04.鹿とお喋り
「クレメンス様、皆様どうされたのです?」
ユーミリアが三日ぶりに神殿へ訪れると、討議が難航しているようで、会議室では皆が頭を抱えていた。
入口に一番近い席に居たクレメンスの隣に腰を下ろすと、彼女はそう、そっと小声で彼に尋ねる。
「おはよう。ユーミリア。体調は大丈夫かい?」
「え? ええ。大丈夫ですわよ? 元々そんなに疲れていませんでしたのに、三日も休みを頂いて申し訳ないくらいです。」
ユーミリアは朗らかな笑みを彼へと向けた。
「そうか……。あまり、無理をしてはいけないよ?」
クレメンスは切なそうに顔を歪める。彼があまりにも辛そうな顔をするので、ユーミリアは心を躍らせながら、小さな声で“はい”と答えるのだった。
(キャ――!! 心配して貰えました! 私って罪作りです。病弱設定のおかげで、周りの人が温かいです――。)
と、彼女は喜んだのだ。
「それでは、今日はなぜ遅れたのだい?」
(ぎゃふん!)
彼の何気ない問いかけに、膨らみ切っていたユーミリアの心は一気に萎む。
「そ……その……“寝坊”……です。」
彼女は顔を引きつらせながら答えた。
「寝坊とは珍しいな。」
少し窘めるような口調ではあったが、彼の表情は穏やかであり、どちらかというと、からかっているようである。
(わあ――。甘々です――!! やばいです――。嵌っちゃいそうです――!!!)
ユーミリアは再び膨れ上がった気持ちのもと、にやけてしまいそうな顔をなんとか堪えた。
「昨晩は、お父様に説教ならぬ猛特訓をこってりと受けていたのです。そのせいで朝が遅れてしまって……申し訳ありません……。それで、会議の方はどうなったのでしょうか?」
ユーミリアはさっと話題を反らすと、二人はひそひそ声で会話をし続ける。
(小さい声で喋らないといけないから、距離が近いです!! お父様、グッジョブです。遅刻してしまった私は反省ですが……。)
「ここでの臨床段階は終了だそうだ。疫病が流行ったこともあり、功を奏してと言うべきか、陣の効能が街全体に行き渡ったらしい。街人全体が、病気になりにくく怪我が治りやすい体になったため、一旦終了することになったんだよ。」
「え! そうですの!? 喜ばしいことではないですか!!! なのになぜ皆さん、暗いのです?」
「次は“より多くの民に治療を受けてもらうには、どうするべきか”という、議題に入っててね。魔術師が国民全体を看る訳にもいかないし。ましてや、術を施すことも。我々の薬を使うにしても、どの薬がいいか、魔術師や薬師が診療しなくてはならないだろ? 民が城へ来るのは大変だし、われわれが各所へ廻るにしても、膨大な種類の薬を持ち歩く訳には行かないし。と言うことで、皆が頭を抱えているんだ。」
「なるほどです。」
彼の話しを聞いたユーミリアも、頭を抱えだす。
《……いいものを。》
「え? クレメンス様、何かおっしゃいました?」
「いいや? 私は何も。」
《さっさと読めばいいものを。》
「……。」
(今度ははっきりと聞こえたわ。)
ユーミリアは声のしたほうを振り返る。
(く……首が……鹿の生首が宙に浮かんでます!)
その物体はユーミリアの気配に気が付くと、ぐるりと彼女に顔を向ける。
(きゃ―――――!!!! って、え?)
ユーミリアがよく見ると、それは窓から首だけを出した、いつも一緒に居る鹿だった。
(……。……私としたことが!! こんなボケをかましてしまうとわっ!! くうっ!)
ユーミリアは悔しさのあまり唇を噛む。
「ユーミリア嬢? どうかされたのですか?」
「あ、いえ、鹿が窓から顔を出していまして……。」
《急に叫ぶでない!耳が痛いではないか!!》
「……。」
ユーミリアの思考に、またしても誰かの声が流れ込んできた。
《まったく。こんなときに読まれるとは……。まったくタイミングが悪い奴よの。》
ユーミリアは鹿に再び視線を合わせる。一見、普段と変わらない無表情の鹿だが、よく見るとこちらを蔑んでいるようにも、彼女には見えた。
《……。あなた、ですわね。この暴言!! その蔑むような態度から確信いたしましたわ!!!》
心の中で、ユーミリアは鹿に訴える。
《はあ、仕切りなおしじゃ。初めの言葉はきちんとしたものにしたかったのだがの。あの、ぼんくら娘のせいよの。》
鹿はユーミリアの言葉を気にする様子はなく、ひとり淡々と呟やく。
《無視の上にまたしても悪口っ!! どこまで馬鹿にすれば気が済むのですか!!!》
ユーミリアが“絶対切れてやる!”と意気込んだ時、綺麗な旋律の詩が彼女の頭の中に流れ込んできた。
《
そなたの力を多くのものが欲したとき、
そなたの息を吹き込んだ、小瓶を多く造られよ。
日が地より現れし頃、
葉に集いし滴を小瓶に集めよ。
日が天に昇りて、地に帰る頃、
その滴を瓶と共に西に晒せ。
そすればそなたの力、
より多くのものに行渡るであろう。
》
凛とした鹿の佇まいがその旋律の素晴らしさを、さらに際立たせる。
だが、ユーミリアはその鹿の顔が、どうしてもドヤ顔がにしか見受けられず、大きく引いた目で鹿を見ていた。
《ユーミリア、聞こえるか?》
《お父様!?》
彼女の頭の中に、聞きなれた声が広がる。
《お前の思考に入り込むのは始めてかの。先程の詩、お前を通して私も聴かせてもらった。これから、そこにいる長に伝令を伝える。お前は一旦その場を離れ、家へ戻れ。体制が整い次第、またお前の力を借りることになる。分かったな?》
《はい。お父様。》
ユーミリアは深く頷くと、クレメンスに向き直る。
「クレメンス様、申し訳ありません。私、今日はこれで辞させて頂きます。」
「……団長殿ですか?」
「え?」
クレメンスの言葉に、彼女は体を強張らせる。
「ただの勘です。そんなに怖がらないでください。」
苦々しく笑う彼は、彼女を愛とおしそうに見つめると、言葉を続ける。
「また、一緒に仕事が出来る機会があるといいですね。」
と。
「クレメンス様、お仕事でご一緒出来なければ、もう仲良くお話することは叶わないのでしょうか?」
彼の想いを受け、ユーミリアの口からつい、そんな言葉が溢れ出ていた。
クレメンスは彼女の言葉を聞いて少し目を見開いたが、次第に嬉しそうに顔を崩した。
「高等部に上がれば、外部生が大勢学園へ入ってきます。小中とクラスがご一緒することも多かったですし、そのよしみで、仲良くなってもおかしくはありませんよね?」
彼がいたずらな笑みを浮かべる。
「そうですわよね。」
彼女もまた、笑みを浮かべ、しばし和やかな空気がニ人の間に流れていた。




