05.殿下の決断
ユーミリアが魔力の封印解除を受けて以来、エルフリードからの誘いは月を追うごとに減少する一方だった。避けられているのかしら……と、彼女は胸が苦しくなるのを感じたが、これが私の望んだことだからと、彼との時間を魔術団の団員から魔術の仕組みや使途の仕方を教わることに充てた。本当は父や母から直接教わりたいと願っていた彼女だが、忙しそうにしている両親を見て遠慮していた。
(でも、もう少し基礎を学んだら教えてくれるって約束してくれましたもんね。)
と、ユーミリアは両親との約束を励みに頑張っていた。
ひと月ほど経ったある日の夜、ユーミリアは久しぶりに両親と共に自宅で食事を摂ることになった。自分の魔術師としての成長を両親に見てもらいたいと、彼女は胸が高鳴ならせながらテーブルについた二人の様子をチラチラと窺う。
だが食事の場に仕事を持ちこんだ父に、母が“こんなところまで魔術を持ちこむなんて”と小言を言っており、ユーミリアは魔術の披露は出来そうにないわと、ため息を吐く。
「これはなんですの?」
食事の合間、ユーミリアは父親に尋ねる。
機密書類があるかもしれないと、敢えて父の書類から目を反らしていたユーミリアだが、色鮮やかな植物の絵が目に飛び込んできてつい、父親に声を掛けてしまっていた。
「ん? これか? これは植物の成長促進魔術の研究書類だ。」
「へ――……。 綺麗な色の陣ですわね……。」
ユーミリアはその陣をもっと近くでみたいと、書類に手を伸ばす。
「いたっ。」
彼女の指の先からほんのりと血がにじみ出す。
(う――……紙で指を切ってしまいましたわ……。)
ユーミリアが口を尖らせて拗ねた表情を見せると、地味に痛いよなと、父がニタっと笑った。
「もう! 食卓に書類なんか持ってくるからでしょ!! ユーミリア、大丈夫??」
彼女の母親が心配そうにそうに手を伸ばす。だが、ユーミリアには母の言葉が全く耳に入らなかったようで、返答することなく傷のある指先をじっと見つめる。
(ねえ……これってやっぱり……。そうよ。さっきの植物成長促進の陣を使えば……。)
ユーミリアの頭の中に閃きが走り、彼女は興奮を抑えきれなかった。
彼女は急いで先程の陣を魔力を使って空に書きだすと、細胞壁と書かれている場所を細胞膜に変更する。切れた指先を、ぎゅっと反対の手でつまんで血を絞り出して傷口を塞ぐと、先ほどの色鮮やかな陣に習って、自分で描いたものに少量の魔力を陣に注いでいく。
(細胞促進! くっつけ――。)
彼女は願いを込め、更に指先を摘む。
次瞬間、白い光がパッと輝き、指先を包む。
光がおさまった後、ユーミリアはテーブルにあったナプキンで指先の血をぬぐった。
「わ。見事にくっついてますわ。見て下さいな!! 私、応用も得意なのですよ!! すごいでしょう。」
ユーミリアは治った指をを自慢げに両親の顔の突き出し、どや顔で胸を張った。
「どう? 編入できるぐらいですもの、私ってやっぱり賢いでしょう? 来年からの学園が楽しみですわ!! その前に、お父様、お母様、ご指導を……。」
「「……。」」
両親が無表情で自分を見ていることに気づいたユーミリアは、慌てて口を噤ぐ。
(え? なに?? どうしたの!? 私、変なこと言っちゃった!?!?)
彼女は改めて交互に両親に目を向ける。
「あの……お父様、お母様……学園の話って話題に出してはいけなかったのですか? 私、別に今年入れなくても全然気にしてませけど……。」
「「……」」
なおも呆然とする両親に、ユーミリアは焦る。
「ええ? ……自分と同じ学年にしたいがために、殿下が私の入学を邪魔しましたのよね??」
(もしかして他に理由が? ……病弱設定だったけど、持病って喘息じゃなかったとか? 実は大病を患ってて、余命半年で入学もできないとか???)
ユーミリアは決死の覚悟で、両親に尋ねることを決意した。
「……お父様……お母様……私、死ぬのでしょうか?」
「「え?」」
両親は眉を潜めて彼女を見返す。
「ユーミリア、どうしたの? いきなり。」
母親は彼女に詰め寄ると、心配そうに肩に手をのせてユーミリアの顔を覗き込む。
「だって……お父様もお母様も、私が入学の話を始めたら動かなくなってしまわれて……。」
「入学? あれは単なる殿下のわがままじゃないか。そんなことより、お前今、何したんだ?」
(あ……さらっと理由説明してくれた。殿下があんなに隠してたのに。そっか。やっぱ我儘だったんだ。そっか……。)
ユーミリアは父親の問いかけを忘れ、一人うんうんと頷く。
「ユーミリア、もう一度尋ねる。お前は今、何をしたんだ?」
父親が真剣な表情でユーミリアを見つめる。
「何って……傷を治したことでしょうか? 先程お父様に見せて頂いた植物の細胞分裂促進を、動物に応用しただけですわよ? そういえば、白魔法もそろそろ教わりたいですわ。」
ユーミリアは無邪気な笑顔をつくり、にこっと両親に笑いかける。
(どうです! 五歳のこの愛くるしい笑顔!! 両親もほだされ……あれ……どうしたのでしょう……。)
予想外の堅い表情の両親に、ユーミリアは笑顔の内側で困惑しはじめる。
「サイボウ? シロ魔法? ユーミリア……何を言ってるの??」
母親が、片言で娘の言葉を反芻する。
「……。」
(ん――……あれ? 私、前世の記憶使っちゃった?)
ユーミリアは愛くるしい笑顔をなおも崩さず保っていたが、彼女の背中には大量の冷や汗が流れていた。
「そうか……なるほど……植物への魔法を動物に応用すれば、人間にも応用可能なのか……。言われれば当たり前なのかもしれないが、全く思いもつかなかった。斬新過ぎて我が理解を遥かに越えておる……。」
父親は大きく頷きながら言葉を発したかと思うと、不意に辺りを見回しはじめた。ドアのわきに立つ執事と目を合うと、彼をじっと見つめる。
「大丈夫です、旦那様。先ほどのことは私以外の使用人には見られてはおりませぬ。」
執事は背筋をピンとのばしたまま、低い声でゆっくりと呟く。父親は彼に深く頷き返すとと、ユーミリアに向き直り、じっと彼女を見据えた。
「ユーミリア、先ほどのこと、むやみに人間に使ってはならぬ。もちろん、動物もだ。……副作用があるかも解らぬしな。」
今までに見たことのない威圧的な父親の眼差しに、ユーミリアは固唾を呑む。
「は……はい、お父様。」
「それにこれを極めれば、魔術師の立場も良くなろう……シロ魔法……おお「白」魔法か。そうだな、先ほど魔力を注いだ時、白く光っておったな。だから、白魔法か……いいネーミングだ。さすがわしの娘、センスあるな。」
ふむふむと独り言を呟きながら頷く父親を尻目に、ユーミリアは母親へと体を寄せる。そして彼女は母親に小さな声で尋ねた。
「お母様……もしかして、治癒の魔術は存在しないのですか?」
「……。今まで魔術を治癒に使おうと考えた人物は、誰1人としていないはずよ。魔術は攻撃のために使うもの――それが常識だったわ。……子供ならではの柔軟な発想ね……。」
母親は小さく答えた。
(あ、「子供だから」で、片づけてくれましたわ……良かったです……。)
ユーミリアは、緊張から高鳴る心臓をひとまず押さえると、大丈夫よと自分に言い聞かせた。
(私ごときで世界の歴史が変わるはずないわ。うん。そうよ!!)
と、彼女は力強く頷く。
魔術の練習を数週間ぶりに休んだユーミリアは、何をするでもなく、図書室を訪れていた。昨日の出来事で、暫く休めと父親に言われたのだ。
外ではしとしとと降りそそぐ雨が、黄色く色づき始めた葉に容赦なく打ち付けては、まだまだ葉に打ち返されていた。
少し寒いわね……と、窓際に座るユーミリアは、胸の前で腕を組み、両肘をさすりながら外を眺める。
ザワザワ
「何かしら……。」
ざわつき出した室内の様子に、首を伸ばして騒ぎの原因を探っていると、彼女の前にエルフリードが従者を従え現れる。どうやら、ユーミリアを探していたらしく、彼らはまっすぐ彼女の方に向かって来た。
突然の彼の訪問に、彼女は不安がる。
「……エルフリード様……。」
ユーミリアは彼の顔色を伺おうと、知らず知らずのうちにエルフリードのこと上目使いで探っていたようだ。
「少し、時間をいいかい?」
彼は、怖がらなくていいんだよと、優しく彼女に語りかける。
「え……はい! もちろんです。わざわざ足を運んでいただいて、申し訳ありません。」
ユーミリアは急いで席を立つと、深々と頭を下げる。
エルフリードはじっとその様子を見守った後、片手を上げて周りに合図をした。
「少し、2人だけにしてくれ。」
彼の声掛けに、図書室にいた全ての者が部屋を去り、後にはエルフリードとユーミリアの2人だけが残される。
顔を上げた彼女に、エルフリードが座るように促す。彼女が座ったことを確認すした彼は、自身もその向かいの席に腰を下ろした。
「最近、忙しそうだな。」
彼がまっすぐとした視線を彼女に向けながら、声を掛ける。
「はい。陛下に魔術の制御を解除していただいたおかげで、日々、充実しております。」
ユーミリアの顔からは、心からの笑みがこぼれ出る。
「そうか……君が満足しているのならなにより……だ。そこに私が交ざれないのが、少々寂しいが。」
「……申し訳ありません……。」
一応謝るも、彼女の中では不満が募る。
(“寂しい”って……エルフリード様が私を呼んでくれないのでしょう?)
ユーミリアは顔を伏せた。
「……今日ここへ来たのは、君に大事な話があったからなんだ。」
「……はい。」
彼の言葉に、ユーミリアは再び顔を上げた。
エルフリードのいつにないまじめな表情に、彼女はじっと彼の様子を伺う。
「その……“あれ”はどうした?」
「あれ……とは何でしょうか?」
ユーミリアは眉を寄る。
「“あれ”とは“あれ”だ……。」
彼の訴えになおも理解を示さないユーミリアに、業を煮やしたエルフリードは彼女から目を反らす。そして、顔を真っ赤にしながらも……指輪っ……と小声で呟いたのだった。
ボンっ
ユーミリアは顔を真っ赤に燃え上がらせた。
(も……萌え死んでしまいますわ―――!!! テラカワユス……耳まで真っ赤、はにかみ王子、少しツンデレ? やばい、やばすぎますわ―――!!!)
ユーミリアは金魚のように口をパクパクさせる。
「だ……大丈夫です!!」
ユーミリアは力強くエルフリードに進言すると、さらに言葉を続けた。
「あの、少し大きかったもので、鎖に通して、ネックレスにしております!!」
ユーミリアはシャリンと音を立てながら、胸元からネックレスを取り出す。そして、その先についた指輪を手に取ると、掌に乗せてエルフリードの前に差し出したのだった。
「あ……ああ……。」
エルフリードは目線だけを指輪に流し、その存在を確認すると、“もうしまってよい”と掌をパタパタさせながら呟く。
ユーミリアが指輪をそっと胸元にしまった後、ニ人は向き直り、お互いに顔を真っ赤にしながら俯く。
(なんなんでしょう……このバカップル的な状況は……。)
ユーミリアは大きく深呼吸をすると、膝に置いたこぶしを強く握りなおした。
(これでも私は片思いなんでしょうか……。)
彼女は唇を噛みしめる。
「最近、話す機会があまりないな。」
エルフリードは俯いたまま呟く。ユーミリアにとってその声色は、少し悲しさを含んでいるようにも思えた。
「そう……ですね。時間を作れずに申し訳ありません……。」
ユーミリアは謝罪の言葉を再び口にする。
「いつだったであろうか……以前、君が『自分のことを妹のように扱っている』と言っていたであろう? それ以来、ずっと君のことを考えていたのだが、そう言われるとそうかもしれないなと、自分の中で思ったんだ。」
エルフリードが突如、ユーミリアが避けていた話題を話し始める。
「は……はい。」
彼女は大きく唾を飲み込む。胸に大きな棘がつき刺さったように感じたユーミリアだったが、全身が震え出すのを気力で抑え込んだ。
(泣いては……だめよ。こうなることは分かっていたじゃないっ! それが、早まっただけ。まだ傷の浅いうちで良かったのよ……。そうよ。良かったのよ。……これが浅い傷と言えるかどうかは、甚だ疑問だけど……。)
ユーミリアは俯いたまま、浅い呼吸を繰り返した。
「だから、これからは君を一人の女性として見ていこうと思う。」
エルフリードは心を決めたように、勢いよく顔を上げる。
「え?」
彼の言葉に驚いた彼女もまた、勢いよく顔を上げたことで二人の目線がぶつかる。
彼が満面の笑みを彼女に向ける一方で、突然のことで頭の機能が停止しているユーミリアは、彼に上手く笑顔を返せなかった。
「じゃ、勉強の邪魔して悪かったね。」
そう言うと、エルフリードは固まるユーミリアを一人残し、颯爽と部屋を去って行った。
「え……え……。」
ユーミリアは急いで彼の去ったほうを振り返る。だが椅子から立ち上がることは出来ず、彼の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
「え――……と。」
(私、どうしたらいいのかしら???)
その日、ユーミリアはゲームの流れをもう一度思い起こすことで、なんとか自我を保った。