15.伯爵家長男
父の書斎から追い出されたユーミリアは、自宅の庭にある高台で空を眺めていた。
(時の狭間に飛ぶだなんて……さすがチート家系。いえいえ、お父様は人の思考を操れる時点で尋常では無さすぎたのですけどね。)
彼女は虚ろな目で遠くを眺める。
「それにしても、お腹すいたわ。」
彼女はポツリと呟いた。
ユーミリアは父親に色々と教えて貰うため、朝早くに書斎を訪れたのだが、あっさりと追い返されてしまったのだ。
目論見が外れた彼女はなすすべなく佇む。
(一人だけ早めてもらおうかしら。早起きしたら、お腹が空きましたわ。それしても、あの陣、面白い配置をしてましたわよね。)
まだ2ヶ月もあるのだしと、あの土地についての難しい問題は先送りにして彼女は先程の陣の応用について思いを馳せていた。
そうである。あれを改良すれば“転移とか可能ではなくて!?”と、彼女はあれこれと思考を凝らしていたのである。
彼女は枝を拾うと、足元に広がる砂地に先程の陣を描く。そこから、陣の中心に描かれてあるウネウネとした模様を消し去った。
(きっと、魔力がうねるのはこのせいよね。お父様のもう一つの書斎からもこのウネウネのような嫌な感じがしていたわ。このうねりがきっと時の狭間と関係しているはず。)
と、適当な勘で消してみたのだ。それからユーミリアは陣の北側にN、南側にSと書き、陣を地に固定してみる。
(後は、行きたい方向に、矢印を書いたらどうかしら? 矢印の長さは距離と関係するわよね。炉のところまでだったら、これぐらいな長さな気がするわ。)
と彼女はさらに思いつきで中心から外へ向かう矢印を書き加えたのだった。
(あと、流し込む魔術の色はどうしよう? 変なところに飛んじゃまずいから、自然な色が良いわよね。……じゃあ、ここの土の色と今日の空の色、あと一色は……空気の色? 無色ってことね。色を付けないでいいなら、時の狭間の時の三色より楽だわね。)
そう結論を出したユーミリアは、二色に染め上げた魔力とそのままの魔力を合わせて陣に流し込む。
全体に行き渡った魔力がは、程なくして陣に吸収された。
間を置くことなく、陣がハタハタと揺れ出す。何かしら起動し始めたようだ。
「これってもしかして……飛んでいくパターンでしょうか。首、もげないと良いのだけれど……。」
ユーミリアは急いで陣の上に足を乗せ、揃えて身構える。
ヴォワン
だが、風を切る感覚はなかった。
ユーミリアの視界が暗闇に包まれる。と、次の瞬間には、彼女の目にはシリングの嫌そうな顔が広がっていた。
(わあ――! やっぱり美形はどんな顔してても、顔がお綺麗ですわね――!!)
眼前に広がるイケメンの苦渋の表情を、ユーミリアは頬を染めながら心を弾ませて眺めた。
「なんで、睨んだのに嬉しそうな顔を返してくるんだ……。Mかよ。というか、君もしかして転移陣まで開発したの!? はあ……。どこまで書き変えれば済むの――?」
片手をおでこに当て、溜息を吐くシリングの横顔を、またしてもユーミリアは“萌え――っ”と心の中で呟きながら見つめていたのだった。
「だから、視線が気持ち悪いってば。……まあいいや。今度教えてよ、転移陣の書き方。なんか面白そう。で、こんな朝早く何しに来たの? あ、その前に……。」
そういうとシリングは小さな陣を下地なしに直接魔力で適当に書いたかと思うと、粉々に粉砕して部屋中に拡散させた。
「? 何をされましたの?」
部屋中にキラキラ舞い広がる黄金色の魔力の結晶を、ユーミリアは“綺麗だわ”と、惚けた顔で眺めながらシリングに尋ねる。
「防音。君、声がでかいんだもん。また、前世がなんだの、声に出すんだろ? やめてよ。俺まで頭がおかしいって思われるだろ?」
シリングの素っ気ない物言いに、ユーミリアはわざと自身の胸倉を掴んで斜め下を向いた。
「……なんか、シリング様、昨日とはまるで別人です。かなり冷たいです……。」
シリングは彼女の態度に“フッ”と鼻息で答える。
「君に笑顔を振りまいてもね――。で、何しに来たの? 瓶作りの朝練?」
全くシリングに心配して貰えないユーミリアは、今度は強気に出てみることにした。
「何しにって、昨日の今日ではないですか! せっかく同じ前世の記憶があるもの同士、お話がもっとしたいのです!!」
「そう? 話すことなんかある?」
と、ユーミリアの健闘虚しく、相変わらずシリングは彼女につれない。
「う……ここ冷気漂ってます? いっぱいありますでしょう! これから始まるゲームの事とか、寧ろ話し合っておくべきかと思いますわよ!!」
「え――、始まってから考えれば良いじゃん。寧ろ、その方が俺ら学校で会えるし好都合?」
シリングのきっぱりとした発言に、彼女もなんだかそうすべきような気がしてきていたのだった。
「うう……そう、ですわよね……。あ、学校と言えばシリング様は、登校しなくて大丈夫ですの? ずっと下町で暮らしているのですわよね?」
ユーミリアはふと思い付いた疑問を彼に尋ねる。
「ん。周りに優秀な人材ばかりいてさあ。結構生徒会も暇なの。たまにはここを抜け出して、学校に行ってるよ? まあ、既に出席日数は足りてるから、行く必要はないんだけどね。」
「そうなんですの? 高等部って随分緩いのですのね。」
「生徒会長のとっけ――ん。君が嘘ついて休んだら即留年させてあげる!」
シリングは口元をニヤリと歪ませた。
「ええっ!? 酷いです!!」
と、彼に縋ろうとすり寄るユーミリア。だが、シリングは見事にかわし、バランスを崩した彼女は倒れ込む。
ドテッ
鈍い音が工房に広がるのだった。
「だって君、研究やなんやらで、あんまり学校に出てなかったんだろ?」
彼はユーミリアに手を伸ばすことはなく、ただただ彼女を見下ろしながらそう呟く。
「シリング様!?」
ユーミリアは驚いた。彼女にはシリングが少し切なそうな顔をしているように思えたのだ。もともとタレ目で柔和な外見であったが、上から小首を傾げながら見下ろす彼の様子は、まるで子猫を心配する母猫の様に彼女には見えた。
(もしかして、私が学校に出れるようにお父様に牽制をかけようとしてくれているのですか!?
魔術団長の立場的にも娘をを留年させる訳にはいかないし、嘘で休めないなら私を学校に行かせざる追えないと!!
……嬉しいです、私のことを考えてくれていたのですね。やっぱりシリング様は外見も中身も優しくて素晴らしい人ですわ!!)
ユーミリアは感動のあまり、目の下に涙を貯め込む。
「……何かいろいろ勘違いしてるよね?
ていうか、俺の足元で四つん這いになって、泣きながら見上げないでくれない? 俺、そんな趣味ないんだけど。
あと、俺が仕切る学校での虚偽報告、及びに出席日数不足での進学なんて認めないから。」
「はいはい。」
ユーミリアは目を細めると、暫くの間、彼に慈悲深い笑顔を向けるのだった。
(もうっ。そんな強気な態度をとっちゃて。わかってますわよ、あなたの本心は!)
と、彼女は達観していたのだ。
しかし、彼女はふと無表情にる。そして、ゆっくりと立ち上がると、スカートについた砂を払い始めた。
「……四つん這いの件、なかったことにしようとしてる?」
「あ、そう言えば、シリング様、妹なんていまして? この間、ルイーザ様となにやらそのようなこと話されてましたわよね? もしかして、私が治癒魔術を開発したことで、その辺も変わってしまったのですか??」
「今、俺の言ったこと、聞こえてて無視したでしょ?」
「私、少子化問題に貢献いたしましたのね!!」
ユーミリアは“私、感動してます!”と、胸の前で手を組んで目線を上に向けた。
「あ、もう完全になかっことになったんだね。というか、この国は少子化では困ってないけど?」
「……。」
「それと、俺らに妹は居ないから。ほら、ここで働くにあたって、身元がしっかりしてなきゃいけないだろ?
だから、下町のある家族にお願いしたの。出稼ぎに出ていた長男が帰ったことにしてって。喜んで受け入れてくれたよ?
で、その家の娘が俺より年下だから、その娘は俺の妹ってことにしといた。」
(……いくら積んだのでしょう。)
飄々とさも当たり前のごとく悪事を言ってのけるシリングに、ユーミリアは少し怯んだ。だが、彼が自分と会うためにわざわざ偽装工作までして工房で待っていてくれたことを思いだし、彼に悪行を働かせてしまった事を彼女は心から悔いていた。
シリングが急に動き出す。どこかにてくてく歩いて行ったかと思うと、徐にしゃがんで何かをしているようだ。
「どうかしたのですか?」
ユーミリアは少し声を張り上げて、離れた場所に居る彼に尋ねた。
「朝飯。」
そう、大きな声で呟いたシリングは、腕にいろいろ食材を抱えてユーミリアの所に戻ってきていた。もとい、炉の前に戻ってきた。
彼は、握りこぶし大のチーズを近くに置いてあった棒に刺すと、躊躇なく炉のなかに突っ込んで火で炙り始める。熱せられたチーズから美味しそうな香りが辺り一面に広がり出し、ユーミリアの口の中は潤いで包まれた。
キュルキュルキュル
突如、彼女のお腹が鳴る。
(そう言えば、私、朝食まだでしたわ……。)
ユーミリアがお腹を押さえながら炉のなかを覗くと、とろけだしたチーズが黄金色に輝き始めていた。終いには棒から落ちてしまいそうにり、それをシリングがいい具合にパンでキャッチする。
「これってもしかして……。」
ユーミリアは物欲しげに彼の顔を見つめた。
「美味しそうだろ?」
「ええ。……ありがとうございます。」
彼女はしぶしぶだが、彼にお礼を述べる。
「え? 何が?」
だが、彼はそれを受け入れない。ユーミリアの頭中に嫌な予感が過ぎった。
「……私の分は……。」
「ないよ?」
シリングは即答するのだった。
「……。」
(ですよね――。今までの流れからして、そんな気はしていましたけど――。)
彼女はジト目で彼のことを見つめる。
「じゃ、そろそろ帰って? おれも忙しいんだよね――。」
「……いいわよ! 自宅で豪華な朝食食ってやる!! キャビアとか!!」
「お嬢様口調が崩れてるよ? あと、この世界、キャビアないみたいだし。というか、前世でも食べたことないんじゃないの??」
床土に陣を書き始めたユーミリアの背中に、シリングは辛辣な言葉を投げつけた。
「キッ!」
彼女はそう言葉を発しながら、彼を睨み、陣に乗って消えたのだった。
それを合図に、シリングはパンを頬張る。
はむ はむ はむ
「ん――美味いなあ。これ、前から食べてみたかったんだよね。次は目玉焼きを試してみたいな。あれも美味そうだったよな――。」
と、彼が2口目を食べようと大きく口を開けると、ルイーザが扉も叩かずに工房に入り込んで来た。彼は鋭い眼光で工房内をぐるりと見渡した後、眉をしかめて顎をさする。
「ししょ――。どうかしたんですか? いつもより朝が早いですね。」
そんなルイーザに、シリングは敢えて呆けた声を出して彼に質問を投げ掛けたのだった。
「あ!? ……あ……いや、なんでもない……。あ! こら!! また窯で食材を焼いただろう!!」
そう受け答えをするルイーザは、普段の人の良さそうな顔に戻っていた。
「美味しくて。てへ?」
シリングは淑女受けする愛くるしさを、ルイーザへと向けるのだった。




