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03.殿下の任務

 ユーミリアは朝から授業を休んでいた。彼女は陣の研究をするため、スケッチブックを片手に校庭の隣にある森林へと向かう。

 数週間ぶりに学校に登校した彼女だったが、疲れ果て授業どころではなかったのである。

 というのも、最近まで下町では疫病が流行っており、ユーミリアは他の魔術師達と交代しながら、休むことなく忙しく住民らの治療にあたっていたのだ。

 漸く疫病の終息が見えてきたことで、昨日、久しぶりにユーミリアは神殿から解放された。

 だが、自宅では相変わらずの父親と動物たちの過保護ぶりが顕在し、彼女は学校に逃げてきたのである。

 彼女は休息と陣の研究を兼ねて森の中を歩く。

 樹木の息吹や色調の変化は、陣にどこか似ている。だから、ユーミリアは小さい頃より暇さえあれば、樹木のスケッチをしていた。

 今回は疫病予防の陣を研究するため、彼女は大木を探した。大木であればある程、病気や温暖差などの様々な変化を多く経験している可能性があるため、とても参考になりそうだとユーミリアは思ったのだ。


 ユーミリアは小鳥に頼み、大木のある所へと案内を頼む。

 学校の裏に位置する森は昼夜問わず常に薄暗く、彼女を含め、立ち入ろうと考える生徒は誰も居なかった。だが、森の案内人がいれば全く違うことに彼女は気づく。

 小鳥に従えば、少し奥へ進むだけで森は広く開けており、その場所では太陽の光がさんさんと地上に降り注いでいた。

 ほぼ中央には高さ三メートル程度の滝が存在しており、ごつごつとした岩肌から勢いよく山水を押し出している。その横に陣取っている巨大な大木は、滝つぼに半分根を下ろして樹齢千年は超えるであろう太い幹をさらけ出しており、隆々とした枝葉を空へと思う存分伸ばしていた。

 ユーミリアはその雄大さに思わず顔を綻ばせる。

 深呼吸をしながらその場を優雅に散策していた彼女だが、小鳥が急降下した先をみて思わず大きく息を吸い込んだ。

 (げ。)

 ユーミリアは、眼前に広がる理解不能な光景に、持っていたスケッチブックを落としそうになる。

 なぜなら、大木の根元で、エルフリードが気持ちよさそうに眠っていたのである。

 (また図りましたわね……この小鳥……。いついなく素直に私の頼みを聞いてくれるから、感動していましたのに! まさか、こんな罠が待っていようとは……。)

 彼を起こさないようにと、ユーミリアはそっと後ずさる。だが、小鳥が彼の頭に留まったかと思うと、次の瞬間、なんとその鳥は彼の額をツンツンと突つきだしたのだ。


 《小鳥さん!! 何をしてるのですか!!!》


 ユーミリアの心の叫び(精神魔術)は、むなしくも小鳥には届かず、エルフリードが伸びをして起きだした。

 彼の髪が木漏れ日を受け、キラキラと光る。

 (ご……後光が……。)

 ユーミリアはまぶしさと、半分は隠れるつもりで、自分の顔を手で覆った。


 「……ユーミリア!?」

 「……。」


 彼女は彼の呼びかけを無視した。


 「……君はそこで何で顔を隠しているんだい?」


 エルフリードは敢えて不審がってそうな声で、彼女に問いかける。

 ユーミリアは慌てて顔から手を下ろした。


 「寝ているところお邪魔して申し訳ありませんでした。散歩をしていたら、たまたま此方を通っただけです。では、私はこれで。」


 彼女は、不敬かしらと思いながらも、急いで後ろを向て立ち去ろうとする。


 「まってくれ! 君に話が……君と話がしたかったんだ。……駄目かい?」


 背中越しに彼の懇願する声色がひしひしと伝わり、ユーミリアは口を尖らせた。

 (殿下の申し出を、断れる訳ないじゃない……。)

 ユーミリアはしぶしぶ彼の方に向き直ると、不満げな表情を浮かべる。


 「こっちにおいで。」


 彼はそんな彼女を愛おしそうに見つめながら、傍に来るよう手招きをする。

 だが、ユーミリアは首をふって拒むと、その場所を一歩も動こうとはしなかった。


 「……この場をナターシャ様に見られたら……。」


 と、彼女は断る。

 本当はすぐにでも彼のそばに駆け寄りたい衝動に突き動かされていた。だがユーミリアはその場に踏み留まったのである。


 「大丈夫だ。彼女の許可は取ってある。」


 エルフリードの毅然とした返答に、ユーミリアは目の前が一瞬暗くなる。


 「許可……。そう……ですよね。」


 エルフリードは暫しじっと彼女の様子を窺っていたが、彼女が歩み寄り始めたのが分かると、傍らに座るように指示した。

 大木の根は隆々と波打っており、座るのを促してるかのように、所々緩い窪みが造られていた。ユーミリアは、彼に言われるがまま、彼の隣の窪みに腰をおろす。彼の視線を感じるも、ユーミリアは彼を見れずに俯むいていた。


 「ユーミリア……こちらを見てごらん?」


 エルフリードが優しく彼女に声を掛ける。


 「はい……。」


 彼女は戸惑いながらも目をあげる。

 すると、すぐ傍に彼の顔があり、ユーミリアは思わず息を飲んだ。

 (こんなお近くでお顔を拝見するのはいつぶりでしょう……。もう、幼さの欠片も見受けられんせんわ。――かっこよすぎです――。綺麗な顔に大人の色気が加わってしまい、隣に居るだけで蕩けてしまいそう……。)

 エルフリードに見られていることを忘れ、ユーミリアはつい惚け顔で彼を見つめていた。

 そんな彼女を、彼もまたじっと見つめ返す。

 しばらくの間その時が流れた後、彼が急に悲しそうに少しだけ眉を寄せたのを、ユーミリアは見逃さなかった。


 「エルフリード様、どうされましたの?」


 彼女は慌てて目を見開くと、咄嗟にそう彼に尋ねたのだった。


 「いや……なんでもない。こうして二人で居ると、子供の頃に戻ったみたいだな、と思ってな。」


 思いもよらぬ彼の悲痛な表情に、ユーミリア胸を抉られる。

 だが、彼女は表情には出さなかった。


 「……楽しい思い出を、ありがとうございました。」


 そう言葉を紡ぎながら、ユーミリアは笑顔を作って彼へと向けるのだった。

 彼女の言葉に、エルフリードもまた澄んだ笑顔でゆっくりと頷く。

 二人はしばらく無言で過ごした。


 どのくらい経ったか、急に彼が普段の柔和な表情に顔を戻し、ユーミリアに話を切り出し始めた。


 「ユーミリア、君に尋ねたいことがあるんだ。」

 「はい。なんでしょうか?」


 ユーミリアもまた、彼に合わせて事務的な返事を返す。


 「きみは何か難しいことに巻き込まれているのかい?」


 エルフリードの唐突な疑問に、彼女は彼の意図していることが掴めなかった。

 臨床試験のことかしら? と、ユーミリアは首を傾げる。


 「巻き込まれている……というか、私が周りを巻き込んでしまってはいるのですが……。私達さえ気をつければ、危険でもなんでもありませんの。それに、いろんな方々が側に居てくれるので、大変心強いのです。」


 ユーミリアは、神殿でいつも手助けをしてくれる仲間達の顔を思い浮かべ、顔を綻ばせた。ひと際クレメンスの笑顔が彼女の中で輝きを放ち、慌てて彼女は首を振って幻影を消し飛ばす。

 そんな彼女の様子を、エルフリードは見逃さなかった。 


 「……。そうか……君の傍には頼りになる人物が居るのだな……。」

 「え……ええ。」


 彼の意味深な言葉回しに、ユーミリアは戸惑う。

 (どうしたのかしら。私、何か不味いことを言ったかしら。)

 次の瞬間、エルフリードが少し目を細めたかと思うと、不敵な笑みを浮かべて彼女に言う。


 「では、私もまた、君の側に置いてもらおう。」


 エルフリードは、徐に彼女の膝に揃えて置かれてあったユーミリアの手を両手で握り締め、じっと彼女の目を見据える。


 「え……?」


 ユーミリアは驚きのあまり全身を固まらせる。

 返す言葉も思い浮かばず、彼女は握られた掌を呆然と見つめるしかなかった。

 (きゃ―――!! て……手が……エルフリード様の手が私の手を握っています! 大きいです……私の手なんか、すっぽり包まれてますわよ。温かいですわ……それに綺麗で繊細な長い指! ごつごつとした節が、大人の男を感じますわね。)

 ユーミリアは舞い上がっていた。


 ぐいっ


 (およよ!?)

 急に両肩を掴まれたユーミリアは驚きおののく。誰かが自分の肩をがっちりと掴んだのだ。

 彼女は自分の意志とは関係なく力尽くで立ち上げられる。ユーミリアの手から彼の温もりが無くなり、彼女の胸の中を冷たい風が吹き抜けて行った。

 ユーミリアはつい目で追ってしまっていた彼の手から、そっと視線を反らす。

 そして、自分を立たせた人物を肩越しに確認することにした。きっと殿下の護衛だろうと、彼女は高を括っていたのだ。

 だが後ろを振り返ったユーミリアは、自分の肩を抱く人物を見て驚く。

 (マルコス様!?)

 彼女を守るように抱き留めるマルコスは、無表情でエルフリードを見下ろしていた。



 「殿下。お戯れもほどほどに。」


 眼前に悠然と座りこむエルフリードに目を向け、マルコスは感情を入れることなくそう呟く。


 「おやおや、きみか。」


 エルフリードは行き場のなくなった手を木の根へと添える。そしてそのまま立ち上がろうと、手で身体を支えたのだった。

 マルコスは瞬時にユーミリアを後ろへ移動させ、自身は彼女のために彼との間の壁となる。ユーミリアの目にはマルコスの広い背中が広がった。

 (いや――!! マルコス様のお背中が。大きなお背中が! 私の眼前に広がっております!! 近すぎて……マルコス様の体温が、ほんのりと私に伝わってしまいますわよ――!!!)

 ユーミリアは触れてしまいそうになるマルコスの背中と自身の体の距離をなんとか保ち、倒れない様に足を踏ん張る。


 「何か用事がおありでしたら、是非とも私も話しに加えて頂きたいものですね。政に関することなら、尚更あなた様のお役に立てるでしょうに。」


 マルコスの背中越しに聞こえる彼の声が、ユーミリアの中に響く。


 「……ふっ。では、次回からはそうするよ。」


 彼女が視界から消えたことで不機嫌になったエルフリードは、渋い表情を浮かべていた。彼はマルコスから目を反らすと“ここでの話はこれでお終いだ”と暗に諭す。


 「……。ありがたきお言葉。」


 そう答えたマルコスはさっと彼から目を離し、膝をおってユーミリアに顔を近づける。

 ビクリと身体を強張らせる彼女の耳元で、彼はそっと“私が教室までお連れしますね”と囁く。

 ユーミリアは弱点である耳をつかれ、腰から崩れ落ちそうになった。だが、そうなることを最初から予測していたのであろうか、マルコスは前もって伸ばしておいた腕でユーミリアを抱き留め、自身に引き寄せたのだった。


 「大丈夫ですか?」

 「は……はい……。」


 マルコスは彼女の腰に手を添え直すと、校舎の方向へと彼女を導く。


 「その状態で校庭へ出ると、まるでお前たちが森で逢引きしていたように見えるな。」


 エルフリードの素っ気ない投げ掛けに、マルコスが小さく舌打ちしたのをユーミリアは聞き逃さなかった。


 「わっ私ごときがすみません!」


 と、彼女は咄嗟に謝る。


 「いえいえ。私は嬉しいですよ。」


 マルコスは極上の笑みを浮かべた。

 優しいマルコスの対応に、ユーミリアは彼に甘えて身を任させてもらう。


 歩き始めるた二人は、すぐに校庭へと辿り着く。マルコスは森の中で立ち止まり、重々しく口を開いたのだった。


 「……申し訳ありません。私はここまでしかエスコートできません。宜しいでしょうか?」


 マルコスは顔を歪めながら、ユーミリアに謝罪を入れる。


 「え? も、もちろんです! ありがとうございました!!」


 ユーミリアは彼の表情に戸惑うも、喜びを隠せずにいた。

 (私と噂になるのが嫌なのではなくて、本当に訳有りだったのね!)

 と、彼女は安堵の溜め息をつく。

 彼から差し出されたスケッチブックを丁寧に受け取ったユーミリアは、身体の動きに若干の違和感を感じながらも、なんとか森をあとにしたのだった。



 「陰。」


 ユーミリアの後ろ姿を、口惜しそうに見送るマルコスが、ぼそりと呟く。すると、どこからともなく現れた黒尽くめの軽装の男が一人、彼の傍らに膝き頭をたれた。


 「およびでしょうか?」

 「……何が起きている。」


 マルコスは陰を背後に従え、彼に目を向けることなく尋ねる。影は音をたてずにさっと立ち上がると、マルコスに小さく耳打ちをした。


 「一週間ほど前、陛下と魔術団長がお二人で話をされていたようですが。」

 「……ふん。詳細は不明……か。まあよい、下がれ。」


 マルコスの合図で、影は風が吹くと共にその気配を再び消した。


 「どうやら、私の知らないうちに、彼女はさらに美味い果実に育ってしまったようだな。」


 マルコスは自身の頬が緩むのを押さえきれず、ひとりほくそ笑んでいた。


 一方、マルコスと別れたユーミリアは、なおも一人でフラフラと校庭を歩いていた。学校が無駄に広く、なかなか馬車を停めた門までたどり着かないのだ。


 「はあ――。」


 ユーミリアは大きく溜め息をついた。


 (今日は凄かったですわ……。

 みなさま、絶賛フェロモン発散中ですか?

 耳打ちからの腰! 心臓が強く打ち過ぎて、途中から意識が朦朧としていましたわ。

 それにしても、どうしたのでしょう。先程の空間、殺伐とした雰囲気でしたわね。

 あの二人に何が?

 はっ! もしかして、あれですか!?

 実は乙ゲーの主人公も前世の記憶持ちで、高等部の入学が待ちきれず、早めに接触してきたとかですか!?

 ありえます……。

 マルコス様“お戯れ”の所、かなり強調されていましたものね。

 エルフリード様、もしや他でも女性と戯れて……主人公といちゃいちゃされているのですか!?

 う――ショックです――……。

 もう、主人公に陥落されてしまったのですね。そしてきっとマルコス様も。それで二人とも、あんなにギクシャクされて。

 納得です。と言うか、エルフリード様の“君の側”発言。

 ナターシャ様の了承を得ていたということは、私は“妹”に逆戻りでしょうか!?

 なぜでしょう、今更……。

 振り出しに戻されてしまったようです。またしてもゲーム補正に修正されたのでしょうか。)

 ユーミリアは今までの努力が一瞬にして泡のように消し去ったことに、一人涙を堪えるのだった。



 「あれは……ユーミリアですわよね?」

 「ああ。そのようだ。」


 ソフィーとクレメンスは、教室の壁に寄り添い、窓下に確認した彼女の姿を見つめる。ユーミリアが校庭を歩いていた時間帯は、授業の合間だったようだ。


 「学校に来ていたのですね……。知りませんでしたわ。気分が悪くて療養室で休んでいたのでしょうか? それにしても、使用人も付けないで一人で歩かれるとは……私達に気を使わなくて宜しいですのに!!」


 悔しさを滲ませて歯を食いしばる彼女が、“では私が今から付き添いますわ!!”と、踵を返した所でクレメンスに引き留められた。


 「そっとしといてあげなさい。」

 「ですが、久しぶりの逢瀬……クレメンスも、お話ししたい私の気持ちは解ってくれるでしょ!?」

 「……ああ。」


 クレメンスの感情を感じえない雰囲気に、彼女はハッと息を呑む。


 「あ……ごめんなさい、身勝手なことを言ってしまって。クレメンスは家が忙しくて、私よりも彼女と会う機会が少ないのに。」

 「いや……それは、気にしてない。それよりも、ユーミリア嬢の体調が気になるな……。」


 クレメンスがそう言うと、二人は再びユーミリアを見下ろし、辛そうに歩く彼女の背中を見つめていた。

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