04.宰相子息の思惑
教室に入ろうとしたユーミリアの耳に、荒い息遣いが届く。音のした方を振り返る彼女は驚いた。親友が三人とも、肩で大きく息をしながら廊下に立ち尽くしていたのだ。
「どうされましたの?」
ユーミリアは親友達のもとに駆け寄る。
「……はあ……はあ……トイレに……行ってて……」
彼女の問いに、友人の一人が答えた。
「え? みなさんで??」
「そう……。……混んでて……。」
「……それは大変でしたわね……。」
ユーミリアは心配そうな表情を浮かべ、彼女らに寄り添って背中をさする。だが、彼女は口元がひきつるのを押さえられなかった。
なぜなら、親友の後ろで、数名の男子生徒もまた同じように息を切らせていたのだ。
(どうやら、私だけパーティーのお相手がいないようですわね……。きっと皆さまで、ダンスの練習をしていたのでしょう?)
ユーミリアは、パーティーどうしよう……と心の中で嘆いた。
「ユーミリア嬢。」
その時、何処からともなく急に現れたマルコスが、いきなりユーミリアの前で跪く。
「え!? マルコス様!?」
「遅くなって申し訳ない。今度のパーティー、私と一緒に行って頂けないだろうか?」
驚く彼女に、彼は懇願の眼差しを向ける。
「ええ!? はっはいっっ! もちろんです。宜しくお願いします!!」
ユーミリアは伸ばされた彼の手に、そっと自分の手を重ねるのだった。
(わ――!! すごいですわ。マルコス様にエスコートして頂けるなんて。棚ボタ? きっと一緒に行くはずだった相手が、骨折でもしちゃったのね! よかったわ。今まで誰にも声を掛けてくれなくて。)
ユーミリアは心を弾ませ、笑顔で彼のことを見つめる。
そんな彼女の様子に、ユーミリアを愛でる会のメンバーは、一同に安堵の溜め息をついていた。彼女がナターシャ嬢の言葉に傷ついてないことが確認できたのだ。みな、暖かく喜ぶ彼女を見守る。
……ただ一人、エルフリードだけが、わなわなと体を震わせていたが。
「マルコス、お前もユーミリアを愛でる会の会員なのか?」
二人で乗り合う帰りの馬車の中、エルフリードが唐突にマルコスに尋ねる。
「勿論。」
そんな不躾な彼の質問に、マルコスは隠すことなくさらりと答えた。
「なぜ……なぜ私をエスコート争奪戦に参加させてくれなかった!!」
エルフリードが彼に詰め寄り、執拗に彼に訴える。
「……あなた、アホウですか? なぜあなたとナターシャ様の婚約披露パーティーに、あなたがユーミリア嬢をエスコートして現れるのです。ジョークですか? 誰も笑いませんよ。残念ですね。」
マルコスの無慈悲な物言いに、エルフリードは腹を立てるも、軽く咳払いをして姿勢を正す。
今さらながら、自分の立場を理解したのだろうか。
「それにしても、お前が勝つと言うことは、頭脳勝負だったのだろうな。」
知ったかぶりの彼の言葉に、マルコスはこめかみをピクリと動かす。
「……体力勝負でも負けることはありませんけど。でも、今回は不戦勝です。」
「不戦勝?」
「人間、どうしても勝ちたいと願うと、必ず不正をしてしまうものなのです。私はそれを暴くだけでいいのです。まあ、ぎりぎりまでかかってしまい、ユーミリア嬢には寂しい思いをさせてしまいましたけれど。」
と、マルコスはエルフリードに向け、大きく物憂げにため息を吐く。
「お前を想って寂しがっていた訳ではない!!」
エルフリードは、勢い余って馬車の中で立ちあがり、頭上の天井で頭を打つという、べたなボケをかました。
「イタた……。どうせ、不正するよう仕向けたんだろっ!!」
エルフリードは頭を擦りながら腰をおろすと、そう言って、マルコスに向け人差し指を突きだす。
「はっ。まさか、そんな。」
マルコスはボケに見向きもせず、平然と言葉を返すのだった。
「ねえ、私、大丈夫かしら?」
ユーミリアは自室の鏡台の前に座り、今日開かれる婚約披露パーティーに向け着々と準備を進めていた。
自分の周りでいそいそと忙しなく動く使用人たちに、自分の事が心配になったユーミリアは甘えるように尋ねる。
「お嬢様、私たちは忙しいのです。声を掛けないでください。」
使用人の中で最年配の女性が、きびきびと彼女の問いかけに答えた。
「ちょ……ちょと、あなた言葉遣いがなっていなくってよ?」
ユーミリアはわざと目を細め、その女性を見上げる。
「はいはい。では、髪を結い始めますね。」
「ありがとう。……では、なくて!」
ユーミリアの意見を蔑ろにし、急ぐ使用人たちに、彼女は戸惑いを隠せなかった。
(みなさん、どうされたのかしら……。午後から始まるパーティーまで、まだ時間は十分にありますわよ?? 気がはやっておられるのでしょうか……。)
「もっとここは濃い色がよくない?」
「私はふんだんにビーズを縫い散りばめるわ。」
「ここはてかりを入れた方がいいわね。」
「レースは私に任せて!!!」
「え……みなさま、いきなりどうされたの? すべて予定通りで構いませんのよ?? 今から、ドレスを直してたら、間に合いませんわ!!!」
使用人同士で好き勝手に盛り上がる様子に、ユーミリアは大きく焦り始めた。
「大丈夫です!! それよりも、こんな素晴らしい機会、私たちを呼んで頂き、嬉しく思います!!!」
「呼んだって……。着替えを手伝ってって言っただけよ?? ドレスは仕立屋に任せたのだから、手を入れちゃだめよ!!!」
ユーミリアは傍らに広げられたドレスに手を伸ばそうとして、あっけなく使用人に遮られる。
「お嬢様、採寸だけして、後は仕立屋に丸投げしましたでしょう?」
使用人の不敵な笑みに、ユーミリアはぶるりと震えた。
「ちゃ……ちゃんと色は指定したわよ? 私の目の色にしてって。マルコス様との約束でしたから……。」
「それだけでは駄目です!! このドレスには全くお嬢様の良さが反映されていません!! これでは、公の場に出せれませんわ。初のお披露目がこれでは、家の恥です!!!」
鼻息も荒く力説する彼女に、その場にいた使用人すべてが頷く。
「え……そんなに酷いドレスだったの? ありがとう。私、全然気が付かなかったわ。じゃあ、宜しくお願いするわね。」
そう言って、ユーミリアは部屋をあとにしようと、後ろに向き直る。だが、二人の使用人に両手首を後ろからガッチリと掴まれ、有無を言わせず拘束されてしまった。
嫌な予感がしたユーミリアは、肩越しにゆっくりと後ろを振り返る。
「お嬢様。主役がここに居なくては成り立ちません!!!」
使用人たちの脅迫まがいの圧力に、彼女は怯んだ。
「イヤ――――――――。」
ユーミリアは服を脱がされ、ドレスを着たまま、数時間にわたる仕上げを施されたのだった。
「ユーミリア様、宰相御子息がお迎えに来られました。」
彼女の意識が薄れかけた頃、執事の声がドアの向こうから彼女に声を掛ける。
「へっ? ……あ……ああ!!! もうそんな時間!? ドレス、大丈夫!?!?!?」
ユーミリアが意識を取り戻して辺りを見渡すと、使用人たちが満足そうに、一同にこやかな笑顔で彼女を見つめていた。
「えっと……その表情が何を現わしているのか、よく分からないけど、鏡、持って来てくださいな。」
彼女は戸惑いながらも現状を確認しようと、頭を働かせる。
だが、使用人たちは微笑むだけで誰も動こうとはしない。それどころか、ユーミリアの投げ掛けに対し、誰も答えないのだ。
(無視!? 反発の次は完全無視ですか!?)
「ま……まあ、いいわよ。自分で見るから……。」
眉間に皺を寄せるも、ユーミリアは鏡の前に自分で移動することにした。と、使用人の一人がユーミリアの背に手を添え、廊下へと続くドアへと彼女を押しやる。
「え!? 何するの!?」
「今日の出来は相手の反応を見て、確かめればいいのです。女たるもの、どれだけ男を虜にするかで出来を判断するのですよ!」
戸惑うユーミリアをよそに、彼女は暖かい笑みを見せながらそっとドアを閉めたのだった。
廊下に閉めだされたユーミリアは、一人呆然と立ち尽くす。彼女は泣きたくなった。
(虜って……。私にはハードルが高すぎませんか? 私、小学生ですよ!? さらに相手がマルコス様なのに……。やっぱり事前に鏡で確認したかったです……。)
ユーミリアはとぼとぼと、マルコスの待つ応接室に向かう。
ユーミリアは応接室に着くと、母の隣で話をしているマルコスの傍で膝を折り、スカートの裾を摘まんで頭を下げた。
「マルコス様、今日はよろしくお願いします。」
彼女の声は緊張からか震えていた。
「ああ。宜しく頼む。」
彼の返答を合図に、ユーミリアは体を固くしたまま顔をあげる。そんな彼女に、母親は満足そうに微笑んだ。
「すばらしい。」
マルコスもまた無意識にそう言葉を紡いでいた。
ユーミリアは自身の目の色と同じ、淡いグリーンのドレスに身を包まれていた。幾度ものレースを重ねて広げられた裾は、フワフワと風に揺れる草原を想像させ、その白い首筋が草原に生える一輪の花のようで、そっと包みたくなるような彼女の儚さを見事に際立ていた。また、裾や髪に散りばめられたビーズや真珠が光に反射し、彼女が動くたびにキラキラと輝きを放つため、星の瞬く綺麗な夜空を纏っているようにも見える。
ユーミリアに見惚れるマルコスは、思わず感嘆の溜め息を吐く。
彼は大きく喉を鳴らすと、彼女に手を伸ばした。
「では、行きましょうか。」
「は……はい。」
ユーミリアは顔を真っ赤にしながらも、マルコスの声掛けに返事をして肱に腕をまわす。母に挨拶をする彼に先導され、彼女達は早々に馬車へと向かったのだった。
「ユーミリア。君は素晴らしいよ。完璧だ。」
ふかふかのクッションが引き詰められた馬車の中で、向かいに座る彼女の目を見ながらマルコスが優しく呟く。
「マ……マルコス様!? いえ! ありがとうございます!!」
(え!? いきなりなんですか!? 今までクラスメイトとしてもほとんど喋らなかったのに、最初の会話が口説きですか!? あれですか?殿下の周りではタラシが流行ってるんですか???)
ユーミリアは焦っていた。
(それにしてもマルコス様、綺麗なお顔……睫毛、長いのですね! 切れ長の目をより一層引き立てていますわ!! そして深い青色の髪がさらに神秘さを醸し出しています――。素晴らしいですわ! この世界、美形をこんな間近で見れるなんて……転生って最高ですわ!!!)
と、考え込むユーミリアは顔に思いが溢れていたのだろうか、“どうしたのだい?”と、マルコスに尋ねられる。
「いっいえ! マルコス様、あなた様こそ、完璧に素晴らしいですわ!」
ユーミリアはにこりと笑う。
「ありがとう、ユーミリア。でも、私は君の足元にも及ばないよ。君は私の理想だ。今でも素晴らしいが、君が大人になる頃にはさらに完璧になっているだろう。」
マルコスは目を細めて優い笑顔を顔に浮かべるのだった。
(いや――!! いつも上から目線の人が……美形の殿方が……私に……私なんかに笑い掛けてる――。やだなにこれ。ギャップ萌え? やばいです。格好過ぎますわ。)
ユーミリアは顔を火照らせる。
そんな時、ふとエルフリードのことを思いだした彼女は、一瞬にして顔を曇らせる。
“エルフリード様もこんな風なのかしら”と。
(彼も、好きでもない女性にも、こんな風に素晴らしい笑顔を向けられるのよね。やっぱり、私に向ける彼の笑顔は、彼の“特別”ではないのよ。)
少し期待する気持ちもあったのか、それが完全に否定された今、ユーミリアは気持ちが沈んでいくのを感じた。
「ユーミリア……。君は気づいているのだろ? エルフリードの王としてのオーラにやられているだけだと。」
「……え?」
突然の彼の言葉に、ユーミリアは戸惑う。
(マルコス様何を? でも……そうなのかしら。私、ただ単に殿下の神々しさに圧倒されているだけで、男性としては彼に惹かれてはいないの?)
マルコスから受けた初めての指摘に、彼女は心の中で迷い始める。
「私は、君のすべてが欲しい。君のこれからの時間を私にくれないか? 君が傍にいて初めて、私は完璧になれるんだ。それに私は、彼のように他の女性に笑い掛けたりはしないよ?」
マルコスは真剣な表情で彼女に囁く。
(し……至近距離で美形に愛を告白されました。たらしでもいいです……はまりそうです……。私、王太子殿下ルートのライバルから宰相子息ルートのライバルへ、ジョブチェンジでしょうか? )