21.殿下の自室にて
月明りが窓から差し込む頃、王城の一室でエルフリードは椅子に深く腰かけていた。
部屋の壁に等間隔に灯された蝋燭が、ほんのりと部屋全体を橙色に染める。
適度な広さが確保されたこの部屋には分厚い絨毯が敷き詰められ、中央の奥よりに重厚な机と椅子が一点、脇には大きな書棚が鎮座していた。
壁一面を占める本棚にも、もう入りきらないのだろうか、彼の机には棚からはみ出した本が綺麗に山積みされていた。
その部屋で一人、エルフリードは空を眺める。
トン トン
その時、部屋の扉が叩かれたことで、静まり返っていた空気が振動した。
「誰だ。」
椅子の背から体を起こしたエルフリードが、ドアの向こうに居るであろう人物に声を掛ける。
「マルコスです。」
「ああ、入れ。」
キイイ
「失礼致します。」
ゆっくりと開かれたドアから、深青の髪を持つマルコスが姿を現す。僅かな光の中で彼の髪はさらに深みを増していた。
彼を観察していたエルフリードは、まるであいつの腹の内を表しているようだなと心の中で苦笑う。
そんなことを思われているとは知らず、一礼をしたマルコスは部屋に足を踏み入れた。そして、静かにドアを閉めるのだった。
「殿下、どうかされましたか?
このような時刻に私を呼びだすとは珍しいですが。」
エルフリードに向き直ったマルコスは、静かに彼に尋ねる。周りに聞こえぬとは言え、警備以外の者はほとんど寝静まっている深夜。自然とマルコスの声も小さくなっていたのだろう。
「お前たちはどうしてそう執拗に私の邪魔をする?」
だが、エルフリードは声を潜める事はなく、はっきりとした声で彼に質問をした。自分には何もやましいことはないと、相手に誇示しているかのように。
エルフリードは目を据わらせ、じっと彼を睨む。
「邪魔、とは?」
そんな風に怒りを顕にする主を前に、口元を緩めたマルコスは優しく尋ねるのだった。
エルフリードは眉を潜める。
「……わかっているであろう。」
はぐらかそうとするマルコスを、エルフリードは問い質す。
「……。」
マルコスは黙秘を貫いた。
そんな彼に、エルフリードは自分がその考えに至った経緯を箇条で述べる。
「お飾りのナターシャよりも、実力のあるユーミリアを妃にした方が、この国にとって有意義であること。
すでに騎士団と手を組む理由も、なくなりつつある。
また、治癒の出来る彼女が王の近くにいれば、その恩恵を受けられること。
大衆がユーミリアを妃にすることを熱望していること。……彼らはすでに彼女に傾倒しているかならな。」
エルフリードは彼女を想い、顔を綻ばす。
「……。」
そんな彼をマルコスはじっと傍観していた。エルフリードは一呼吸をおいてマルコスに視線を戻すと、言葉を続ける。
「なのに何故邪魔をする。」
と、彼は低い声でマルコスを威嚇したのだった。
「……陛下からは何も?」
だがマルコスはそれしか言葉を発っさない。何か思案をしているのであろうか、彼の姿勢は相手の出方を探っている様に捉えられた。
「国を存続させることを一番に考えろと。」
そんな彼に、エルフリードは正直に答えた。それで何かしらの情報が得られるのならと、エルフリードは藁にもすがる思いだったのだ。
しかし、彼の望むものは得られなかった。
「ならば、そのようなのではありませんか?
それに何か異論が?」
マルコスからはそんな事しか聞けなかった。
だが、そう言って口元を少し緩めたマルコスの表情を、エルフリードは見逃さなかった。
「お前は何か知っているのだな。」
確信したエルフリードは、低い声で相手を諭す。
マルコスの眉間に皺が寄った。自分の浅はかな行動を心底悔いているようだ。
「私は何も。」
マルコスは畏まると、そう言って言葉を濁す。
「私には教えてはくれぬのか?」
椅子の背に再び体を預けたエルフリードは、お前には失望したと言いたげに言葉を投げ捨てたのだった。
「……。」
マルコスは目線を流す。
「はあ。よい、下がれ。」
「はい。では失礼いたします。」
エルフリードのため息混じりの発言を受け、マルコスは即座に返答を返した。
ここでの長居は不味いと思ったのだろうか。彼は深く頭を下げると、体の向きを変え、ドアのほうへと足早に歩きだす。
「ああ、そうだ。」
そんな彼の背に、エルフリードは声を投げ掛ける。そしてマルコスが振り返る間もなく、言葉を続けたのだった。
「今度の茶会にはユーミリアを呼ぼうと思う。手筈を整えておけ。」
と、エルフリードはマルコスに命令をする。
「……。」
マルコスはドアから目を離さず、その場に立ち尽くした。
「逆らうのか?」
「……いえ。」
そう言葉を発したマルコスは、エルフリードの方に向き直り、再び頭を下げたのだった。
そして、彼の提案を了承したマルコスは、今度こそエルフリードの部屋を後にする。
「楽しみだな。」
マルコスの杞憂を余所に、一人になったエルフリードは椅子を回転させて夜空に浮かぶ月を悠然と眺めた。
どのような茶会にしようかと、彼は薄笑いを浮かべ、思案していたのだ。




