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03.伯爵家次男の大切な人

 クレメンスは自分腕を見つめ、口元を綻ばせた。

 なぜなら、彼の腕には長年慕っていた女性の腕がぐるりと絡まっていたのだ。

 制服越しに伝わる彼女の腕の感覚に、こんなにも自分は彼女に近づくことを許されているのだと、彼は胸を躍らせる。しかも、彼女から腕を回してきたのだ。

 何かしらの理由があるのだろうが、それは大して気にはならない。“ユーミリアから”と言うのが大事なのだと、彼は彼女の横顔を惚けた顔で見つめる。


 彼が最初に彼女を見かけたのは、殿下のために開かれた茶会での出来事であった。

 それまでは伯爵家の次男と言うことで、彼が公の場に出ることは殆どなかった。本を読んだり動物や植物を愛でることが好きな彼にとって、大勢の大人が集う場に駆り出されないと言うことは、憂うことではなく心から喜ばしい事であった。だからこそ、爵位に縛られる兄をたまに哀れむこともあった。

 だが、その茶会は今までとは趣旨が違っていた。権力のある人物の子供、なお且つ歳を同じくする者ばかりが集められた茶会だったのだ。

 つまり、殿下のご学友を選抜するための茶会。

 その知らせは勿論、彼の父親の所にも届いた。父親はいそいそと準備を進めるも、やはり彼は乗り気にはなれなかった。いつかはこのようなチャンスが訪れるかもしれないと、彼は幼少より礼儀作法は受けていたのだが、出来ればそんな機会など訪れては欲しくないと思っていたのだ。

 爵位が低い彼が、殿下の学友になるのは難しいことは誰もが分かっていた。父親が彼に望んだのは、公爵位や侯爵位の父親を持つ息子、更には娘との関係を密にすることだったのだ。

 彼はそのために、賢く育つよう教育された。

 社会の情勢は勿論のこと、人との駆け引きや裏の人間の動向まで。そして、周りの人間は全て悪で出来ていると教え込まれた。信じられるのは自分だけだと。だからこそ一層、彼は本の世界に憧れ、動物や植物にのめり込むようになったのである。

 彼は外の世界に、全く興味を持てなかった。


 あの始めての茶会の日、クレメンスは心を閉ざして会に出席した。どんなに善く見えた人物でも自分の敵なのだ。騙されてはいけないと、彼は目を濁らす。

 彼は殿下に挨拶をした後、顔をあげてすぐに澄んだ空気を持つ彼女の存在に気付いた。彼女は大勢の少女に囲まれ、微笑を浮かべていた。多くの少女たちが権力を誇示するために限界まで着飾っているのに対し、彼女の装いは最低限で取り繕われていた。

 だが、どの少女にも見劣りすることはなく、それどころか、そこに居た女性の中で最も光り輝いていたのである。露骨に光りを照りつける太陽のようではなく、じんわりとそれでいて強かにどこまでも照らす、芯から輝く月のように。

 彼は衝撃を受けた。

 今まで他人とあまり会った事がないとは言え、普通と規格外の違いぐらいは彼にも分かる。彼女は素晴らしい人間であり、それでいてとても繊細で綺麗な女性だと一瞬で悟った。

 父親の言うことがすべて正しいのではないと、その時彼は知ったのである。彼は曇った目を晴らす。人間すべてが悪で出来ているはずがないのだ。なぜなら彼女は、善で出来ているのだからと。

 でも、例え父親の言う通り周りの人間がすべて悪でも、彼女さえ自分の味方でいてくれれば構わないと彼は思った。自分の傍に彼女が居てくれるのならばと。

 クレメンスは彼女を欲した。


 後で身分を聞いて、彼女の規格外の理由を彼は納得した。彼女は魔術団長の娘だったのだ。上の物ならば誰でも知っている、“あの”魔術団長と“あの”副団長の娘なのだと。

 だが、自分の国で魔術が軽んじられていることを彼は知っていた。その場に居た少年少女たちもそれは知っていたであろう。だがそれでもなお、彼女の魅力が劣ることはなく、多くの少女が彼女の周りに集まる。

 遠慮がちに直視はしないが、少年たちの目も全て彼女に釘づけだったのであろう。それに気付いた殿下が、すぐさま周りに牽制を送る。

 その時、クレメンスは直感で気付いた。

 彼女は殿下の“特別”なのだと。まあ、一目見た時から人の範疇を超える存在だと、誰もが気付いたのだ。殿下が彼女を見逃すはずかないことは、彼にも予想できた。

 そして、殿下と彼女が結ばれることが絶対にないことにも、彼はすぐに理解した。 

 蔑まれている魔術師の娘では、王妃には成りえないと。

 彼は遠巻きに彼女の周りの動向を見ていた。そして、あることに気付く。自分以外にも思慮深く彼女の様子を観察している少年少女が数名いたのだ。しかもすべて公爵家。

 彼はほくそ笑んだ。

 いずれは大物になるかもしれない公爵家の子供。だが、今はまだ皆、五歳児。自分ほど荒んだ教育は受けてないのであろう、少し突けばこちらに転がって来るかもしれないと、彼は睨んだのだ。

 彼は強かに目を付けた人物を誘惑した。

 ユーミリアは将来、絶対に国を二分するほどの大物になる。だが王妃にはなりえないのだ。十数家の公爵家で協定を結べば、王族ではなく自分たちの家へと彼女を嫁がせることが可能であろう。それに、彼女がその者らのどこの家へ嫁いだとしても、他の家にも充分に確保できるだけの利益は生むことは確実。こんなに美味しい話はないはずだと。

 もちろん最後には甘い、それでいて卑劣な罠を仕掛ける。面倒くさいことは全て下っ端の自分がやると、会長と名のつく子分に任せてくれと。

 彼はそう皆を説得したのだ。

 そして、彼はひとり頭の中で計画を立てる。後は自分が彼らより上にのし上がり、彼女にとって有益でなお且つ信頼される人物になれれば、そのまま彼女は自分の元に転がり込むだろうと。

 みなの了承を得た彼は、その場で笑い転げたい気持ちを抑えるので精いっぱいだった。五歳なんて所詮子供。何てことないと。

 茶会の終了後、嬉しい誤算も生じた。

 自分の発足させた会に、宰相の息子まで同調してきたのだ。会長としてではなく会員として。これには彼も晴天の霹靂だった。まさか、彼もが自分の罠に嵌るとはクレメンスにも想像できなかったのだ。

 神様がくれたチャンス。後は自分の努力次第だなと、彼は満足の笑みを浮かべた。


 (まさか、それがこんな結果につながろうとは。)

 クレメンスは自分の武骨な二の腕に巻かれた、彼女の繊細な腕を見つめる。きっと、彼女の隣に今一番近いのは自分だろうと。そして、ふと心配になった。彼女はこんなにも細い腕で、魔術を行使していたのかと。

 もちろん、魔術の巧拙に腕力の強さは関係ない。だが陣を描くのはやはり腕の力も必要である。あんなにも彼女に魔術を使わせていた自分を、クレメンスは今さらながら後悔していた。

 (もっと逞しく生きていると思ったのに……。)

 彼女はクレメンスが思っている以上にか弱かったのだ。始めの頃は常に傍について、陣のサポートをしていた。だが、疫病が流行って忙しくなってからは、あまり彼女の援護をしてあげれなかった。

 (だから、あの時、辛そうに校庭を歩いていたのだろうか。)

 やはり、自分が常に傍で彼女を見守って居てあげないと心配だと、彼は改めて彼女の隣を死守することを決意する。


 クレメンスは、自分を引っ張る彼女に出来る限り歩調を合わせた。

 これ以上、彼女の腕を傷付けないように、彼女に出来るだけ負担を掛けないようにと、彼なりに精いっぱいの神経を注いだのだ。

 だが、どんなに神経を腕に張り巡らせようとも、彼女に触れられたことが余程嬉しかったのだろうか。幾分も経たないうちに、クレメンスの顔は誰が見ても分かるくらい破顔していた。


 普段の彼を知っているような長年の友達なら、クレメンスの今の表情さほど驚きもしないだろうが、そうでない者達は一様に自分の目を疑うだろう。

 なにせ、“無表情”が彼の普段の顔なのだから。

 (そう言えば、女子の制服とやらは、奇妙な形をしているな。)

 彼はそんなことをふと思う。

 自分の顔の呆け具合には気づいていないものの、頭の中はきちんと働いていたようである。


 全生徒がお揃い<勿論、男女別>の服を着ることを強要されるのは、国中の高等部でもこの学園のみであり、クレメンスはその徹底ぶりを肌身で感じた時はその強い圧力に疑問を抱いた。

 だが、既に学園に入学していた兄に上手いこと言いくるめられたことで、今はさほど気にもしていなかった。

 (我々のは動きやすく見慣れたものだからいいのだが、女子の服装は……。)

 クレメンスは、先程遠くからこちらへ向かって歩いて来ていたユーミリアの姿を思い出し、自身の顔が熱くなるのを感じていた。

 女子の服装は現代の日本でいうセーラー服の形をしており、幼少期ではごく当たり前の、だが年頃の少女が履くには少し体裁を疑われそうな、膝が見えてしまう丈のスカートが指定されていたのだ。

 クレメンスは、自分のすぐ斜め前を歩くユーミリアの後頭部を見つめる。

 春風に揺られた彼女の長い髪がふわふわと空を漂い、甘い香りが鼻を掠めて彼を誘惑する。


 「……。」


 “無心”でいることを、彼は自身の心に誓ったのであった。

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