2話
私はリカと二人で電車に乗り込んだ。
「……小夜……小夜ってば!!」
「え? あ、うん」
「どうしたの、小夜? さっきからずっと、『え、あ、うん』しか言ってないよ?」
どうやら、さっき起こったできごとに脳が追い付いていかず、リカとの会話をないがしろにしていたようだ。
いけない、いけない、こういう時こそ冷静にならないと……
私は深呼吸を数回して昂った感情を落ち着かせる。
「ごめん、リカ。あのね、私、リカが言っていた幽霊に殺されかけたの」
「ウソでしょ?」
目をぱちくりさせて疑ってくるリカ。
「本当よ。うつ……うつ……と……って聞こえたの」
「本当に? そんなこと言って、さっき脅かした腹いせにリカを怖がらせようとしてるんじゃない?」
「違う、そんなんじゃない、本当に私殺されかけそうになったの」
電車の中で怒鳴ってしまう。
「分かった、分かったから落ち着いて、小夜。深夜に女子高生が電車に乗っている状況はただでさえ目立つのに、殺されるなんてことを言ったら、何事かと思われるよ」
「ごめん」
私はリカに指摘され、少しだけ冷静になった。
「確認なんだけど、小夜は、私が言っていた声を聞いたんだよね、9番線のホームで」
「うん」
私は首を縦に振る。
「どれくらいの大きさの声だったの?」
「きっと、ホームにいたら誰でも聞こえるくらいじゃないかな?」
「それだとおかしいよ」
「何がおかしいの?」
「だって、リカは聞いてないもん。そんな声」
「本当に?」
背筋がひやりとした。
一緒にあの場に居たんだから、リカが聞いていてもおかしくはない。
「うん、リカ、スマホいじってたけど、音楽聞いてたわけじゃないから、そんな声がすれば気付くはずだよ」
「そう……なんだ……」
リカは大丈夫で私だけが別の世界に連れていかれたということだ。
十中八九、幽霊の仕業だろう。
いやいや、幽霊なんて非科学的なものを信じられるわけないじゃないか、幽霊を信じようとするなんて私らしくもない。
……でも、実際は非科学的なことが起こったわけだから、信じなければいけないのか……
「小夜?」
小首をかしげて心配そうにするリカ。
「あ、大丈夫。じゃあ、今日このホームでなくなった女性のことを詳しく教えてくれない?」
「ごめんなさい、今日あった事件っていうのはリカの作り話なの。今日は誰も死んでいないの」
「え?」
「そう言えば、小夜と一緒に帰れるかな……って思って」
「じゃあ、9番線の噂もウソなの?」
今日あったことは、全てリカの嘘を鵜呑みにした私の幻覚であって欲しいと願いながら尋ねた。
「あ、それは本当だよ」
そうだよね。
あの恐怖体験が私の幻覚なはずないよね。
現実は容赦ないよね。
「ちなみに、9番線の噂は誰から聞いたの?」
「知らないお姉さん」
「知らないお姉さん? どんな人なの?」
「知らないよ。知らないお姉さんだもん」
「ちょっと待って。知らないお姉さんとは何処であったの?」
「昨日の今くらいの時間、9番ホームで電車に乗ろうとしたら、ちょうどこの辺り。『こんな夜遅くまで何してるの?』って」
「それで、リカはどうしたの?」
「正直に、お友達のところへ行こうとしてるんです……って、こたえた」
お友達のところ?
「お友達って、もしかして、私の家?」
私は眉間に力を入れて尋ねる。
「いやー、昨日はどうしても家に帰りたくなくて……」
リカはもじもじとしながらこたえた。
昨日、リカは私の家に来ようとしていた……
「まあ、いいわ。そうしたら?」
「『もしかして、9番線?』……って訊かれたから、そうです……って答えたら、さっきのことを教えてくれたの」
「それで、そのお姉さんとはどうなったの?」
「分かんない」
「え? 分かんないってどういうこと?」
「リカの背後で急に酔っ払いがお酒の瓶をガチャーンって割っちゃって、びっくりして振り向いたの。そのあと、びっくりしましたねー……って言いながら振り返ったら、そのお姉さんはいなくなっていたの。それで、二度びっくりして、やっぱり9番線に乗るの止めようかな……って思って」
「そうだったの……」
何、その話……
すごく怖いんですけど……
冷静になって聞けば聞くほど。
…………
……
家について、リカと一緒にお風呂に入り、早々にベッドに入ったはいいものの、なかなか寝付けない。
「ねえ、小夜、まだ起きてる?」
「起きてるよ」
「ねえ、小夜……」
「何、リカ?」
「昔はこうやってよく小夜の家でお泊り会してたよね」
「うん、そうだったね」
「リカが小学生の頃あげたプレゼント、まだ持ってるんだよね?」
「あの、手鏡でしょ? 大切にとってあるよ」
「本当に?」
「うん、ほら」
私はすぐさま机の引き出しから、手鏡を取り出した。
「さすが、小夜。うちら、ずっと友達だよね?」
「当たり前じゃない」
…………
……
え?
ここは、9番線?
どうして、私、ここに居るの?
「この空間では、誰も助けてくれない」
女性の後ろ姿が見えた。
「リカ?」
私は尋ねる。
「私はリカじゃない」
「じゃあ、貴女は誰?」
「私は……」
ちょっと、待って。
ねえ、ちょっと待っててば。
「『うつ……うつ……と』『うつ……うつ……と』『うつ……うつ……と』『うつ……うつ……と』『うつ……うつ……と』『うつ……うつ……と』『うつ……うつ……と』」
いやーーーー!!
何でこんな声が聴こえるの?
何で?
何で?
「もう、やめて。いやーーーーーーーーー」
…………
……
「小夜、小夜」
ぼやけた視界が小夜を捉えた。
「リカ?」
「うなされてたみたいだけど、大丈夫?」
「はぁはぁ、……夢か」
飛び起きた私は汗でびっしょりだった。
本当に怖い夢だった。
…………
……
時刻は6時。
二度寝しようかとも思ったが、リカを起こしてしまったので、二人ともそのまま起きることにした。
父さんと母さんは2人ともまだ帰ってきていない。
「学校サボる? それとも休む?」
リカが訊いてくる。
「何で学校に行かない前提なのよ?」
「だって、怪奇現象が起きて昨日の今日じゃない。また小夜が襲われたらどうするの?」
「それはそうだけど、休んだら、お父さんとお母さんを心配させる。行かなきゃ」
「じゃあ、リカも行くよ」
私とリカは学校へと向かった。
…………
……
「良かったね、行きは9番線じゃなくて」
「本当に。行きの到着ホームが9番線なら、学校をさぼっていたところだった」
朝一番に着いたので、誰も居ない教室で二人だけで話してると、
ガラガラガラ……
教室の扉が開いた。
「おはよう、委員長」
「おはよう、リカさんに小夜さん」
挨拶を済ませると、委員長は私たちの前に来た。
「今、9番線のお話をしていたのですか?」
真剣な顔で問い詰める委員長。
「うん、してたよ」
あっけらかんと返答するリカ。
「何で貴女たちが〇〇駅の9番線のことを調べているのですか?」
委員長は冷淡な口調でそう私たちに聞いてきた。
「うん、ちょっとね」
「興味本位で調べてるなら、今すぐおやめなさい」
ものすごい剣幕で命令してくる委員長。
こんな委員長見たことない。
「興味本位で調べてるんじゃないの、委員長。実は、私、私ね――」
「なんですの?」
「私、昨日9番線ホームで死にかけたの」
「それは本当ですの!?」
驚く委員長。
「本当だよ。真面目一辺倒の小夜が嘘なんかつけるはずないもの」
「冗談ではなさそうですわね」
「委員長、もし、9番線のことで何か知ってることがあれば教えて欲しいんだけど……」
「知ってることと言えば、その大学生には、兄と妹が居て、とても真面目で優秀。そして、決して自殺をするような女性ではなかったということぐらいでしょうか?」
委員長詳しすぎだろ……
もしかして……
「何で委員長は亡くなった大学生に詳しいの?」
リカはずけずけと訊く。
「9番線で亡くなった大学生はわたくしの姉ですわ」
やっぱり身内だったか。
「え? 委員長のお姉さん?」
リカはきょとんとしながら尋ねる。
ちょっとお待ちくださいまし……と、委員長は言いながら胸ポケットから生徒手帳から取り出し、1枚の写真を私たちに差し出した。
そこには、目鼻立ちが整った金髪ロングヘアで一見すると見間違えそうな女性が静かにほほ笑んでいた。
「委員長とあまり似てないね」
「ふふふ、姉は外人の母親の遺伝子を色濃く受け継いでいましたから。わたくしと似ているところといえばこの金髪くらいですわ」
委員長は自分のショートな髪を弄びながらつぶやいた。
「あれ? でも、この顔どこかで……あーーーーーー!!」
「どうしたの、リカ、そんなに大きな声を出して」
「この人、一昨日リカに噂を教えてくれたお姉さんだ!!」
リカは写真に指を指して叫ぶ。
「それは人違いですわ。だって、姉は既に死んでいるのですから……」
「でも、一昨日あったお姉さんだよ」
「リカ、間違いじゃないの? 似ている人だったとか」
「間違いのはずないよ。リカが人の顔を間違えるなんてあり得ない」
確かにそうだ。
人たらしのリカが人の顔を間違えるなんてあり得ない。
「それなら、考えられることはただ一つ」
リカはごくりと唾を飲んで私の次の言葉を待った。
「幽霊だよ」
「ちょっと待ってくださいまし、小夜さん。この世に幽霊がいるとお認めになるのですの?」
突然席から立ちあがり、私に詰め寄ってくる委員長。
「認めたくはないけど、リカが死人を見てるんだ。それに実際、私は昨夜危険な目にあった」
もう、これは幽霊の存在を認めざるを得ない。
「仮に、仮にですよ、本当に幽霊が居たとしましょう。もし、幽霊が居たとして、小夜さんはわたくしの姉が幽霊になって悪さをしていると言いたいんですの?」
委員長は眉を吊り上げさせ訊いてくる。
「そ、それは……」
そうかもしれないと思った私は言葉を濁した。
「それは違うと思うな」
きっぱりとした口調でリカが言い切る。
「どうしてですの?」
「委員長のお姉さんと会った時、嫌な感じがしなかったから」
「それじゃあ理由になってませんわ」
確かに、ファースト・インプレッションじゃ根拠に乏しい。
何か、何かないのか……
今までの出来事を思い返し必死に根拠を探る。
そうだ。
「委員長のお姉さんは悪さなんかしていないよ」
「小夜さんもファースト・インプレッションですか?」
「違うよ。私は委員長のお姉さんにあってないもの。リカ、確認するけど、委員長のお姉さんは、9番線に乗らない方がいいって、確かに言ったんだよね?」
「うん、そうだよ」
「もし、委員長のお姉さんが悪いことをする悪霊だったなら、リカには何も言わずに9番線に乗せようとするんじゃないかな? それを乗らない方がいいとアドバイスまでした。きっと、お姉さんは起こるであろう悲劇を止めようとしていたんだ」
「なるほど、筋は通っていますわね……」
言いながら少し考え込む委員長。
「……もし、リカさんと小夜さんが正しいとなると、わたくしの姉以外に悪さをする幽霊がいるとみたほうがいいのでしょうか?」
「おそらくそうだと思う」
私はこくりと頷いた。
「え? つまりはどういうこと?」
小首をかしげるリカ。
「えっと……話を整理するね。9番線にはもともと悪さをする幽霊がいた。その幽霊に委員長のお姉さんは殺されて、お姉さんも幽霊になってしまった。ここまではいい?」
「うん、そこまでは分かる」
「幽霊になってしまった委員長のお姉さんは、同じような被害者をださないように、駅のホームに出てきて、一人で電車に乗らないようにアドバイスをしているってことだと思う」
「おお、委員長のお姉さんはやっぱり、いい人じゃん」
「そういうことだね……あ、そうだ、委員長、委員長のお姉さんの声って聞けたりする?」
「どうしてですの?」
「私、昨日、『うつうつ……と』って声を聞いたんだよね。それって、お姉さんの声なのか確かめたくって」
「確か、スマホに、誕生日の時の動画があったはずですわ」
言いながら、通学カバンからスマホを取り出し、スマホを操作する委員長。
「あれ? 委員長、学校でスマホの使用するのは校則違反だよね?」
「今はそんなこと言ってられませんわ……あ、ありましたわ。お姉さまが声を出してるシーンでいいんですわよね?」
「うん、よろしく」
委員長は、委員長のお姉さんが蝋燭の火を消しているシーンから再生する。
『みんな、ありがとう!!』
「昨夜のホームで聞いた声そのものじゃないか……」
「本当ですの?」
「うん、本当。ちなみに、『うつうつ……と』と言っていたんだけど、委員長のお姉さん、鬱だったりしない?」
「そんなことありませんわ」
「それじゃあ、何で、この言葉を何度もつぶやいていたんだろうか?」
「特に意味はないんじゃない?」
「もしも、委員長のお姉さんが悲劇を繰り返さないためにこの言葉を何度もつぶやいているとしたなら、何か意味があるはずなんだ……」
「確かに、そうですわ。わたくしの姉に心が残っているのだとしたら、貴女に何か伝えようとしたに決まっています」
「それが何かなんだけど……」
「ここで考えていても、埒が明きませんわ。今すぐ行きますわよ」
「行くって、何処へ?」
「9番線に決まってますわ」
「「え?」」
私とリカは同時に声を発した。
「だって、お姉さまは悪いことをしていないんでしょう? それを他の方にも証明しなければなりませんわ」
「いや、ちょっと待って。もし、今私たちが9番線に行ったところで、すぐにお姉さんに会えないと思うし」
最悪、悪い幽霊の力で殺されかねない。
「小夜の言う通りだよ。もうすぐ朝のホームルームだよ?」
「もしかしたら、被害者が増えるかもしれないんですわよ。授業なんか出てられませんわ!!」
委員長は私の腕をがっしりと掴んで、無理矢理学校の外へと連れ出そうとする。
委員長の手を振り払おうとも思ったが、昨日の疲れが残っていて、振り払えなかった。
「え? ちょっと待って、小夜、委員長」
結局、リカも私たちを追う形となり、私たち3人は登校する生徒の波に逆らって、駅へと向かった。
…………
……
改札口をすすんだところで足がすくむ。
また、昨夜のような体験をするのだろうか?
いや、昨日は夜だったが、朝だから大丈夫のはずだ。
うん、大丈夫、大丈夫。
私は言い聞かせながら、駅の改札口を通った。
「小夜? どうしたの、汗でびっしょり」
「あ、ちょっと、昨日のことを思い出しちゃって……」
「大丈夫ですわ」
そうだ、今日は3人もいるんだ。
だから大丈夫だ。
「それじゃあ、小夜さん、昨日の状況を教えてくださる?」
「え?」
「小夜さんを危険な目にあわせるわけにはいけませんわ。わたくしがその幽霊と対面いたしますわ」
「いいの?」
「当然ですわ」
「えっと、昨日このホームで、喉が渇いたから、奥のほうへ自動販売機を探していたら、急に不思議な空間に迷い込んでいたんだ」
「では、奥の方へ行くだけで会えますのね?」
「多分、そうだと思う」
私はこくりと頷いた。
「わかりましたわ」
「あ、リカも手伝うよ」
「いいえ、危険な役目はわたくしがやりますわ」
「それじゃあ、委員長がどこかに行かないか、リカはここから、ずっと見てるね」
リカは委員長とホームの奥へと行こうとする。
「ごめん、私は力になれそうにない」
手伝いたい気はやまやまなのだが、昨日の恐怖体験が思い出され、
「大丈夫ですわ。ここまで来ていただいただけでも感謝ですわ」
「あ、ちょっと待って委員長」
「どうかしまして?」
「もし、その空間に入ったら、何か得体のしれない力が委員長を襲ってきて、ホームから落とそうとするから、すぐに柱に掴まって」
「わかりましたわ。十分に気をつけますわ」
「大丈夫かな……」
リカは心配そうだ。
「大丈夫ですわ、リカさん。わたくし、陸上部に所属していますから、体力には自信がありますのよ」
それなら私より体力はあるはずだから、大丈夫だろう。
「あと、昨日はトートバッグを振り回したら戻ってこれたんだ。何か振り回して幽霊を攻撃すると戻ってこれるのかもしれない」
「貴重な情報、感謝いたしますわ」
私は必要最低限の情報を伝えると私はベンチに腰掛けた。
青い空を見上げると、急に暗雲が立ち込め、あたりが暗くなり、ぽつぽつと雨が降ったかと思ったら、突然の土砂降りになる。
なんでこんな時に……
今日の天気は晴れのはずだったのに……
私はスマホを取り出し、天気予報を確認しようとしたが、昨日、スマホの充電をしていないことに気付き、トートバッグの中にしまいこんだ。
その瞬間である。
ピカッと雷が光ったかと思ったら、
「うつ……………………うつ………………と………………うつ……………………うつ………………と」
またあの声が聴こえだした。
「委員長、リカ、あの声だ!!」
私は委員長とリカが気付くように、大声をあげた。
しかしながら、二人の声は返ってこない。
私はあたりを見回した。
なんで? なんでなの?
人がいない。
リカと委員長さえ見当たらないのだ。
さっきまで3人で居たはずなのに、なんで?
背筋がゾッとした。
昨日の夜と違って、今は昼間なのに。
汗が噴き出る。
本能的に理解した。
きっと、ここは昨夜連れてこられた、あの空間だ。
何で?
何で私はこの空間に居るの?
何で私だけがこの空間に居るの?
口が渇き、体の震えが抑えられず、自分で自分の体を抱きかかえる。
「………………ないと………………ないと」
どこからか、昨夜と同じ声がした。
ないと?
ないと……ナイトって夜って意味?
まさか、私が夜の時のことを思い出したから、この空間に来てしまったということか?
この幽霊は私に昨夜の続きをしようとでも言いたいのだろうか?
まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい。
このままだと、きっと私は不思議な力に殺されてしまう。
落ち着け、自分。
この声は私を助けてくれる声のはずだ。
この声は味方のはずなんだ。
何かを伝えようとしてるだけなんだ。
そうだ、昨夜私は、トートバッグで不思議な力を退散させたんだ。
そのことを教えてくれているのかもしれない。
「来るなーーーーー」
私は叫びながらトートバッグを両手で振り回した。
しかしながら、昨晩と同じように私の体は重くなり、その場に立っていられなくなる。
「何で?」
何で昨日みたいにいかないの?
昨日はこのトートバッグを振り回したら、元の世界に戻れたのに……
私は昨日のようにぺたりと地面にしゃがみ込んだ。
その後、私は宙を舞い、線路のほうへと連れていかれる。
まずい、まずい、まずい、まずい、まずい。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
遠くから電車の音が聴こえてきた。
まずい。
柱にしがみつかないと。
私は自分の体が宙に浮くのに備えて、近くの柱にしがみつく。
しがみつくと同時に、昨夜と同じ力が全身にかかった。
くっ。
私は必死にしがみつくのだが、寝不足のせいか、思ったような力がでない。
不思議な力によってあっという間に柱から手が離れてしまった。
「あっ」
思わず声を出す。
じょじょに線路へと近づく私の体。
昨日は運よくこの不思議な力を振り払えたけど、今回は無理かもしれない……
線路まであと2メートルという時だった。
「……つら…………い…………つら…………い……」
それと同時に聞こえる声。
『……つら…………い……』って、辛いのはこっちだ。
線路に放り出されるまで、あと1メートルもない……
これで、私の人生も終わりなの……
ごめん、お父さん、お母さん。
抵抗したけど、どうやら私、死んじゃうみたい。
諦めかけたその時だった。
「いやーーーーーーーーーーーーーー」
女性の断末魔が聴こえた。
私はその音のほうを見ると、女性が線路の上で横たわっていた。
今にも黒い影の電車に轢かれそうだ。
あれ……
あれって、委員長のお姉さん?
遠くからで分かりづらいが、今朝見せてもらった写真の女性そのものだった。
「危ないっ!! 逃げてっ!!」
大声で叫んだ。
もうぶつかると思って目を背けた瞬間、委員長のお姉さんは消えてしまっていた。
あれ? お姉さんがいない……と思った次の瞬間である。
「いや、もうやめでー」
という私の叫び声がした。
え?
私の声?
混乱の中に私がいると、
『……お……前の…………せ…………いだ。………ふ…………ざけ…………るな!』
聞いたことのない声が聴こえた。
私のせい?
私、何かしたのか?
私が何をしたかもわからないまま、私はものすごい勢いでホームから投げ出された。
その刹那、時間がゆっくりと感じられた。
ゆっくりと、そう、ゆっくりと自分の体が投げ出されたのだ。
まるで、私の体にパラシュートがついているかのように、ふんわりとゆっくりと線路に落ちていく私の体。
列車の汽笛の音も、分解できてしまえるんではないかと思うほど、鮮明にハッキリとスローで聴こえた。
自分だけ世界から取り残されてしまったような感覚に陥る。
目の前の影の列車は私にぶつかろうとしている。
ああ、やっぱり、私はもうダメだ。
「プレゼントは?」
どこかからリカの声が聴こえた。
リカ、どこかにいるの?
私はあたりを見回そうとするのだが、金縛りにあったかのように体がピクリとも動かない。
「プレゼントは?」
もう一度リカの声を聴いた。
プレゼント?
リカからもらった子どもっぽい猫柄の折り畳み式の手鏡のことか……
確か胸ポケットにしまったっけ……
胸ポケットから飛び出したであろう折り畳み式の鏡は私の顔を映し出していた。
ああ、私、こんなに静かな笑顔で死ぬのか……
良かった、恐怖に歪んだ顔じゃなくて……
『9番線に、9時45分発の電車が到着いたします』
聞き慣れたアナウンス。
辺りを見回すと、私は元居たベンチに座っていた。
あれ? 私、死んだはずじゃないの?
確認のために手が動くかどうか確かめると、自分の意志で動かせた。
「生きてる」
自然と独りごちていた。
びっしょりとかいた汗。
疲労感に倦怠感。
今にも意識を失いそうだったが、どうやら、生き残ったらしい。
ベンチから立ち上がろうとした瞬間、急激なめまいに襲われ、ホームへと倒れこんだ。
「大丈夫ですか?」
私に気付いた委員長が私の方へと近づいて来た。
「い……委員長」
私はなんとか言葉を絞り出す。
「小夜さん? どうなさったの? ひどくお辛そうですわ」
委員長は不思議そうに私の顔を覗き込む。
「本当だ。顔が真っ青だよ、小夜。どうしたの?」
後ろに居たリカも尋ねてきた。
幽霊の世界に行っていたから……と言おうとすると委員長が言葉を紡ぎ出した。
「……というより、どうしてわたくし、こんな時間に小夜さんとリカさんと一緒に駅のホームなんかに居ますの?」
「何を言ってるの委員長、それは……あれ? そういえば、リカ達、何で、駅に来たんだったっけ?」
え?
委員長もリカも何を言っているんだ?
幽霊が出るからこのホームまで来たんじゃないか……
「委員長のお姉さんの幽霊に会いにいたんじゃない」
ガンガンと痛む頭を手でおさえながら、私は呟いた。
「姉? 幽霊? 何言ってますの? わたくしの姉は生きていますわ」
『まもなく、9番線に列車が入ります。黄色い線より内側でお待ちください』
駅のアナウンスが入った。
え?
どういうことだ?
委員長のお姉さんは生きている?
「冗談はやめてよ、委員長」
「冗談? そんなこと言いませんわ。わたくしの姉のことですわよ?」
真剣なまなざしでこちらを見てくる委員長。
キキーッというブレーキが聴こえた後、次々と電車から人が降りてきた。
「あのさ、委員長。確認なんだけど、委員長のお姉さんは生きてるんだよね?」
「当然ですわ」
え?
いや、ちょっと待って。
じゃあ、昨夜リカがあったのは誰?
「ねえ、リカ、昨日ここで、委員長のお姉さんに会ったんだよね?」
「委員長のお姉さん? え? リカが? なんで? ……ってか、リカ、委員長のお姉さんんの顔知らないんだけど」
リカはあっけらかんと答える。
え?
今朝は幽霊になった委員長のお姉さんにあったって言ってたよね?
どういうことだ?
落ち着け。
冷静になって考えろ。
まさか、まだ、さっきの不思議な世界の中に居るのか?
重い頭で考える。
いや、それはない。
あの世界には影の列車が現れるけど、この世界には普通の電車が今まさに到着しようとしている。
今までの出来事を頭の中で整理するんだ。
確か1年前に委員長のお姉さんは死んだ。
そのお姉さんが私にメッセージを残してくれていた。
でも、私は不思議な世界に連れていかれた時、線路に倒れていた委員長のお姉さんを見た。
確かにこの目で見たのだ。
この時点で時系列がおかしい。
いや、もし仮にだ、私が連れていかれた世界は時間という概念がなかったらどうなるのだろう?
つまり、その不思議な世界に連れていかれた瞬間からその世界の時間が始まるのだ。
そう考えれば説明がつくかもしれない。
委員長のお姉さんは、あの不思議な世界に入ったとたん、レールのところに投げ出されていた。
その時、私はホームの上に居た。
1回目は気付かなかったが、2回目は、委員長のお姉さんに気付けた。
だから、委員長のお姉さんはあの場から居なくなった。
その時に過去が変わった。
いや、待て待て。
そしたら時系列がおかしくなる。
論理が働かない。
いや、きっと、論理で考えるべきではない案件なのかもしれない。
「貴方達、何してるの?」
不意に後ろから声をかけられた。
この声どこかできいたことがある……
振り返ってびっくりした。
そこには、教室で見せられた写真の女性が確かに存在していたのだ。
「お姉様こそ、何しているんですか? こんなところで」
「私? 私はこれから大学へ行くの。午後から講義があるからね。それより、貴方達よ、どうして華の女子高生がこんな時間にこんなところにいるの? ……臨時休校ってわけじゃなさそうだけど?」
「委員長のお姉さん?」
「あれ? 貴女、もしかして……」
本当に生きている。
「この人だよ、この人。助けてくれたのは」
「え? どうなっているんですの? 小夜さんは1年生ですわよ。去年の今頃は中学生でしてよ?」
「え? この子1年生なの? でもでも、1年前に私を救ってくれた子にそっくりなんだよね……というより、貴女よね?」
助けた?
私が?
「いや、私は何もしていない……」
「あら、本当? ごめんなさい、貴女も、あの変な世界に連れていかれた同士かと思ったんだけど、どうやら人違いだったみたいね……」
「変な世界って、この9番線のことですか? 黒い電車がやって来る――」
「そうよ、その世界。やっぱり、貴女のおかげだったじゃない。私が生きていられるのは。ずっとお礼が言いたかったの。本当にありがとう」
「はぁ」
私は曖昧な返事をした。
でも、どうして、私は委員長のお姉さんを助けることができたんだろう?
私、特に何もしていないのに……
「あの……委員長のお姉さん、お姉さんも黒い列車が来る世界に行ったんですよね?」
「うん、そうそう。ピンチになった時、貴女が助けてくれたんでしょ?」
「あの世界のことで何か覚えていることってありますか?」
「あの世界? 特に何もないんだけど……」
「そうですか……」
私は肩をすくめた。
「あ、そうそう、あの世界から帰還してから、何故だか、『うつらないと』って言葉が頭の中に浮かんでくるんだよね……」
「そういえば、その言葉、時々呟いていましたわね」
「『うつらないと』……」
そういえば、『うつ…………と』と、『………………ないと』と、『……つら……い……』を足すと、『うつらないと』
そうか、きっと、委員長のお姉さんは、『うつらないと』と伝えたかったんだ。
そうだ、あの世界に行ったとき、私は1人で、何にも映っていなかった。
だから、あの世界に引きずり込まれたんだ。
委員長のお姉さんは私の瞳に映ったから、あの世界から脱することができた。
そして、私自身があの世界に行ったとき、1度目は、携帯に自分の姿が映ったら元の世界に戻れたし、2度目は、鏡に写ったら元の世界に戻れたんだ。
そう考えれば、合点がいく。
きっと、何かに映っていれば、あの世界にはそもそも行かないで済んだんだ。
「確か委員長のお家って、会社を経営していてお金持ちだったよね?」
「まあ、一般家庭より多少は」
「じゃあ、お願いがあるんだけど……」
「お姉さまの命の恩人ですから、わたくしにできることでしたら、なんでもおっしゃってくださいな」
「あー、委員長だけと内緒話はずるい」
「あのね、人脈のあるリカにもお願いがあってね……」
私はリカも交えて耳元でコソコソと囁いた。
「うん、リカに任せなさい」
『9番線から電車が発車いたします。次は●●駅、次は●●駅です』
駅のアナウンスを聞きながら、私は出発する列車を見送った。
…………
……
「ねえねえ、知ってる? この駅の9番線ホームの幽霊の噂のこと。一人でそのホームにいると、幽霊が出てきて人を線路に落とそうとしていたんだって。それでね、鏡とかカメラとかきちんと自分の姿を映す何かに映らないと、闇の世界に引きずり込まれて、ホームに落とされていたんだって。女子高生がその原因を突き止めて、360°録画できる防犯カメラがホームに備え付けられた以降、事件は起きなくなったんだって。この噂も、万が一防犯カメラが壊れてしまった時のために、その女子高生が流した噂らしいよ」
ねえねえ、知ってる? トゥルーエンド編 完
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。