耐性がある。
「……ここは……まずい……!」
それなのに、魔力の方向へと誘われていく。
深呼吸をしながら、一歩一歩地面を踏みしめ、前へと進む。
魔力の密度が高くなる要因は、幾つかある。それは——強力な魔獣がいる場合が最も多い。そう、ドゥーベから教わっていた。
だが、イオはドゥーベからこの森の魔獣はクラディーサとディモニューサしかいないと聞いている。
(ドゥーベの言っていたことは……嘘だったのか……?)
ドゥーベを疑いたくはないと思い、頬を叩いて雑念を取り払う。
進む。魔力が濃くなる方へと。
(ディモニューサがいないのは、この魔力のせいか!——それともクラディーサ?)
道中1匹もディモニューサを見つけることはなかった。その理由は、この魔力の濃さのせいだと、イオは予想する——が、クラディーサがいるのかもしれないと、後から、何故か浮かんできた。
——まるで心底から湧き上がってくるような……
(だめだ、無駄なことを考えちゃ!)
またもや、無駄なことを考えてしまったので、濃い魔力に当てられながらも、更に自分に喝を入れ、歩いていく。
(そういえば、ドゥーベは入れるのかな?)
ドゥーベは、無詠唱は使えるのに、魔法をあまり使わない。理由はイオにもわからないが、少なくとも魔力がないとイオは予想していた——理由はわからないが。
「——なんだ……ここは!」
——目の前に現れたのは、巨大な洞窟だった。
「よし、入ろう」
洞窟の内部へと入っていく。
中の様子は、どこかで水が滴り落ちる音が聞こえていて、くすんだ黄色の壁だった。
「……魔力が濃い……!」
——魔力が濃い、これ以上進んだら危ない!
そう、思っているのに……何故かイオの足は、洞窟の奥へと向かっていく。
さらにそこから歩いていくと、道はどんどん狭まっていき、イオの体力も魔力のせいで限界に近づいていっていた。
「せ……狭い……まあ、ドゥーベなら簡単に通れるだろうけど……」
そんな事を言っているうちに、気づけば匍匐前進で進むほどに洞窟は狭まっていて、いよいよ出口がないのではないのか——という一抹の不安が襲ってきた。
(怖い……怖い……!)
——前へと進め!
イオの中でどす黒い感情がそう伝えてきた。
(なんだ……今のって……)
初めて感じた。イオの中に何か邪悪なものがいると。イオは——とてつもない恐怖を感じた。
謎の声、初めての洞窟、そして暗闇。不安を感じる要素がたくさん含まれているためイオの精神は——心は、限界だった。
「気にしない……!気にしない……!」
そう自分に言い聞かせ、なんとか精神状態を保っている。しかし、そんなのは所詮その場しのぎの苦しい解決方法でしかない。
(どうしよう……どうしよう……)
そんんな思いは外にも——
「どうしよう……どうしよう……どうしよう……!」
過呼吸になり、ついに限界を迎え——
——その時、小さな風が……暖かい風が、イオの頬を優しく撫でた。
「……えっ……!」
イオは期待をたっぷりと含んだ——
「——外だ!」
それからは、速かった。イオは先程とは比べ物にならないほどの速さで、匍匐前進をし、ついに外に出た。
道の穴は、イオがぎりぎり入れるほどに小さくなっていた。
「ここは……?」
中は広かった。地面——地下だが——は平たいが、壁や天井は球のようになっていて、歩いて見てみると、中央に何やら妖しげな台があり、その台から見て、イオの反対側に、緑色の炎が灯される松明が横に並べられている道がある。
そして、その道の奥の壁には——巨大な扉があった。
イオは気づいてしまった。
——あ、僕……道間違えた!
自分のミスに。
※※※
「やっときたね……!」
洞窟の中をゆっくりと歩いてみていると、聞き馴染みのある声が響いた。
——ドゥーベだった。
「……まずい!」
イオは、まだ鬼ごっこが続いている事を思い出し、臨戦態勢をとる。
しかし、そんなイオを諭すように——
「まあまあ、そう焦らずに……せっかく来てもらったんだから……」
「……来てもらった…‥?」
イオは、ドゥーベの言った事を復唱し訊ねる。
「それは——」
「まさか……!」
ドゥーベの言葉を遮り、イオは気づいてしまった。
(——まさか……ここに、誘導されていた……?)
全てはドゥーベの思惑通りだった事に気づいてしまった。
(くそっ……!)
「そんな、ショックがらずに……安心してよ……まさか、あんな小さな穴から来るとは思わなかったから……」
そんな、イオの心の中を見透かしたように慰めるが、意味もなく、むしろ心の傷を抉ってしまう結果となった。
「まあ……そんなことは、ひとまず置いておいて……ここの説明を始めよう……!」
「——!」
ここはなんだろう——そんな疑問がイオの脳裏にはあった。洞窟内に入れば、魔素が減ったことや、怪しげな雰囲気の台。
そんな、未知の宝庫のような場所を、説明してくれるのだ。興味が湧くに決まっている。
「それじゃあ……」
それからは、イオの周りをくるくると円を描きながら周り、語り出した。
「ここはね……いや、そこの台はね……この森の原動力さ……」
「……原動力」
「君も知っている通り、この森は不思議だ……破壊しても少し経てば、元に戻るし……水も植物も、どこからか出てきているし……」
そう、それはイオも抱いていた疑問だった。山もないのに、滝があるのだ。川も、不自然に。どこから沸いて出てきているのか——と。
「確かに……」
「これは、緑の魔女——君の母が、昔に作ったものなんだ。だから、技術も完璧だよ……!」
「母さんが……!」
イオはいつのまにか、母親のことをそう呼んでいた。顔も、声も知らない。それなのに、その呼び方が異常にしっくりくるのだ。
「ああ、因みにここは神殿の真下だよ……!」
「どうりで、僕が知らないわけだ」
「ま、そういうことだね」
今度はイオの目の前に立ち、ドゥーベはゆっくりと近づいてくる。
「君が旅に出たら、魔女たちを——」
そこで一旦止めた。
「——魔女を?」
イオが訊ねるが、ドゥーベはイオの方に上り——
「——救ってやってくれ」
「救う?」
イオは首を傾げる。
「まあ、一部の——だけどね……」
「だから、どういうこと——」
だって、を言う前にドゥーベが——
「——はい、タッチ」
「へ?」
「僕の勝ちだね……!この勝負!」
最後が本音かどうかわからなかったが、きっといつかわかるはずだと、そう根拠のない自信がイオにはあった。
「……いっか」
いつか、旅をしていけばわかることだと、そう割り切り、扉に向かって進むドゥーベへと向かって走り出す。
「ま、待ってよ……!」
そう、イオは旅をする、世界を。
そんな期待に胸を馳せながら、ドゥーベの背中に追いつこうと、走る。走り続ける。
——後悔しても、憧れの背中に。
イオは、また気づいてしまった。
——制限時間設けてないじゃん!
イオは、ドゥーベにたくさん文句を言った。