勇士マリカと栄光の日々
――――最初に託宣が来た時のことを、《流れの女剣士》マリカは今でも覚えている。
村から村へ、国から国へと流れる根無し草。それがマリカという人物だった。
今はもう無い故郷で学んだ剣の腕は、その辺の男には負けない自信があった。
だがそれでも、魔物を倒すことはできない。強さに関係なく、この世界に生まれた人間には不可能だった。
《常闇の魔王》オスクロルドの秘術は、異世界より来る勇者の加護が無ければ破れない。
女神に選ばれし勇士でないならば、棍棒を振り回すごろつきだろうと高貴なる騎士であろうと、その他大勢に過ぎないのだ。
マリカは旅の中で、魔王の軍勢に焼き払われた村をいくつも見てきた。
親を、子を失い流される涙に、拳を握るしかなかった。
隠れて覗いた勇士団の戦いに、「自分ならもっとやれる」と剣の柄を握り締めた。
押さえ切れない衝動に駆られ魔物に斬りかかり、命からがら逃げだしたこともある。
自分の無力さを、嫌というほど味あわされる毎日は、ある時突然終わりを告げた。
荒野にて独り膝を抱え、焚き火に照らされて過ごす夜。
うとうとし始めたマリカの前に、それは出現した。
光り輝く宝玉。
紫色をした、半透明のその物体に、マリカの眠気は一瞬にして吹っ飛んだ。
今まで見たことはない。だが、噂には聞いていた。
勇者からの使者として、勇士になりうる者の前に現れる、聖霊石の存在を。
マリカが震える指先で触れると、聖霊石は一層強い輝きを放ち、夜空に女神の姿を投影した。
『……マリカ。新たなる勇士、マリカよ。我が声を聞く耳を持ち、我が姿を見る瞳を持つ者よ。あなたはこれから、神殿に向かうのです。勇者の加護を得て、この世界に光を……』
魔王の軍勢と戦う勇士の任務は、当然命がけだ。
魔物を倒せるようになったからといって、それは互角に戦えるというだけで優位に立ったわけではない。
時には力及ばず、命を落とすことだってある。拒否・保留は権利として認められていた。
自分にはできないと首を横に振る者も、様々な思惑で二の足を踏む者も、少なくはない人数で存在する。
だが、マリカは迷わなかった。
勇士。
選ばれし者。
根無し草の自分が、そんな大役に選ばれたという高揚感に比べたら、不安や恐怖など塵のようなものだ。
夜が明けるのを待たず、マリカは神殿に向かった。気が急いて、体が止まらなかった。
野を駆け、山を越え、川を渡った。その間、一度の休憩もとらなかった。
翌日の昼、神殿に到着した彼女を迎えたのは、一人の少年だ。
魔法都市マギアベルにある、魔法学院の生徒が着るそれによく似た制服。
なるほど、精悍な顔立ちはどこか育ちが良さそうで、理知的な雰囲気を漂わせている。
大抵、そういう者はマリカに侮蔑の視線を向けるものだ。しかし少年はそんなことはせず、それどころか綺麗で柔らかそうな手を差し伸べてくれた。
「やあ、君が力を貸してくれる勇士? 俺は日向光一。勇者……って言っても、つい昨日なったばっかりなんだ。そんで、君が一番最初の仲間ってわけ」
そう言って、照れ臭そうに笑う少年―――光一。
その笑顔の眩しさが、マリカを虜にした。心が蕩けて、下腹に落ちるのを感じる。
最初の仲間。つまり自分はこれから、このまっさらな神殿を光一とともに盛り立ててていくのだ。
私でいいのか、と聞くと、光一は頬を掻きながら言った。
「もちろん! てか、こんな美人なお姉さんが来てくれるとは思ってなかったし。ぶっちゃけめっちゃラッキーかなって」
マリカは目を丸くした。そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。
幼い頃から剣に没頭し、男勝りに生きてきたが、女を捨ててはいない。
しかし硬く厚くなった手の皮や、体の各所に残る傷跡を見た上で、綺麗と可愛いと言う男は多数派ではなかった。
それを、この勇者は美人と。言われ慣れていない褒め言葉は、何にも遮られずマリカの心を射抜いた。
この世界のためでも、他の誰かのためでもない。
この少年のために命をかけようと、そう思うほどに。
胸が高鳴るのを感じながら、マリカは差し出されたままになっていた光一の手を取った。
そして、これも女神の導きなのだろう。何時の間にか頭に刻み込まれていた台詞を、唇が紡ぐ。
「――――私は、《流れの女剣士》マリカ。勇者・日向光一の敵を切り伏せる者。私の旅は、この時のためにあったのだ」
そして光一と、マリカを筆頭とする勇士団の活動が始まった。
初めて転送陣を使い、戦場に向かった日。
初めて魔物たちに負けて、泣く泣く敗走した日。
初めて将軍クラスの魔物を倒し、祝杯をあげた日。
初めて……愛を交わした日。
どの思い出も、マリカの中で星々のように輝いている。
時間が経ち、幾百もの戦いを経験して、神殿の勇士団も精強となっていった。
それまで一人で戦ってきたマリカは、背中を守ってくれる仲間の存在の頼もしさを知った。
それぞれ違う強さを持つ者達が力を合わせ、強大な敵を打ち破る爽快さを知った。
勇者光一。その右腕たる自分と、仲間の勇士たち。
マリカは、自分たちが最強で、最高だと確信していた。
いずれはきっと………いや必ずや、自分たちの勇士団が魔王を討ち取るのだと。
彼女たちが見る未来には、希望しか存在しなかった。
とあるよく晴れた日のこと。光一が、病に倒れるまでは。