いつものお出迎え
夕方。
大悟がファルケとともに転送部屋を出ると、いつものように勇士が待ち構えていた。
当然、現在の第十三支部においては、友好的な出迎えなどありえない。
「ガル。やくたたずがかえってきた」
「おかえり~。死んでたらお墓に良いお酒かけてあげてたのにな~。ざんねーん」
廊下を塞ぐように立つ、《ジャングルの王女》タラリアと《酒乱槍》バイラン。
どちらもこの神殿の古参であり、勇者への高い好感度と勇者代理への底知れぬ憎悪を持ち合わせた連中である。
開口一発目が悪意に満ちていることに、太悟はもう慣れてしまった。心が痛まないわけではないが、表情に出すほどでもない。
まだ受け流す術を知らないファルケの横顔に緊張が走ったのを見て、太悟は一歩前に出た。
悪意の矢面に立つために。
「何か用? 酒は充分あるし、今日はファーストプレインに行ってきただけだから治療に使えそうな薬なんてもらってないよ」
そう言うと、バイランがわざとらしく吹き出した。
「ファーストプレイン~? あんなとこ行ったくらいで出撃した気になってるの? ダサくない~?」
タラリアが合わせる。
「ガルル、臭いぞ。ニセモノ勇者もウラギリモノも、弱虫のニオイがする」
くすくす、けらけら、と嘲笑が渦巻く。
楽しくて、楽しくて、仕方がないのだろう。誰かを見下し、嗤うその行為が。
タラリアもバイランも、ファーストプレインの現状を知らない。ウォーホースがどれだけ人を殺したかを知らない。
彼女達の発言は、ファーストプレインで戦死したすべての勇士たちへの侮辱だ。
「ちょっと! そんな言い方……」
「よせよ、ファルケ。放っときな」
食ってかかろうとするファルケを、太悟は手で制した。
タラリアとバイランは、それを弱気と捉えたようだ。臆病者、玉無しと罵り、太悟の心に更なる傷を刻もうと励んでいる。
なんともまあ、呑気なことだ。太悟はへっと笑って、言った。
「―――いちいち気にするなよ。戦場について、勇士でもない連中の言うことなんてさ」
瞬間、二人のにやけ面が凍り付いた。
自分たちの現状をどう考えているのかはともかくとして、太悟の言葉に揺り動かされる程度の心は残っていたらしい。
もちろん、自らを省みて改心するというような方向にではなく、挑発を受けて怒るという形で。
「……なぁに、それ? どういう意味ぃ?」
バイランの顔から、すっと笑みが消える。
「ワタシたちは、コーイチの勇士だ。へんなことをいうな」
タラリアが獣よろしく犬歯を剥き出しにする。
昔の太悟であれば、萎縮してすぐに自分の言葉を撤回していただろう。
だが、今は違う。代わりに、はっ、と笑いとも溜息とも取れぬ声を、太悟は漏らした。
彼女達が本気で無自覚だというのなら、この際、容赦なく突き付けてやることにしよう。
「あんたら、自分の体を見て思うとこ無いのか? 何時の間にか、ずいぶん肉付きが良くなったじゃないか」
それはもちろん、褒め言葉ではない。
間を置いて、かつて勇士だった二人の顔が歪んだ。
初めて出会った時の彼女達の体は、芸術品と呼べただろう。
衣服の上からでもわかる、実用的に鍛え上げられた筋肉のうねり。
戦場ではしなやかに駆動して、必殺の技を実現させていただろうことは、素人目にもわかった。
結局その芸術は太悟の手には入らず、そして現在、すっかり価値を落としてしまっていた。
日に焼けず白っぽくなった肌。
その下には、筋肉から置換された軟い脂肪。
衣服は、着れないことは無いにしても、体を自由に動かすにはきつそうだった。
戦士の体とは、まったくもって言い難い。指で押せば、弾かれることなく沈むだろう。
戦場にも出ず、鍛錬もしないのなら、それは理不尽な結果ではない。
坂道で車を押すが如く、一度怠惰に足を停めれば、転げ落ちるのはあっと言う間だ。
先ほど別れたベイロスは言うに及ばず、あの幼い兄弟も鍛錬を積んだ体をしていた。
そして、タラリアとバイランがこの体たらくな一方で、同じ神殿のファルケは立派に戦っているのだ。
かつてどれだけ強く、神殿に貢献したのかを太悟は知らないが、今の二人を勇士と呼ぶことは、口が裂けてもできない。
「ファーストプレインがどうのとか言ってたけどさ。そっちこそ、そんな体じゃゼリーボールやっつけるのが精いっぱいじゃないか?」
太悟がそう言えば、ぎり、と歯噛みの音が返ってきた。
曇った目と思考でも、今の自分たちが昔のように動けるかどうかくらいは判断できたのだろう。女性であれば、崩れたボディースタイルと直面するのは相当な苦痛なはずだ。
といって、見下している太悟を前に明言などしない。
取った行動は、実力行使で黙らせるというものだった。
「ちょーっと痛い目見ないとわかんないみたいだねぇ……」
「ガルルル、チョーシにのるな!」
バイランが槍を構え、タラリアが山猫の精霊をその身に纏う。
二人が戦闘準備を整えた、その頃にはもう太悟の総身は骨の鎧に覆われていて、抜き放たれたカトリーナの柄尻がかぁんと床を打った。
「―――――戦いたいなら、戦場に行けッ!」
威を込めて放った太悟の声は、タラリアとバイランの筋肉を硬直させながら、廊下を駆け巡った。
たかが細首二つ。落とそうと思えば、太悟はカトリーナを一度振るえばいい。揃って何が起きたのか理解すらできずにあの世行きである。
そしてただ黙らせるだけなら、一声発すればそれで済む。
「……なあ、あんたらは魔物と戦うために神殿に来たんだろ。日向のことだけじゃなくて、守りたいものとか、戦う理由があるから勇士になったんじゃないのか。ここで僕とやりあって何になるんだ?」
太悟はそう言って、真正面から二人を見つめた。
マリカを筆頭として、太悟が古参の勇士たちを好きになることは、きっと永遠に無い。
両者の間に刻まれた溝は、どこまでも深かった。
それでも、古参達が勇士としての魂を取り戻し、戦場に向かうというのならば、今の太悟は受け入れるつもりでいた。
数日前なら突っ撥ねていただろうが、ファルケが命懸けで誠意を見せてくれたのだ。それに報いるためなら、少し心の器を広げるくらいなんでもない。
「……行こっ、タラリアちゃん」
「ガル……」
太悟の言葉が胸を打ったのかどうかは不明だったが、二人の勇士が選んだのは、逃走だった。
くるりと背を向け、しかし走り去るのはあまりに惨めだからか、早歩きで。
尻尾を巻いて逃げるという言葉を用いるのに、これ以上のものはないという光景だ。
「マリカにも伝えといてよ。帰ってくるなり因縁をつけられるのも、くだらないちょっかいの内に入るってな」
そう太悟が投げた声は、無言で返される。
酒瓶やゴミが飛んでこなかったのは、彼女達なりに自重をしたものか。
そもそもこの神殿における太悟の価値が低すぎるので、人並みの扱いにするだけでも簡単ではない。
もっとも、今の貢献度でこの状況なのだから、古参の連中が太悟を名前で呼ぶ日は、きっと来ないだろう。
「……明日も早いし。また絡まれる前に、さっさと寝ちゃおう」
「う、うん」
胃の腑の奥にいがらっぽいものを感じながら、太悟はファルケの手を引いた。




