08.保健室の前で
廊下に面するあるドアの前で、ユーミリアは足を止めた。彼女がチラリと見上げたその入り口の端には“保健室”のプラカードが掛る。
(保健室まで来ちゃいました。入学式もまだ始まってませんのに。
ここでイケメンの養護教諭に手とり足とり介抱されるのですよね……主人公が。)
ニヤリと笑うユーミリアは、勢い良くドアを開けようと扉に手を掛けて、ふと思いとどまる。
先程、彼女が遠目からスキャンした所、主人公に身体的な異常が見られなかったのだ。もしかしたら今頃、意識を取り戻した主人公が養護教諭ルートを意気揚々と進めてるかもしれないと、ユーミリアは戸惑ったのである。
(……どうしましょう?)
扉に手を伸ばしたまま彼女は考え込む。開けるべきか開けざるべきか、二人の戯れを覗くべきか覗かざるべきかと、彼女は思い悩んでいたのだ。
そんな悶々と自問自答しているユーミリアの耳に届くのは、彼女の名前を呼ぶ誰かの声。
「ユーミリア嬢?」
「え。」
急いで扉から手を離した彼女が後ろを振り返ると、ユーミリアすぐ後ろにはマルコスとクレメンスが立っていた。煩悩に悩むあまり、彼女は彼らの気配に全く気づけなかったようだ。
彼らの目がどこか訝しんでいるように彼女には思えたのだった。
(はっ! もしかして、覗こうとしたのがばれてしまいました!?)
焦る彼女に、クレメンスが一歩近づく。
「ユーミリア、無理しなくていいんだよ?
君にわざわざ怪我人をみる必要はないんだ。さあ一緒に教室へ戻ろう。ホームルームが始まってしまうよ。
新学期を楽しみにしていたんだろう?」
彼は労るように彼女にそっと手を伸ばした。
(え、一緒に?
……私が今クレメンス様の手を取れば、彼はあの少女に会わないまま、入学式を迎えるのでしょうか。そしたら、彼のルートから主人公は大きく外れる?)
そんな思惑が頭を過り、ユーミリアは震える手を彼の元へと伸ばしかける。
「そうはさせない。」
だが、マルコスが彼の手を払いのけ、そう低い声で相手に言い放った。彼女は出しかけた手をさ迷わせる。
「……へえ。」
クレメンスは感情の籠らない目でマルコスを見返した。
「ユーミリア嬢は私と居てもらう。
君はさっさと一人で教室に戻ってくれて構わない。」
マルコスとクレメンスの険悪な雰囲気に、ユーミリアはまたしても二人の顔を交互に見上げて戸惑う。
(マルコス様……主人公さんの怪我が心配なのでしょうか?
ですが、どうしてクレメンス様をそんなにも帰そうとするのでしょう。
……あ、もしかして、マルコス様、美少女を彼に取られたくないのですか?
リリー様に継いで彼女もだなんて、同じ人物に二人も女性を奪われるなんてプライドが許さないですわよね。
マルコス様のことですから、主人公の利用価値をなんとなく肌で感じ取ったのでしょうね。)
ユーミリアはフムフムと考え込んだ。
「いや。ユーミリアの手伝いをしたことがある、僕の方が君よりも役に立つだろう?
それよりも、加害者である君が居る必要の方がないのでは? そこで休んでる生徒が“顔も見たくない”と言いだすかもしれないのだし、君こそ教室に行ってくれて結構だよ。」
クレメンスが冷たく彼に言い放った。
(言いだす……のでしょうか。
あの主人公のことです。ここぞとばかりに好感度を上げようと、急接近してきそうな気がするのです、が。
それにしても、クレメンス様、どうしてそんなに保健室に入りたいのですか?
……も……もしかして、一目惚れ!? 主人公に一目惚れしてしまったのですか!?
クレメンス様!! あのタンポポの花束をいけたのはあの子ですよ!?
クレメンス様の大事にしている植物たちを傷つけたのはあの子ですよ!?
あの子が……あの子が…………。 ……。 ……おっと。カオス。
主人公の邪魔をするところでした。自制。自制。)
彼女は胸の前で強く手を握りしめると、大きく深呼吸をした。
ガラガラガラ
「君達、煩いんだけど。」
とそこへ、苛立ちを露にしたエルフリードが現れる。すでに主人公に付き添っていたらしく、保健室の中から彼は出て来た。
「エルフリード様……。」
そう呟くユーミリアは、思わず息を飲む。
なんと、彼女の目の前には学生服に身を包んだエルフリードが立っていたのだ。
(普段の王族らしく整った正装をされたエルフリード様も、神々しくて素晴らしいのですが、これはこれで……。)
ユーミリアはまじまじと彼をみつめる。ゲーム上では幾度となく見ていた彼の制服姿も、実際に目にするとでは、ユーミリアにとって大きく違って見えたのだ。
学生服を着た彼は親しみ安く、身近に感じてしまっていたのである。
しかも、いつも笑顔を絶やさないはずの彼とは違って、今は眉間にシワを寄せて不機嫌な顔をしている。それがより一層ユーミリアにとって彼が年相応な男の子に見え、微笑ましく感じたのだ。
「ユーミリア!? どうしてここに??」
この場に居るとは全く思っていなかったらしく、彼女を視界に捉えたエルフリードは目を丸くした。だが、すぐに普段の柔らかい表情に顔を戻すと、彼はユーミリアに優しく声を掛けたのである。
「その服装、とても似合っているね。
可愛らしい君が、入学式前に見れるとは、僕も運がいいな。」
と。ユーミリアは顔を赤らめた。
「……エ……エルフリード様も、お似合いで。」
エルフリードに急に褒められ、驚いた彼女はそう言葉を発するだけで、精いっぱいであった。




