表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/73

01.殿下の立ち位置

 フワフワと散り行く桜を眺めながら、ユーミリアは一人、神妙な顔つきで教室の窓から過去に思いを馳せる。暖かい風がそのまま彼女の頬を通りぬけ、少しだけ彼女の気分を軽くさせた。

 すでに中等部に上がった彼女は、ゲーム開始まで三年あまりを切ったこともあり、近頃どことなく憂鬱な時を過ごしていた。

 今日の鬱々した気分は、それはまた別の原因があるのだが、それはそれで彼女にとっては良い思い出でもあるので、必ずしも鬱々している訳ではない。と言うのも、その原因とは彼女の今朝の夢なのだが、それは三年前に彼女が経験した宰相子息であるマルコスとの、パーティー前後の出来事をそのまま再現した夢だったのである。

 (懐かしいですわ……。私、あの時また勘違いをしましたのよね。三年前のあのマルコス様からの愛の囁き、プロポーズではありませんでしたのよね。ふっ……あれは、単なる業務連絡だったのです。)

 あの日、マルコスはパーティーでユーミリアを片時も離さなかった。彼女は気付いていたのだ。他の男性が自分と踊ろうと声を掛けてくれている事に。だが“私ってモテるの?”と、少し図に乗った自分を彼女は後から恥じた。きっと団長の娘だから、皆さん気を使って下さったのね、と。

 だけど、あれは一生に幾度とないモテ期だったのだと、彼女は確信していた。一夜のモテ期。それでも、それを蔑ろにしたマルコスに小言を言いたいなど、彼女は微塵も思っていなかった。

 マルコスは男性の誘いを、断られた本人も気づかぬぐらいものの見事に綺麗にあしらって、ずっと彼女の傍に付いていてくれたのだ。自分以外の他の令嬢が本当に見えないようで、幾度となく女性にぶつかりそうにはなって、ユーミリアに心配を掛けはしたが。

 それはもう、甲斐甲斐しく彼は彼女のお世話をした。喉が乾きそうだな頃にはドリンクをすかさず用意し、彼女の足が辛くなる前に椅子に誘導したり。

 (あの綺麗な顔で、優雅にきめ細かくお世話をされたら、将来の二人を想像しない筈がないでしょう? プロポーズされた後でしたし。でも……)

 次の日に心を弾ませながら彼女が学校へ登校すると、二人の関係が元に戻っていたのだ。

 彼女は気付いた。君の時間を私にくれないか?【パーティーの間だけ】。君がいて初めて完璧だ。【貿易国との接待に】。と言うことに。

 (そうですわね……。そういえば、ドリンクを勧めながら、誰かを紹介されましたわ。オレンジ生産の盛んな国の大使だったかしら? 席に案内されたとき、偶然にも誰かと相席になってしまいましたわ。隣国の大臣のご子息だったかしら? ……。なるほどです! 団長の娘の肩書きがあって初めて、マルコス様が完成なさるのですね! 私のお父様、何故か貿易国の相手に人気ですものね!)

 だが、彼女は満足していた。マルコスのような美形と貴重な一時を過ごせたのだ、と。

 (あんな美形とお近づきになれるなんて、滅多にありませんことよ。お父様に感謝しております!!)

 ユーミリアはマルコスと過ごした素晴らしい一夜を改めて思い起こし、心にかかっていた靄を一気に発散さる。




 「ユーミリア様の背中、哀愁が漂っていて感慨深いですわ。」


 彼女の教室の一角で、ユーミリアの様子をそっと眺めていた女生徒らの一人が呟く。

 それを耳にしながら、マルコスもまた、ユーミリアの様子を遠くからじっと眺めていた。


 「まだ、手を出してはいけないのか?」


 エルフリードは壁にもたれながら、傍らに立つマルコスに気だるそうに尋ねる。


 「……はい。」

 「はあ。お前も何故そんな誓約書にサインしたんだ?」


 ようやく彼女から視線を外したマルコスは、エルフリードに向き直る。彼は悔しそうに顔を歪ませていた。


 「……まだ五歳児だったんです。浅はかでした。愛でる会の縛りがこんなにしっかりしていたとは……。」


 エルフリードはそれを鼻で笑うと、彼を窘めた。


 「会長にやられたな。」

 「私としたことが面目ありません……。」


 畏まるマルコスに対し、エルフリードは気にするなと元気づける。


 「宰相の息子もたまには見誤ることもあるさ。五歳だったしな。ま、でもお前のほうが羨ましいよ。今を我慢すれば、ユーミリアをめとれる可能性があるのだからな。」


 エルフリードはふっと口元を緩めたのだった。




 「お父様、今何とおっしゃって!?」


 魔術長の執務室で、ユーミリアは父親と接待用の机を挟み、向かい合ってソファーに座っていた。感情的に声を荒げる彼女に対し、父親は至って冷静な態度を保つ。


 「これから臨床段階に入ろうと思う、と。」


 (そうよね……。聞き間違いではないわよね。)

 落ち着こうと大きく深呼吸をしたユーミリアは、改めて父親の目を見つめる。


 「それで、私は何をしたらいいの?」


 頼みごとがあると、彼女は父親に呼ばれていたのだ。


 「正確なデータを得るため、治療は一名の魔術師にのみ行って貰うことになった。この実験は魔術団の将来を担っておる故、治療に当たる魔術師は大変重要な役割であるとともに、魔術団発展に寄与できるとても誉れな役割でもある。その輝かしい未来の担い手を、我が団で会議した結果、なんとお前が選ばれたのだ。」

 「えっ!?」


 ユーミリアは思わず息を呑んだ。


 「そう驚くことでもないだろう。お前ほど正確に陣を把握している者はいないのだから。なおかつ莫大な魔力量を保持しているのだ。さすがわしの娘、鼻が高かったぞ。」


 ほくそ笑む父親に対し、彼女は訝しみながら彼に問い質す。


 「ですが……私の魔力はまだ発達段階で常に安定しているとは限りません。それに、私程度の魔術師なら、重鎮に少なからずともいるのではないですか!?」

 「上の奴らは、忙しくてそう何度も足を運べないのだ。それに、民に顔が見られるとまずいからな。」

 「え……。」


 彼女は思わず驚愕する。

 (お父様、私の顔ばれは気にしないんですか――? さっきは名誉なことだとか言ってたけど、単なる押しつけではないですか――?)

 と、真剣な表情の父親に、彼女は心の中で軽く突っ込みを入れた。だが、研究職に就く予定だからいいかと、彼女は諦め了承をすることにした。


 「分かりましたわ、お父様、お引き受けします。ですが、心配事がひとつあるのです……。」

 「お前の動物達か? 心配いらぬ。お前がいないときは、代わりにユリシアが看る。」


 ユーミリアが気に掛けていたことをすぐに言い当てた父親は、すでに解決済だと言葉を続けた。どうやら、彼女の周りに対する根回しはすでに終わっていたようだ。そもそも、彼女に拒否権はなかったのであろう。


 「お母様が!? でしたら、あの子達も嬉しいでしょうね! 上位の魔術師のお母様に看てもらえるなんて。」


 ユーミリアは臨床試験に関して引っかかるものがあったが、ただ今は動物達の治療に関しての肩の荷が下り、ほっと一息を吐く。


 「ああ……そう、だな。では詳細が決まったら、また連絡をする。今日はもう下がって良いぞ。」

 「はい、お父様。」


 歯切れの悪い父親の言葉が気にはなったが、いつものことだからと、ユーミリアは流す。彼女は優雅にお辞儀をすると、足取り軽く執務室を後にしたのだった。


 バタン


 彼女の出て行った扉を、父親はじっと見つめる。


 「“ユーミリアの”母親なら、しかたない。と、動物達もしぶしぶ了承をしたものを……。我が娘ながら、末恐ろしいの。」


 そう、彼はポツリと呟いていた。



 城内にある図書棟の片隅にあるこじんまりとした部屋で、ユーミリアは一人、長椅子に座って医学書を開く。人に魔術を施す役割を宛がわれたことに、気が立ってじっとして居られなかったのだが、誰かと接したい気分でもなかったのだ。

 (本当に大丈夫なのかしら……。)

 ユーミリアは、幼少の頃に自分で治した指先をじっと見つめた。もともと軽い傷でもあったため、傷跡は影も形もい。彼女は大きく深呼吸をすると、改めて気合いを入れ直す。



 「ユーミリア!?」


 集中して医学書を読み進めていた彼女に、突然誰かが呼びかける。驚いた彼女が顔を上げると、部屋の入口にエルフリードが立っていた。彼もまた大きく目を見開き、心底驚いている様子だった。


 「エルフリード様!? あっ……。」


 動揺のあまり、彼女は思わず手から本を滑り落としそうになる。だが、慌てふためきながらもなんとか堪えた。


 「っ!! 一人か!?」


 そんな彼女を余所に、彼はそう言うと、辺りをぐるりと見回す。まるで、人の気配を探ろうと気を張り巡らせているようだった。

 その様子を見ていたユーミリアは、笑いを堪え切れなくなり思わず「ふふっ」と声を漏らしてしまう。


 「エルフリード様、可笑しすぎますわ。どう見ても、私一人しかいませんのに。あ、もしかして、刺客にでも狙われてますの?」

 「あ、いや……そうではないが……。」


 ユーミリアの悪戯な問いかけに、エルフリードは目線を下に向けると、顔を真っ赤にしながらも頭を掻く。

 (相変わらず、魅力的なお方……。)

 ユーミリアはじっと彼を見つめていた。だが顔を上げる彼と目線が合いそうになり、彼女は急いで目を反らす。


 「……ユーミリア……。」

 「……。」


 彼女はエルフリードの呼びかけを無視した。何故か返事をしてはいけないような気がしたのだ。

 彼が部屋中に響くような大きくため息を吐く。

 それによって、その場の空気が少し和んだ。


 「君はなぜここにいるんだい?」


 エルフリードが努めて明るい声で彼女に問い掛ける。ユーミリアもまた、彼を見習った。


 「静かに本を読みたいと思っていましたら、ここにたどり着きましたの。この部屋、エルフリード様も、知ってましたの?」


 と、彼女は笑顔を浮かべながら述べる。


 「ああ。最近、なかなか一人になれなくてな。だから、時間があるときはよくここへ来るんだ。」


 彼の素直な答えに、ユーミリアはぎゅっと唇を噛みしめていた。最近のエルフリードとナターシャが仲睦まじげだというのは、学校中ではもっぱらの噂だったのだ。


 「? ……どうかしたのかい?」

 「え? いえ……。それにしてもエルフリード様ったら、そんなことを言ってはナターシャ様が悲しまれますわよ?」


 彼女は精一杯のいたずらな笑みを浮かべると、彼の顔を見上げたのだった。


 「っ……ユーミリア、」

 「さてと。」


 ユーミリアは、彼の言葉に被せるようにして、椅子を引いて立ちあがる。


 「わたくし、用事がありますの。これで失礼いたしますわ。」


 彼女はエルフリードに有無を言わせぬ態度で、まっすぐに部屋の扉へと向かう。

 立ち去るユーミリアを、彼は目で追いかけた。


 「ユーミリア!! またここで会えないだろうか!?」


 彼女の後ろ姿に焦燥感を駆られたのか、エルフリードの口からは、ついそんな言葉がこぼれ出てしまっていた。


 「っ……いや、今のは……その……。」


 エルフリードは慌てて言葉を濁す。

 彼の声掛けに足を止めてしまったユーミリアは、大きく肩を揺らしながら息をする。だが、彼女は振り返らなかった。彼女はしばらくして、聞かなかったことにします……と小さく呟き、その場を去っていったのだった。



 人通りのない渡り廊下に続く庭の木陰で、ユーミリアは幹にもたれて呆然としていた。そこへ一羽の小鳥が飛んできたかと思うと、小鳥は自ら彼女の肩に留まる。


 「……あなた、いじわるね。誰があの部屋をよく使ってるか、知ってたんでしょう? 知っててあそこに案内するだんて……。」


 ユーミリアはそう、言葉を紡ぐ。

 小鳥は彼女の問いかけに対し、くいっと首を傾げるも、さえずりはしない。そして次の瞬間には、高い空へと羽ばたいて行ったのだった。

 大きな風が吹き、土ぼこりが彼女の横で盛大に舞っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ