01.前世の記憶が戻りました
「やっぱりこの世界って前世でやっていた乙女ゲームの世界ですわよね……。」
豪華な椅子に腰掛けた美少女がひとり、小さな声でぼそりと呟やく。少女は上質なシルクで作られたワンピースを身に纏い、裾や袖からは、美しく透き通る白肌を覗かせる。黒髪は艶やかでつねに真珠のような光を纏っており、本人は気づいていないが一部の者の間では“月の申し子”と呼ばれるほど、彼女の存在は神秘的な輝きを放ち、将来を有望視されていた。
彼女は優雅にお茶をすする振りをしながら、おのおのテーブルで談笑する人物達を見渡す。
陶器のカップからは柔らかい湯気が立ちのぼり、ほんのりと冷たくなっていた彼女の指先を温める。
少女は長い睫毛を下に伏せると、憂いを含んだ溜め息をもらした。“あらあら、私も遂に巷で話題の転生ものに便乗してしまったようね。”と。
だが、次の瞬間には、カップをテーブルに戻すと、背筋をピンと伸ばす。睫毛を何度もしばたたかせ、後に広がるであろう明るい未来に想いを馳せていたのだ。
実はこの世界が存在するゲームは、単なる学園恋愛物語を題材にしたものではなく、魔術が存在する世界感での物語。だからこそ、彼女は 勉強を頑張る! と、意気込んでいたのである。
だが、登場人物を含めた全ての魔力持ちは生まれてすぐ、誤用を防ぐために魔力が封じられてしまう。六歳児から入学できる学園に上がって初めて、魔術の使用が許されるのだ。
ユーミリアは、早く来年にならないかしらねと、奥の壁に掛けられた校舎の姿を織り込んだタペストリーを悠然と眺める。
(そういえば、この世界の魔法って空が飛べましたっけ? 火とか起こせたら、キャンプの時とか便利ですわよね――。なんだか凄く楽しみになってきましたわ――!!)
彼女は再び目を強く瞑りなおすと、意気込み新たに、明るい未来に向け自分の想いを噛みしめた。
「ユーミリア様、紅茶が口に合いませんでした?」
ふいに彼女の向かいに座っていた少女が、可愛らしく小首を傾げながらユーミリアに尋ねる。
「え? いえ、そんなことはありませんわ。とてもまろやかで、飲みやすいですわよ。」
彼女は慌てて目を見開くと、少女にふわりと微笑み掛けながら言葉を返したのだった。
「それは良かったですわ。では、さっきの変なお顔は、真剣に紅茶の味を吟味されていた表情なのですね。」
少女は鈴の音のように、コロコロと笑う。
「え……。」
(変…な顔……。)
可愛らしい笑顔を見せる少女に、ユーミリアは引き攣りそうになる口元をなんとか堪え、優しく微笑み返した。
(ショックですわ……面と向かって変な顔だなんて……。さすが五歳。言うことが正直すぎますわ! でも、お姉さん、傷ついたけど、許してあげましてよ!! 影でこそこそする大人より、あなたの方が好感もてましてよ――。)
ユーミリアは、記憶のある限り、幼い頃より多くの大人にチラチラと見られているのを感じていたのだ。高貴な身分故に遠慮して直視しないのかしらと、今までの彼女ならそう思っていたのだろう。が、前世の記憶が戻った彼女は一味違う。
(私を騙そうなんて、無理ですわよ! あの目は遠慮をしている目ではありません!! あれは絶対に抑えきれない好奇心からくるチラ見です!! ……え? と言うことは、そんなに私の顔は興味深い顔をしているのでしょうか? ……この世界では、私の顔は変な顔と認識されていたのですか? 気づきたくありませんでしたわ――。可愛い方だと思ってましたのに。ショックです――。)
彼女は傷心のあまり項垂れそうになった。だが、なんとか燐とした佇まいを貫き通す。小さな淑女としてのプライドがあったのだ。
「では、みなさん。」
と、突如、彼女の居る大部屋に野太い大人の声が響き渡る。
やっと保育の時間が終わりましたわ! と、彼女は大きくひと息つくと、肩の力を抜きながらその大人に目線を向ける。
彼女が今滞在している部屋には、ユーミリアのような幼子が数十名ほど集められていた。その中に大人が一人。きっと先生役を割り当てられたのだろうと、ユーミリアは踏んでいた。
何も伝達事項がないことを確認した彼女は、周りへの挨拶もそこそこに机に手を掛けて立ち上がる。
魔術についての本が読んでみたいという気持ちが、彼女を図書室へと急かせていたのだ。
そのために昨日は寝る間も惜しんで、字の勉強をしていたのよ!! と、彼女は先程の落ち込みから既に立ち直り、誇らしげに鼻で息をしていた。
だが、ユーミリアの傍にさっと人影が近づいたかと思うと、その人物は彼女の行く手を遮る。
「ん?」
驚いた彼女は影を見上げる。
「ユーミリア。今日こそ一緒に遊ぶよね?」
その影は、御歳5歳になられた王太子殿下のものであった。
彼の少し長めに切りそろえられた髪は黄金色に染まっており、太陽の光を浴びてキラキラと輝きを放つ。彼の幼く膨らんだ頬が愛くるしさを醸し出しているが、そのすっと伸びた鼻筋が将来の整った顔立ちを想像させた。今でも十分にかっこいいのですけどねと、ユーミリアは感嘆の溜息をもらす。
(だって……たとえ生きた以上の記憶があったとしても、この世界では心も体もまだピュアな五歳なのよ! けしてショタではないのです!! かっこいいものはかっこいいのです!!!)
彼女は心のなかで自分に強く言い訳をする。
「エルフリード様……。」
と、呟くユーミリアはその天使のような幼子をじっと愛でる。頬を赤らめて彼を見つめる彼女は、周りの者からすれば、エルフリードに虜になっている女の子の様に見えているであろう。だが、本当のところはただの変質者だった。
ユーミリアの生暖かい視線に気づいたか気づいてないか、エルフリードは、その青く澄んだ瞳を細め、愛おしそうに彼女を見つめ返した。
「っ!!」
ユーミリアは急いで彼から目を反らす。彼女は俯くと、自分のつま先に焦点を合わせた。
(うわあ……やばいですわその目力……私はこれ以上あなたを好きになりたくないのに……。)
彼女は泣きそうになるのを堪えながら、スカートの裾を握りしめる。
「ユーミリア……。」
エルフリードの声色から、彼が傷ついたのが感じ取れたが、ユーミリアは顔を上げることが出来なかった。
「エルフリード様……申し訳ありません、今日も用事があるのです……。」
いっこうに顔を上げない彼女に対し、彼は不快を顕に眉間に皺をよせて一歩詰め寄る。それでも顔を上げない彼女に、彼はつい虚勢を解き、彼女の顔を覗きこんでしまっていた。
「どうしたのだい? 昨日から様子がおかしいよ……もしかして、体調が優れないのかい? 君は体が弱いのだから、無理をしてはいけないよ。」
エルフリードは顔を歪ませながら、心から彼女のことを心配してた。
「わあっ!」 ゴトッ
彼の顔が接近したことで、ユーミリアは慌てて後ずさるも、行く手をテーブルに遮られる。彼の切なそうな表情に胸を鷲掴みにされた彼女は、息も絶え絶えに浅い呼吸を繰り返した。
(でも……どうせ貴方は私を棄てるのでしょう?)
ユーミリアはエルフリードの熱の籠った目を、一瞬だけ強く睨み見返す。そして、再び顔を反らすと、“すみません”と小声で謝罪をいれながら、彼女はドアへと向けて駆けだしたのだった。
「ユーミリア!! 走ってはいけないっっ!!」
ユーミリアの冷たい態度を受けてもなお、彼は心配していた。そんなエルフリードの声掛けを背に、ユーミリアは彼から逃げ出したのだった。
「まあ! ユーミリア様ったら、礼儀がなってませんこと。」
「まったくですわ。走るだなんてはしたない。それに、エルフリード様直々のお申し出を断るなんて!!」
彼らの様子を、遠巻きに見ていたクラスメイトがエルフリードの周りに集まる。
「エルフリード様、あんな方ほっといて、私たちと遊びましょうよ。」
「そうですわ。あのような態度、先が思いやられますこと。」
「これから皆でお茶会をしますのよ。ぜひ殿下も一緒に。」
「あ……ああ。」
エルフリードは苦笑いしながらも先導されるように、皆の輪の方へ足を向ける。彼が目を向けると、そこでは男女数名がすでに大きなテーブルを囲み、悠然と彼を待ち受けていた。彼はそこへ向かって歩み始めたが、途中でふと歩みを止め、ユーミリアが去った方を振り返る。
「これも将来、国の上に立つ者の使命。皆はきっと、私を支えてくれる臣下になろう……。ユーミリアが傍にいれば、どのような茶会も、楽しいものなのにな……。」
エルフリードは誰にも聞こえぬよう、そう小さく呟いたのだった。




