08.彼女の友情
「ししょ――。このガラス屑、どこに持ってけばいい――?」
若い男が一人、気の抜けた声で指示を仰ぐ。男は蜂蜜色のウェーブがかった髪をしており、顔もまた甘くて蕩けそうなほど柔和な風貌であった。
ただ、一人では生きていけなさそうなくらいボッとしており、周りの大人をヤキモキさせるほど、保護欲をそそりなお且つ愛くるしい。
しかし、それは女性限定の解釈であり、工房の親方の様な者からすれば、シャキッとせんか! と、喝を入れたくなるような出で立ちだったのだ。
「屑ではないぞ、小僧。また使うのだから、部屋の端にまとめておけ。」
師匠と呼ばれた人物は、その男をまじまじと見た。
(体つきは悪くないのにもったいないのお。いや、普段の様子からは、これ程にも鍛えられている身体を保持しているとは全く想像が付かないのだから、もしかして影では真面目に頑張っているのか!?)
「は――い。」
男はバケツを持ち上げた拍子に、何もないところで足を躓かせ、前かがみに“おっとっと”と倒れ込む。
(……宝の持ち腐れもいいところだ。筋肉の使い方を知らんのか……。)
師匠は大きく辞め息を吐くと、踵を返して去っていった。
「……全く人使いが荒いんだからあ。」
男は下を向きながら小さく呟く。
「う――ん……。重いなあ。よいしょっと。」
バケツを指定の場所まで運び終えた男は、ふ――と一息つくと、工房の外に顔を出した。
休憩――。自主休憩――。と、近くの芝に寝転び、空を見上げる。
天気は残念ながら快晴とはいかず、所々薄い雲が帯状に広がっていた。その雲は風に流されながら、ゆっくりと上空を漂う。
しばらくすると、彼の傍に数匹の鳥が降り立った。彼らは餌を探しているのか、草の根元をツンツンとつついている。
「ね――ね――、小鳥さん。ほんとに此処であってるの――?」
男は顔を横に向けると、前を通りすぎるそれらの一匹に優しく声を掛けた。
ピピピ ピピピ
鳥はまるで彼の質問に答えるかのごとく、タイミングよく鳴き声を上げる。
「ふ――ん。そっか――。嘘ついたら、はりせんぼんだぞ?」
男は鳥の鳴き声に返事を返す。何らかの理解を示たらしい。お礼にと、男は可愛らしいウインクを小鳥に向けるのだった。
ユーミリアは馬車に揺られ、学校までの道のりを移動していた。
外はまだ薄暗いが、東の空はすでに赤色に染まっている。
ここ最近、ユーミリアは多くの生徒が登校する時間帯を避け、みんなより一足早く学校へと登校していたのだ。
一応、“国でそこそこ偉い地位に位置する魔術団団長”の娘である彼女。
多くの馬車がひしめく時間帯に彼女の馬車が通ると、道を開けるためにと、わざわざ皆が馬車を側溝へと寄せて停めてくれていた。
それを心苦しく感じたユーミリアは、出来るだけ混んでいない時間帯を選んだのである。
一応、皆より遅い時間帯も試してみたのだが、彼女の馬車を通すために遅刻するものが続々と出てきてしまったので断念した。しかも、後に遅刻してしまった生徒の元に彼女が謝罪に窺うと、“罰として小突かれることなど痛くありませんから大丈夫ですよ”などと顔を赤らめて答える者ばかりだったのだ。
“M体質の生徒に上手く利用されていますわ……”と口惜しんだユーミリアは、遅い時間帯での登校を止めることにしたのである。
ユーミリアは教室に着くとの自席で時間を潰す。
彼女は閉められた窓越しに空の様子を眺めていた。というのは建前で、実際は窓ガラス越しに映っていた、教室の入口の様子を彼女は窺っていたのである。
ウズウズしながら待ち構えていたユーミリアは、友人の一人であるソフィーが教室に入ってくるのを確認するや否や、すぐさま立ち上がって彼女の元に駆け寄る。
「ソフィー様!! おはようございます。」
「ユーミリア!? あなたから挨拶をしてくるなんて珍しいわね!」
急に声を掛けられたソフィーは思わず立ちすくんでしまう。だが、声を掛けてきた相手がユーミリアだと分かると、口元をハンカチで覆いながらも思わずふんわりと彼女に笑いかけていた。
それに気付いていないユーミリアは、自分の不甲斐なさを嘆いた。“私から挨拶をするのは珍しいの!?”と。
「ソフィー様、あの……。」
「おはようございますですわ!! ……どうかされましたの??」
「ほんと。ソフィーと二人で内緒話だなんて、私たちも混ぜてくださいな? そして、おはようございます。」
ユーミリアは謝罪を入れようとするも、彼女の友人であるテレサとイレーネの挨拶に遮られる。
(あっ! 私から挨拶し損ねた!!)
彼女は“次こそは”と意気込んでいたのに、すでに空回りしてしまった事に肩を落とした。
「テレサ……イレーネ……まあ、いいわ。ユーミリア、何か私にあ話があったんではなくて?」
友人たちに不満顔を見せるソフィーも、それよりもまずはユーミリアよねと、胸を躍らせながら彼女に向き直る。
「あの……実は皆様に相談事がありまして……。」
ユーミリアは下を向いたままぼそりと呟く。
「え? ユーミリアが私たちに相談!? どうしたの? 何か困ってるの??」
イレーネがぐいぐいとユーミリアとソフィーの間に割り込んできた。
「あ、いえ、私のお友達のお話なんですけど、キープの振る舞いについて……。」
「ユーミリアのお友達って……私たちではないの!?」
今度はソフィーがイレーネを遠くに押しやると、ユーミリアに勢いよく詰め寄る。
「あ……顔近っ……。いや、そうなんですけど……。」
「ユーミリア、もしかして私たち以外にもお友達がいるの!?」
「その子の方が私たちよりも仲がよろしいの!?」
テレサとイレーネも、負けじと彼女に詰め寄りながら顔を寄せてきた。
「いっいいえ!! そんなことありませんわっ!!! と言うか、そんな人、居ませんっ!!!」
ユーミリアは強く宣言すると、こそっと一歩後ろに下がって皆との距離をとると、何事もなかったかのように言葉を続ける。
「みなさまこそが私の友達。おこがましくも、私は皆さまのことを心の中で親友と呼んでますの。
小心者の私を許して下さい。私は自分の相談事なのに、恥ずかしくて、他人の相談事として皆様にお話ししようとしたまでです……。
私に、みなさま以外の友達はいませんわ!!!」
「「「ユーミリア!!」」」
ユーミリアの“友達いません”発言に感極まった四人は、目を潤ませながら肩を寄せて抱き合った。
ダガ、心から歓喜している他の三人とは違い、ユーミリアの中には冷たい風が少しだけ吹き抜けていた。“でも友達は量より質ですわよねっ!”とユーミリアはその感情をそっと胸にしまい込むと、皆の輪の中に溶け込んだのだった。
「……っそれで、ユーミリア、相談事ってなに?」
ようやく気持ちが落ち着いてきたのか、テレサがハンカチの裾で涙を拭きながら彼女に尋ねる。
「いいえ!! なんでもありません!!! 皆様との友情を前にして、私の悩みなんてちっぽけすぎて相談するに値しませんわ。蟻より、いえ、ダニより小さい悩み事です!!!」
「「「 ……!!! 」」」
ユーミリア以外の三人が全員、一瞬にして固まったかと思うと、身震いをしだす。
「え……どうされたのです?」
ユーミリアは彼女達の肩に手を添えようと、そっと腕を伸ばした。
「……あ、ごめんユーミリア。今、ちょっと生物図鑑のダニの写真を思い出して……。」
「あ、うん。私も。」
「私もですわ……。」
彼女達は一様に気まずそうな笑みをユーミリアに向ける。
「え……。あら……。……こちらこそ、ごめんなさい……。」
ユーミリアは申し訳なさそうに伸ばしかけた手を引っ込めると、皆の輪をそっと離れて自分の席へとそそくさと舞い戻るのだった。




