ダンジョンアタック2
バーダル神の像から、歩くこと十分。
草を掻き分け、枝を薙ぎ払い、太悟とファルケはようやく目的地に到着した。
目前に広がる光景に、どちらからともなく「おお」と感嘆の声を上げた。
古代文明と、その言葉を聞いて最初に思い浮かべるものは何か。
難解な象形文字と言う者がいるだろう。何かしらの物語を描いた壁画も。
持ちきれないほどの金銀財宝、あるいは現代では再現できないロボット兵器、などという誰かだっているはずだ。
そして、狩谷太悟にとっては、朽ちかけた広大な遺跡である。
苔に侵食され、ひび割れてはいるものの、規則的に配置された石畳の道路。
横幅は、象が三頭並んで歩けるほど。古代の技術力がどれほどのものか太悟にはわからないが、簡単な工事ではあるまい。
道路に沿うようにして、両端に並ぶ巨大な石柱。当然、半数以上が圧し折れているが、どれにも緻密な彫刻が施されている。
一直線に伸びる長い道路は、やがて、奥にそびえ立つ岩山にぶつかる。
そこにもまた、文明の跡が刻まれていた。
岩を削って造形された巨大なる神の姿。そして、その足元の壁面に、矩形の穴―――おそらく、遺跡深部への入り口があった。
歴史に埋もれた、壮大なる物語。その一端が、ここにはあった。
「すごいなあ。こういう遺跡は地球にもいっぱいあるけど、ちゃんと自分の目で見たのは初めてだ」
「たぶん神殿とかだよね。う~ん、はやく中に入ってみたい!」
そう言って、太悟とファルケは頷きあった。深い森の切れ目、遺跡が一望できる茂みの中から。
さっさと突入しないのは、本来無人であるべき遺跡に、無礼にも魔物どもが蔓延っているからだった。
ところどころ錆の浮いた鎧と、手には刃の欠けた長剣と痛んだ円盾。
真っ白な人間の骨格標本たちが、それらで武装して辺りをうろついている。
どいつもこいつも一言も発することはないが、動くたびに骨が擦れてカタカタと音を立てていた。
《呪怨公》ナラクミロクの配下・インソムニアガード。
侵入者―――とどのつまりあらゆる人間―――を発見次第斬り殺す、不寝の衛兵。
それが、太悟が視認できる範囲で十体。黙々と遺跡の、つまりダンジョンの警備をしていた。
敵地である。実際に戦闘になれば、後から後から増えるに違いない。
「あーゆー魔物って、本当に人の死体が動いてるのかな……?」
ファルケの疑問への答えを、太悟は知っていた。
ナラクミロク率いる死霊騎士団とは、それなりに戦いの経験がある。少なくとも、動く死体のような連中をもう何百体も始末しているのだ。
「物とか死体に憑依してる奴がいないわけじゃないけど、大抵そういうデザインの魔物ってだけみたいだね」
でなければ、ゾンビ映画のように倒しても倒しても湧いてくるというようなことはないだろう。
異世界だからといって、畑から人の死体が採れるわけではないのだ。
「さて、こんなとこで隠れててもしかたない。さっさと連中を片付けて、ダンジョンアタックだ」
太悟はカトリーナを肩に担いだ。
今日はまだ何も斬っていないため、旋刃が敵の肉を恋しがっている。
「どうするの? 太悟くん」
「突っ込んでって、ぶっ飛ばす。ファルケは援護お願い」
「了解!」
太悟は、腰のポーチから聖水が入った瓶を取り出した。蓋を開け、中身をカトリーナに振りかける。
濡れた旋刃が、ぞっとするような輝きを帯びた。
さらに、コロナスパルトイが生み出す骨の装甲を全身に纏えば、戦いの準備は完了だ。
ざ、と僅かに音を立てて、太悟は茂みから飛び出した。
古代の石畳みと石柱が並ぶ遺跡の表層に、《孤独の勇者》が降臨する。
もっとも近くにいたインソムニアガードは、とても運が悪いことに、侵入者に対し背中を向けていた。当然、太悟は魔物にチャンスなど与えなかった。
唸る旋刃が、ほとんど何の抵抗もなく、インソムニアガードの頭頂から股下まで駆け抜ける。
自分の身に何が起こったのかすら、認識できなかっただろう。綺麗に真っ二つになった骨の衛兵から、仮初の命すら消える。
「おやすみ。永遠にな」
崩れ落ちたインソムニアガードが瘴気に戻ってゆく中、極めて敵対的な侵入者に気付いた二体が駆け寄ってくる。
だが、足並みは揃ってはいない。
相方より前に出た一体が、手にした剣を真っ直ぐに突き出してきた。
リーチは、カトリーナの方が長かった。
太悟は何も恐れることなく、片手振りでインソムニアガードの上半身と下半身を離れ離れにさせた。
遅れたもう一体の斬撃を籠手で受け、お返しに胴へと蹴りを送る。錆びた鎧が大きくひび割れ、すっとんだインソムニアガードは後ろにあった石柱に激突し、粉々になった。
「寝不足か? 動きが鈍い」
言いながら、太悟はカトリーナを肩に担いだ。
コーラルコーストのスケイルマンと比べても、いささか歯ごたえに欠ける敵どもだ。
まだダンジョンに入ってすらいない前哨戦である。油断はできなかった。
しかし、だからといって……残りのインソムニアガードが七体襲いかかってきたところで、太悟は何も揺るがない。
不眠の衛兵たちは隊列を組んでいた。
前に三、後ろに四。どう来るかは予想がつく。
殺到する三本の剣に、太悟は左腕を前に出した。
もちろん、腕をくれてやるわけではない。骨の装甲が拡張・整形し、大きな盾となった。
竜骨は亡者の凶刃など通さない。金属音が鳴り、火花が散る。
防がれてなお、力いっぱいに剣を押し込んでくる三体のインソムニアガード。
その頭上を飛び越えて、後ろにいた四体が剣を振り下ろしてくる。
動きを止めてからの奇襲。古典的だが有効で、悪くない手だ。
だが、空を飛べない者が、無暗に地面から足を離すべきではない。
緑の光条が、空中にいるインソムニアガードたちを、容赦なく射抜いた。
「いいね」
そう言って、太悟は腰を深く沈め、足に力を込めた。
上を気にしなくて良くなったのなら、目の前の問題に対処できる。
「お前らが、何体束になってかかってきたって――――」
三対一。
多少の数の有利など、このファンタジー世界では通用しない。
コロナスパルトイの鎧による倍力効果と、今に至るまで鍛えてきた自分自身の身体能力によって、太悟は均衡を崩した。
全身を使ってインソムニアガードたちを押し返すと同時に、左腕を振り抜く。六本の足は呆気なく崩れて、三体は背中から石畳の上に転がった。
「僕らにかかれば、骨折り損だ」
旋斧カトリーナの一閃が、魔物達を薙ぎ払った。
十体の魔物を滅ぼすのに三分もかからなかったが、戦いが終わったわけではない。
太悟がひらり飛び退けば、立っていた場所から突き立つ巨大な氷柱。
空を見上げると、新たに三体の魔物が出現していた。
その姿は、裾の擦り切れたフード付きの白いローブ。一見、干していた洗濯物が風に飛ばされたかのようだが、裾からは枯れ枝のような細い腕が伸びている。
風ではなく、自らの意思によって宙を舞うその魔物は、コールドシュラウドと言った。
以前戦ったファントムクロークと同じ系列だが、こちらは火ではなく氷を操るのだ。
「おかわりが来たか」
呟く太悟を仕留めようと、三体のコールドシュラウドが細い腕を掲げる。
彼らの掌に集う、白い輝き。闇を照らす光ではなく、死へと導く邪悪な灯火だ。
白光が射出される。彗星のように尾を引きながら飛ぶそれがどう作用するか、太悟は知っていた。
カトリーナや籠手で受けることはせず、バックステップで回避する。
石畳に着弾した白い光弾は、一瞬にして氷柱を生み出した。
冥氷弾。犠牲者を氷の棺に閉じ込める、コールドシュラウドの術。
凍死、窒息死の危険はもちろんのこと、掠っただけでも凍てついた体では身動きすら困難となる。
カトリーナで風の障壁を発生させて軌道を僅かにずらすという手もあるが………
「あたしに任せて!」
そう言って、茂みの中から飛び出してきたファルケが、太悟の前に立つ。
《精霊射手》の異名通り、彼女が使う術はすべて弓から放つ矢の形態をとる。
どれも攻撃や補助に特化しており、防御に向いているとは言えない。だが、今のファルケには新たな手札があるのだ。
コールドシュラウドたちが、新たに冥氷弾を投射する。
対して、ファルケは手にした海弓フォルフェクスを掲げた。
「プリズムシャッター!!」
ファルケを中心にし、太悟を巻き込んで展開されるのは、半透明をした球形。
表面に、うっすらと虹色の輝きを帯びるそれは、人間を二人入れても余りある、巨大な泡だった。
泡とは美しく儚いもの。
魔物の攻撃魔法どころか、子供が投げた小石にすら耐えられるようには見えない。
だが、太悟は慌てなかった。ファルケは自信満々な面持ちだ。
果たして、死を司る光弾は、泡を直撃した。
しかし弾けはせず、つるり滑って明後日の方向に飛んでゆく。
何発撃ちこまれようが、泡は弾けない。
プリズムシャッターは、ファーストプレインにおける訓練で発見した、海弓フォルフェクスが持つ魔法である。
魔法や物理攻撃を受け流す巨大な泡で、術者の周囲を覆うことができる。
太悟とは違い変形する鎧を持たないファルケにとって、これは大きな力だった。彼女は通常、素早く動いて攻撃を避けるが、それだけでは十分でない場合もある。
「えへへー。これ、はやく実戦で使ってみたかったんだよね!」
新しい玩具を得た子供のような笑みを浮かべながらも、ファルケの手は仕事をしていた。
弓が青の矢を放ち、泡の障壁はそれを素通りさせる。矢は空中で拡散し、鋭い雨となってコールドシュラウドたちを引き裂いた。
「いいね、泡バリア。ファンタジーしてる」
プリズムシャッターを内側から指で突きながら、太悟は笑った。
敵を切り刻むための巨大な丸鋸や、金属製の外骨格の性能には満足しているが、些かファンタジーさに欠ける気がする。
自分では使えないにしろ、魔法の矢や泡のバリアを操る仲間がいるのは素晴らしいことだ。
「ありがと! 太悟くんのもカッコいいよ!」
ファルケが屈託のない笑顔を向けてくる。兜の中で、太悟は微かに笑声のようなものを漏らした。
率直な褒め言葉は嬉しいと同時に、ちょっと恥ずかしくなる。
照れ隠しに周囲を見渡す。太悟の視界内に、インソムニアガードやコールドシュラウドの姿は無かった。
「みんなやっつけたのかな?」
「うーん……ひとまずは、だね」
そう言いながらも、太悟は武器を手にしたままだった。ファルケも油断はしない。
魔物とは、どこからともなく現れるものなのだ。
警戒は緩めず、石畳の道路を進んでゆく。空は青く、ちょっとした遺跡観光をしている気分になれる。
「もっとゆっくり、見て回れたら良いんだけどなあ」
カトリーナを肩に担ぎ、太悟はそうぼやいた。
任務で来ているのだから、当然優先されるのは魔物の殲滅だ。
それが終われば、疲労で物見遊山の気分ではなくなっている。
魔物と戦うためにこの世界に来たのだから文句は言うまいが、残念ではあった。
「じゃあ、世界が平和になったら、また見に来ようよ!」
太悟の顔を覗き込むようにして、ファルケが言った。
「……その時まで一緒にいてくれる感じ?」
「? ずっと一緒にいるけど?」
「……ありがと……」
そんな話をしている内に、二人は巨神の像の足元まで近付いていた。
遺跡―――ダンジョンへの入り口がそこにある。ここからが本番だ。
太悟とファルケが頷き合い、足を前に進めようとした、その時。
二振りの剣が、空から降ってきた。
それらは、ずんと音を立てて石畳に突き立ち、太悟達の進行を阻んだ。
巨大な剣である。刃渡りは優に二メートルを越え、常人であれば担ぐことさえ不可能だ。
となれば、その使い手もまた、同様に巨大であると考えるのが自然だろう。
火の気などありえぬ無人の遺跡。
剣の壁の向こうで、何の前触れもなく紫の炎が渦を巻く。
その中から突き出た金属製の双手が、二振りの大剣の柄を握る。
「バロォン・グラァアアアアアアアッジ!!」
地獄の底から響くような名乗りと共に、その魔物は出現した。




