18.寮に入りました
「うわあ――!! なんて綺麗なんでしょう!!」
窓から顔を出したユーミリアの眼下には、雄大な景色が広がっていた。
果てしなく広がる湖畔をぐるりと囲んだ山々は、新緑の木々を覆い茂らせており、辺り一面が緑色の絨毯のように染め上げられている。
丘の上の塔から彼女が見下ろした世界は、その自然の素晴らしさを余すことなく表現しており、ユーミリアは思わず感嘆のため息を漏らすのだった。
彼女が今訪れている塔は、人里離れた標高の高い場所に位置しており、ユーミリアはその一室の窓から上半身を乗り出して外を眺めていたのである。
塔と言っても、実際は学園の寮であり、初めてこの場を訪れた時、この城のような造りにユーミリアは胸を踊らせたのだった。
(ここで寝起きするのですね♪ お姫様になったみたい! 塔の上のってやつですわ! ですが……エルフリード様と婚約出来れば、本物のお姫様になれたのよね……。)
ユーミリアはかぶりを振ると、浮かんできた暗い考えを霧散させる。
寮のある高地近辺は、これからユーミリアが進学する高等学園のものであり、学園は寮のすぐ近くに隣接されていた。
一ヶ月後に執り行われる高等部の入学式を前に、丘の上にある学園の寮へと、ユーミリアは一足早く足を踏み入れていたのである。
(だって早く親元を離れてみたかったのですもの! それにしても、本当に綺麗な森なのね。)
彼女のあてがわれた部屋は最上階の一室で東側に面しており、窓からは遠くに広がる先程の見事な景色が一望できた。
(あの森林一体が、たぶん鹿さんの言ってた場所よね。私が望めば、あの素晴らしい自然はすべて私のものになるの? そんなこと……。)
ユーミリアは重い溜息を吐くと、開け放たれた開き窓の扉をゆっくりと内側へ引いた。
ピタリと閉められた窓ガラスに彼女がでおでこをつけると、ひんやりとしたその冷たさが彼女に伝わる。まるで、先程の舞いあがった気持ちを抑え込ませ、冷静に物事を考えるように促しているようにもユーミリアには思えた。
トントン
その時、彼女の部屋をノックする音が聞こえる。
「はい。」
彼女はそう返事をしながら、ドアへと足を運んだ。寮の部屋はすべて相部屋であり、ユーミリアは同室の方が来られたのかしら? と、いそいそと向かったのである。
(相手の方も入寮が早いのね。そうよね、バタバタするのは誰でも嫌なものよね。さ――て誰かしら?)
ガチャ
「えっ!!」
ドアを開け、扉の向こうに居る女性の姿を確認したユーミリアは、思わず驚きの声をあげてしまっていた。
ぷべぎょ
(……変な擬音でごめんなさい。でも私、今、つぶれました。心も体もぺっしゃんこ!)
ユーミリアはその女性の登場に、頭上から巨大なタライが落ちて来たかのごとく、いろいろな意味で致命的なダメージを受けていた。
扉の向こうに居た女性の、頭のてっぺんからつま先まで舐めるように視線を這わせユーミリアは、ごくりと唾を飲む。
(何故に同室の住人が……これから苦楽を共にしていく相棒が……マルコス様ルートの本来主人公のライバルとなるべき女性なのでしょうか!?
これはファンブックにも書かれていませんでしたわ!
ライバル同士が相部屋などと……。そうですわよね、私もそんなこと興味ありませんもの。割愛されたのでしょうね。
あ、違いましたわ。本来はライバルではないのでしたわ。私が変にマルコス様に能力をチラつかせてしまったために、ライバル枠を競うことになってしまったのでしたわ……。)
「初めまして。同じ部屋に住まわせて頂きますリリーと申します。これから三年間、宜しくお願いします。」
興味本位で見られることの多いリリーは、ユーミリアの態度をさほど気に掛ける様子はなく、固まる彼女に対しハキハキとした口調で言葉を発した。
そして全身に神経を張り巡らせたように姿勢良く立つと、リリーは年頃の女性とは思えない隙のない仕草で、腰から上を折って深々とユーミリアに一礼を向けるのだった。
微笑みを顔に張り付けたユーミリアは、落ち着いた口調を装い、優しくリリーに声を掛ける。
「リリー様、顔を上げてくださいな。同じ学年なのですし、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。こちらこそ、これからよろしくお願い致しますね。」
ユーミリアも彼女に合わせ、優雅に頭を下げた。だが、彼女の心は激しく吹き荒れていた。
そうである。ユーミリアと同室になったリリーは、本来ならばゲーム上でマルコスが一番に目を掛けている女性でなのである。彼女にマルコス様を獲られてしまうと、彼女は動揺していたのだ。
ユーミリアよりこぶし2個分ぐらい身長が高めの彼女は、黒髪黒目の女騎士。腰まである長めのストレートの髪を後ろでひとくくりにしており、騎士というだけあって“凛々しい”とい言葉が似合う女性であった。
そんな一介の騎士団の団員である彼女が、高等部からの学園への編入、なお且つマルコスが目を掛ける理由。実は彼女、騎士団団長の愛人の娘なのだ。
何故に彼女が今さらになって陽の目を浴びたかというと、剣術が飛び抜けて優れているリリーを“このまま隠して育てていては勿体ない”と騎士団長が今年になってやっとこさ重い腰を上げたそうな。
これまでは、本妻の子供と同い年と言うこともあり、リリーは世間より隠され、騎士団の寄宿舎で密やかに育てられてきた。だがそのお陰か、騎士に囲まれて育ったことで剣術の英才教育を受け、それに団長の遺伝子が相まって、素晴らしい人材ができあがったのである。
(善かったですわ、魔術団長<私の父親>の愛人の娘とかではなくて。そんな子と同室だなんて、複雑すぎますわ。
まあ、魔術団長の愛人になっても、この世界では何のステータスにもなりませんしね!! 哀れ! 父上!!
ここだけの話、後の女性初の騎士団長になるのでは!? との噂もあるとかないとか。<ファンブック談>。
それほどの実力を彼女は持っているのです。騎士団長の弱味であり強みであるリリー様……マルコス様が見逃すはず有りませんわよね……。
ああ……この前会ったとき、マルコス様は私に笑いかけてくれましたが、もうそれはないのでしょうか!? すでに、リリー様の情報は把握してますわよね……。悲しいです。
マルコス様の笑顔を動画で記録しておきたかった!!)
「ユーミリア殿……。」
じっと自分を見つめるユーミリアに、リリーは遠慮がちに声を掛ける。
「え? あ、ごめんなさい。私、入口を塞いだままでしたわね。」
ユーミリアがいそいそと体を端に寄せ、彼女が通れるスペースをつくりあげると、リリーは会釈をしながら彼女の前を通り抜けた。
「なんと……広い。」
リリーが不覚にも思わず呟いたであろう言葉を、ユーミリアは聞き逃さなかった。
(リリー様……今までどのような生活を送っておられたのでしょう……。
……悔しいですが、マルコス様とのこと、心から応援致しますわ!! さあ、これからが今までの屈辱を晴らすときですわよ!! リリー様! 力を蓄えてあなたのお父様をギャフンと言わせましょう!! 私も手伝いますわよ!!)
ユーミリアは目尻に溜まった涙を拭うと、決意新たにリリーの背中を強く見つめるのだった。
「あ、リリー様、私の荷物は一応左側に置いてますの。どちらかご希望はありますか? まだ、荷ほどきはしてないので、大丈夫ですよ?」
ユーミリアは、“そういえば”とリリーに話しかけた。
「いえ。希望はありません。では、私はこのまま右側を使わせて頂きます。」
リリーは機敏にユーミリアに頭を下げると、廊下に置いてあった段ボールをテキパキと部屋の中へと運んでいく。
「お手伝い、しましょうか?」
ユーミリアは、召使を伴わず一人で作業を行う彼女に思わず声を掛けていた。
(わっ私ったら! 嫌見に取られちゃうかもしれないじゃないの!!)
ここはスルーしておくべきだったはと、ユーミリアは自身の唇を噛みしめる。
「いえ、お気になさらにでください。自分でやった方が早いため、誰にも頼まなかったのですよ。」
リリーは少し顔を緩めると、ユーミリアにふっと笑いかけた。
「そう、なのですね。」
ユーミリアは再び運び始めた彼女の姿を呆然と眺める。
(か……かっこいいです! 紳士ですわ!! ハスキーボイスじゃないのが残念ですが!!
あ、そういえば、どうして私はリリー様と同室になったのでしょうか? 親しいもの同士でと聞いていたので、ソフィー様などと同室になると思っていましたのに。
まあ、ナターシャ様とリリー様を同室にする訳にはいかないですもんね。例え姉妹と言えど、そこまで学園は空気が読めないはずはないですものね。
まあ、ナターシャ様は親友がいっぱい居ますから、彼女らの誰かと同室になったとして、私は?
私にも親友は居ますのに。彼女たちも私のこと親友と……あれれ? 言った? かしら? ……またですか。また独りよがりですか!
なるほど。学校的にはそれほどの親友っぽく見えなかったし、ユーミリア<私>には同室にする人材がいない。はみ出した。どうしよう。そうだ! 身分的にも釣り合う生徒が今年から入ってくるではないか!! 丁度いい!
的な? …………。わ……私、辛くなくてよ! 皆さま優しかったし、親切だし、相談に乗ってくれたし、可愛いし、スタイルいいし、男友達も多いみたいだし、それにそれに、一緒にご飯食べてくれてたし!! 私、泣かない!!)
ユーミリアは目の下にタプタプと浮かべた涙を、流さないように何とか堪えていた。
実は、彼女の身辺を気にしたエルフリードが善かれと剣術に優れたリリーを同室にしただけのことだったのだが、それが彼女を深く悲しませることになろうとは、彼は露ほども思っていなかったのだ。




