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勇者代理がんばる 下

 旋斧カトリーナ。

 太悟が持っている武器の中でも最強の攻撃力を誇り、その刃は岩でも鉄でもバターのように切断する。

 うっかり自分の顔をズタズタにする危険さえなければ、夜中に抱いて眠りたいほど愛用している武器である。

 そのカトリーナを抱えて、なお―――――倒れ込んでくるタワーオブグリードに対して、太悟は全力で逃げるしかなかった。


「どうしろってんだ! こんなの……ッ!!」


 空が落ちてきたといっても過言ではない、圧倒的で、絶望的な圧力。

 人間が、何気ない一歩を踏み出した時、たまたま足の下にいた蟻。

 それが太悟の数秒後の姿だ。一秒ごとに濃くなる影は、地獄への道か。


 骨の鎧を脚部に集中。強化した脚力と、面積の広くなった足裏で、太悟は蛙の如く前に跳んだ。

 そして、タワーオブグリードがその巨体をもって、広大なる砂漠を一撃する。

 その下に、太悟はいなかった。寸前で潰されずに済んだが、しかし無傷では終わらない。

 例えば池の水面に、岩を投げ込めばどうなるか。

 それと同じく、タワーオブグリードが倒れ込んだその衝撃が、砂漠に波を起こした。

 押し寄せる砂の壁。まだ空中にいた太悟には避ける術もない。

 あっという間に飲み込まれて、天も地もわからなくなった。


 何も見えない。


 息ができない。


 体が押し潰されそうだ。


「ぐっ……が……!」


 世の中にはいろんな死に方がある。

 生き埋めもその一つだが、太悟の人生にその計画はない。

 諦めろと猫撫で声で囁く死の恐怖を払いのけ、カトリーナの柄を握る。

 旋刃が唸りを上げて回転。砂の中にあって、激しい風を起こす。

 圧し掛かる砂を吹き飛ばし、太悟は地上に飛び出た。

 埋もれていた時間は一分にも満たないが、空気と陽の光の存在に感謝するには十分な時間だった。


 だが、その感謝の念も次の瞬間には消し飛んでいた。

 タワーオブグリードの大きく開かれた口が目前まで迫ってきている状況で、他のことを考えている余裕などない。


「――――!!」


 口の奥、内壁に生えている無数の棘は、獲物の肉を砕くためのものだろうか。それらがよく見えるほどに近い。

 太悟は反射的に骨の腕を伸ばし、タワーオブグリードの牙の先端を掴んだ。

 そのまま自分の体を引き寄せ、その勢いで巨大なる魔物の背中の上に乗る。

 ぐちゃ、と得体のしれない粘液が足の裏を汚したが、今の太悟はいちいち嫌悪感を覚えない。

 タワーオブグリードの背中は広く、自動車が四台、横並びになってレースができそうなスペースがある。

 足の裏にスパイクを生やせば、いきなり垂直に立ちでもしないかぎり、振り落とされる心配はないだろう。


「背開きにしてやる」


 太悟はカトリーナをくるりと反転させ、回転する旋刃を下にした。

 それをタワーオブグリードの表皮に当て……突風のように駆け出す。

 どれだけ巨大であっても、魔物は魔物だ。怯まず斬れば傷つき、やがては崩れ落ちるはずだ。


 太悟は経験を積み重ねていた。

 もっとも弱いゼリーボールから始まり、今では竜族とも互角に戦うことができる。

 経験は自信を生み、戦う勇気をもたらす。肉体を動かす力をくれる。

 太悟は無自覚ではあるが、着実に戦士として成長していた。そこらの勇士には負けないくらいに。

 だが、最強でもなければ無敵でもなく、未だ経験したことのない戦いもある。

 今回がそれだ。


「刃が、通らない!?」


 思わず、太悟は声を上げた。

 竜の鱗さえ食い破るカトリーナの旋刃。

 それが、タワーオブグリードの皮の表面を虚しく擦るだけで、それ以上沈んでいかない。

 ならばと足を止めて、太悟は毒々しい紫色の薬液が入った瓶を、蓋を開けて放った。

 瓶は転がりながら内容物を撒き散らし、途端に刺激臭が発生する。

 アシッドポーション。大気に反応して強力な酸になるポーションだ。

 扱いに注意が必要だが、非物質的な魔物以外には大抵有効で、弱い魔物ならこれだけで殺せることがある。


「……ウソだろ……」


 そして当然のことながら、タワーオブグリードは弱い魔物ではない。

 死ぬどころか、アシッドポーションをぶちまけられた皮膚には、何の変化も生じていなかった。

 それでも諦めず、太悟はカトリーナの旋刃を押し付け、僅かでも傷つけようと試みた。

 だが、タワーオブグリードはそれを待つつもりはないようだった。巨体を左右に揺らし、背中の太悟を簡単に振り落とす。


「うわっ!」


 太悟は背中から砂地に落ちた。普通ならかなり危険な高さだったが、鎧を着ている上に砂がクッションになる。

 痛みはほとんどない。攻撃が何も通じなかったという屈辱を別にすれば。


「ちくしょう、バケモノめ……!」


 太悟は毒づきながら、再度カトリーナを構え、タワーオブグリードと向き合った。

 砂漠の悪夢は長い体をうねらせて、口しかない頭部を太悟に向けていた。

「食べる」という行為が、そのまま致命的な攻撃となるような魔物を、どう始末すればいいのか。

 連戦に次ぐ連戦と、砂漠という環境下で火照った脳を使い、太悟は必死に考えた。


 何か、いつもと違う方法が必要なはずだ。

 あるいは、仲間がいればもっと楽に戦えるかもしれない。


 もしもベアトリクスが仲間としてこの場にいたなら、回復や防御力増加の奇跡で、より長く戦えるようにしてくれただろう。

 フレアだったら、炎の魔法でタワーオブグリードを炙ってくれたはずだ。それが効くかは別としても。

 マリカとともに切り込んで、刃が通りそうな個所を探すというのも楽しそうだ。


 そこまで思考を巡らせてから、太悟は「はは」と乾いた笑みを浮かべた。

 今のところ、そうした妄想が実現する可能性はゼロに近い。

 それを頭では理解していても、ピンチになった途端に甘い願望が顔を出す自分の心の弱さを、太悟は嫌悪していた。


 ここにいない人間のことを考えて、現実逃避している場合ではない。

 太悟が生き延びるためには、タワーオブグリードを倒すことに頭を使う必要がある。


(どんな奴にも、弱点があるはずだ)


 たとえば、太悟が身につけている兜、コロナスパルトイを落とした蛇竜アレシヨス。

 素早く獰猛で、口から強烈な毒息を吐く強敵だったが、弱点である頭部を攻撃することでどうにか倒すことができた。

 太悟の経験上、まったく何一つ付け入る隙のない魔物など存在しない。

 もちろん、それを見つけることができるのか、見つけるまで生きていられるのかは別の話だが。


 太悟は、タワーオブグリードを観察した。

 サイズに反比例して、構成するパーツが極端に少ない魔物に、弱みなど無いように思えた。

 今の太悟が出せる力では、先程のような外側からの攻撃は無意味だろう。

 外側からは。


(だったら、いっそのこと―――――)


 その時。

 太悟の方を向いたまま、ただ不気味に口を開閉させていたタワーオブグリードが、突然動き出した。

 頭を下げ、砂の中に突っ込み、滑らかに潜り込んでゆく。


 魔物の巨体が地上から完全に消えるのを待たずに、太悟は背中を向けて走り出した。

 敵はまたもや、地中からの攻撃に切り替えるつもりのようだ。

 目に頼って生きている以上、視界の外からの攻撃は驚異だ。

 相手の動きを見てから避けられない以上、前兆を察知する必要がある。

 タワーオブグリードは巨大であり、それ故に周囲に及ぼす影響力も大きい。


(奴がまた地上に出てくる時は、地面が揺れるし砂も大きく動く。気を付けていれば、食われずに済むはずだ)


 砂漠を駆ける足に、太悟は意識を集中する。生き延びるためには、うまくタイミングを計る必要があった。

 全身が重い。太陽から与えられる熱と、戦闘で上がった体温が、脳をじっくりと焼いている。

 かつて心から嫌っていた、夏場における体育の授業など、今の状況と比べれば天国のようなものだ。

 いっそ立ち止まって寝転んでしまえば、すべての悩みは消滅するだろうな、と太悟は他人事のように考えていた。


 やがて、その時がやってくる。

 砂の大地が震動し始める。地の底から突き上げてくる強大な力を感じる。

 それらが頂点にまで達するのを、太悟は走りながら、辛抱強く待った。


 そうして、魔物の気配をより濃く感じた、その瞬間。太悟は前方に大きく跳んだ。

 一瞬遅れて砂が激しく舞い上がり、巨大な影が後ろから追いかけてくる。

 これで一旦、攻撃はかわした。これからどう反撃するべきか――――


 そうした太悟の思考は、当たり前のように目の前に出現した、タワーオブグリードの頭部の前に打ち切られた。

 砂を弾いて飛び出した大喰らいな口が、自ら飛び込んできた獲物を、喜んで迎え入れる。

 悲鳴を上げるどころか、何故と思う間もなく、太悟はタワーオブグリードに飲み込まれ、その体内の奥へと消えた。




 すばしっこくて、手間のかかる獲物だった。

 太悟を胃の腑に納めたタワーオブグリードは、そんなことを考えていた。

 外見に反して、その魔物にはそれなりの知能があった。

 例えば、頭から飛び出ると見せかけて尻を地上に出し、逃げる獲物の動きを誘導するくらいのことはできる。

 普段は最初の奇襲で終わりだし、それを生き延びた獲物でも、決して長生きはできない。

 タワーオブグリードは、主人である《砂塵公》ハルマタンに言われたことを思い出していた。

 ドライランドの地下深くに隠された要塞、アンダーピラミッドの最奥にある玉座から、魔王軍の幹部は愛するペットに念波を飛ばしたのだ。



 ――――この地に足を踏み入れた人間を、全て飲み込んでしまえ。



 今のところ、その魔物は任務を忠実にこなしていたし、退屈とも思っていなかった。

 これからもそんな生活が続くだろう。《常闇の魔王》オスクロルドが、人間を根絶やしにするまでは。


 タワーオブグリードは巨体をくねらせた。

 今日は、五匹の獲物を喰らった。再び砂漠の底で眠りにつくことにしよう。

 新しい命知らずが、このドライランドに足を踏み入れるまで。


 頭を下に向けようとした、タワーオブグリードの動きがぴたりと止まる。

 そして、激しく震え始めた。

 その魔物は、今まで感じたことのない、未知なる感覚に苛まれていた。

 飢餓のように、緩やかに胃を締め付けるむず痒さではない。

 穏やかな眠りを誘う、暖かい満腹感でもない。

 それは、タワーオブグリードが他の生物に与えてきたもの。

 即ち、苦痛と恐怖だった。


 タワーオブグリードの震えが、ぴたりと止まる。

 同時に、管状の巨体から無数の刃が飛び出した。

 それは円盤状をしていて、縁に鮫の歯のようなブレードがついていた。

 しなやかで強靭な外皮は、剣であれ魔法であれほとんど無効化してしまう。


 外からの攻撃ならば。

 だが、内側からの攻撃なら?


 その答えとして、穴だらけになったタワーオブグリードが、ぺしゃりと砂漠に横たわった。

 破れた風船のように弱弱しいその姿は、もはやドライランド最悪の魔物とは呼べまい。

 傷口から吹き出し始めた瘴気は、即ち消えてゆく命だ。

 誕生し、ドライランドに放たれてから何万にも及ぶ人間を喰らってきたタワーオブグリードは、今日ついに敗北したのだ。


 もう二度と何も飲み込むことのない口から、ごろんと歪な形をした球体が飛び出た。

 鉄板を何枚も重ねれば、そんな形になるだろうか。

 球体は砂の上を僅かに転がると、次の瞬間に無数の破片となって散った。

 その中から出てきたのは、太悟だった。

 荒く息を吐き、立ち上がろうとして、しかし四つん這いになって蹲った。


「……まさか……マジで……はあ、一寸法師作戦やるハメになるなんて……っ!」


 タワーオブグリードに飲み込まれた瞬間、太悟はコロナスパルトイの力によって、幾重にも骨の装甲を重ねた。

 その上で流れに逆らわず、自ら転がることで、牙に砕かれることなく魔物の体内の奥に侵入した。

 そして、殺戮暴風圏を発動したのだ。ありったけの活力を消費して、タワーオブグリードが死ぬまで。


 太悟は、胃の中身をすべて砂の上にぶちまけてから、力なく笑った。

 酷く消耗していたが、それ以上に達成感があった。死中に活を得た、その安堵も。


「ざまあみろってんだ……僕はやったぞ、ちくしょうめ……」


 もしも魔法の威力が足りなければ、そのままじわじわと溶かされて終わっていただろう。

 運が太悟に味方した結果の勝利には違いない。

 それでも、彼はたしかに成し遂げたのだ。これまで多くの勇士達が挑み、そして敗れ去っていったタワーオブグリードの討伐を。

 他の誰が、自分でさえ認めていなくとも、太悟は確かに勇者だった。




 タワーオブグリードが消えたとしても、ドライランドは未だ《砂塵公ハルマタン》のテリトリーだ。

 危険であることに変わりはなく、太悟は早々に神殿へと帰還した。

 戦闘ですべての力を使い果たしたために、廊下を歩くことさえ大儀だった。

 カトリーナを杖代わりにし、震える足は牛歩の如く。瞼は重く、休眠の必要性を訴えていた。


(疲れた……眠い……布団の上で横になりたい……)


 太悟に与えられた寝床は、埃っぽい物置だけだ。

 ベッドのある部屋に入ろうものなら、怒り狂ったマリカに叩き出されるだろう。

 タワーオブグリードを倒したからといって、何か待遇が変わるとは思えない。

 汚れた体を洗って、さっさと黴臭い毛布に包まるべきなのだが、それまでの道のりがあまりにも遠い。

 呼べば来てくれて、肩を貸してくれる仲間も、ここにはいなかった。


「うぐっ……」


 足がもつれて、太悟は床に転がった。手から離れたカトリーナが騒々しい音を立てる。

 それを待っていたかのように、間髪入れず睡魔が襲ってくる。

 立ち上がろうにもまるで力が入らない。自分の体ではないかのようだ。


(また……マリカに……ぶん殴られるかな……)


 薄れゆく意識の中。

 太悟は、何者かが近付いてくる気配を感じていた……


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