勇者代理がんばる 中2
「地獄だ……ここは、地獄だ」
《鋼動騎》マキシマスは、生半可な覚悟でドライランドに立ち入ったことを後悔していた。
イクサ帝国が開発した、魔法と機械科学を融合させた素晴らしいパワードアーマーは、胸部に大きな傷がついていた。
砂岩兵の斬撃を受けたのだ。どうにか掠めただけで済んだが、直撃していたら鎧ごと肉体を破壊されていただろう。
その砂岩兵は、今は他の仲間が引き受けている。
マキシマスが相手をしているのは、小型の竜の姿をした魔物・バジリスクだった。
黄色と黒のストライプを描く、鱗に覆われた体表。発達した後足で二足歩行し、牛ほどもある巨体を素早く運んでいる。
ぎょろりとした大きな黒い目は、バジリスクの特徴の一つであり、そして最大の武器なのだ。
マキシマスは両腕を前に突き出し、両手を広げた。掌の中央にはめ込まれたレンズが、剣呑な輝きを放つ。
「吹っ飛べ、トカゲ野郎!!」
マジックブラスト―――パワードスーツに搭載された、魔力を束ねて光弾として放つ機能。
マキシマスの掌から発射されたそれは、砂地を大きく穿った。そして、砂埃が舞い上がるだけの結果に終わった。
けけけけけ、と甲高い哄笑。バジリスクは、自慢の後足によって砲撃を容易く避けていた。
砂漠に住まう魔物である。人間が動きにくい足場を、軽やかに移動する。
勇者の力によって魔物を倒すことができるようになっても、攻撃が当たらなければ無意味だ。
マキシマスは雄叫びを上げて、マジックブラストを連射した。
次々に撃ち込まれる光弾を巧みにかわしつつ、バジリスクが反撃を始める。
黒い目からどろりと流れ出る、同じく黒い液体。
コールタールを思わせるそれは、重量に従って地面に落ちることなく、矢となってマキシマスに襲いかかった。
死の涙滴。
液体に見えるが、正体は具現化した呪いだ。耐性の無い者なら即死する、バジリスクが放つ必殺の呪毒。
「ぐっ……」
マキシマスは、対魔法防御シールドを展開。
鎧外部に張り巡らされた呪文が、死の涙滴を相殺する。
それでも受けきれず、呪いは僅かにマキシマスに届いた。心臓を鷲掴みにされたような苦痛に、鋼の戦士が膝を折る。
「大丈夫か、マキシマス殿!」
そう叫んだのは、暗灰色の装束に身を包んだ男、《影走り》カザナリ。
ヨアケ国の諜報機関・千影衆から出向している彼は、持ち前のスピードで砂岩兵の攻撃をかわしている。
本来なら同じく足が自慢のバジリスクの相手を任せたいところだが、カザナリは呪いに対する防御力に乏しかった。
それを理由に、マキシマスは剛力と引き換えに知能の低い砂岩兵の攪乱を頼んでいる。今のところ上手くいっているが、永遠には続かない。
ドライランドは、灼熱の砂漠だ。
砂は足に絡み、高い気温が体力を消耗させる。戦闘を長引かせるのは自殺行為だ。
マキシマスもそれを理解していた。そして、だから兜の中で歯を噛み締める。
この地の魔物は、彼らの想像を超えて手ごわかった。
「このこのっ! 私のメスを喰らいやがれ、です!」
《白衣の天使》キュアルが、鋭いメスを投擲する。
本来なら白く清潔な看護師服は砂塵で汚れ、愛らしい少女の顔にも隠しきれない疲労が浮かんでいた。
投げつけられたメスの先には、一体のサンドデーモン。
耳障りな哄笑を上げる砂嵐の悪魔は、何もせずとも軽いメスなど寄せ付けない。
メスは風によって軽々と空に舞い上げられて、どこかへ飛んでいってしまった。
お返しとばかりに発射される砂の刃。そこへ立ち塞がる、紫の導師服に身を包んだ禿頭の男。
「仲間たちは傷つけさせぬ! 盾鬼招来!」
《霊符士》タオロンが、複雑な紋様の描かれたカードを手から放つ。
それは一瞬光ったと思うと、巨大な盾を持った鬼に姿を変えた。
龍王連邦における魔法技術の一つ、式鬼。攻防支援に優れた強力な術だ。
盾鬼はタオロン、その後ろのキュアルを守る。
一発目の砂の刃を、盾が受け止めた。ニ発目で盾に罅が入り、三発目で盾ごと鬼が両断される。
盾鬼の実像は霧散して、同じように傷ついたカードがひらりと砂の上に落ちる。
すかさず、タオロンが二枚目のカードを放った。
「来たれ剣鎧童鬼! 魔を斬り払うのだ!」
顕現する少年の姿をした鬼。両手に剣、纏う衣もまた無数の剣。
砂嵐の悪魔を退治すべく、果敢に斬りかかってゆく。
しかしサンドデーモンの実体は、容易く捉えられるものではない。
打ち振るわれた剣が風を斬り、砂粒を弾く。けれど、その奥には届かない。
耳障りな悪魔の哄笑が響く。そんなものは通用しないと、嘲笑っている。
そして事実、剣鎧童鬼はサンドデーモンを断つことができず、術の効力が切れてカードに戻った。
「忌々しい化生め……ッ」
タオロンが呻く。
攻守バランスの取れた術士と言えば聞こえはいいが、悪く言えば器用貧乏だ。
サンドデーモンを一撃で粉砕する火力を、タオロンは持ち合わせていない。
同じ理由で頑丈な砂岩兵相手には分が悪く、またバジリスクのスピードに対応することもできなかった。
それまでの戦場で何の問題もなく活躍していたタオロンは、このドライランドで初めての挫折を経験することになった。
「ぐあっ」
悲鳴。骨が砕ける音が重なる。
両足を砕かれたカザナリが、砂の上に転がった。
忍者を捕らえようとした砂岩兵の、振り回された指先が掠めた、ただそれだけだった。
まだ無事な両手で砂を掴むが、逃げるという行動さえ成立していなかった。
羽を捥がれてもがく虫。後は潰されるだけだ。
大上段に掲げられる石剣。それが作る影に覆われながら、カザナリが叫ぶ。
「……来るな!!」
魔物に向けて発せられたものではない。
仲間たちに、助けにくるな、もう間に合わないと、そう叫んだのだ。
死ぬのは、自分だけでいいと。
キュアルは動けなかった。目まぐるしく変化する状況に、肉体が追いついていなかった。
タオロンは動けなかった。術の構築には、時間が必要だった。
だから、実際に行動できたのはマキシマスだけだった。
背部、大腿部に装備された魔力排出式推進器により、鎧の戦士は砂を巻き上げながら高速移動。
砂岩兵に叩き潰されるその寸前に、カザナリを助け出した。
「撤退するぞ! タオロン、頼む!」
「応!」
マキシマスが号令をかけ、タオロンが術を行使する。
男の指から放たれる一枚のカード。
それが二枚に増え四枚に増え、八枚十六枚と瞬く間に数を増やしてゆく。
無数のカードはやがて生き物のように宙を走り、タオロンと傍にいたキュアルを包み込む。
そこへさらにマキシマスと、彼に抱えられたカザナリが飛び込んだ。
魔物達は追撃しようとするが、四人の姿は、何百枚と増えたカードによって隠されていた。
サンドデーモンが風を起こし、砂岩兵が腕を振り回し、バジリスクが用心深く辺りを見回す。
やがて術が終わり、一枚のカードが砂地に刺さった後、四人の勇士の姿は影も形も消え去っていた。
逃げ出した先もまた砂漠だったが、少なくとも魔物の姿はない。
マキシマスは仰向けになって、その場に転がった。酷使した推進器は故障し、じりじりと熱を発している。
皮膚の下に鉛を埋め込まれたかのように体が重い。パワードアーマーの倍力効果など何の役にも立たない。
マキシマスを縛り付けているのは、肉体的な疲労だけではなかった。
仲間たちも疲弊を極めていた。
タオロンは、連続で術を行使したためか顔色が悪い。
キュアルは回復の奇跡でカザナリの足の治療に当たっているが、あまり捗ってはいないようだ。
(……今までがうまく行き過ぎていたか)
マキシマスは溜息をついた。
仲間たちの前で気弱な態度を取りたくはなかったが、もはや取り繕う余裕もない。
マキシマスを筆頭とする、サンルーチェ神殿第二十一支部の勇士団は、それなりに上手く魔物達と戦えていた。
幹部には未だ届いてはいないが、数多くの戦場を経験し、着実に力をつけてきたのだ。
異世界から来た勇者とも、価値観の違いにすれ違うこともあったが、今では強い絆を結べている。
いずれは幹部の魔物たちや、さらにその先……魔王討伐を夢に見ていた。
そこで、さらなる飛躍のために挑んだ、ドライランドでの戦闘。
結果はこの通りだ。どうにか全滅は避けられたが、紙一重もいいところ。
もう少し運が悪ければ今頃、自分たちの屍が砂の中に埋まっていたことだろう。
ドライランドへの出撃を勇者に具申したのは、他ならぬマキシマスだった。
今の勇士団ならば、恐れることなどないと。
疲れ果て、傷ついた仲間達。胸には湧くのは罪悪感だけだ。
ヘルメットを外し、マキシマスは素顔を晒した。悔恨に満ちた顔に、三人が目を向ける。
乾いた唇が、少し迷ってから、言葉を紡ぐ。
「みんな、すまな――――」
「それ以上は言うな、マキシマス殿」
遮ったのは、カザナリだ。
キュアルによる治療を受けて、僅かながらに癒えた足で立ち上がって見せる。
「我々は勇士なのだ。魔物と戦い、傷つくのは承知の上。貴殿が背負わなければならないものではない」
「そうなのです! 私だって、戦場で皆さんがケガしたら治してあげるために、勇士団に入ったのです! 女神さまの導きはあったけれど、ちゃんと自分の意思で!」
キュアルが声を上げると、続けてタオロンが口を開く。
「初めてやってきた戦場で、勝手がわからず苦戦する……よくあることだろう、マキシマス。だが、我々は幾度もそれを乗り越えてきたはずだ。今の苦労は必ず報われる。なのに何を謝る必要があるのだ?」
頭をがつんと殴りつけられたような気分、というのはこういうことを言うのだろうか。
マキシマスは、穴があったら今すぐ潜り込んでしまいたかった。
敗走してなお前向きな仲間たちを前に、一人悲劇の男ぶろうとしていた自分が恥ずかしかった。
すまない、とまたもや謝罪しようとして、マキシマスは口をもごつかせた。
素晴らしい仲間たちに送る、もっとふさわしい言葉があるはずだ。
気恥ずかしさと、確かな心を込めて、マキシマスはようやく口を開いた。
「みんな……ありがとう」
ここからが、新たな始まりだ。
今日は負けてしまった。明日も勝てないかもしれない。
だが、何度でも立ち上がって見せる。この仲間たちがいる限り――――
そう決意を新たにしたマキシマスの足元を、不意の揺れが襲う。
砂漠の熱で感覚が狂ったのかと思いきや、他の三人も頭を振って戸惑っていた。
まるで、世界そのものが震動しているかのようだ。
その時、マキシマスの脳裏を過る情報があった。このドライランドで、もっとも恐れるべき魔物の存在。
「まずい、逃げ」
それが、マキシマスの最後の言葉となった。
次の瞬間、砂漠に巨大な穴が空く。穴の淵には、湾曲した突撃槍のような、巨大な牙。
サンルーチェ神殿第二十一支部の勇士団は、何が起きたのかも理解しきれないまま、奈落の底へと落ちていった。
太悟は、ただただ戦慄していた。
天を衝くその威容。地球の高層ビルにも匹敵する紅い巨体は、肉で建造とした塔としか言いようがない。
環状の口を取り巻く牙は、常に獲物を求めて滑り光っている。
遠く離れてなお耳をつんざく咆哮は、聞く者の心臓を脅かす。
タワーオブグリード。
砂塵公ハルマタンのペットにして、ドライランド最悪の魔物だ。
普段は砂漠の下に潜んでいるが、一度餌食にできそうな生物の存在を感知したなら、こうして地上に出てくる。
聞いた話によれば、ドライランドから人間がいなくなったのは、この魔物があらゆる街やオアシスを飲み込んでしまったからだという。
それが冗談話などではないことは、数々の勇士団が討伐に失敗している事実が証明している。
太悟が知る限りでは無傷で帰った勇士はいないし、それに倍する人数の勇士が戦死したはずだ。
太悟の視線の先で、タワーオブグリードは口を空に向けたまま、長い体をわずかにくねらせていた。
それが何を意味するのか、それとも何も意味がないのか、太悟が知る由もない。
ただ一つ確実なのは、フルメンバーの勇士団で挑んでも危険な怪物と一人で戦えば、命はないということだ
遠近感のない砂の地平ではあるが、太悟の目測では、タワーオブグリードとの間には一キロ近い距離が横たわっている。
常識的に考えれば、クジラよりも巨大な魔物が、蟻の如くちっぽけな人間に気付く状況ではない。
それでも、太悟は動けなかった。
鎧の装甲が擦れる音、砂を踏む足音を立てることすら、彼は恐れていた。
知らず知らずの内に息を殺して、太悟はじっと、砂漠の悪夢が消えるのを待っていた。
だが、それらの努力には、何の意味もなかった。
タワーオブグリードの頭部が、急に太悟の方に向けられたのだ。
目も鼻も耳もない。ただ牙が剥き出しになった口だけがある、喰うという機能に極限なまでに特化した頭部が。
見つかった。
見つけられてしまった。
そう確信した太悟の背筋を、悪寒が駆けおりてゆく。
と同時にマジックタブレットを取り出し、神殿の天使像に連絡した。帰還するためだ。
臆病風に吹かれたと嗤わば嗤え。命懸けと命を捨てるのは、まったく違う話なのだ。
だが。
「……なんで繋がらない!?」
不明瞭な雑音を返すマジックタブレットを、太悟は思わず怒鳴りつけた。
原因に、心当たりはある。魔王軍幹部の居場所に直接転送できないのと同じ理由だ。
強力な魔物が付近にいる時は、瘴気に阻害されて転送機能が使用できないことがあるのだ。
この場合は、タワーオブグリードが影響していると考えられる。
しかし、近いとも言えないこの距離でその現象が起きるとは、どれだけ強力なのか。
太悟の混乱を他所に、タワーオブグリードは頭を下に向け、砂の中に潜っていく。
高層ビルに匹敵する巨体が、砂煙を上げて太悟の視界から消えてゆく。
見逃されたと安堵するほど、太悟は間抜けではない。くるりと背を向けて、全力で駆け出した。
どこへ逃げればいいのか、どこまで逃げればいいのか。
カトリーナを肩に担ぎ、足をとにかく動かして、太悟は走る。
疲れているし、恐怖で今にもゲロを吐きそうだが、座して死ぬなどごめんだ。
足の裏に感じる震動。ただの地震ではないことは明白だ。
生存本能の命令に従って、太悟は砂地を蹴って跳躍した。
「うわああああっ」
僅かに遅れて、砂漠に空く巨大な穴。
砂が流れ込む穴の中はぬめぬめとした紫色をしていて、鉄杭のような突起が無数に生えている。
その正体は考えるまでもない。
穴の淵を囲む牙の壁を飛び越えて、太悟はほとんど転がるようにして着地した。
外套から鎧から砂に塗れつつ、むしろ自分から転がって穴から距離を取る。
そして立ち上がり、カトリーナを構えながら振り返ると、太悟は影に包まれた。
穴―――タワーオブグリードが再び地上に出て、その巨体で太陽を遮ったのだ。
指呼の距離で見るサンドランド最大最悪の魔物は、あまりにも現実離れしていた。
太悟が、首を限界まで上に向けなければ見えない口から、ぽたぽたと涎が垂れている。
この魔物は人語を話すタイプではないようだが、今何を考えているのかを察するのは簡単だ。
――――どうやら、新鮮な肉を味わえそうだぞ!!
太悟は、頭部を覆っているコロナスパルトイの下で、今にも泣きそうな顔をしていた。
当たり前だ。
これから死ぬ予定なのに、泣きもしない人間がどこにいる?




