第二十八話 伯爵家長男と彼女の関係
学園の寮で深い眠りに就いていたユーミリアの元に、1つの悪報が父親から届く。
『殿下暗殺未遂の発生』
そんな言葉を聴かされ、彼女は胸をざわつかせる。
発生時刻は現在より数刻前。彼と別れて半日以上たった頃である。
未遂というだけあって彼の命に別状はないのだと自身を落ち着けるも、細かい容態までは教えて貰えないことがユーミリアを一層不安にした。
そしてユーミリアが何よりも信じられなかったのが、さらに知らされた事実。
その暗殺未遂の首謀者が彼女の友人の一人、リリーであったのだ。
ユーミリアは理解できなかった。リリーとはそんなに大きく懐を開いて話したことはない。
だが、規律を守る誠実で律儀な人間だと彼女は信じていた。
今までの境遇にも不満を抱かず、常に周りの人間を尊重しする芯のしっかりした人間。
そんな彼女が反逆罪のようなことを起こすとは思わなかったのだ。
そのとき、一つの考えが彼女の中に浮かび上がる。
シリングが何か裏で糸を引いているのではないのかと、ユーミリアは疑った。
彼女が彼と連絡を取ることを強く希望すると、偶然か必然か一羽の小鳥が彼女の元に現れ、シリングの居場所を知らせた。
ユーミリアは耳を疑った。
今まで鹿以外の動物と会話をしたことも、動物側から思念を伝えられたこともなかったのだ。
だがその鳥はしっかりと意志を伝えてきたのである。
彼女は鳥に従い、教えられた場へ赴くことを決意する。
やはりシリングがこの事件に関わっているのだと、彼女は確信した。
「やあ。」
ユーミリアが転移の陣を使って指定された場所に辿り着くと、そこではシリングが待ち構えていた。
部屋に明かりは灯されてはおらず、月明かりだけが差し込む暗闇の中、ひっそりと椅子に腰を下ろす彼からは静寂さが漂う。
彼女は彼の存在に注意を払いながらあたりを見回した。
どうやらここは上流階級の建物の一部らしく、重厚な造りの部屋をしている。外に音が漏れないように壁は石で作られ、窓枠もしっかりと固定されていた。
部屋に充満するのは月明かりに反射してキラキラと輝く黄金の粉。
きちんと彼の防音魔術も作動しているらしい。
一通り周囲を観察すると、ユーミリアは視線をシリングに戻した。
彼女はじっと彼を見据える。
「ここ、僕の部屋なんだ。」
そんな中、彼は陽気な声でこの場所の用途を彼女に伝えた。
口元に弧を描いて猫撫で声をだすシリングだったが、彼の目は一切笑っていない。
「……シリング様、何をしましたの……?」
ユーミリアは彼に少しばかりの恐怖を抱き、様子を探りながらおそるおそる質問をした。
そんな彼女に、シリングは小馬鹿にしたように鼻息を漏らす。彼の目が鋭くなる。
「“何”かしたのは君でしょう?」
そう彼は彼女を攻め立てるのだった。
「私……が?」
「何も思い当たらないって言う気?」
「……。」
彼の詰問にユーミリアは口を噤む。
「……アリーサ泣いていたよ。感情を押し殺すように、ただ苦しそうに息を潜めながら。可哀想だと思わない?」
シリングは遠い目をし、窓越しに外を見つめた。
「でもっ!」
そんな彼を攻め立てるようにユーミリアは勢いよく言葉を放つ。
彼の言動があまりにも理不尽に思えたのだ。
「でも?」
「でも、知っていて黙っていた私にも罪はありますが、もとはといえばシリング様が起こしたことでこうなってしまったではないですか!!」
「……は?」
シリングが眉間に皺を寄せる。
「シリング様がクレメンス様を使ってあの時、私を足止めさせたのでしょう? そのせいで私はエルフリード様とすれ違ってしまうし、アリーサ様も殿下の愛人になってしまったのですよ!?」
「……それがどうかしたのか?」
「どうかしたのかって……。」
責任を全く感じてない様子の彼を前に、ユーミリアは怒りを抑えきれなくなった。
「あなたがアリーサ様をあの方の愛人にしたのに、どうしてリリー様を使ってまであの方からアリーサ様を解放しようとするのですか!!
いくら彼女が大事だからって、あなたのしていることは傍若無人過ぎますわ!!」
ユーミリアは心の底から叫んだ。
「そうだよ。折角、アリーサを愛人にしてあげたのに、君なんかに靡くからちょっと痛い目にあってもらったんだよ。まあ、あんなにアリーサを傷つけたのだから消えてもらっても構わなかったんだがな、弟のこともあるし……。
だが、さすが君の息のかかった人間。そう簡単には殺せないとは判っていたけど。」
的を外れているのに知ったかぶる彼の口ぶりが、更に彼女を苛立たせる。
「“したてあげた”って、その事に彼女が傷ついていること、あなたは気付きませんの!? それにどうしてエルフリード様を巻き込むのです!」
「……何故アリーサが傷つくのだ? あの子はエルフリードの事を好いている。」
当然のことだと述べる彼に、ユーミリアは目まいを覚えそうになった。
「シリング様、間違っています。」
「間違い?」
「アリーサ様は、シリング様のことが好きなんです。そして彼女は、自分がエルフリード様の愛人であることを先程まで知りませんでした。だから彼女は泣いていたのです。
大好きなあなたに殿下の愛人に仕向けられたと知って、さらに傷ついていたのではないですか?」
彼女は彼を諭すかのようにゆっくりと喋りかける。
「アリーサが、私のことを?」
そんなユーミリアの言葉に意表を突かれたのか、彼から動揺の色が漂う。
「気づかなかったとでも言うんですか? それに、シリング様もそんなにもアリーサ様のことを大切にされて、彼女に想いがあるのでしょう? アリーサ様も口では“自分は妹”と言ってはいるものの、本心は両思いだと思っていたはずですわよ。傍から見ていた私でさえそう思っていましたもの……。」
「私がアリーサを?」
「そうです。」
ユーミリアは疑問に対し、彼の目をしっかりと見据えて答えた。
「……いや、それはない。」
だが彼は、嫌そうに彼女の考えをきっぱりと否定する。
そして“アリーサもそう思っているはずがない”と言葉を続ける彼は、断固として彼女の意見を受け入れなかったのである。
なおもはぐらかそうとする彼に、業を煮やしたユーミリアは攻め立てる。
「なぜそう言い切れるのですか!? アリーサ様が可哀そうです!!」
と、彼女はアリーサの想いを庇おうとした。
「可哀想ではない。それが“事実”なのだから。」
「事実って、あなたは彼女の何を知っているのですか!?」
そんな彼女の勢い受け、シリングは小さくため息を吐いた。
「私たちは兄妹なんだよ。」
彼ははっきりとした声で彼女の疑問に答える。
「……。“仮の”でしょう!?」
「仮? 今世ではそうかもしれないが、前世では本当の血の繋がった兄妹だった。」
「……前……。」
「そうだ。あいつは田中亜里沙で俺は田中誠。二つ違いの兄妹だ。
あいつ、時々自分のことをアリーサではなく亜里沙と呼ぶから、前世の記憶が薄っすらとは残ってはいるはずなんだが、まさか俺が兄だという事に気付いていなかったのか?
全く面倒くさい。兄妹愛と男女愛を履き違えるとは。」
「……。」
一人愚痴を零す彼を前に、ユーミリアは何も言えなかった。
彼が嘘を言っているようには思えないが、だとしても話がぶっ飛び過ぎだと彼女はついていけなかったのだ。
自分とシリングの前世が同じ地域や時代なのだから、他にも同じ世界から来ている人間がいてもおかしくはない。おかしくはないのだ。
だが、唐突に知らされたことで、彼女がそれを理解するのには十二分の時間を必要とした。
そんなユーミリアの内情を知ってか知らぬか、シリングは否応なしに彼女をあしらった。
「すまんが、今日はもう帰ってくれないか? 私は亜里沙と話がしたいんだが。」
「え……。」
「この部屋に彼女を呼ぶから、君が邪魔なんだ。」
「邪……。ちょっ、ちょっとシリング様!! 私の方は何も解決してはいないんですけど!?」
急に蚊帳の外に放り出され、心もとなくなった彼女は彼に訴える。
「解決していないといわれてもな……。私にはどうしようも出来ないよ。国家の問題だろう? 王族を亡きものにし、騎士団団長を国の長に据えるという一派の。
それに、私がリリーを使ったと君が言っていたが、私は一番に王の元へ向かうその女の足をエルフリードの下に行きやすいように導いてやっただけだ。それ以外何もしていない。
そう簡単に私が人の意思を書き換えられると思っているのであれば、それは勘違いも甚だしい。
もしそんなことが出来るなのであればさっさとエルフリードの思考を書き換え、アリーサがこんなにも傷つかないようにしていただろう。まあ、本当の傷ついた理由は違っていたようだが。
……あいつ、王子が好きだったのに、今回は違うのか?」
空に疑問を投げかける彼には、もうユーミリアの存在が薄れかけているようだ。
彼女は空気と化そうとしていた。
それはまずいとユーミリアは彼に縋る。
「シリング様、なんとかなりませんの!? 国家問題もシリング様のお力であっという間にっっ!」
「……私の力を過信するな。過去の書き換えも記憶の詐称も出来ないからな。
私は小さな力で長い年月を掛けて地道に人を誘導することが出来るだけだ。まあ、無機質なものに関しては多少力は効くから、そのときは頼ってくれ。いつでも力になるよ。
今回のお詫びだ。それじゃあ私が帰るまでにこの部屋から出て行けよ。」
そういうと、シリングはさっと消える。
どうやらアリーサを迎えに行ったようだ。
「いつの間に陣なしで転移もできるようになったんですか――い。」
ユーミリアの心の叫びが、独り残された室内にこだました。




