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25.宰相子息の接近

 マルコスはまっすぐとユーミリアを見つめ、彼女の傍へと歩み寄る。

 彼の目はトロンと潤んでおり、まるでユーミリアに魅せられられているようにもみえる。

 (マルコス様!?)

 ユーミリアは心臓を大きく打ち鳴らした。彼女は、彼の言葉を思い出したのだ。

 “高等部に上がるまで話しかけることば出来ないが、愛している”と囁いた彼の甘い言葉を。


 ザク ザク ザク


 ドクン ドクン ドクン


 マルコスが近づくにつれ、ユーミリアの鼓動はさらに強く打ちつける。そして彼がすぐ傍まで来た時、彼女の心臓は別の意味で強く打ち始めた。

 マルコスのその目が、アリーサの姿を捉えている事にユーミリアは気付いたのだ。

 (マ……マルコス様!?)

 しかも彼はユーミリアの事を視界に入れるつもりもないらしく、少しも彼女に目を向けようとしない。

 ユーミリアは愕然とした想いでマルコスを見つめた。まるで自分がこの場に全く存在していないかのような態度をとる彼に、彼女は傷ついていたのだ。


 人を利用価値でしか判断しない彼に存在を否定されると言う事は、そう言う事なのだろうと、ユーミリアは理解していた。

 彼に愛されたいなどとのぼせた事は言わないにしろ、高等部に上がり、それなりに価値のある人物に成りあがったと彼女なりに自負していたのだ。その努力がアリーサを前に微塵も認められなかった今、彼女は力なく項垂れる。


 なおも彼は、アリーサを愛おしそうにじっと見下ろしていた。彼女もまた、そんなマルコスをじっと見つめ返す。


 「……。」


 ユーミリアは、そんな見つめ合う男女の傍らにひっそりと立ち尽くしていた。この状況下、彼女はどうしてよいか分からなかったのだ。せめて邪魔にならないようにと、彼女は息を潜める。

 (私は背景。私は空気。私は透明人間。

 それにしてもマルコス様、すでにアリーサ様にご執心のご様子ですわね。

 ここでアリーサ様が王族である事を公言すれば、彼は公私ともに彼女の物になる事間違いなしでしょうか!?

 あ、でも、私が此処にいてはそれも披露できないかしら……。)

 チラリとアリーサに目を向けるユーミリアは、放心状態の彼女を前に、ここから退散することを決意した。彼女は少しずつ体をあさっての方向に向け始める。

 だが次の瞬間、彼女はピタリと体の動きを止めた。ユーミリアの視界に、静かに動き出したマルコスの姿が写ったのだ。

 彼が自身の懐に手を忍ばせている。ユーミリアの身体に緊張が走った。

 (何か取り出すつもりなのかしら……。でも、何を!? 危険な物でなければいいのですが……。)


 ゴクン


 彼女は横目で彼の動きを追いながら、固唾を飲んでその様子を伺う。

 と、マルコスが懐から出したのは、白い封筒だった。質が良く真新しい封筒は端までピンと張っていた。ニスでも上塗りされているのか、照り輝く紙が美しい。

 (あら。……あらあら、まあまあ! アリーサ様への恋文かしら。)

 それを目にしたユーミリアは、にやけそうになる口元を必死で堪えた。

 マルコスが封を差し出す。


 スッ


 だがその封筒は、何故かユーミリアに突き出された。


 「!?」


 目を見開いたユーミリアは、突きつけられたそれを凝視する。アリーサにではなく、横にいた自分に差し出されたことに、彼女は驚きを隠せなかったのだ。


 「これは……。」


 “何ですの?”と顔を上げて問いかけようとしたユーミリアは、思わず言葉を詰まらせた。

 マルコスとアリーサがまだ熱い視線で見つめ合ったままだったのだ。

 (……これを受け取って、さっさと立ち去れってことかしら……。)

 と考え込んだユーミリアは、マルコスの手から封筒をそっと抜き取る。

 だが彼女より先にマルコスが動きだした。まるで封筒が抜き取られるのを合図にしたかのようだ。

 彼は機敏にアリーサとの距離をとると、頭を下げる。


 「では、失礼いたします。あと、この事は内密、他言無用でお願い致します。」


 と、挨拶をするマルコスはそのまま言葉を続けた。


 「え、ええ。」


 アリーサが目を泳がせながら、彼の言葉に返事をする。そんな彼女の様子に、ユーミリアは眉を潜めた。アリーサが何かに怯えているように見えたのだ。


 そんな彼女らを他所に、顔を上げたマルコスは颯爽と立ち去る。そして彼は、脇目も振ることなくその場を後にするのだった。



 「……ユーミリア様。」


 マルコスが姿を消し、暫くしてからアリーサが呼びかける。彼女はまだ茫然としているらしく、遠くを見つめたまま口だけを動かしていた。


 「はい。」


 そんな彼女の様子に、ユーミリアは優しく返事を返した。アリーサの心が落ち着くまでと、ユーミリアは彼女から言葉を発してくれるのを待っていたのだ。

 だがアリーサは意識がまだはっきりとはしていないのか、ボソボソとした口振りで喋り続けるのだった。


 「私、殺されるかもしれないわ。」


 と、彼女は呟く。


 「……。え!?」


 アリーサのいきなり過ぎる重たい発言に、ユーミリアは戸惑いを隠せなかった。

 (なんでそうなったんですか!? あ、分かりました!

 マルコス様の愛の攻撃に殺られるかもしれないってことでしょうか!?)

 と、勝手に自己解釈したユーミリアは深く頷く。

 (……と言う事は、アリーサ様はマルコス様とのエンドをお望みでないってことですわね……。)

 考え込むユーミリアは、次第に焦りだす。もしアリーサの望まない結末を迎えれば、また彼女に近しい人物が世界を書き変えてしまうのではないかと、ユーミリアは危惧したのだ。

 彼女のために、彼女を主人公にするためにこの世界を書き変えたはずだと彼女は考えていた。なぜなら、書き変えられたことで彼女以外に得をする人物が誰も居ないのだ。

 アリーサを不安がらせてはいけないと、息を整えたユーミリアは高らかに宣言する。


 「アリーサ様、大丈夫です! 私が守ってみせます!!」


 と、彼女は大きな笑顔を作り、アリーサに誓ったのだった。作り笑いだったが、少しでもアリーサから不安を拭わねばと、ユーミリアは表情を繕う。

 そんな彼女の笑顔が功を奏したのか、絆されたアリーサが強張っていた顔の緊張を少しだけほぐした。


 「ユーミリア様……。ありがとうございます。

 でも、気持ちだけ頂いておきますわ。だって、あの方の母国で内部戦争なんて起こって欲しくないですもの。」


 アリーサは今までになく優しく笑うと、そう彼女の提案を突っぱねるのだった。ユーミリアははっとした。まるでアリーサが今にも泣き出しそうな表情だったのだ。


 「……戦争?」


 ユーミリアはポツリと呟く。

 (恋愛問題が戦争にまで発展するのですか? それとも、比喩表現?

 それとも外交がこじれて、アリーサ様の国との戦争が起こるとか。……いえ、アリーサ様“内部”戦争って言いましたわよね……。)

 自分が思っている以上に彼女の周りの恋愛は壮絶なのだろうかと、ユーミリアは頭を抱え込んだ。


 「あの……ユーミリア様、先程のお手紙は何だったのですの?」


 そんなユーミリアの苦悩を余所に、アリーサは気まずそうに彼女に尋ねてきた。


 「え? あ、そう言えばそうでした。」


 ユーミリアは手に握りしめていた封筒に目を向ける。

 (……でもこの手紙、本当にマルコス様は私に渡す予定でしたのでしょうか……。)


 「アリーサ様……。」


 ユーミリアはアリーサに言葉を投げかける。


 「はい。」

 「この封筒ですが、一応私が受け取りましたが、渡し間違えたのではないでしょうか。

 マルコス様、アリーサ様を見ながら来られましたわよね? 渡す際、手元が狂ったのかもしれませんわ。」


 沈むユーミリアは、手元の封筒をじっと見つめた。


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