07.宰相子息と伯爵家次男
ユーミリアがマルコスに連れられて入った校舎は、シンと静まり返っていた。
保健室の入っている棟は教室のある棟とは別で、始業式の始まる前の今の時間帯は、彼女ら以外周りには誰も居なかったのだ。
(腕が……やはり、温かいです。)
彼女は、彼に捕えられた自分の腕を見つめる。
先程は自ら男性の腕を絡めとっていて相手の体温を感じていたのだが、今度は男性の方から彼の体温を彼女に伝えていたのだ。しかも、握力を感じるほどがっちりと握りしめられて。
ユーミリアは廊下をペタペタと歩きながら、彼のてのひらの感触に全神経を傾ける。すらりとした長い指に、彼女の腕はすっぽりと包まれていた。
(大きな手……。)
その彼の手に頭を撫でられているところを想像し、ユーミリアは一人、悶えた。
すると、次の瞬間、彼がピタリと立ち止まりる。合わせて彼女もその場に佇んだ。
「?」
無言を貫くマルコスの後ろ姿を、彼女は見上げる。
「ユーミリア嬢。」
彼は振り返ることなく彼女に呼びかけた。
「は、はい!!」
びくりと体を強ばらせたユーミリアは、姿勢を正して彼の次の言葉を待つ。
「あのように公衆の面前で、男性と戯れて頂いては困るのですが。」
「……すみません。」
彼の辛辣な言葉に、彼女は目を伏せる。
(そうですよね。クレメンス様にご迷惑がかかりますわね……。)
舞いあがっていた気持ちが一瞬にして吹き飛んでしまい、ユーミリアはしゅんと体を小さくする。
「いくら羨ましいからと言って、彼女に辛く当たるのはどうかと思うよ。」
追いかけて来たクレメンスが、彼女を擁護しようと目の前に居る男に強く言い放つ。
ユーミリアは顔を上げて、彼を勢いよく顧みる。
(羨ましい!? あ、リリー様のことかしら。
そうよね、本来ならば入学式前にすでにマルコス様とリリー様は親密な関係なっていなければならないはずよね。でも、同じ部屋の私が感じる限り、リリー様はいつも鍛錬鍛錬で、マルコス様とのお時間を作っていないような……。
……でも、クレメンス様とは仲よくなっていましたわよね……。)
頭をフル回転させて二人のやり取りの内容を理解しようとしたユーミリアは、探るように男性らの顔を交互に見やった。お互い睨み合っており、その場に殺伐とした空気が流れる。
気まずく感じた彼女は、間に挟まれながら空気になれるように息を殺した。
「……ユーミリア嬢、少し先へ行っててくれないか?」
空気になり切れなかったユーミリアに、マルコスはやさしく声を掛ける。表情も柔らかくしようと心がけているのか、彼からは先程の様な鋭い感情が消えていた。
彼はユーミリアの腕を離すと、名残惜しそうに彼女を見つめる。
「は……、はい。」
と、素直に頷いたユーミリアは、二人に気を使いながら前へと進む。
そして、突きあたりを壁に沿って曲がるのだった。だが、曲がってすぐその場に立ち止まった彼女は、角に隠れて彼らの様子を窺う。彼女は好奇心が抑えきれず、聞き耳を立てていたのだ。
彼女が姿を消して暫くし、マルコスが口を開く。
「君が羨ましいだと? ふざけるな、クレメンス。私は卑怯者には興味はない。」
彼の声はいたって冷静だった。
「卑怯者? 姑息な手段を使うのはお前の方だろ。俺は誠実に向き合っている。」
「誠実とは、抜けがけをした者がよく言えるな。」
「抜けがけではないであろう? 俺はきちんと誓約に則している。その点、君はどうだ?」
彼らは声を押し殺し、平静を装いながらも、確実に相手の本質をつかむべく言い争っていた。
(え? 抜けがけ? 入学式の前にリリー様と仲良くなったことがですか!?
それに、マルコス様は寮生じゃありませんものね。入学式が執り行われる今日まで、リリー様とお近づきになれる機会がありませんでしたのかしら。
……あれ。このバグは私のせいじゃないわよね。
というか、もしかして、クレメンス様ルートのライバル、リリー様ですの!? クレメンス様には、幼少の頃より恋焦がれていた人物がいるのですよね。それってリリー様!?
え! これは新事実です。なるほどです。
今まではリリー様は騎士団の寄宿舎に囲われていて、手出し無用でしたものね。)
ユーミリアは叫び出しだしたくなるのを堪え、口元を手で覆った。
(うわっ。うわっ。裏事情を知ってしまいましたっっ! そんな隠れた設定があったとは。
……でも、そうでしたのね。クレメンス様の好きな人はリリー様でしたのね……。私とは似ても似つかないですわ。凛々しくて恰好良くて、頼りがいがあって。
まあ、こんな貧弱で青っ白い不健康な女、誰でも嫌よね。彼があまりにも優しさいものだから、勘違いしそうになっていましたわ。
誰にも頼らずに生きれるくらい、強くなりたいと小さな頃から頑張って来たはずなのに。それなのに私、最近彼に甘えてばかりでしたわね。
クレメンス様に今までの恩の少しくらいは返せたのかしら。想いを寄せる女性のルームメイトとして、恋の橋渡し役ぐらいにはなれたはずよね。)
彼女はなんだか暗い谷底に突き落とされたような気分になった。だがすぐに小さな笑顔を作ると、彼らを背に、次なる舞台となるであろう保健室へと彼女は歩みを進めるのであった。
これから、主人公と彼らが出会う。出来れば皆がかちあう前に、治療を終わらせてそそくさと保健室から立ち去りたいと思っていたのだ。これ以上、ユーミリアは彼の知らない一面を見たくなかったのだ。




