夢見る雛 5
マギアベル国立魔法学院の門戸は、限りなく広いと言える。
その生まれや出身地に関係なく、魔法の才ある者を受け入れており、支援制度も多い。
求められるのは、実力である。知を蓄え才を練り、編み出される魔法。
優れた資質を持った者にとっては、最高の学び舎と言える。
そして、その一方で――――
「あら? 何か臭いと思ったら……こんなところに落ちこぼれがいたのね」
――――劣っていると見なされた者。
たとえば、ターシェ・サント・デュモンにとっては、寒風が吹き荒ぶ場所であった。
「………っ」
授業と授業の合間に、大勢の生徒たちが行き交う廊下。
上級生と、その取り巻きに囲まれたターシェは、教科書を抱えて丸まっていた。
そうして震えながら目を瞑り、攻撃に耐える。それが幼い頃からの癖だった。
「知ってるわよ、デュモン家の面汚し。役立たずのターシェってね」
「虫けらみたいに丸まって、お似合いだわ!」
何を言われようと、助けを求めたり、声を上げることはしない。無意味だからだ。
実際、道行く生徒たちは、迷惑そうな視線を振り向けるだけで、間に割って入ろうとはしなかった。
実力主義、弱肉強食。振りかかる火の粉を自ら払えぬ者に用など無い。
「ちょっと、聞いているの? 無視してるんじゃ―――きゃっ!?」
ぽん、と何かが破裂する音とともに、悲鳴が上がる。
ターシェは思わず顔を上げた。きゃあきゃあと大慌てする上級生たちの周りに火球が浮かび、触れるたびに破裂して小さな熱を生む。
「あーら、ごめんなさい。あんまり見苦しいことしてるものだから、ついやっちゃったわ」
そんな声に振りむけば、ターシェの目に入ったのは、美しい赤。
炎のような赤髪を揺らし、魔法書を片手にしたその人物を見て、上級生たちは顔を青くした。
「げっ……!」
「や、やばいですよアーヤ様」
「くっ……小汚ない平民のくせに……覚えてなさいっ!」
と、見事なまでの捨て台詞を吐いて、三人がどたばたとその場から立ち去る。
残されたターシェは、信じられない気持ちで、救い主を見上げた。
有名人だ。平民の出自ながら、その卓越した魔力と才能は並び立つ者がいないという。
ターシェとは、真逆の存在。
「たく、どこにでもあーゆー連中がいるんだから! ほら、立てる?」
「ひゃっ……は、はい……」
差し伸べられた手に、ターシェはおそるおそる触れた。
振り払われることなく握り締められ、助け起こされる。
もしかすると、生まれて初めて、こんなことをしてもらったかも知れない。
少なくとも、握り合う手の暖かさは、今まで知らなかったものだ。
「あっ……えと、ありがとう、ございました」
びくびく、おどおどとしたお礼は、誰の目から見てもみっともなかったに違いない。
こういう態度が罵声を招くとわかっていても、緊張しているターシェの口は、まともに言葉を紡いではくれなかった。
だが、赤い髪をした一つ上の先輩は気にした様子もなく、にこりと笑った。
「また絡まれたら、あたしを頼んなさい。いじめっ子なんてぶっ飛ばしてやるから」
凛として、朗らかで。
そんな彼女の姿が、ターシェの目には輝いて見えた。
心に優しく差し込む光。落ちこぼれと蔑まれて来た少女の、人生が照らされた瞬間だった――――――
「――――――先輩っ!」
「うわっ、びっくりした」
タイラントビークと戦った場所から少し進み、太悟たちは、比較的屋根と壁が残っている廃墟にやって来ていた。
寝かせておいた少女は、飛び起きることができる程度には元気なようで、夢から覚めた世界を困惑とともに見渡している。
しばらくして、ようやく傍で胡座を掻いている太悟に気付き、眼鏡の奥の目をぱちくりとさせた。
「……貴方はどなた? ここは何処でありますか?」
「良かった、『私は誰?』とか言い出したらどうしようかと思った」
太悟は胸を撫で下ろした。
ドラマチックな展開に憧れはあるものの、今の状況で記憶喪失者の面倒までは見られない。
「第十三支部の狩谷太悟。君は?」
「あ、自分は第十……カリヤ、ダイゴ?」
受け取った名前を反芻するやいなや。少女がその場で二メートルほど飛び跳ねた。
そして、目を丸くする太悟の前で、着地と同時に片膝立ちになり、深々と頭を下げる。
「う、ううう噂に名高き《孤独の勇者》様!? しししし失礼致しましたぁっ!!!」
「うん……正直そのあだ名が失礼だと思ってるんだけども……」
太悟は遠い目をした。
「大丈夫ー? あ、その子起きたんだ」
見張りをしていたファルケが、声を聞きつけて戻ってくる。
関係者が揃ったところで、改めて自己紹介を始める。
「こほん……ええと、助けていただき、ありがとうございました。自分は、《地精剣士》ターシェ・サント・デュモン。第十支部に所属する勇士であります!」
背筋を伸ばし、敬礼するターシェ。
ファルケがあっと声を上げる。
「デュモンって、あのデュモン?」
「え、ファルケ知ってるの?」
「たしか……魔法を使った剣術の名門だったと思う」
「そう! そのデュモンであります! 古くは四精剣貴と謳われしテオフラス様の子孫として、四つの精霊剣舞をそれぞれ受け継いだ、火のエステーラ家、水のオセアン家、風のバジェ家、そして大地のデュモン家! 魔法に携わるならば、知らない者はいないでしょう!」
太悟は魔法については門外漢だが、なるほど、たしかにそれらの名前を耳に挟んだことがあった。
もしかしたら、戦場で出会ってるかもしれない。
誇らしげに胸を張っていたターシェだが、すぐに表情が暗くなる。
「……もっとも、自分は家でも学校でも落ちこぼれだったのですが。神殿でも皆さんに迷惑をおかけしてしまい……」
彼女の話によれば、戦闘中のミスが原因で、この山に一緒に来た仲間たちにも見放されてしまったのだという。
言われた通り、もらった聖水を使って魔物との遭遇を避けながら山を下りていたターシェを、タイラントビークに襲われたのだ。あのレベルの魔物になると、聖水の効き目は薄い。
他所の内情に口出しするつもりはないが、仲間の面倒はちゃんと見て欲しいものだ……と太悟は顔をしかめた。
(いらないなら、ウチにくれよ)
少なくとも、戦場に出てくれるというだけで、太悟には十分なのだ。事と次第によっては、本気で勧誘してもいいかもしれない。
太悟がそんなことを考えていると、俯いていたターシェが、バッと顔を上げた。握り締められた拳には、力が満ちている。
「しかーしっ! 自分は諦めません!! 先輩のような、偉大な勇士になるために!!!」
「先輩?」
ファルケが聞き返すと、ターシェは待ってましたとばかりに瞳を輝かせる。
「はい! 魔法学院の先輩で、自分よりも先に勇士として選ばれた方です! お二人も、名前を知っておられるかも知れません!!」
ターシェが言った通り、太悟とファルケは、その『先輩』を知っていた。
ただし、彼女が思っていた以上に、多くの事を。
「いえ、きっと聞いたことがあるでしょう――――《紅炎の魔法使い》、フレア・クリムゾンの名を!!」




