01.殿下と命令
「それは真か?」
人払いがされた王宮の執務室で我が国、ユーミリアが在籍する国の王がとある人物と密談をしていた。その相手とは魔術団団長であるソリュート卿、ユーミリアの父親である。
昼間であるのに閉められた分厚いカーテンは、外部との隔たりを担っており、なるだけこの空間を密にしようという彼らの思いを表している。外では強い風が吹き荒れているらしく、頑丈に溶接されているであろう窓ガラスも、ガタガタと大きな音を鳴り響かせていた。
「はい。偽りでないことは我が名をもって保証致します。」
ソリュートが畏まると、王にそう進言した。
王と彼とは机で隔たれていたが、お互いに体を傾かせ、出来るだけ小声で話そうとしていた。
そんなことをせずとも、ソリュート卿の精神魔術を使えば密談など造作のないことなのだが、王族とは不可侵の誓約を結んでいるためそれは出来ないのである。
「そうか……お前の娘が、か。では、直ぐにでも我が一族と婚姻を結ぶよう手続きに入る。」
王は椅子に深く腰掛け直し、大きなため息を吐いた。だが、ソリュートは前屈みの姿勢を崩さず、さらに言葉を繋ぎ始める。
「陛下、私は貴方の統治者としての手腕に惚れております。もちろん、貴方への恩義も忘れてはおりません。ですから、この事は一番に陛下にお伝えさせて頂きました。そして、今後も他国へは話さないことを固く約束いたします。」
彼の言葉に、再び体に緊張を走らせた王は、ソーリュートの目をじっと見据える。
彼らの間には重々しい空気が流れ、お互いからは一歩も譲る気配は感じ取れなかった。
「……そなたの願いはなんだ。」
始めに口を開いたのは、上の立場である王であった。
彼は体から力を抜くと、ソリュートにそう尋ねたのだ。
「娘が生涯を共にする相手は、娘自身で選ばせて戴けないでしょうか。」
「……。」
王の感情は読み取れなかったが、ソリュートは言葉を続けた。
「さらに、この事実は私と陛下だけに留めさせて頂きたい。もちろん、陛下にも不必要に動いては頂きたくない。娘は様々な動物に愛されている故“常に見られてる”と思って貰ってもよいでしょう。」
またしても重々しい空気が部屋に立ち込める。
「ほう……。手出しは無用、と言うことか。お前もよくもまあ、そうずけずけとわしに物が言えるのお。まあ、わしも他国との戦争は望まないが。だが、な。それなら、こちらも条件を付けよう。まず、この事は息子にはいずれ話す。あいつは私の予備だからな。次に、そなたの娘の子供は、必ず我が一族と婚姻を結び、我が城に入る。よいな。」
王は妥協案を示し、有無を言わさぬ態度で“これ以上は譲らぬ”と告げた。
「ありがたきお言葉。」
ソリュートは王の言葉を喜んで受け入れ、目線を下に戻す。そして、体の力を抜くと深々と彼に頭を下げたのだった。
執事に促されたエルフリードが王の自室に入ると、彼は机に向かったまま部屋の奥に座していた。
「父上、何かご用でしょうか。」
エルフリードは遠くにいる彼に向け、声を張り上げる。
「よく来た。こちらで少し待て。」
王は下を向いたまま篭った声で、彼にそう投げかけた。
エルフリードが王の傍らでしばらく待機していると、王はふと手を止めて息子を見上げる。エルフリードに向けられた王の目からは、鋭い眼光が放たれており、エルフリードは思わず体を萎縮させた。
「お前は、自身の一番の武器は何だと思う。」
威圧感のある態度で質問を投げ掛ける王に対し、エルフリードは姿勢を正し直すと、王の目を捉えながらゆっくりと答える。
「……王族の血に含まれる、人を魅了する力です。」
「うむ。よく分かっておる。」
エルフリードの返答が、彼の満足がいく内容だったらしく、王は含み笑いをみせた。
「……どうかしたのですか?」
「そなたの学友に魔術団長の娘が居るだろう?」
「はい。」
彼の理解を得ない王の唐突な発言に、エルフリードはつい顔を顰める。
「最近はどうだ? 仲はいいのか? 幼き頃はお前の傍でよく見かけたものだが。」
王は遠くを見つめ、昔を懐かしんでいる様子で髭をさすった。
「仲は……悪くはないと思いますが。ですが、すでにナターシャという婚約者がいる身。他の女性と気軽に接することはありません。」
「そうか。」
王の残念そうな返答に、エルフリードの胸がざわつきだした。
「彼女がどうかしたのでしょうか?」
不穏な空気を感じ取った彼は、父親に続きを話すように要求する。
「そのお前に流れている素晴らしい血で、彼女を惑わせ。ま、お前にはこのまま騎士団の娘と婚姻を結んで貰うから、あまり大袈裟にしてもらうと困るのだがな。」
王は冷笑を浮かべながら、エルフリードにそう命令したのだった。
「っ!!! 何故ですか!?」
エルフリードは、無意識のうちに拳を強く握りしめる。
何故、よりによって“彼女”なのだと。
「騎士団長の了承は得ておる。」
そういうと、彼は息子の強い感情を鼻先でふんと笑った。
エルフリードはわなわなと肩を震わせる。
「理由は教えてはくれないのですか?」
大きく深呼吸を繰り返す彼は、心を落ち着かせようと必死だった。
「まだ早い。だが折りをみてお前には話すから、まあ待て。今はあの娘を国外へ出さぬよう、お前はただ、自身に引きつけておくだけでよい。」
「なぜ私にそんな事を命令するのですか。」
「お前が一番自然に近づけるからだ。“幼馴染”であろう?」
王がニタリと不敵な笑みを浮かべる。
「……。」
「それに、彼女の父親との契約でな、わしは動けんのだ。」
彼のわざとらしい泣き顔に、エルフリードのはらわたが煮えくり返りそうになっていた。
「……用件は以上ですか。」
彼は低い声で王に尋ねる。
「ああ。下がって良いぞ。」
明るい返事を返す王にエルフリードは一瞥を向けると、形式的な礼を行い、無言で部屋を後にしたのだった。
王はそんな息子の姿を愉快そうに見つめていた。
神殿の外の庭では、一人と一匹が午後の休息を楽しんでいた。
暖かい空気が周りを包み込むなか、咲き誇り始めた色とりどりの野花が庭の所々から可愛らしく顔を出す。スカートの裾をふわりと広げた彼女の周りは蝶々が飛び交っており、まるで“おほほ”“うふふ”と上級貴族がピクニックをしているかのような、素晴らしい情景を造り出していた。
もちろん、ユーミリアはそれを狙って敢えて庭に陣取っているのであり、お父様に伝えてね――。と、敢えて父親の部下である団員達から見えるような所で、脳内花畑の実写版を繰り広げていたのである。
たとえ、傍にいた鹿に、なんとなく白い目で見られているような気がしようとも、彼女は気に留めることなく偽装を続けた。
(主人公が現れるまで、あと一年を切ってしまいましたね――。これからどうなるのでしょう。)
ユーミリアは少し現実に戻ると、ふと、そんなことを考えた。
実際の所、彼女は神殿の庭で、思考の伝達の練習をしている最中だったのだ。だが、なかなか思うように出来ないことで、練習に飽きて人とは違う方向で遊んでいたのである。
思考の読みとりをするには、初め読みとりたい相手の頭に自分の意識を集中させることが必要である。すると、何かモヤモヤしたものが相手の頭上に現れるので、これを繰り返し練習すれば、だんだんモヤモヤが文字になってくる。文字が簡単に浮き上がるようになれば、自然とそれが相手の声として自分の頭に伝わるので、そうなればほぼ完璧。自分の思考も自動的に相手に伝わるようになるのだ。
ユーミリアは今、まだ初期段階で、頭上に見えるモヤモヤを文字に変換している最中であった。
集中することに飽きて遊んでいたユーミリアは、“私……そういえば、すでに上級貴族でしたわ……”と気を取り直すと、再度練習をしようと鹿の頭上に視線の狙いを定める。
《……ニ……ラ……》
(お! 二文字読めましたわ!! “にら”……ニラねえ……。食べたいのでしょうか?)
《……サ……ラ……》
(ふむふむ、皿に乗せろと。私、読めてますわよ!!)
《……シ……ラ……》
(しら……しら……白和え? 渋いわね。……な訳ないし!!)
ユーミリアは息抜きをしたものの、すでに疲れているらしく、初っ端から独りノリつっこみをするという、淑女らしからぬ行動をとっていた。
(だめね、気が散っちゃって……。集中集中!!)
彼女は自分の両頬をパチパチと掌で叩く。
(……あ!! 今度は全体が文字になってきましたわ!! 次は行けそうよ!! えっと……なんて書いてあるかしら……。)
ユーミリアはさらに神経を研ぎ澄ませる。
《……シニサラセ……》
(……え? ……しにさらせ……死にさらせ!?)
ユーミリア体から一気に力が抜け、彼女は力強く項垂れた。
(ここ一年、練習をしまくって最初の成果が……最初の読み取りが死にさらせ!? 死んでしまえってか!! こら鹿! それはもう、私の練習に付き合ってもらって大変だったでしょう。なぜか他の動物は私が読もうとすると逃げるし。読みとる練習に一年以上も付き合って、鹿も飽き飽きしていたことでしょうよ。でも……“死にさらせ”って! あなた、ずっとそんなこと思ってたの!? この一年、ずっとずっと傍に居たのに、そんなことを思われていただなんて……。私は親近感すら沸いてきていたのに……。)
彼女は鹿に縋った。




