草原での一幕 2
「馬の、蹄の音?」
ファルケが首を傾げる。彼女が通っていたころのファーストプレインには、該当する魔物は出現していなかったはずだ。
状況は常に変化する。大抵は悪い方向に。
「うん、そういう魔物が最近この辺で出るんだ。そいつがなかなかの厄介者でね。倒すと教会から特別報酬がもらえるの。出現率は高くないけど、出てきたら倒しておきたい」
「特別報酬かあ……わかった、警戒しとく」
その魔物が初めて出現した時、ファーストプレインに訪れていた新米勇士の半分以上が殺害されたという悲惨極まる事件のことは、ファルケには黙っておくことにした。
今回はあくまで武器の慣らしが目的なのだ。気が緩むのは良くないが、余計な緊張も与えたくはない。
太悟自身何度か交戦し、撃破したことのある魔物である。疲れるほどの心配は無用のはずだ。
「まあ、出たらの話だから適当にね。……おっ、いいのがいるじゃんか」
草原を歩くこと五分。地面からせり出した岩の陰に隠れつつ、太悟とファルケはその向こうにいる魔物の群れに視線を飛ばした。
まず目を引くのは、ぎらぎらと光る翡翠色の鱗だろう。それが細長い体の端から端までびっしり生えているのだ。
口に並ぶ鋸のような歯は、人間の肉を噛み破る以外の用途が見出せない。長く強靭な尾は、骨を砕く鞭だ。
三メートルはある巨体を支える後ろ足と、それよりも小さな前足にも、鋭い鉤爪が備わっている。
―――草原の悪魔は、足音を立てない。囲まれたなら神に祈れ。少しでも早く苦痛が終わるようにと。
今さら語るまでもなく、勇士でも勇者でもない人間にとって、魔物はとてつもない脅威である。
中でも、このウィードリザードは何人もの商人の頭を悩ませてきた。
地球の恐竜映画でいうラプトルに酷似したこの魔物は、時折街道に出現しては隊商を襲撃する。
人間を引き裂くのはもちろんのこと、ご丁寧に荷物まで駄目にしてくれるのだ。
個体として見れば別段強力な方ではないため、勇士を護衛に雇えば被害は防げる。
追い詰められたウィードリザードが鳴き声を上げて、仲間を呼び寄せなければ、だが。
「あいつらなら、試し撃ちの的にはちょうどいいな。ファルケ、まずは矢の威力がどれだけ上がるか見てみようよ」
「うん。えーっと……」
ファルケが折り畳まれた状態の海弓フォルフェクスを展開する。
巨大な鋏が大きく開き、ぴんと水の弦が張られた。
珊瑚の淡い輝きを纏う美しい武器。見た目には実用性のない美術品のようにも思える。
だが、それを手にしたファルケの顔は、緊張に強張っていた。
「どうしたの?」
「これ、持ってるだけですっごい力感じるんだもん。太悟くんのもそう?」
「ああ……僕も、はじめて魔物の武器手に入れた時は怖かったよ。これ持ってて大丈夫なの?って」
背中のカトリーナに目をやりながら、大悟は苦笑した。
少なくとも、伝説にいう妖刀や魔剣よろしく使い手を殺戮に駆り立てるというような噂は聞いていない。
よっぽど粗末に扱わなければ、忠実で優秀な武器に留まる筈だ。
とにもファルケは覚悟を決めたようで、その手に緑の矢を出現させ、岩陰から上半身を出した。
「じゃ、まずはシーカーショットからやってみるね」
「うん。見てる」
魔法の矢をつがえ、弦を引き、放つ。
その動作は太悟も見たことがあるし、ファルケ自身も何百何千と繰り返してきただろう。
だが今回は、少しばかり結果が違った。
ぼっ、とファルケを中心に衝撃波が発生。太悟はひっくり返りそうになった。
緑の閃光が走ったと思えば、ほぼ同時に最も近くにいたウィードリザードの頭部がぱっと消し飛ぶ。
その直線状にいた魔物たちも首が飛び胴体に穴が空き、計四体が問答無用で瘴気に戻された。
「………はえ?」
矢を放った姿勢のまま硬直し、呆けた声を漏らすファルケ。
彼女の正面から一直線に草が消え、草原に果てもおぼろげな一本道が生まれていた。
まるでビーム兵器だ。少なくとも、弓と矢が出していい威力ではない。
「わあ」
大悟の口から変な声が出た。
ウィードリザードと言えども、矢の一本で四体殺すとなれば難易度は高い。もっと密集していれば、四体どころではすまなかっただろうが。
「………わ、わああ! 何これ、何これ!? 怖い! 怖いよぉ!?」
「ファルケ、前見て前! 来てる来てる来てる!」
仲間を殺したのがファルケだと気づいたのか。それとも単に人間が近くにいることを察知したのか。
生き残った六匹のウィードリザード達が、一斉に牙を剥いて突撃してくる。
といって、大悟が普通に対応すれば十秒で微塵切りだが、
「あれだ、水のやつ! アサルトレイン!」
その代わりに、ファルケをけしかける。
「え、う、うん!」
慌てていた少女はあまり考えず、勇者の指示に従って水の属性を持つ青の矢を射る。結果としては、大悟の予想通りになった。
放たれた矢が拡散する。前回見た時よりもはるかに数を増し、しかも矢と言うより投槍の如く巨大化して。
横殴りの豪雨が、ざあとウィードリザードの群れを通過してゆく。後に残ったのは、何だかよくわからないばらばらの肉片。
消しゴムでさっと落書きを消したかのような殺戮は、魔物たちに断末魔の悲鳴すら上げさせなかった。
「うわあー。うっわあああー」
「うわーって何!? 大悟くんがやらせたんでしょ! もー!」
恐れおののく大悟の頭を、ファルケがぺしぺし叩く。
二人とも、もう少し軽い気持ちでファーストプレインにやって来たのだ。
決して新兵器を用いた虐殺の実験をしに来たわけではない。
誰かに咎められているわけでもないが、罪の感覚が背筋を這い回る。
「これはアレだね。慣れるってかちゃんと制御できるようにしないと、魔物も人も死ぬね」
ファルケの援護によって粉々になる自分を想像して、大悟は青ざめた。戦場に出ている以上覚悟はしているが、できることなら仲間にミンチにされたくはない。
「うん……がんばる……本当に本気で絶対がんばる……」
がくがくと頷くファルケは、初めて人を殺した新兵のように震えていた。




