14.父の秘密
左側の書斎には、右のそれと同じく奥に机が備え付けられてあり、そこに鎮座する父親は無表情で彼女を見つめていた。
「お、お父様……居たのですね。全く気づきませんでしたわ! さすが私のお父様、気配の消しかたも上手ですのね!!」
と、取り繕うとするユーミリアは身体の前で両手を合わせ、心から称賛した笑顔を父親に見せる。
だがそれは、父親にはマイナスだったようだ。
「……気配を消したつもりは“ない”のだが……。まあ、よい。それにしても勝手に部屋に入るとは、礼儀がなってないがの。」
「申し訳ありません!!」
ユーミリアは頭を下げた。
「……謝る前に、早く両足を中に入れんか……。」
ユーミリアは片足だけを、父親のいる左側の書斎に突っ込んだ状態で、頭を下げていたのだった。
「あらあら。どうりで足元がすうすうと……。」
ユーミリアは苦笑いをしながら、下の壁の切れ端に手をあて、そっともう片方の足も部屋の中へと入れる。
「気づいておらんかったのか……。」
呆れ果てた父親は、もう小言を言う気力も尽きたようだ。
「おほ。おほほほ……。」
「はあ。で、書斎は勝手に入ったとしても、こちらの書斎へはどうやってきたのだ?」
父親は気を取り直すと、じっと彼女目を見つめた。
「あの……壁に残っていた陣を再現したのです……。」
ユーミリアは肩を竦めながら恥ずかしそうに白状した。
彼女の発言に、父は眉間に皺を寄せた。
「陣が残っておっただと?」
「ええ。微かですが……。でも、すぐに消えてしまいましたよ?」
と、彼女は自分が触って消えてしまったことを隠す。
「微かな痕跡ででもお前は復元できるのだな……。 しかも一見で再現可能とは驚き呆れるわい。その陣はな、我が家に代々伝わる秘術なのだ。いずれ伝えるつもりではあったが……まあ手間が省けたと思えば良いか。お前にいずれできるであろう子供に伝えてくれ。」
父親が半ば諦めながら彼女に言い渡す。
「まあ! 我が家に秘術があったのですね!! なんか凄いですわ――!! で、この書斎は何なのです??」
“我が家の秘伝”に浮かれるユーミリアは秘術の内容に興味津々であった。
「ここは異空間なのだ。ここの中は外の世界とは違い、時間の流れが止まっておると考えてよいだろう。まあ、お前のようにその扉を開けっぱなしにしておれば、この中も外の世界と同じ時が流れてしまうのだがな。」
「時の狭間!? あら、想像以上に私ってチートすぎる。……お父様はいつも、私の知っている何倍もの仕事をここでこなしていたのですか?」
現実を知ったユーミリアは、父親の現状を理解しようとしたのだ。
「この空間で仕事をするのは初めてだ。そうやすやすとこの中に入っては自分と世界との時間の差が開きすぎてしまうからな。
今回のことは、前々から仕事が忙しかったのが、このところやってもやっても仕事が終わらぬので、この策に乗り出してみたのだ。仕事以外、全く手につかないくらいの尋常でない仕事量なのだ。変であろう?」
父親が意味ありげにユーミリアを見つめる。
「……。」
彼女は何も答えられなかった。
きっと、ゲーム補正効果のせいだとユーミリアは思った。だが、どうしようもないことだし、それを言って何かが変わるとも思えなかった。むしろ、知ってしまったせいで、父親が壊れてしまわないかと彼女は心配したのだ。
どんなに仕事をしても終わらない。どんなに仕事をしても魔術団の地位は上がらない。
誰でも、こんな状況下では発狂しても可笑しくないのだと。
(きっと、お父様に本編から遠ざかって貰うために、仕事量が増えてしまったのでしょうね。だって、時の狭間にも行けるお父様ですもの。簡単にゲームの内容を変更してしまいそう……。)
ユーミリアは真実を知っている心苦しさに、まともに父親の顔が見れなかった。
「……。それはそうと、わざわざこのフロアに来るとは、私に用があったのではないか?」
父親は押し黙るユーミリアに、明るく声を掛ける。
「あ、はい。お忙しい所、申し訳ありません。お父様にお聞きしたいことがありましたの。……ドア、閉めましょうか?」
ユーミリアは開いた壁を指差す。
「いや、開けたままでよい。お前にはまだこの空間は早いであろう。で、私に聞きたいこととは?」
彼女はコクリと頷くと、父親に向き直る。
「お父様、王に興味はありますか?」
ユーミリアの唐突な投げかけに、父親は片方の眉を上に持ち上げた。
「それはお前の心からの疑問か?」
「……はい。」
「そうか。ならば、私も真剣に答えよう。現国王に興味があるのか? という質問なら、答えは“勿論”である。……だが、王座に興味があるのか? という質問であるなら、答えは“否”全く興味はない。私は人間に興味がないのだ。否定的にとらえないで欲しいと言いたいところだが、私はわが一族が幸せであれば、その他はどうでも良いのだ。……幻滅したかい?」
父親が切なそうに彼女に笑いかける。
「いっいいえ!! お父様をそんな風に見ることはありません! たとえ、何があっても絶対に!! でも、そうなのですね。王座には興味はありませんのね。」
ユーミリアは考え込むように下を向く。
「……。では、反対に私からも聞こう。お前は王になりたいと思ったことはあるか?」
父親のゆっくりとした問いかけに、ユーミリアは姿勢を正して答えた。
「私は、王がすべきことも、王としての大変さも知りません。ですが、多くの人々が変革を欲するのなら、新しい国を造ることは必要なのかと思います。」
その時、窓越しに見えだした太陽が彼女の顔を照らしす。ユーミリアの脇には彼女の長い影が伸び、えも言わぬ神妙な雰囲気を生み出していた。
(うわあ。なんてタイミングがいいのでしょう。きっと今、太陽の光のおかげで私の言った戯言が、お父様の中で重みを増しましたはずですわ!)
ユーミリアは鼻息荒く頬を紅潮させる。
「私は産まれたばかりのお前を抱いたとき、どんなことがあってもお前の味方でいようと決心した。たとえ、お前が万が一間違った方向に進もうとも、絶対に私だけはお前を裏切らないと。……だが……現国王に忠誠を誓った時点で、それは叶わぬことであったのだな。お前の今の発言は聞かなかったことにさせてくれ。ただ、お前の敵になることは、この先一生ない。それだけは誓おう。」
「お父様……。」
ユーミリアはじっと父親を見つめる。
そんな彼女に、父親は小さく笑いかけるのだった。
「で、話はそれだけか?」
急に表情を戻した父親は、彼女に詰め寄る。
「あ……はい。」
「では帰りたまえ。」
彼女の答えを得た父親は、早く此処から出て行くよう、ユーミリアを促した。
ユーミリアは先程通ってきた壁に目を向ける。
反転された陣がそこには広がっていた。だが少しずつ自動で閉まってしまうのか、隙間は彼女がここへ来た時の半分にまで狭まっていた。
彼女が渋りながらも陣の扉を手で押すと、ギイっと音を立てながらもそれは開く。またしてもスカートをたくし上げた彼女は、“よっこらしょ”という掛け声付きで壁を跨いだのだった。
「お父様……では失礼します。」
ユーミリアは穴越しに顔だけを出し、父親に挨拶をすると、ぱたりと壁を押し閉める。
「……。」
残された父親は、彼女のその一連の様子を呆然と見つめていた。
「あやつ、陣を素手で押しよった……。」
試しにと、父親は残された陣に駆け寄る。そして、それへと指を伸ばすのだった。だが、触れた先からジュッと音がし、陣は父親の指先を少し焼きつる。慌てた父親は急いで手を離した。
「……だろうな。」
父親は自身の手に治癒魔術を掛けながら、自身の娘の非凡さに溜息を吐いたのだった。




