Case.1 それでも、あなたは(2)
「ふっ……あ、あああ……っ!!」
「力を入れないで、息を逃して」
「いっ、いたっ……!!」
「吐く息に集中して! ほら、ふーっふーって」
「あ、いやあああああっ……!!」
苦しむサーヤを前に……私は部屋の外にいることしかできなかった。
***
さやかさんに事情を聞いたところ……精神的に衰弱しても無理はない、と思った。
この砂漠に落ちたさやかさんを見つけたのは、近くのオアシスに済む女性。温かく保護してくれたそうだが……その村は、間もなく襲撃を受けた。
殺されそうになったさやかさんは、『商品』になる、と踏んだ盗賊団の頭に捉えられ……この城下町に連れて来られたそうだ。
ただただ、怯えるさやかさんの目の前に現れたのが……現国王である、イシュク=サルターン。彼女を一目見て、王宮に連れ帰る事を決めたらしい。
綺麗に化粧を施され、美しい衣装を着せられたさやかさんは……当然ながら、国王の『モノ』になった。嫌がるさやかさんを無理矢理抱いた、と……涙ながらに話してくれた。
まだ娼館に売られなかっただけ、ましだった、とはさやかさんには言えなかった。少なくとも、王は……さやかさんの事を気遣っているように見えるが、彼女が嫌がる関係を強いた事実に変わりはない。
妃と言う立場を与えられたが、当然他の女性の嫉妬も買う。鳥の死骸が送り付けられたこともあったとか。元々大人しい性格のさやかさんには、耐えられなかったのだろう。
(……本当によく生きててくれたよね……)
もし彼女が絶望のあまり死を選んでいたら。誰にとっても悲劇になるところだった。
(とにかく、今は……)
母子ともに無事に出産を終える事。それが最優先だ。
(……お母さん……)
助産師だったお母さんの口癖……
――どんな赤ちゃんも、祝福されて産まれてくるべき、なの。どんな事情があっても。
母親に望まれない子ども。でも……その子は生きている。産まれてくるために。
私は、母親から聞いた知識をいろいろと思い出し、さやかさんに伝えることにした。心の慰めになるかと、日本から持って行った品々も見せた。
紅色に桜の柄の着物を着せると、『懐かしい、成人式以来かも』と言って、さやかさんは微笑んだ。
……でも、王の前では、相変わらず、仮面のような表情のまま。王もそれが判っているのか……出産前のさやかさんに刺激を与えないように、控えているのが判る。
(悪い人では……ないみたい……)
さやかさんを見る、目。あれは……恋焦がれる人を見る目、だ。
(でも……)
私は明け方の空を見上げた。中庭から見る紺から薄い青に変わる空は、元の世界と同じ、色。砂漠からの風は、日中は熱を持っていて、当っていると、じんわりと汗ばじむほどだったが、今はひんやりとしていた。
(さやかさんには……)
そう思っていた、私の所に、女官の一人が青い顔で走って来た。
「……大変です!! お妃様がっ……!!」
***
(まだ、早いんじゃ!?)
正確な日数がわからないけれど……予定日はまだだったはず。
お腹を抱えて、苦しむさやかさんの手を握った。
「いた、いっ……怖い……っ!!」
ぎゅううっと手を握り締められる。さやかさんの爪の痕がついた。
私は、さやかさんの下腹部に手を当てた。
「まだ、頭が下りてない……っ!?」
身をよじらせて苦しむさやかさんに、「大丈夫!」と声をかけてから、周りでおろおろしている女官達に叫んだ。
「清潔な布とお湯! タライ……は、この世界にないか……なにか、底広の器にお湯を張って……!!」
***
――一目で囚われてしまった。薄暗い小屋の中にいた、一人の女に。
『上等の女がいる』……つかまった、盗賊団の頭がそう言った。解放するために向かった小屋で……見つけてしまったのだ。彼女を。
不安そうな揺れる瞳。綺麗な白い肌。どう見ても、この国の女とは思えなかった。でも、手放せなかった。
女を王宮に連れ帰り……妃の部屋を与えた。夜の帳が下りる頃に尋ねると……不思議そうな目で私を見た。
――王に召し抱えられる事が、一番の名誉
今までの女は皆、そうだった。私を拒んだ女は一人もおらず……逆に王の間に忍び寄ってくる女は後を絶たなかった。
だから、嫌がるそぶりを見せても……見せかけだと思った。
――本当に、彼女が恐れていたと知ったのは、次の日の朝。恐怖を浮かべた、真っ青な顔で……私を見た。
幾度となく抱いても、彼女はますます心を閉ざすだけだった。宝石やドレスを贈っても……何の興味もない顔をした。
ずっと窓の外を見ている彼女の横顔に……私は問うた。
――どうすれば、私を見てくれる? どうすれば、笑顔になってくれる? どうすれば……
……その問いを口に出す事はできなかった。
やがて、彼女の懐妊が判った時……彼女の表情は凍ってしまった。日々変わる自分の身体に嫌悪しているかのように……食事も採らなくなっていった。
『かなり身体が弱っておられます。このままでは……』
珍しい品を手に入れては、彼女の前に持って行った。でも、彼女の表情は凍ったままだった。
――何も映していない瞳
完全に……心を閉ざしてしまって、いた。ロクに医者もいないこの国では……どうしたらよいのか、わからなかった。焦りだけが、私を支配するようになっていった。
……その彼女の氷を溶かしたのが……同じ黒い髪に黒い瞳の、小娘だった。娘が持ってきた品に……娘の話に、彼女は顔を輝かせた。初めて見る、屈託のない笑顔。例え私に向けられたものでなくても……嬉しかった。
『これはキモノといって……私の故国の民族衣装です』
そう言って、娘が彼女に着せた衣装の美しさに、私は目を奪われた。艶やかな紅色が、彼女の白い肌を際立たせていた。紅色に散る、五弁の花の柄。
『この花はサクラ、です』
『サクラ……?』
この国では見た事のない、淡い色。
『サクラの花が満開になると……それはそれは美しいんです。この世のものとも思えない、幻想的な美しさ、というのでしょうか。私の国では、サクラの花をわざわざ見に行く催しがあるぐらいですから』
『サクラ……』
ぽつり、と言った彼女の目に……涙が浮かんでいたような、気がした。
『サクラの木は……ここでは育たないのか』
そう言うと、娘は目を丸くした。
『そうですね……気候が違いすぎますから、難しいかもしれませんね……』
娘が教えてくれた。彼女の故郷は、水と緑が豊かな国で、ずっと暑いだけのこの国とは違い、シキというものがあるのだと。
『サクラはハルに咲きます。寒いフユが終わって、温かくなってくると、一斉に花が咲き……ハルだ、ということを実感させてくれる花です』
もし
もし、この国で、サクラの花が咲いたら
お前は……笑顔を見せてくれるのか、サーヤ
――そんな事を思った。サーヤの瞳は……私を見ていなかった。
娘が、私を気遣うように見ていた。私は……何も言えず、その場を後にした。
***
明け方近く、静まり返った王宮に足音が響き渡った。
『陛下!! お妃さまがっ……!!』
女官の声に飛び起きて、サーヤの元に向かった私の目に入って来たのは……
寝室で苦しむサーヤと、その身体をいたわる様に声をかけている、娘の姿、だった。
『外でお待ち下さい!!』
女官に追いやられる様に、私は部屋の外に出た。そして……何も出来ぬ自分の不甲斐なさに……拳を握りしめて、いた。
***
「はぁっ、はぁあ……あっ!!」
「さやかさん、しっかり!」
さやかさんの手を握る。青い顔。周りの女官達の顔色も悪い。産婆だ、と名乗った中年の女性も、薬蕩を作ったりお腹をさすったりしているが……表情が険しい。
「……ここでは、お産の時についてくれる医師はいないのっ!?」
年かさの女官が首を振った。
「砂漠に囲まれたこの国は……医師も滅多に訪れません。陛下でさえ……どうすることも……」
私はさやかさんを見た。陣痛で苦しんでるだけに思えない。おかしい。
(体力が……弱ってたから……っ!!)
産み落とすだけの体力がないのかもしれない。このままじゃ……
私はぎり、と奥歯を噛みしめた。危険な事は判ってる。でも、この国では……っ!!
――私は左腕の腕環を操作した。首にかけていたペンダント……型の通信機を耳に装着する。
「……水野君!? こちら倉橋です」
緊急通信に、水野君の声も固かった。女官達はぽかんとした顔をしていたが、私は気にせず言葉を続けた。
「――クライアントの容態が悪化しています。緊急転移の用意を。それから、救急車の手配と産婦人科を予約して……っ!!」