11.再登場
「その子に治療をさせるのですか?」
疑念のこもった低い声が、室内に響く。
クレメンスの背中越しに聞こえるそれに、ユーミリアは戸惑いを隠せなかった。なぜなら、その声の持ち主は、彼女の聞き間違いでなければ彼女の恩人の“工房の親方”なのだ。
そうである。彼女が瓶造りをするために借りていた下町ある工房の持ち主ルイーザ。
(え? なんで彼がここに居るのでしょうか。
新入生の親? でも、なぜ保健室に……。あ、主人公の親! そうですわよ。だから、ここまで心配で来たのですか。そういえば、主人公は下町出身。ルイーザさんの工房も下町にありましたわよね。
……私、自ら主人公の家族と関わりを持ちにいったのですね……。世間って狭いですわね――。)
ユーミリアは遠い目をした。
コツコツ コツコツ
室内に足音が響く。
「そんなことをさせるつもりで、ここに連れて来た訳ではありません。」
マルコスの不躾な言葉が、彼女の耳に届く。どうやら、ルイーザの質問に彼が答えたらしい。そして、その言葉にユーミリアは驚きを隠せなかった。主人公を治療するために自分はここに呼ばれたのだと、彼女は思っていたのだ。
「どこの骨とも分からぬ人物に、慈悲を掛けてやる必要などないのです。」
そんなマルコスの呟き声に、またしても彼女は耳を疑う。
(え――!? 隣国の姫君ですよ? 気づいてなかったのですか!?
……そうですわね、正体は主人公本人がばらさないと分からないんですのよね。
でも、何かしらこの少女の価値を見出して、治療をさせようと私を呼んだのではないのですか!?
なのに、価値がないから治療をする必要はないですと!?
……マルコス様らしいですけど……。ですが、でしたら何故、私はここに呼ばれたのでしょう。
それに、そんな大きな声で呟いたら、彼女に聞こえてしまうかもしれませんよ!)
ユーミリアは頭を抱えた。
「マルコス様。」
戸惑う彼女は、マルコスの様子を窺いながら彼の名を呼ぶ。
「ユーミリアじょ……。」
彼女の呼びかけに、マルコスは微笑みながら振りむくも、すぐに表情を強張らせた。彼女との間に、クレメンスが立ちはだかっていたのだ。
顔を怒らせたマルコスは、邪魔者を睨む。
「あの、マルコス様……。」
「……ユーミリア嬢。意見があるなら、きちんとした体勢でものを言うべきではないですか?」
マルコスは冷たい表情のまま、ユーミリアに言い放った。
それを受けたクレメンスが咄嗟に身を乗り出す。だがユーミリアが彼の袖を掴み、それを思い留まらせた。これ以上彼に迷惑を掛けたくない彼女は、目で“大丈夫だから”とクレメンスに合図をしたのである。
彼女の強い意志を持った目に、彼は呆然と立ち尽くすしかなかった。自分から離れて行く彼女に、彼はなすすべが見つからなかったのだ。
ユーミリアはクレメンスの傍を離れると、マルコスに耳打ちをするべく彼に顔を近づける。
「マルコス様、差し出がましいようですが、貴方様はこの方の素性を全く知りませんのよね?
でしたら、価値ある人物の可能性があります。必ずしもそうとは言えませんが、恩を売っていても損はないのではしょうか?」
と、彼女は彼に囁いた。この少女が本当に主人公ならば、隣国の王女の不興を買ってはならないと、ユーミリアなりに思案していたのだ。
「…………。」
マルコスが押し黙ったまま、彼女の目をじっと見つめる。
そんな彼の態度に、ユーミリアは緊張を走らせた。
「すみません、本当に差し出がましかったです。」
彼の強い視線に耐えられなくなった彼女は、彼から急いで顔を離すと、目線を下ろして後ずさるのだった。
(私、なんてことをしてしまったのかしら……。)
ユーミリアは焦った。
そんな彼女に、マルコスは口を緩めると優しく言葉を掛ける。
「いや、怒ってなどいない。君からそんな発言が聞けるとは思わなかったから、少し驚いただけだ。」
と彼は彼女を労わった。それどころか、本当に驚いていたようで、マルコスは眉を少し上げていたのだ。ユーミリアはその彼の意外な表情に、反対に驚かされる。
「さすが女神さん! 治療を行うために、彼を説得するとは!」
そんな困惑した空気が立ち込める室内に広がるのは、担ぐような明るい呼びかけ。ユーミリアはルイーザの失言に固まる。
「……。」
彼女の頭の中で、グルグルとドス黒い渦が巻き始めた。
「女神さん?」
「女神……。」
そんな中、エルフリードとマルコスの呟く小さな声がユーミリアの耳に届く。
(イ……イヤ――!!
違います!! 違うんです!! 自分で名付けた訳でも、喜んで名付けられた訳でもないんです!!
エルフリード様……マルコス様……引かないでください……。)
落ち込むユーミリアは、ルイーザに八つ当たりをした。
「ルイーザさんこそ、なんでこんな所に居るんですか!? 保護者なら、体育館で待ってて下さい!!
って言うか、娘さんが心配だからって、のこのこ保健室に来てどうするんですか? 過保護ですか? 親ばかですか!?!?」
子供が心配で保健室に見に来るのは当然のことなのだが、今の彼女は羞恥心で頭がいっぱいだったのだ。
そんないつもとは違う彼女の様子に、部屋に居た皆が心配そうな表情を浮かべてユーミリアを見つめる。
(……誤爆しました。)
彼らの憐みの浮かぶ表情に、彼女はここから逃げ出す方法を考える。部屋が無言の空気で包まれた。
「……ルイーザ?」
その沈黙を破ったのはクレメンスのふとした一言だった。
「はい。なんですか? でも、後ろに“先生”を付けて呼んで下さいね。」
(先生?)
ルイーザの一言に、ユーミリアは耳をぴくつかせる。
「あなたは……以前、治療を受けた?」
何かに腑が落ちた様子のクレメンスは、驚いた表情を浮かべてルイーザに問いかけた。
「? おお! 君は助手の……。」
「クレメンスです。」
彼はルイーザの言葉にかぶせて自分の名前を伝える。
「クレメンス? そんな名前だったっけ? たしか……。」
「クレメンスです。」
またしても、彼はが相手の言葉にかぶせてきた。どうやら彼もまた、付けられた自分の偽名を気に入っていなかったらしい。
「そうか。じゃ、めが……。」
「ご紹介遅れました。私、ユーミリアと申します。今年から、この学園に入学してきました一年生です。宜しくお願い致します。」
彼にならって、急いで気を取り戻した彼女もまた、自己を紹介して深々と頭を下げるのだった。
「……ああ、世話になる。俺は今年からこの学園に養護教諭として入ったルイーザだ。宜しく。ちなみに、新入生の親御さんではない。」
ルイーザは彼女の挨拶を合図と取ったのか、自分もクレメンスとユーミリアに頭を下げた。そして聞き流していた彼女の不満にも、一応、彼は訂正を入れたのだった。
すでに、エルフリードとマルコスには挨拶を終えていたらしく、二人はその様子を一歩引いた所で見守る。
そんな中、彼女は何処かに向かって訴えた。
(ゲーム補正さん!! どうしたのですか!?
養護教諭って……養護教諭って……なんで攻略対象“其の五”がルイーザさんなんですか!!!
こう言っちゃ何ですけど、ルイーザさん、イケメンですか!?
よくよく顔を見ればルイーザさんも端正な顔づくりで、掘りも深くてかっこいい顔をしてますけど……
……ルイーザさんもイケメンでした!
でも、筋肉もりもりのおじさんではないですか!?
いえ、おじさんが悪い訳でも、筋肉もりもりが悪い訳でもありません。
私だってダンディーな枯れ男にはときめきますもの! クレメンス様の筋肉にはときめきますもの!!
でも……でも……ゲームで攻略対象其の五と言えば、人生に疲れたような気だるい雰囲気の、銀髪長髪の綺麗め系大人で……。
曲がり曲がってもルイーザさんみたいに“人生楽しんでます!!”的な健康優良大人ではないのです!!
たとえ髪が銀色でも!!
ああ……心身ともに健康不良大人を期待していましたのに……。
それにしても、どちらなんでしょう。
もともと“其の五”はルイーザさんで、ルイーザさんの外見中身共にゲーム設定とは変わってしまったのでしょうか。
もしくは、“其の五”が別の人物の予定だったにも関わらず、ルイーザさんに代わってしまったのでしょうか。
……まあ、どっちでもいいんですけどね――。
鹿の森の封印が解けたせいで、補正が効かなくなっちゃったのですかね――。)
彼女は少し、いじけていた。そして、私のせいじゃない、私のせいじゃない、私のせいじゃないと念仏のように何度も心の中で、彼女は呟いたのだった。




