01.殿下の立ち位置
フワフワと散り行く桜を眺めながら、ユーミリアは一人、神妙な顔つきで教室の窓から過去に思いを馳せる。暖かい風がそのまま彼女の頬を通りぬけ、少しだけ彼女の気分を軽くさせた。
すでに中等部に上がった彼女は、ゲーム開始まで三年あまりを切ったこともあり、近頃どことなく憂鬱な時を過ごしていた。
今日の鬱々した気分は、それはまた別の原因があるのだが、それはそれで彼女にとっては良い思い出でもあるので、必ずしも鬱々している訳ではない。と言うのも、その原因とは彼女の今朝の夢なのだが、それは三年前に彼女が経験した宰相子息であるマルコスとの、パーティー前後の出来事をそのまま再現した夢だったのである。
(懐かしいですわ……。私、あの時また勘違いをしましたのよね。三年前のあのマルコス様からの愛の囁き、プロポーズではありませんでしたのよね。ふっ……あれは、単なる業務連絡だったのです。)
あの日、マルコスはパーティーでユーミリアを片時も離さなかった。彼女は気付いていたのだ。他の男性が自分と踊ろうと声を掛けてくれている事に。だが“私ってモテるの?”と、少し図に乗った自分を彼女は後から恥じた。きっと団長の娘だから、皆さん気を使って下さったのね、と。
だけど、あれは一生に幾度とないモテ期だったのだと、彼女は確信していた。一夜のモテ期。それでも、それを蔑ろにしたマルコスに小言を言いたいなど、彼女は微塵も思っていなかった。
マルコスは男性の誘いを、断られた本人も気づかぬぐらいものの見事に綺麗にあしらって、ずっと彼女の傍に付いていてくれたのだ。自分以外の他の令嬢が本当に見えないようで、幾度となく女性にぶつかりそうにはなって、ユーミリアに心配を掛けはしたが。
それはもう、甲斐甲斐しく彼は彼女のお世話をした。喉が乾きそうだな頃にはドリンクをすかさず用意し、彼女の足が辛くなる前に椅子に誘導したり。
(あの綺麗な顔で、優雅にきめ細かくお世話をされたら、将来の二人を想像しない筈がないでしょう? プロポーズされた後でしたし。でも……)
次の日に心を弾ませながら彼女が学校へ登校すると、二人の関係が元に戻っていたのだ。
彼女は気付いた。君の時間を私にくれないか?【パーティーの間だけ】。君がいて初めて完璧だ。【貿易国との接待に】。と言うことに。
(そうですわね……。そういえば、ドリンクを勧めながら、誰かを紹介されましたわ。オレンジ生産の盛んな国の大使だったかしら? 席に案内されたとき、偶然にも誰かと相席になってしまいましたわ。隣国の大臣のご子息だったかしら? ……。なるほどです! 団長の娘の肩書きがあって初めて、マルコス様が完成なさるのですね! 私のお父様、何故か貿易国の相手に人気ですものね!)
だが、彼女は満足していた。マルコスのような美形と貴重な一時を過ごせたのだ、と。
(あんな美形とお近づきになれるなんて、滅多にありませんことよ。お父様に感謝しております!!)
ユーミリアはマルコスと過ごした素晴らしい一夜を改めて思い起こし、心にかかっていた靄を一気に発散さる。
「ユーミリア様の背中、哀愁が漂っていて感慨深いですわ。」
彼女の教室の一角で、ユーミリアの様子をそっと眺めていた女生徒らの一人が呟く。
それを耳にしながら、マルコスもまた、ユーミリアの様子を遠くからじっと眺めていた。
「まだ、手を出してはいけないのか?」
エルフリードは壁にもたれながら、傍らに立つマルコスに気だるそうに尋ねる。
「……はい。」
「はあ。お前も何故そんな誓約書にサインしたんだ?」
ようやく彼女から視線を外したマルコスは、エルフリードに向き直る。彼は悔しそうに顔を歪ませていた。
「……まだ五歳児だったんです。浅はかでした。愛でる会の縛りがこんなにしっかりしていたとは……。」
エルフリードはそれを鼻で笑うと、彼を窘めた。
「会長にやられたな。」
「私としたことが面目ありません……。」
畏まるマルコスに対し、エルフリードは気にするなと元気づける。
「宰相の息子もたまには見誤ることもあるさ。五歳だったしな。ま、でもお前のほうが羨ましいよ。今を我慢すれば、ユーミリアをめとれる可能性があるのだからな。」
エルフリードはふっと口元を緩めたのだった。
「お父様、今何とおっしゃって!?」
魔術長の執務室で、ユーミリアは父親と接待用の机を挟み、向かい合ってソファーに座っていた。感情的に声を荒げる彼女に対し、父親は至って冷静な態度を保つ。
「これから臨床段階に入ろうと思う、と。」
(そうよね……。聞き間違いではないわよね。)
落ち着こうと大きく深呼吸をしたユーミリアは、改めて父親の目を見つめる。
「それで、私は何をしたらいいの?」
頼みごとがあると、彼女は父親に呼ばれていたのだ。
「正確なデータを得るため、治療は一名の魔術師にのみ行って貰うことになった。この実験は魔術団の将来を担っておる故、治療に当たる魔術師は大変重要な役割であるとともに、魔術団発展に寄与できるとても誉れな役割でもある。その輝かしい未来の担い手を、我が団で会議した結果、なんとお前が選ばれたのだ。」
「えっ!?」
ユーミリアは思わず息を呑んだ。
「そう驚くことでもないだろう。お前ほど正確に陣を把握している者はいないのだから。なおかつ莫大な魔力量を保持しているのだ。さすがわしの娘、鼻が高かったぞ。」
ほくそ笑む父親に対し、彼女は訝しみながら彼に問い質す。
「ですが……私の魔力はまだ発達段階で常に安定しているとは限りません。それに、私程度の魔術師なら、重鎮に少なからずともいるのではないですか!?」
「上の奴らは、忙しくてそう何度も足を運べないのだ。それに、民に顔が見られるとまずいからな。」
「え……。」
彼女は思わず驚愕する。
(お父様、私の顔ばれは気にしないんですか――? さっきは名誉なことだとか言ってたけど、単なる押しつけではないですか――?)
と、真剣な表情の父親に、彼女は心の中で軽く突っ込みを入れた。だが、研究職に就く予定だからいいかと、彼女は諦め了承をすることにした。
「分かりましたわ、お父様、お引き受けします。ですが、心配事がひとつあるのです……。」
「お前の動物達か? 心配いらぬ。お前がいないときは、代わりにユリシアが看る。」
ユーミリアが気に掛けていたことをすぐに言い当てた父親は、すでに解決済だと言葉を続けた。どうやら、彼女の周りに対する根回しはすでに終わっていたようだ。そもそも、彼女に拒否権はなかったのであろう。
「お母様が!? でしたら、あの子達も嬉しいでしょうね! 上位の魔術師のお母様に看てもらえるなんて。」
ユーミリアは臨床試験に関して引っかかるものがあったが、ただ今は動物達の治療に関しての肩の荷が下り、ほっと一息を吐く。
「ああ……そう、だな。では詳細が決まったら、また連絡をする。今日はもう下がって良いぞ。」
「はい、お父様。」
歯切れの悪い父親の言葉が気にはなったが、いつものことだからと、ユーミリアは流す。彼女は優雅にお辞儀をすると、足取り軽く執務室を後にしたのだった。
バタン
彼女の出て行った扉を、父親はじっと見つめる。
「“ユーミリアの”母親なら、しかたない。と、動物達もしぶしぶ了承をしたものを……。我が娘ながら、末恐ろしいの。」
そう、彼はポツリと呟いていた。
城内にある図書棟の片隅にあるこじんまりとした部屋で、ユーミリアは一人、長椅子に座って医学書を開く。人に魔術を施す役割を宛がわれたことに、気が立ってじっとして居られなかったのだが、誰かと接したい気分でもなかったのだ。
(本当に大丈夫なのかしら……。)
ユーミリアは、幼少の頃に自分で治した指先をじっと見つめた。もともと軽い傷でもあったため、傷跡は影も形もい。彼女は大きく深呼吸をすると、改めて気合いを入れ直す。
「ユーミリア!?」
集中して医学書を読み進めていた彼女に、突然誰かが呼びかける。驚いた彼女が顔を上げると、部屋の入口にエルフリードが立っていた。彼もまた大きく目を見開き、心底驚いている様子だった。
「エルフリード様!? あっ……。」
動揺のあまり、彼女は思わず手から本を滑り落としそうになる。だが、慌てふためきながらもなんとか堪えた。
「っ!! 一人か!?」
そんな彼女を余所に、彼はそう言うと、辺りをぐるりと見回す。まるで、人の気配を探ろうと気を張り巡らせているようだった。
その様子を見ていたユーミリアは、笑いを堪え切れなくなり思わず「ふふっ」と声を漏らしてしまう。
「エルフリード様、可笑しすぎますわ。どう見ても、私一人しかいませんのに。あ、もしかして、刺客にでも狙われてますの?」
「あ、いや……そうではないが……。」
ユーミリアの悪戯な問いかけに、エルフリードは目線を下に向けると、顔を真っ赤にしながらも頭を掻く。
(相変わらず、魅力的なお方……。)
ユーミリアはじっと彼を見つめていた。だが顔を上げる彼と目線が合いそうになり、彼女は急いで目を反らす。
「……ユーミリア……。」
「……。」
彼女はエルフリードの呼びかけを無視した。何故か返事をしてはいけないような気がしたのだ。
彼が部屋中に響くような大きくため息を吐く。
それによって、その場の空気が少し和んだ。
「君はなぜここにいるんだい?」
エルフリードが努めて明るい声で彼女に問い掛ける。ユーミリアもまた、彼を見習った。
「静かに本を読みたいと思っていましたら、ここにたどり着きましたの。この部屋、エルフリード様も、知ってましたの?」
と、彼女は笑顔を浮かべながら述べる。
「ああ。最近、なかなか一人になれなくてな。だから、時間があるときはよくここへ来るんだ。」
彼の素直な答えに、ユーミリアはぎゅっと唇を噛みしめていた。最近のエルフリードとナターシャが仲睦まじげだというのは、学校中ではもっぱらの噂だったのだ。
「? ……どうかしたのかい?」
「え? いえ……。それにしてもエルフリード様ったら、そんなことを言ってはナターシャ様が悲しまれますわよ?」
彼女は精一杯のいたずらな笑みを浮かべると、彼の顔を見上げたのだった。
「っ……ユーミリア、」
「さてと。」
ユーミリアは、彼の言葉に被せるようにして、椅子を引いて立ちあがる。
「わたくし、用事がありますの。これで失礼いたしますわ。」
彼女はエルフリードに有無を言わせぬ態度で、まっすぐに部屋の扉へと向かう。
立ち去るユーミリアを、彼は目で追いかけた。
「ユーミリア!! またここで会えないだろうか!?」
彼女の後ろ姿に焦燥感を駆られたのか、エルフリードの口からは、ついそんな言葉がこぼれ出てしまっていた。
「っ……いや、今のは……その……。」
エルフリードは慌てて言葉を濁す。
彼の声掛けに足を止めてしまったユーミリアは、大きく肩を揺らしながら息をする。だが、彼女は振り返らなかった。彼女はしばらくして、聞かなかったことにします……と小さく呟き、その場を去っていったのだった。
人通りのない渡り廊下に続く庭の木陰で、ユーミリアは幹にもたれて呆然としていた。そこへ一羽の小鳥が飛んできたかと思うと、小鳥は自ら彼女の肩に留まる。
「……あなた、いじわるね。誰があの部屋をよく使ってるか、知ってたんでしょう? 知っててあそこに案内するだんて……。」
ユーミリアはそう、言葉を紡ぐ。
小鳥は彼女の問いかけに対し、くいっと首を傾げるも、さえずりはしない。そして次の瞬間には、高い空へと羽ばたいて行ったのだった。
大きな風が吹き、土ぼこりが彼女の横で盛大に舞っていた。




