11.彼女は何処かへ向かいます
《おい、娘。》
ユーミリアが自室で休もうと身支度を整えていると、彼女の中に自分ではない誰かの声が響く。
《だれ???》
ユーミリアは聞き返した。
《わしだ。》
(オレオレ詐欺ならぬワシワシ詐欺? ……ではないわよね。分かってるわよ。ちょっと現実逃避しただけよ。)
ユーミリアは自分にむくれた。
《鹿さん……。私、あなたと意識を繋いでないわよね? どうして、あなたの声が私に伝わるの??》
《それはわしが凄いからだ。……まあ、それは良い。話がある。庭へ降りて来い。》
説明を拒む鹿に、ユーミリアはむっとするも、しぶしぶと部屋を後にする。あれでも神の使いのようなことをするのだからと、彼女は自分を納得させたのだ。
厚手のコートで身をくるんだ彼女が裏扉から庭に降り立つと、外は闇に包まれていた。分厚い雲が夜空を覆っているらしく、星の瞬きどころか月の姿さえ全く見受けられない。風で木々が揺らされているらしく、暗闇の中、葉の擦れる音だけが庭に広がる。
そんな中、庭の中央でギラリと光る鹿の眼だけがその存在を高らかにアピールしていた。
「……。」
ユーミリアは無言でその場に立ち竦み、心の中で“お化けかよ!”とつっこんでみた。
突如突風が吹き荒れる。ユーミリアは乱れる髪を抑え、砂が入らないように目を瞑る。次に彼女が目を開けた時には、鹿が月に照らされて姿を現わしていた。
きっと、さっきの突風で雲も蹴散らされたのであろう。見渡すと、遠くの景色まで明らかに見えた。彼女はじっと鹿の様子を窺う。すると、徐に彼女の頭の中に鹿の声が流れてくるのだった。
《お前に土地をやろう。
この国の東にあるあの森林一体だ。大きくそびえ立つ山の麓には、広大な平野が広がっており、青々と茂るその地には、太陽の光が燦々と季節を問わず降り注いでおる。近くを流れる川は、常に澄んでおり、せせらぎとその綺麗な水がお前を癒すであろう。
住むにはもってこいである。》
普段の冗談交じりの口調が鹿には全く見られず、いつぞやの瓶のお告げを頂いた時のような重々しい空気がその場に流れる。彼女はそのまま、じっと鹿の目を見続ける。
そして、暫く微動だにしなかった彼女は、ゆっくりと鹿に自分の言葉を伝えた。
《え……と……。鹿さん、ありがとうですわ。嬉しいな。では、おやすみなさい。》
ユーミリアはそう告げると、さっと後ろを向いて家の中へと引き返す。だが、鹿が彼女の服の裾を掴み、それを阻んだ。
「えっ!! ちょっと破れてしまうではないですか!? 離して下さい! ……分かりましたわよお。最後まで聞いてあげますから、スカートを口から離して下さいな!!」
彼女の訴えが通じたのか、鹿は布の切れ端を解放すると、フンと鼻息をひとつ鳴らす。
「……。」
(破れてる。すでにもう破れてる。)
ユーミリアはハラハラと落ち去った、元スカートの一部を呆然と眺めた。
怒りを抑え込んだ彼女は、これから鹿に忠告することを、ゆっくりと頭の中で考える。そして伝えたのだった。
《鹿さん。動物に“今日からここがお前の土地だ!”とか言われましても、人間の世界では通じませんの。土地には権利という物がありますのよ? 知りませんでして??
それとも何でしょう。陛下に掛けあって、証明書とかでも発行してくれますの? 嬉しいですわ。
でも、いりません。
だってあの土地、いわくつきですのよ? 森を牛耳る貴方なら知っていますでしょうに。それも知りませんでした? でしたら、教えてあげますわ。あの土地は、入ったら最後、まっすぐまっすぐ歩いてるつもりなのに、二度と出られなく……はならないけれど、元の場所に出て来てしまうのです。》
ユーミリアはそう言うと、自身の両肩を抱え込み、わざと全身を震わせて目を瞑った。
《…………娘、馬鹿にしておるのだろう。出て来られなくなるよりはマシだろうが。敢えて酌量してあげたのだぞ。感謝せいっ!!》
鹿が力強く彼女に腹ドンをかます。
「ぐはっ!」
お腹に衝撃を受けた勢いで目が開いたユーミリアは、苦々しく彼を睨みながら怪訝な面持を鹿に向ける。
《……え? “してあげた”!?》
《そうだ。わしがあの森を封鎖したのだ。お前が管理するなら解いてやってもよいぞ? この国の三分の一ぐらいしか広さはないが、お前には充分であろう。》
そんな傲慢な態度を誇る鹿を、ユーミリアは愕然と見つめるのだった。
(なんでしょう……鹿は私に国を作れと言ってますのでしょうか?
もう、ゲームのジャンルすら合ってないのですけど……。
……まずは動物のお世話から始めましょうか。それとも野菜から育てた方が宜しいのでしょうか……。私、家庭菜園の経験しかないんですけど……、いきなりハードル高いですわね……。)
そんな風に考えるユーミリアは、前世での知識を総動員し、“何から始めようかしら”と遠くにある山を見つめながら思いを馳せた。




