私を海(戦場)に連れてって
数日後。
サンルーチェ教会から要請を受けた太悟は、いつも通り装備を整えて、転送部屋に向かっていた。
普段は自分の裁量で戦場を決めているが、何らかの作戦や魔物側の大きな攻撃がある場合は、今回のように指定の戦場に赴くこともあった。
参加するだけで通常の戦闘よりも高額の報酬が約束されるし、倒した魔物の数や地位によってボーナスも与えられる。
一人で勇士たちを養わなければならない太悟にはうってつけだ。
(タワーオブグリード、すごい賞金かかってたなあ。しばらくは焦って稼ぐ必要はないけど、サボって体を鈍らせたくないし)
当初、太悟が戦場に出たのは、正直なところあてつけが目的だった。
アニメや漫画のように、心配した勇士たちが助けてくれるだろうと。
その目論見は見事に外れ、ゼリーボールに叩きのめされて逃げ帰った姿を哂われるはめになった。
それから自分なりに練習し、研究し、戦えるようになり、今では出撃が日常の一部になっている。
そして今日もまた、太悟は戦場に出るのだ。
ただし、今回は一つだけ、いつもと違うことがあった。
「………マジかよ」
太悟は廊下で立ち止まり、呟いた。
転送部屋の前に、一人の勇士が立っている。
初めてまともに会話したのがついこの間のことで、太悟としては酷いことを言ってしまった少女が。
「あ、おはよう」
太悟に気付いて、ファルケ・オクルスはにこりと笑った。
服装は昨日とほとんと同じだが、今日は暗緑色のフード付きマントを羽織り、木製の弓を背負っている。矢筒などは見当たらない。
太悟は苦い顔で、ファルケと向き合った。
「まさか、本当に僕と一緒に戦うつもりか? 悪いけど、これから行くのは君が活躍できるような戦場じゃない」
これは脅しでもなんでもなく、単なる事実だった。
太悟にとってはそこそこ大変で済む戦場でも、グリーンメイズ止まりなこの神殿の勇士では、十分もすればあの世行きだ。
連れて行ったところで、足手まといが増えるだけでしかない。
ファルケを守りながら戦えと言うのなら、それは手助けでもなんでもないだろう。
戦場で、太悟は幾つもの死を見てきた。
すべてが終わった後の死体であったり、これから終わる命であったり、とにも勇士とは死神と踊るのが仕事なのだ。
太悟は何度も吐いたし、恐怖に叫んだ。それらはつまり、一歩間違えた場合における、自分の未来図だからだ。
太悟は戦場に出て戦うが、死にたいわけではない。
無力な村人を守るためならともかく、勝手についてきたファルケのために命をかける理由はない。
「絶対、邪魔にならないようにするから」
しかし、ファルケは怯まなかった。
やはり女神に選ばれた勇士というわけか、あるいは太悟の言葉を真に受けていないのか、引くつもりはないらしい。
「危なくなっても助けないぞ」
今度は明確に脅しの意を込めて、太悟はファルケを睨んだ。
「それでいいよ、連れてってくれるなら」
そして、受け止められた。
ファルケの金色の瞳には、たしかな意思が感じられた……太悟の勘違いでなければ。
太悟はむうと唸った。こんなところで問答していても時間の無駄でしかない。
熟慮したとは言えず、根負けでしかないが。
「……わかったよ。君の好きにしたらいい」
彼女が遊び半分で戦場に出るのなら、代償は大きなものになるだろう。
その時になって、彼女に後悔する時間があることを、太悟は神ではない何かに祈った。
「ありがとう!」
少なくとも、ファルケの笑顔は可愛らしい。太悟にとって、何の救いにもならないにしろ。
ファルケを連れて転送部屋に入ると、いつものように天使像が話しかけてくる。
「おはよう勇者代理殿。毎日ご苦労なことだね」
「まあ、仕事だから。今日はコーラルコーストに行く。あっちでデカい攻撃があるみたいだ」
「よし、それでは早速……うん? そこにいるのはファルケ・オクルスか。もう怪我はいいのかね」
怪我。ただならぬ単語に、太悟は振り返った。
何に慌ててか、ファルケが必死に首を横に振る。
「大したことじゃないから! 気にしないで! ね?」
「そ、そうなの? まあ、時間もないし……転送お願い」
「承知した」
足下の魔法陣が輝き、視界が光に飲み込まれる。独特の浮遊感は、最近では慣れてきた。
三秒と数える間も無く光は消えて、潮の香が鼻腔をくすぐった。そして、遠くから聞こえる波の音。
太悟とファルケは、コーラルコーストにやってきたのだ。
「ここが、コーラルコースト……あたし、初めて来たけど……」
太悟の隣に立ったファルケが、周囲を見渡す。彼女が最初に抱いた感想を、太悟は正確に想像することができた。
コーラルコーストは、運河を中心にして広がる港町だった。
交易の要所であり、港には常に世界中の船が並んでいた。
美しく整備されたレンガ造りの建物が軒を連ね、市場は昼夜を問わず賑わい、明かりが絶えることがなかった。
死ぬまでにはいつか必ず訪れたいと、旅人たちは口を揃えて語ったという。
どれも、《常闇の魔王》オスクロルドが侵攻してくる前までの話だ。
太悟とファルケが転送されたのは、街中にある噴水広場だった。
かつて町の住民たちの憩いの場であった噴水は、とっくの昔に水が絶えていて、中央に飾られた女神サンルーチェの像は首が折れてしまっていた。
周囲の建物は、ことごとく一階から上がなく、酷いところは壁があった形跡しか残っていない。
地面に敷かれた石畳はあちこちが欠けて、雑草が無造作に生え出ている。
コーラルコースト。
かつての世界一美しい港町であり、現在は廃墟で、魔物が跋扈する戦場である。
穏やかに雲が流れる青空と、呑気な海鳥の鳴き声があまりにも不釣り合いで、不気味ですらあった。
「ひどいね……」
ファルケが表情を曇らせる。
その感情は、この戦場に来た者が必ず抱くものであり、太悟がもう通り過ぎた場所だ。
慣れてくると、別のことを考えるようになってくる。
障害物や物陰の多さ、壊れかけで崩れやすい建物。
太悟は三回ほど瓦礫に押し潰されそうになったし、建物の二階を走っていたら床が抜け、一階まで真っ逆さまに落ちたこともあった。
戦場は、時にその環境だけで人を殺すのだ。
「僕も、こんな風になる前に来たかったよ。生臭い半魚人とか、空飛ぶエイがわんさかいる戦場なんてクソくらえだ」
「あれ? そういえば、魔物ぜんぜんいないよ?」
ファルケが首を傾げる。彼女の言う通り、瓦礫の街には二人の他に動くものは何もいない。
せいぜい、かろうじて残っている建物の屋根で、錆びた風見鶏が軋んだ鳴き声を発しているくらいだ。
「魔物側からでっかい攻撃がある時は、だいたい三日くらい前からこんな感じになる。細かい雑魚がうろついてることもあるけど、まあ静かなもんだよ」
周囲を警戒しつつ、太悟はファルケに説明した。
そうした前兆や、占い師達の占術などによって、サンルーチェ教会は魔物の動きを予想している。
人間側も各神殿から勇士達を集めて迎え撃つのだ。
今は嵐の前の静けさ、じきに大勢の魔物が押し寄せてくるだろう。
太悟も何度か参加したが、どれも凄まじい戦いが繰り広げられた。ファルケは……まあ、運が良ければ生き延びることができるかもしれない。
「さっきも言ったけど、時間はあんまりないんだ。他の神殿の勇士たちと合流しよう」
「うん」
緊張しているらしく、少し顔が強張っているファルケを伴って、太悟は歩き出した。




