10.綻び
保健室の中に入るように促されたユーミリアは、部屋の隅で中の様子を窺う。
どうやら、まだ主人公は目を覚ましていないらしく、彼女が眠っているであろうベッドにはカーテンが掛けられたままであった。
彼らは静かに室内を歩く。
ふと、エルフリードがマルコスを促し、部屋の奥に連れ立つ。
そんな二人の様子を、ユーミリアはじっと窺っていた。
「ユーミリア。」
その時、ユーミリアの傍に立つクレメンスが彼女に呼び掛ける。
彼の声色は少し低く、ユーミリアには彼が悲しんでいるように聞こえた。
「クレメンス様、どうされたのですか?」
驚いたユーミリアは、慌てて彼の顔を見上げる。
彼は眉をひそめ、彼女をじっと見つめていた。戸惑う彼女もまた、眉の辺りに皺を寄せ、彼が言葉を発してくれるのを静かに待った。
彼が口を開く。
「君は……まだ……彼のことを?」
クレメンスはいい淀みながらもそう言葉を綴ったのだった。
「え? ……もしかしてクレメンス様、私のことを心配して下さったのですか!?」
彼の気使いを嬉しく感じたユーミリアは、顔を大きく綻ばせて笑った。
そんな彼女の笑顔に少しは癒されたのか、彼の顔がちょっとだけ穏やかになる。だが、彼は硬い表情を崩すことなく、再び彼女に尋ねたのだった。
「ああ。とても心配だ。君は、彼のことをどう思ってるのだい?
今でもやはり……。」
と、彼は言葉を濁す。クレメンスは彼女がエルフリードを諦めきれたのか、確認したかったのだ。
それを感じ取ったユーミリアは、彼の誤解を解こうと、更に大きな笑顔を作った。
「大丈夫です! エルフリード様は私の兄上のような存在なのです。
見慣れない姿に、少しドキリとしてしましましたが、恋愛感情のようなものではありませんのよ。」
そう、彼女は言い切ったのだ。
(そうですわ。エルフリード様も私のことは“妹”だとおっしゃるのです!
私も、彼のその気持ちに答えなくてはいけないのに、先程は少し表情に出てしまったのかしら。おかしいわね、私なりにもう気持ちの整理はついてるはずなのに……。
そのせいで、クレメンス様にもいらぬご心配をお掛けしてしまいましたわ!
それにしても、本当にお優しいお方なのね。私のことなのに、自身のことように心配してくださって……。)
ユーミリアは心の中に彼の温かさを感じた。だがすぐに、その彼が恋焦がれているのはリリー様なのだと思い返し、彼女は心を一気に冷やす。
彼女の胸の内を知りたい彼は、そんな笑顔を浮かべ続けるユーミリアの目が一瞬だけ色を失ったのを見逃さなかった。
クレメンスの心に闇が広がる。
彼女がエルフリード殿下のことを想って、哀しんでいるのだと勘違いしたのだ。彼は唇の内側を思わず噛んでしまっていた。だが表には出さないように、彼は気を付ける。
「私は常にユーミリアの味方だから。ずっと君の傍に居るよ。」
そう、彼は優しく、彼女に声をかけたのだった。
本当は早く他の男のことなど忘れて欲しかったが、今はまだ、優しく見守ることを彼は選んだのだ。彼女が自然に相手のことを忘れてくれるのを待つのだと。
彼の顔に影がさす。
「……クレメンス様?」
そんな彼の表情の変化を感じ取り、ユーミリアは身を震わせる。
(もしかしてクレメンス様、私の傍に居るのが……つらい?
……そっか。そうですわよね。きっと真面目な彼のことですもの、私の父親との約束を、今でもきちんと守っていただけなのよね。私のお世話は、彼にとっては仕事の一部だったいうことを忘れていたわ。)
彼女は泣くのを堪えると、目を伏せて肩で息をした。
(私ったら、また彼に迷惑を掛けるところでしたわ。
リリー様のこともあるので、いつかは彼から離れなければとは思っていましたが、でもそれって、別に今でも構わないのですよね。……早く、彼を解放してあげないと。)
悲しみを心にしまい込んだ彼女は、彼に大きな笑顔を向けた。絶対に嘘の笑顔だと彼にばれないよう、彼女は細心の注意を払って。
「ユーミリア?」
彼女の突然の満面な笑みに、彼は戸惑う。
「クレメンス様、今まで守って頂いてありがとうございます。でも私、もう大丈夫です。」
「……大丈夫?」
「ええ。だから、私、誰にも頼らず一人で頑張りたいと思ってるんです。」
「え!? だが……。」
クレメンスは突然の彼女の申し出が理解できずにいた。いきなり過ぎる彼女の拒絶に、何が起きたのか彼には解りかねなかったのだ。
ユーミリアはそんな風に焦る彼を安心させようと、言葉をさらに紡ぐ。
「クレメンス様には何の落ち度もありませんわ。今まで私、貴方に本当に支えられました。だから、離れようと思ったのです。このままでは貴方に頼りすぎて、二人とも一緒に倒れてしまいますわ。」
そう言い切るユーミリアは、恥ずかしそうに、少し悲しそうに頬を染めるのだった。
(そうです。このままだと、周りにクレメンス様との仲をますます誤解されてしまいます。そんなことになったら、いずれリリー様の耳に入ってしまいますものね。)
そんなことを、彼女は憂いていたのである。
「ユーミリ……ア……。」
眉を曇らせた彼が、ふいに彼女に手を伸ばそうとする。だが、ユーミリアの背後にいきなり現れた人影がそれを阻む。
「君、もしかして!?」
と、その人物は二人の仲を裂くように、野太い声で叫んだのだ。
その聞き覚えある声に、彼女はうろたえた。
(え? この声……。)
その人物の顔を確認しようと急いで後ろを振り返るも、目の前に壁が出来て彼女にそれは叶わなかった。
どうやらユーミリアとその男の間に、クレメンスが割り入ったらしい。
「……クレメンス様……。」
誰にも聞こえないように、彼女は小さな声で彼の名を呟く。広い背に守られた彼女は、彼に焦がれる思いを心の内に留めれなかったのだ。




