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わが少年の日々のかがやき my brilliant boys days  共同井戸と我が家の井戸掘り

作者: 舜風人

雪の降る日は

こんな異郷の地方都市の建売団地のマッチ箱住宅でも

一面が雪景色で

まるであの遠い遠い故郷の

昭和30年にタイムスリップしたみたいですよ。


年取ったせいでしょうか

無性に故郷が恋しくなる時があるんですよ。


ふるさと遠くこんな街でよそ者として朽ち果てなければならないんだろうか?

それが私の運命なのだろうか?

そう思うとやたらむなしさばかりが募ります。

ああ懐かしい故郷のおもいでは

雪の花のように舞い散り

限りなく灰色の空から落ちてくる、、。





私の生まれたのは片田舎の山村、


その地方の中心の町から5キロ奥に入った、当時そこは開墾地と呼ばれていたところだった。

大きな野原が広がりそして、雑木林も連なっていてとてもいいところなんだが、

水がないのである。


小川もなければ清水もない。

やや高台の平地で水の便が悪い。


で、開けなかったのだ、痩せ畑があるくらいで、水がないからせっかく平地なのに、水田も作れない。

ダカラ開墾地と呼ばれて長く放置されていたのであろう。


さて我が家はそこに大正末期からすんでいて、私の祖父が本来旧家で元は名主などもやったのが、

明治以降に窮乏してしまってもとの家屋敷を売り払いこの開墾地に小さな農小屋を買っていわば、都落ち?したのがそもそもここに住んだはじめだった。


祖父はその開墾地で畑や桶作り内職などをして生計を建てた。開墾地の農地も借りて小作もした。

それが第二次大戦ごの、農地解放で小作地が安く買えるというので、自作農創出法でそれまでの小作地を

買って、いわゆる4反部百姓になったのである。

4反部以上あると当地ではお百姓さんとして公認されたのである。


さて私たちの代では、昭和30年代、父は東京に単身赴任で仕事に、母は残って家仕事にという兼業農家だった。

やはりこの、ど田舎では仕事もなくて父も東京に行くしかなかったのであろう。


残った母も元は四国の生まれ、父と結婚して東京で暮らしていたのが第二次大戦でここは疎開してきて。

焼土の東京に帰れずいついてしまったという次第。

父だけ戻って東京づとめで母はここで自給自足と相成った次第。


さて、母はなれない畑作りで、小麦大豆陸稲玉蜀黍じゃが芋サツマイモなど主食栽培に努めて戦後の食料不足時代を乗り切った。


そこで、水がないので、水入らずの農作物を中心に作った。

小麦大豆陸稲玉蜀黍じゃが芋サツマイモなどは原則水をやる必要はないのである。


とはいえ、飲用水は必要である。

で、どうしたかというと、

村の共同井戸があるのである。

我が家から歩いて畑道をやや下り、大きな竹林を過ぎるとその中に井戸がある。

竹林の保水力でこの乾燥した開墾地でもここには水が湧いたのだろうか?

石組みの井桁の中には手が届くくらいの水がたたえられたいた。

それを天秤棒で水桶に汲んで持ち帰るのである。

それは姉たちの仕事だった。朝早く其の日の飲用水を汲みにいく。

だがもし遅れていったものなら、

先に村人たちが汲みつくしてしまっていてもう、井戸のそこまで汲みつくしてしまっていて水はないのである。

そんなささやかな井戸頼みの生活だった。

湧水量が少ないのである。

だからたまり水を汲みつくすと、すぐなくなってしまい明日の朝まで水は湧いてこないのだ。

滾々と湧く湧水、とは真逆である。やっと湧いたたまり水に過ぎなかったのだ、この井戸は。


さて汲みかえった水は水甕という大きな高さ1メートルくらいの備前焼の甕に入れて蓄える。

それをひしゃくで汲んでは飲用、料理用に使うのである。


そうした当てにならない共同井戸に業を煮やした村人たちは自宅に井戸を掘ることが一世一代の夢、

大事業であった。

だが井戸を掘っては見てもここは元々水脈が弱くて、ダカラ開墾地といわれて開けなかったのであり、

どこの井戸も、それこそ共同井戸のにじみ出るくらいの水しか出なかったのである。


さて貧しい我が家も父の給料をためて念願の井戸掘りをすることに、

家を建てるか、井戸を掘るかといわれたくらいの大事業である。

井戸掘りはそれほど金がかかった。


拝み屋に見てもらってこのあたりというところを決めて井戸掘り人足の、トモさんに掘ってもらう。

丸太でやぐらを組み、かい出した土砂は滑車で上げて捨てる。

其の繰り返し。

ここは開墾地で水脈が深くて浅井戸では水は出ない。

ということで、かれこれ、10メートルも掘り下げたろうか。

やっと水脈に当たった。

水が湧いてきたのである。

しかも結構湧水量もありそう。

大当たりである。


井戸内側の側壁は川原石で野面積みしていく。

今も見てもきれいな石組みである。

今こんなきれいな川原石なかなかない。


さてこうして我が家は運よくいい水脈に当たってそれからは

せっかく井戸を掘ってもにじむ程度しか出ないという近所の家が貰い水にくるくらいの豊富な水に恵まれたのである。


時代は流れて、さてそんな井戸も今はもう用なし。

かっては、命の元だった恵みの水をもたらしてくれた井戸も今は、もう、用なし。

と言ってじゃあもう入らないからつぶせ埋めろとなると井戸には竜神様が住んでいらっしゃるから、祟りがあることを覚悟しなければならない。

古井戸の祟りは7代続くとも言われる。


各戸には水道が引かれて井戸のでる、まくはなくなってしまった。

だがかっては、命の水を供給してくれたのである。

感謝の念を忘れてはいけない。


そしてこんな開墾地になんと10年前には本下水さえ引かれたのである。


であるから今この開墾地は、其の中心地の町のベッドタウンとしてアパートだらけである。

我が実家の隣にもアパートが立ち並んでいる。

町から5キロという好立地なのである。

水がネックで開けなかった土地だが、上水道下水道ともに引かれればいまや、高級ベッドタウンである。



実家から遠く離れてすむ私は、たまに帰っても今は、ぴったりふたされた井戸を気にもしないし見もしない。


でも、こうした古井戸をつぶすのは良くないそうでそのままにしておくのが良いそうだ。

古井戸はかまわずにそのママにしておくこと。

潰したりいじくったりは厳禁である。

というわけで私は放置しているわけだ。



現に近所で出なくなった井戸をつぶしたら、

息子が自宅の物置で首吊り自殺してしまった家もある。

井戸のたたりは恐ろしい。








お知らせ


「わが少年の日々のかがやき」というシリーズものを、すべてお読みになりたい場合には、「小説家になろう」サイトのトップページにある「小説検索」の欄に、読みたい連作シリーズ作品群の共通タイトル名である「わが少年の日々のかがやき」を入力して検索すれば、全作品が表示されますので、たやすくお読みになれます。


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