02.殿下と宰相子息
日が昇りきる頃、エルフリードとマルコスは殿下専用の特別室を訪れた。室内にはすでに甘いソースの匂いが立ち込めており、エルフリードが席に着くと同時に皿にスープが注がれる。
彼らが食事を始めて暫くすると、シェフたちは部屋を後にし、後にはエルフリードとマルコスのみが残された。
「……マルコス、不敬だぞ。」
もうすぐすべての皿が空になりそうなところで、エルフリードは食事の手を止める。すでに食事を終えていたマルコスが、軽蔑の視線で自分を見ていたのだ。
「殿下もこうもすべての女生徒に優しくされるとは、お心が広いですね。」
彼の声は呆れかえっていた。
「……お前の言いたいことは解る。だが、お前が言ったのではないか、三年前。特別な存在を作ってはいけないと。」
マルコスは深い溜息を吐き、目を閉じて自身の眉間の皺を指で揉む。
「殿下……私が申したことを良いように解釈し直しましたね。私は、“ユーミリア嬢を”特別扱いしてはいけません。と申したのです。」
「……だから、皆同じように大切に扱っているではないか。」
エルフリードは自身を正当化しようと反論する。
そんな彼に、目を半分開いたマルコスは蔑みの目を向けた。
「あなたはナターシャ嬢にさえ優しくしてればいいのですよ。分かっているんですか? この間、彼女との婚約を発表したばかりでしょう。それなのに婚約が決定したとたん、好色家になってしまって。」
「好色家?!」
エルフリードは持っていたフォークを落としそうになり、慌てて握り直す。
「誰彼構わず、女性とあれば愛を囁く。そのような人物をたらしと呼ばず、何と言うんですか。」
「……すべての女性に愛を囁いてはいない。」
「はいはい。ユーミリア嬢と親しくした殿方の彼女限定ですけどね。それも、やれ会話をしただの、やれ微笑み掛けられただの、ぶつかって体が触れ合っただの、教科書を借りただの。」
「……後半は故意だ。私は見ていた。彼らはユーミリアが来ると分かって柱から飛び出したんだ。それに、教科書はきちんとカバンに入ってたいた。」
「……人のカバン勝手に開けたんですか……」
エルフリードは気まずそうに目を泳がせる。
「危ないではないか。急に飛び出したら、怪我をする。それに嘘はいけないだろ嘘は。」
彼は口をすぼめた。
「……別に良いのです。国政さえきちんとやってくれれば。例え愛人の一人や二人。あなたが恋愛に関して腑抜けになろうとも。だがユーミリア嬢は魔術団の団長の娘。国にとって大切な駒なのです。しかも、あの団長と副団長の娘。魔術師としても、大事な逸材でしょう。 あなたの愛人にされては不味いのです。」
「愛人!? ユーミリアは……妹……のようなものだし……。」
「あなたはタラシのうえにヘタレですか。妹として見てるうちは多目にみていました。例えあなたの魅力に翻弄されようとも、どうせあなたは捨てるのですから。寧ろ、大切にしていただき感謝しております。殿下のお陰で、身体も強くなられた様ですし。」
「さらっと侮辱された気がするが。私のおかげでユーミリアが強くなったのか?」
彼の言葉に反応したエルフリードは、顔を輝かせる。だがその喜びは、再び放たれた彼の言葉によって無残にも切り捨てられた。
「はい。あなたに守られるまいと、一緒懸命に体力作りを頑張っていたようですよ。」
と。
「私……の保護下から逃れるために……?」
「お陰で、病気もほぼ完治しているようです。それに関してはあなた様に大変感謝しております。」
「……どうせ、良い駒に育ったと言いたいのだろう……」
エルフリードは恨めしそうに彼を睨み返す。
「よくお解りで。」
「はあ。でも、タラシと思われているのか。ユーミリアは私のことを幻滅しているであろうな……。」
目を細めて遠くを見つめるエルフリードは憂いを含んだ溜息を零す。
「まあ、あなたが妹扱いを辞めた時点で、ユーミリア嬢のほうから距離を取り始めましたけどね。」
マルコスが嘲笑した。
「っ!! それはお前のせいだ――――――!!」
「まだまだ殿下も子供ですね。色恋で結婚相手を決めるなどと。」
「お前も同じ年ではないか!」
彼らの攻防は、まだ始まったばかりである。
「殿下のお部屋、騒がしいですわね。」
ちょうど真下にあるユーミリアたちのクラスでは、頭上の部屋で暴れまわっているであろう殿下たちのバタバタと地響きが伝わってきていた。
「ええ……そうですわね。」
ユーミリアは気もそぞろに返事を返す。
「どうしたの? ユーミリア。」
そんな彼女の様子に気付き、隣に座る女生徒が心配そうにユーミリアに声を掛けた。
「え? いえ……こんなこと、相談するのも恥ずかしいのですが、今度殿下の婚約披露パーティーがあるでしょう? 学園の生徒同士で参加をしなくてはならないに、私、まだ誰にもパートナーに誘われてないの……。」
「まあ! 私もですわ。どうでしょ? ここは女同士で参加してみませんこと?」
「あら! 私もまだ誘われていませんのよ?」
「私もですわ。」
ユーミリアが沈んでいると、一緒に昼食を摂っていた三人が、私もよ。とユーミリアを励ました。
(なんて素晴らしい親友達でしょう……。幼少の頃より傍に居てくれたらしいのだけど、最近まで気づきませんでしたわ……。私ってほんと周りが見えてませんのね。いけませんわね……。)
彼女は改めて親友達の顔を見回す。
「ふふ。女四人で参加したいものですわね。それにしても……女性から誘っても宜しいのかしら? そろそろ決めておきたいですわよね……。」
ユーミリアの発言にみんなが、うんうん。と頷く。
「全く、最近の男はがっつきが足りませんわね!!」
「殿下を除いてですけどね!!」
ふふふ…
彼女達はおしとやかに笑い合った。
(それにしても……こちらは美的センスが前世とちょと違うのかしら……。私、結構な美人と思っていましたのに。あの父と母の娘ですよ? そこそこ良い作りをしているはず……。しかも、完治しかけているとは言え、病気を患っていたので、そこはかとなく儚げな雰囲気を醸し出していて、庇護欲をそそると思いますのに……。誰一人として殿方が声を掛けてくれない。用事以外で男子生徒と喋ったことがない。これじゃあ、殿下以外の男性に惚れる要素がないじゃない!!)
ユーミリアはまたしても大きくため息を吐いたのだった。
ユーミリアは知らなかったのである。彼女の親友達が、男達を彼女から遠ざけていたこと。そして、ユーミリアの親友の座を手に入れた彼女達を、男女関係なく多くのクラスメイトが羨望の眼差しで見ていたことを。
柔らかい風が校舎内に流れ込むある日の午後、ユーミリアのいる教室では、普段どうりの授業が滞りなく行われていた。微かに香る花々は、どこの世界でも変わる事のない普遍の流れを纏っており、それがユーミリアの心を揺さぶる。
教師が生徒らに背を向けて板書をしはじめると、彼女は何気なく開け放たれた窓の外に目を向けた。目の端に小さな気配を感じた彼女は、その要因に視線を動かす。と、窓枠の隅に小鳥がちょこんと座っていた。
あらあら可愛いらしいわねと、目線を外したユーミリアは、勢いよくその小鳥を二度見した。
(この鳥ってもしかして……。)
ユーミリアが初めて治癒魔術を施し、以後庭で治療を行う動物達の伝達係に昇格した小鳥にとても似ていたのである。そう、彼女が獣医の真似事をするようになった、そもそもの発端を作った元凶。
(あくまでも“似ている”ですわよ。いくらチート能力を持ってるとは言え、小鳥の区別までは出来ませんわ。それは望まないで頂戴。)
ユーミリアは自分に言い訳をしたながら、眉に皺をよせ、小鳥をしかと眺めた。小鳥は顔を微動だにすことなく、じっとユーミリアを見据える。
「……。」
彼女は姿勢を正すと、鼻で大きく深呼吸をした。
(疑いが確信に変わりましたわ。学校まで来るなんて、いい度胸してますわね!! 私をなんだと思ってるのかしら!!)
と、心の中では強気に出ているものの、ユーミリアは早く授業が終わらないかと気が急いていた。なぜなら以前、自宅で小鳥を無視していたら、フン攻撃を仕掛けて来たのだ。
(学校でフンまみれになりたくないわ……。早く授業終わらないかしら……。ちょっと待っててくださいな―――。今、授業中なのですよ―――。)
と、ユーミリアはクラスメイトに気づかれないよう、小鳥に“後で行くから!”と手で合図をする。伝わるかどうかは疑問だが、彼女は伝わることを切に願っていた。
チャイムが鳴ると同時に、彼女は急いで廊下へと足を運び、連絡通路から外へと飛び出す。競歩で息を切らしたユーミリアとは対照的に、小鳥は一匹、青く澄み渡る空で優雅に旋回していた。
「これでも、急いだのよ!!」
ユーミリアの小声の訴えを尻目に、小鳥は校舎の横にある植物園の中へと飛び込む。
「ど……どうやらフン攻撃は免れたようね……。」
胸を撫で下ろしたユーミリアは、心を落ち着かせ、息を整えてから植物園へと向かう。あくまでも優雅に散策をしているようにと、どこから見られても良いように彼女は気を配った。
植物園は大きなドーム状のハウスになっており、相当な樹齢の樹木でもてっぺんには届かないくらい天井は高く、そして広大に造られていた。
彼女は植物園に足を踏み入れると、小鳥の後を追って獣道のように寄り分けられた道を暫くまっすぐ進んむ。
心地よい温度に調整されたハウスでは、果物が栽培されているらしく、時折匂う甘い香りが彼女の口の中をうるおわせる。至る所で蔓がつたい、草花がひしめきあっている様は、ちょっとしたジャングル状で彼女は心を踊らせた。
ジャングルを抜け、ようやく直径十m程の円状に開けた場所に辿り着いた彼女は、思わず目を見張る。
その場所はちょうど天窓の真下らしく、他よりも多くの光が降り注いでいた。そして辺り一面、土埃が光に反射しているのかキラキラと輝きを放ち、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
心を奪われていた彼女が円の中心に目を向けると、そこには先程の小鳥を角にとまらせた一匹の鹿が端然と彼女を待ち構える。
「重体ではなさそうですけど……。」
彼女は“どうして私を呼んだのかしら”と、鹿の様子をゆっくりと観察しながら近づく。ユーミリアがそばに来ると、鹿は地べたに座り込み、彼女にお腹を見せるようにしてゴロンと横になった。
(もしかして……三日前に治療した鹿かしら?)
ユーミリアは膝を折ってしゃがむと、お腹に大きく走った傷痕を眺めた。
(そうみたいね。治療した痕がまだ残ってるわ……それで、どうしたのかしら?)
彼女が首を傾げて鹿を見つめると、徐に鹿は顔を動かし、口先で自分のお腹の一部をトントンと叩く。
(なに? お腹がどうかしたの?)
叩かれた場所に顔を近づけたユーミリアは、傷痕の一部に膿が溜まっていることに気が付く。
「あら! ちょっと待っててね。」
ユーミリアは急いでポケットから裁縫道具を取り出すと、適当な太さの針を一本、すっと右手で抜き出す。そして裁縫箱を握りしめた左手で、魔力を乗せながら簡易的な火の陣を描くと、空中に小さな火の玉を浮かべたのだった。
その火で消毒した針を利用し、膿を絞り出した彼女は、再度傷口に治癒魔術を施しし直す。
「これで宜しいですわよ。」
治療が完了すると、彼女は一息吐いてゆっくりと立ち上がる。
(まだまだ陣の改良の余地は沢山ありそうね……。)
ユーミリアは頭の中で先程使った陣を思い浮かべ、一人思考を巡らせていた。
鹿はそんな彼女に顔を向け耳を小さく動かしたかと思うと、のろのろと立ち上がり、彼女のお腹を軽く口で押す。
「わ! びっくりしましたわ……。どうされまして?」
軽く後ろに倒れたユーミリアは、再度鹿に目を向けまじまじと見つめ返した。だが、鹿は何事もなかったかのようにふっと後ろを向くと、ドームの奥へと立ち去って行った。
小鳥もまたクルクルと旋回しながら、鹿と共にドームの奥へと消えて行く。
(裏の森と植物園って繋がってましたのね。知りませんでしたわ……。それにしても何よあれ、最後の腹ドン。ちゃんと治療しろよ――。ってこと!? まっ! タダでしてあげてるのに厚かましいですわ―――!!!)
鹿に向かって文句を叫びたい衝動を、彼女はぐっと堪える。どこで父の部下がデータ収集のため見ているか予測が出来ないのだ。ユーミリアは淑女らしく端正なたたずまいを保ち、優雅に鹿たちを見送ったのだった。