09.宰相子息と殿下と喧嘩
「エルフリード様、おはようございます。」
机に座って一人反省しているユーミリアの所に、クラスメイトの畏まった声が届く。
ハッとして顔を上げた彼女の目には、颯爽と教室へと入るエルフリードの姿が映り込むのだった。
彼は威厳のある出で立ちで風を切り、部屋にいた全ての者が彼に頭を下げる。
「おはよう。」
彼は一人一人に軽く会釈をしながら自分の席の方へと歩いていく。
「おはようございます。」
急いで立ち上がったユーミリアもまた、彼が前を通り過ぎる際、深々と頭を下げて挨拶をするのだった。
だが先日の“妹発言”が気になったユーミリアは、頭を上げる際、そっと顔色を窺おうと彼に目を向ける。すると、なんとエルフリードもまた、誰にもばれないように彼女に対して、軽くウインクを返して来たのである。
(ぐほっ! キラキラウインク、きょ……強烈過ぎますわ……。兄上――、妹には刺激が強すぎますわよ――。)
と、ユーミリアは心の中で彼に切に訴えた。
普段ならばその衝撃に脳天をやられ、彼女はすぐにお花畑へと旅立ってしまうのだが、今回は彼の後ろに控えている人物に気が気ではなく、ユーミリアは意識を保つ。
そう、彼の後ろにはいつもマルコスが控えているのだ。
マルコスはエルフリードに続き、ユーミリアの前を通り過ぎようとしていた。
(来ます……来ますわ……。)
彼女は大きく緊張をしながら彼を目で追う。
だが、マルコスは一向に彼女を見ようとしない。
(ま、前を。今まさに前を通っています!)
「……。」
たが、まだ彼は彼女を見ない。
そしてそのまま、ユーミリアに一瞥も与えることはなく、マルコスは通り過ぎたのだった。
彼女はガクリと肩を落とす。
(う――マルコス様――……。完全に無視でした。私が彼の世界に存在していないかのごとく、全く視界にいれてもらえませんでした……。
でも、この間はあの綺麗なお顔で、愛を囁かれたのですよ!? 幻ではありません!! 跪かれてからの上目使いで、懇願するかのごとく……。
思い出しただけでも鼻血出そうですわ――。“小さい頃から私のことを愛していた”のですって! だけど“誓約があって人前で必要以上に話せない”のですって!
だから、今まで私に全く話しかけなかったのですね。そして今日も、存在を完無視されたのですね!
…………。
……嘘でも構いません。私、喜んで騙されますわ。マルコス様のキープになれて、本望です!!)
そんなユーミリアは、ホクホクとした気分でひとり席に着くのだった。
「……おい、マルコス。」
椅子に腰を下ろしたエルフリードは、傍に控えていた男の名を呟く。低い声で彼に呼び掛け、怒りを堪えきれないのか、エルフリードは相手の姿を見ようともしない。
「はい。何かご用でしょうか。」
そんな彼の態度の変化を受けるも、マルコスは普段となんら変わらない事務的な返答を返すのだった。
「っ!! 彼女に何をした!?」
さらりと流したマルコスに対してエルフリードはさらに怒りを顕わにし、肩を呼吸に合わせて大きく上下させる。
「なにも。」
マルコスは相変わらず平坦な口調で言葉を返す。
だが、エルフリードの様子が愉快でたまらないのか、彼は口元がほくそ笑むのを堪えきれなかったようだ。
それをエルフリードの視界の端でとらえられてしまい、彼は勢いよく睨みつけられる。
「……。」
「……。」
二人は無言で対峙する。
だが程なくして、エルフリードが大きく息を吸い込んだ。そして、余裕の表情を浮かべた彼は、マルコスを嘲笑いし始めたのだった。
「どうせ、恋文でも書いたのであろう?」
と。
「恋文……なんて古い。」
「ふっ古いのか!?」
エルフリードは不必要に高鳴る動悸を押さえようと、胸に手を当てて押さえ込む。
マルコスはそんな彼との遣り取りに価値を見いだせなくなり、時間を潰そうと、そっとユーミリアに目を向けたのだった。
マルコスの目に色がともる。
一点をじっと見据えるマルコスを不信に思ったのか、エルフリードが彼の視線の先に目を合わせる。
すると、そこには儚げな雰囲気を纏うユーミリアの座り姿。彼女は百合のように可憐に首をしなだらせ、何かに思いを馳せながら、椅子に腰を下ろしていた。
エルフリードは思わず感嘆の溜め息をつく。
「お前がそこまで恋い焦がれるとは、彼女の魅力
もさすがだな。」
彼はマルコスに呟いた。
「ええ。彼女の価値は絶大です。」
心を弾ませたマルコスは、口元に笑みを浮かべる。
「価値!? ……。マルコス、彼女の魅力を価値以外に何か語ってみろ。」
彼の発言に憤りを覚えたエルフリードは、威圧的にな態度をマルコスに取る。
そんな彼に、マルコスは眉を潜めた。
「命令……ですか? ……そうですね……。特に何もありません。」
「っ彼女を不幸にする気か!? 少しは信用出来るかと期待していたのに! ……お前だけには彼女は渡さぬ……。」
「あなたの許可はいらないでしょう? ナターシャ様の婚約者殿?」
「っ!! ……お前は……だがまあ、人前で話せない縛りがあるお前に、これ以上彼女に関わることは無理であろう。」
エルフリードはそう言うと、心を落ち着かせたのか普段の表情に落ち着く。
そんな彼に、マルコスは疑りの目を向ける。
「縛りなどあと半年もすれば無効。そうすれば、すぐにでも彼女は私の物になるでしょう。」
「まだ半年以上。なんと長い時間だろうな。」
エルフリードは口元に弧を描き、不敵な笑みを浮かべた。
「……。愛人にでもするおつもりですか?」
「おまえには関係ない。」
「あなたのしようとしていることこそ彼女を不幸にすのでは? まあ、王命には逆らえないので、それしか方法がないのでしょうが。」
「そうなるとは限らない。」
「……おやおや……。彼女はどれだけ凄い人材なのでしょうね……貴方がこの状況を半年でどう変えるかも見ものですね。」
「フン。お前は指を加えて見ていろ。」
「貴方に何が出来るやら。」
彼らはお互いを嘲笑し合い、相手の出方を窺おうと気を張り巡らせた。
一方。
「あら! エルフリード様とマルコス様、笑い合っておられますわよ!!」
「本当ですわ! なんて仲が良ろしいのでしょう。将来の国も天望が明るそうですわね!!」
クラスメイトの会話を聞き付けたユーミリアは、彼らの席へと目を向ける。
(うはっ! 二人の周りにホワホワした空気が流れていますわ――!! 色で現わすなら、パステルカラーかしら。まさに涎ものです――。なんて仲むつまじげなんでしょう……。)
ユーミリアは目を細くして、前に憚る女子の人垣の隙からじっとりと二人の様子を眺めていた。
(えっマルコス様、こちらを見ました!?)
マルコスが急に自分の方に顔を向けたので、ユーミリアは鼓動をドギマギさせる。
「キャ――。マルコス様、私を見ましたわよ!?」
「貴方じゃないわ! 私よ!!」
「いいえ。私ですわ。」
ユーミリアとマルコスの間を陣取る女生徒達が、彼の視線の取り合いをしていた。
「…………。」
ユーミリアはガクリと首を折ると、呆然と机を見つめた。
(なんと切ないのでしょ――。キープはその他大勢と何も変わらないのですね――。)
と、途方に暮れていたのだ。




