05.伯爵家次男と宰相子息
「ユーミリア。」
動物達の前で項垂れている彼女に、誰かが呼び掛ける。
ユーミリアは勢いよく後ろを振り返った。
「お父様!?」
庭に降り立った父親の顔は、少し呆れかえっているようだった。
「ユーミリア。お前は少し精神魔術を覚えたらどうだ?」
「……。」
精神魔術。その名の通り、精神に作用する魔術。人の思考を操作し、精神をも操る魔術。
ユーミリアはその魔術の存在を知った時、反射的に拒絶し、二度と近づこうとはしなかった。
彼女の母親は物理攻撃に特化しているのに対し、父親は精神攻撃に特化していた。それゆえ、父親は対外国にも一目置かれているのだ。ユーミリアの父親ほど、精神魔術に特化していて、なおかつ膨大な魔力量を持っている魔術師が他には存在しないからだ。
「ですが……私はお母様の特性を色濃く継いでいますし……。」
ユーミリアは父親から目を反らす。
「わしの娘だ。取り組めば、それ相応の魔術は出来るであろう。」
「そうでしょうか……。ですが、なぜ、今そのことを?」
「そろそろ、動物達と話をしてみてはどうだ。お前の考えが明後日を向き過ぎているようで、見ておれん。」
ユーミリアは驚愕した。
「精神魔術を学べば、動物と話せるのですか!?」
「お前は……それも知らぬのか? ではユーミリア、私がなぜ団長をしているかは知っているのか?」
「事務が得意だからですわよね?」
父親のこめかみが少し小刻みに動くのを、ユーミリアは目で捉える。
「いや……違う。情報の処理伝達が得意だからだ。」
“当たってるじゃない”と、ユーミリアは自分の意見がなぜ否定されたのか分からず、なおも父親に疑問を投げかけた。
「だから、事務が得意なのではないのですか?」
と。
「はあ……。」
父親は大きなため息を吐き、そういう解釈をされていたのかと、盛大に嘆いた。
「そうではないのだ。私が得意としているのは、戦において仲間の思考を一気に読み取り、より良い戦術を立ててまた、皆の頭の中に作戦を流し込むという、精神伝達の魔術なのだ。」
「えっ!!」
ユーミリアは衝撃を受けた。
「そうだ。私が居ればこの国は無敵なのだ。まあ、つまりは、精神魔術を学べば、思考を……それが動物でも……読み取ることが可能なのだ。そして、伝えることも。」
ユーミリアは大きな衝撃を受けていた。父親の凄さではなく、自分の内に広がるやるせない気分に。
(今までの私の苦労は一体何だったのでしょう……。言葉が通じれば、もっと簡単に治療出来ましたのに。というか、治療自体が断れましたのに。お父様はすでに動物と話せますのね……。ここに居ましたは、リアルド○トル。そう言えば、ドリ○ルドクターの娘も動物と話が出来ましたわね。え――? このゲーム、そこパクってたりします!?)
ユーミリアはいろいろ考えた挙句、これではいけないわと、一息ついてひとまず現実に戻ると、父親にずっと知りたかったことを聞いてみた。
「お父様、お願いがあるのです。この鹿さんは今、何って喋ってますの?」
腹ドンの意味が知りたいと、彼女は父親に懇願する。
父親は頷いて鹿の方に向き直ると、じっと鹿を凝視したのだった。だが直ぐに父親は首を横に振る。
「お父様? どうされましたの?」
「初めのて言葉はお前に直接読み取って貰いたいらしい。私には読みとれない。」
「そう……なのですね。お父様でも、読みとれないことがあるのですね。」
ユーミリアが心の中で、めんどうくさい鹿ですわね。と、呟いた瞬間、鹿が勢いよく彼女の方に顔を向けてきた。
(はっっっ!! 鹿がいきなりこちらを向きましたわ!!)
ユーミリアは顔を引き攣らせながらも、なおも自分を見続ける鹿に焦点を合わせ続けた。
「お父様! 動物達から私の思考も読めるのですか!?」
彼女は負けるものかと、鹿を睨みつつ父親に尋ねる。
「普通の動物はそれは出来ない。」
「そうですのね。」
だったら気のせいよね……と、ユーミリアは大きく鳴り響く鼓動を抑えこむ。そして浅い呼吸を繰り返しながら冷や汗を拭き、鹿から目を反らすのだった。
父親はそんな彼女の様子をじっと見ていたが、ふと何かを思い出したのか、喋り出す。
「動物達の不思議な行動に関してだが……。治療した部位から一定期間、注いだ魔力が流れ出ているのは、お前も知っているであろう? その魔力で、その他の部位も治癒が可能だと言うことが解った。動物達はいち早くそれを感じ取って、お前を癒してあげたかったのだろうな。……最近、お前に負担をかけすぎたのだな。動物に諭されるとは。この者達のほうがよっぽど、お前のことを見ているのだろうな。」
父親は優しく笑った。
(な……泣いてもいいですか? 動物達の優しさと、それを感じ取れなかった、私の不甲斐なさに……。)
感極まったユーミリアは、動物達に両手を広げながら歩み寄る。
ドン
「え……。」
先頭に居た鹿の口が、彼女のお腹にあたった。
(この鹿だけは……この腹ドンだけは、優しさの“や”の字も感じないんですけど―――――!!!)
父親が傍にいて淑女の仮面が外せないユーミリアは、心の中で何度も地団太を踏んだのだった。
「お前は何を考えている?」
マルコスはクレメンスを、使われていない教室に呼び出していた。
窓の外では大粒の雨が降り注ぐ。教室の窓ガラスに打ち付けられるそれは、大きな音を室内に響き渡らせる。
空は薄暗く、時折雷が光っては教室を明るく照す。
教卓を背に姿勢を正すマルコスは、じっと相手の目を見据える。一方、クレメンスは生徒用の机に軽く腰掛けており、気だるそうに外を見つめていた。
「何? とは?」
話をぼやかそうとするクレメンスに、マルコスは苛立ちを隠せなかった。
「ユーミリア嬢と婚姻を結ぶことはもう諦めたのか!?」
マルコスの不躾な質問に、クレメンスは軽くため息を吐くと彼に目を向ける。
「なぜだ? 彼女は私が貰う。」
「っ!!」
小馬鹿にしたようなクレメンスの物言いに怒りを覚えたのか、マルコスは勢いよく彼に歩み寄ると、胸元に掴みかかった。
「では、なぜ会長のお前が誓約を破る……。あの誓約書は巧みに出来ていて、破棄は不可だ!! 高等部に上がるまで、手を出した者は、婚約候補から外されるはずだろ!?」
マルコスは叫ばずにはいられなかった。
「そう、熱くなるな。お前らしくないな。私は破ってはいない。彼女に手を出した覚えはないよ。」
クラメンスは相変わらず冷静な口調で、彼ををいなす。
「では、なぜお前がユーミリア嬢と仕事をしている!!」
「上層部のみ知る“仕事”なんだけどな。宰相様からの聞いたのか?」
「父上は関係ない。」
「……ま、出所はどこでもいいんだけど。結構遅かったね? 気づくの。誓約は破ってはいないよ。仕事でたまたま一緒になっただけ。ほら、俺ら必要以上仲良くしてないでしょう? 彼女、学校では全然俺に話しかけてこないし。」
「そんなこと、実際のところは分からないだろ!?」
「疑うだけ疑えば? ま、確認しようがないけどね。“関係者”以外、あの施設には入れないから。」
マルコスは息を荒げながらも、相手の服から手を離す。だが彼の目は、まだクレメンスを睨んだままだった。
「いつからこうなることが解っていた。……まさか……五歳の頃から俺を嵌めていたのか!?」
「ふっ、まさか。あの時はただ、このままの自分では彼女をもらうのは無理だと分かっていただけだ。だから、準備期間が欲しかった。あの頃から、私は彼女に相応しくなれるようがむしゃらに頑張っていた。ただそれだけ。そしたら偶然、彼女と一緒に仕事をすることになったんだ。宰相の息子だからとあぐらをかいていた君とは違うんだよ。」
クレメンスは勝ち誇った笑みで、マルコスを見下ろした。




