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12.鹿と過去

 庭に整然と立ち尽す鹿は、しかと四本足を地につけ、天上へと首を伸ばす。

 夜空に浮かぶ星を茫然と見つめているように伺えるが、どちらかと言うと、人間の目には見えない何かを愛おしそうに眺めているようであった。


 《千年ほど前であろうか。》


 鹿がゆっくりと口を開く。


 《領地拡大での煽りで、あの森林一帯も違わず侵攻を余儀なくされた。

 時を置くことなく麓の木は殆ど切り倒され、ついに森にまでその侵攻は及んだ。

 あの森はわしの棲みかであった。

 この世界の天地を司る我が森に手を加えるとは、なんと愚かなこと。

 だが、“手を加えてはならぬ”と言う我が命も、もう何千年も昔にそれぞれの国王に伝えたこと。

 代々それぞれの国の王が、子孫へと言い伝えてはおったようだが、誰もが只の迷信だとその言い伝えに重きを置いてはいなかったのであろう。

 だから何人たりとも入れぬよう、封鎖したのだ。

 もちろん人間に可視化可能なように具現化しているわしにも入れぬ。

 それぐらい精巧に造られておるのだ。世界中の魔術師が集まっても解除出来ぬようにな。

 だが、その代償が今の状況を生み出してしまったようだな。

 木々から力を得ているわしは、住処である森に入れなくなったせいで、少し能力が衰退している。

 今日まで何不自由なく暮らせておると思っていたが、そう思い込んでおっただけなのだな。

 お主、この世界が“何かの設定に基づいている”と、さきほど下町で言っておったが、それは真か?》


 《……。》


 ユーミリアはじっと鹿の言葉に聞き入っていた。

 だが、瞬きもせず鹿を見つめるユーミリアの表情に違和感を感じた鹿は、彼女に言葉を投げかける。


 《……おい、娘、わしの話を聞いていたか?》


 と。

 彼女はハッとして、目の焦点を鹿に合わせる。


 《あ、鹿さん、やっと話が終わりまして?

 私、目を開けたまま立って寝ていたのではありませんよ? 勘違いしないでくださいな!

 例え、普段眠りにつく時間を遠の昔に過ぎていたとしても、鹿の長い戯言の聞き役に徹していたとしても、私は全く眠くなりませんでしたわ!!

 というか、いろいろ突っ込みどころ満載で、口を開くのが待ちきれませんでしたわっ。待ち過ぎて出るタイミングを間違えてしまったではありませんか!!

 なんか普通に話していますけど、何千年前から生きてたのですね。

 いやですわ。おじさんおじさんとは思ってはいましたけど、まさか桁違いのおっさん。

 プププ

 それに、自分が呪いをかけたために自分の家に帰れなくなったんですって。

 ププププ

 あと、能力が落ちたのは、住処の森に入れなくなったから、なんて言い訳してましたけど、森ってそこらへんにいっぱいありますわよね!! 加齢ですよ、鹿さん、能力の衰退は加齢のせいですって!!》


 憐みを含んだ目で大きく頷きながら言葉を返すユーミリアに、鹿は思わず口元を引き攣らせた。誇張表現ではなく、鹿なのに本当に口元がピクピク動いていたのだ。

 よほど彼女の態度に幻滅したのであろうか。


 《……。娘、わしは真面目な話をしていたのだが?》


 鹿の心からの批判じみた口調に、ユーミリアは思わず目を見開いて鹿を見返した。


 《まあ! 私もしかと真面目に聞いておりましたわよ? 私なりの副音声付で。

 プププププ

 あ、そういえば聞き捨てならないことが一つ出て来ましたわよ。なぜ、私が工房でこそこそと話していた内容を知っているのです!!》


 ユーミリアのあまりにも強く出る態度に、鹿は強い失望を通りこして半ば諦めた感情になっていた。


 《……この世界に存在する生きとし生けるものすべての声は私に届くようになっているのだ。》


 しぶしぶ彼女の質問に答えた鹿は、ユーミリアが虫けらを見るような目付きになったことを受け、自分の発言が失敗だったと悟った。


 《なんと! 盗聴し放題ですの!?》

 《すべての者の言葉に耳を傾けるほど、わしも暇ではない! 今回のことは、お前の日本・西暦などという単語のみがわしの中に響き渡ったのだ。盗聴など一切しておらん!!》


 鹿の強い発言に、ユーミリアは肩をすくめてわざと大きく首を左右に振った。


 《あなたの言ってること、盗聴と何が違うのか分からないのですわよ?》

 《……何故私はこのような者を選んでしまったのだろうか……。もうよい。

 今は、“ゲーム設定”について詳しく話してくれぬか?

 お前の前世の記憶と何か関係あるのだあろう?

 本来ならば、歪みを造り出さないために、我が能力でそのような人物の記憶は生まれてすぐに綺麗に浄化してしまうのだがの。

 なにせ森が封鎖されているから……ま、お前は楽しんでいる様だから消さないで良かったであろう?》

 《消さなくて? ……そう、ですわね。私が治癒魔術をこの世界に生み出したことで、この世界に生きている人々の生活が少しでも改善されたのなら、前世の記憶があったままで良かったのだと思いますわ。》

 《ほらな? わしはそれを狙っていたのだ。》

 《……なに、こじ付けてるんですか! 私が治癒魔術を開発するとは限らなかったのだし、力の節約のために私の記憶を消し去らなかったことに、後から理由ををこじ付けないでくださいな!

 あ、鹿さん、“ゲーム設定”について何ですけど、今、私が居るこの世界、以前私がいた世界に存在していたゲーム設定……作り話の設定そのまんまなんです。》


 ユーミリアは目に力を込めると、神妙そうに彼に伝えた。

 だが、それを受け鹿がニタリと笑う。


 《まあ、ポロポロと秘密を漏らして。口が軽いのお。で、何が似ておるのだ?》 


 鹿はここぞとばかりに反撃を盛り込んできたのだ。


 《なぜ、いちいち小言を頭に付けるのです……。あなたが教えてくれって言ったんでしょ!?

 まったくもう。そうですねえ、物語自体はあと二ヶ月後の主人公が高等部入学と共に始まるので、まだ始まってはいないんです。

 だから、なんとも言えないのですが、物語に出てくる登場人物の設定は、すでに揃っているものもあるのです。

 今のところ私が同じと感じているのは、エルフリード様、マルコス様、クレメンス様、シリング様、ナターシャ様、私・ユーミリアです。

 この人物の背格好や髪の色、目の色は物語と同じです。これらは私の主観に因るものもあるので、なんとも言えないのですが、完全に同じと言えるのは、名前、年齢、そして、身分設定です。

 あと、おおまかな性格も物語内と同じような気がしますわ。》


 ユーミリアは一気に捲し立てた。誰にも言えない、心の内にずっとひた隠してきた想いが、鹿によって解放されたのだろう。

 彼女はどこかすっきりとした顔をしていた。

 鹿は彼女の話を受け、考え込むように目を伏せる。


 《ほお……。“この世界”が、か。

 この世界はわしが管理しておるのだがな。だが、住処に帰れず、力がかなり弱っておるのかの。

 そこを突かれたのか、この世界の軸が書き変えられたのかもしれん。

 前世にお前と同じ世界に住んでいた人物が、この世界の軸を物語どうりに変更した可能性がある。早く森に帰って力を補充せねば。まずすべきことは世界軸へのアクセスだな。》


 ふむふむと一人納得している鹿を尻目に、ユーミリアは室内に帰ろうと、そっと後ろを向くと忍び足で歩いたのだった。


 《おい、娘、どこへ行く?》


 そんな彼女に、目敏く気づいた鹿は声をかける。

 だが背中越しに問いかけられるも、彼女は振り返らなかった。そして、毅然と答える。


 《寝る時間なんです。おやすみなさい。》


 と。


 《森を管理する気は起きたか?》


 ユーミリアは首から上だけを動かすと、怪訝な顔を鹿に向けた。


 《……起きませんわ。というか、べつに私が管理しなくてもいいのでしょう? 呪いを解けばいいだけなんですし。》

 《呪いではない。術をかけたのだ。だが、解くだけでは周りの国に示しが付かんではないか。また領地争いに発展しても困るであろう?》


 ユーミリアはため息を吐くと、くるりと百八十度回転し、鹿と向き直った。


 《そうですが。ですが、私が管理することになったら、私の所属するこの国の領地になるのでしょう? それはそれでややこしいような気がするのですが。》

 《それでも良い。お前が新たに国を造ってもよい。お前次第だ。》


 鹿が恩着せがましく、自慢げにユーミリアに目を向けた。


 《……完全丸投げではないですか。そんなこと、すぐには答えは出せませんわ。時間を下さいな。》

 《ああ。だが、出来るだけ早く答えを出せ。その物語とやらが始まる前にな。もしかしたら、その主人公が、この世界を書き変えたのかもしれんしな。》

 《そうかもしれませんわね。先程述べた、シリング様もここの世界がゲーム設定と同じだと気付いてましたわよ?》

 《な……なんと、お前とその主人公のみならず、他にも同じ世界の前世の記憶があるものが居るとは……。》


 「……。」


 (まずはお父様に相談するのが一番だわよね。)

 “今日はもう夜遅いから明日にしましょう”と、頭を抱える鹿を見捨て、ユーミリアは家の中へとそそくさと姿を消したのだった。

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