Case.1 それでも、あなたは(1)
『あなたの周りに、神隠しに遭った人はいませんか? 心当たりのある方は、警視庁特命課時空捜査係までご相談下さい。時空を超えて、あなたの大切な方の安否を調査いたします』
「いやああぁぁあ!!」
……暗闇に女性の悲痛な叫び声が響く。無情にも、その声に応えてくれる者は誰もいなかった。
***
「……次は、サルターン王国……砂漠の国、か」
東郷係長が、水野君の作成した資料を読みながら言った。
「はい……そこの王宮に、ターゲットがいる可能性が高い、と見られます」
私も資料を元に、係長に説明した。水野君も頷く。
「波動ソナーでの探索の結果、今回のターゲット、『工藤 さやか』さんの波動が、次元(α+4、β-3.5、θ+10.7)で確認されました」
水野君がスクリーンに映し出された時空地図を元に、ポインタで指し示しながら話す。
「この次元に探索機を送りこみ、詳細な波動を探索した結果――周囲を砂漠に囲まれた、このサルターン王国の王城付近が一番波動痕が強いと判明しました」
「……文化度合いはどうだ」
「そうですね、こちらの次元では、中世のアラビア……に近い、と見られます。王が絶対的な権力を持っていますが……民意を無視した政治が行われているわけでもないようです」
「倉橋」
係長が私の方を見た。銀色のフレームの眼鏡がきらり、と光る。
「生活習慣や言葉はどうだ」
「はい……」
私は係長を真っ直ぐに見た。
「言語についても、水野君の波動調整機によって調整済みです。服装、習慣についても、準備はできています」
「……そうか」
係長の視線は……あくまで冷静、だった。
「では、現地入りを許可する。くれぐれも無理をするな。向こうの文明への影響は少なくするよう、配慮しておけ」
「はい、では明日サルターンに飛びます」
私は係長に一礼した。係長は軽く頷いた。
***
「砂漠かあ……」
私の呟きに、水野君がにやり、と笑った。
「あんまり迫られないようにしろよな? ああいう環境の男って自我が強いからさ」
「まあ……厳しい自然の中で生きようと思ったら、薄弱な意志では無理だもの……」
前にも砂漠の国に行った時に……苦労したなあ、俺様男を振り切るの。
「女は男の所有物って考え方が多いから……異世界から落ちたら……」
珍しい髪と瞳の女、というだけで攫われるだろう。私は、これから行く世界の情報に再度目を通した。
「今回商品はどうするんだ? 和菓子は気温的に無理だろ」
和風のお菓子や小物を持って行き、向こうで露天商をしながら、お金と情報を集める。これが捜査の基本。和風小物は珍しいため、結構高値で売れていた。
「今回は、あれ持って行くわ。暑くても味変わらないし。それと、伝統工芸の織物も」
「じゃあ、倉庫から出しとく。ちょうど前回注文した品が届いてるぜ」
「ありがとう、水野君」
私はにっこりと笑った。水野君程優秀な人材も珍しいだろう。機械の天才で、裏方仕事もそつなくこなす。
(時空捜査係って……見た目『姨捨山』だけど、中身は精鋭部隊よね……)
東郷係長だって、元々出世頭の一人、だったと聞いている。警視総監が特に目をかけていた、優秀な捜査官だったとも。
(いいのかなあ……?)
机で書類を見ている係長を盗み見した。水野君は、『出世に興味なし』というか、組織にうまく馴染めなかったそうだから、ここみたいな、『自分の特技を生かせる場所』があってると思うんだけど……。
(係長はそうは見えないし……)
出世に目がくらんでるようにも見えないけれど、こんな弱小部署にいるのはもったいなさすぎる。それだけ実力のある人、だ。
(警視総監に言われたからって……別にここで埋もれなくても……)
「……何だ? 倉橋」
うわ。鋭い視線が私に突き刺さっていた。無意識にじろじろ見てたかも……。
「い、いいえ、何でもありません」
私は慌てて一礼し、自分の席に戻った。係長の眼鏡の奥が、きらりと光った気がした……。
***
「……サーヤ様、ご覧下さい。この美しい布! すべてサーヤ様のためにと、陛下が一流の商人から……」
「……いらないわ」
「サーヤ様!?」
「いらないと、言ったの。下げて頂戴」
女官達は互いに目配せをしたが……やがて、深く一礼し。その場を辞した。
――美しいドレス。宝石。世界中の美味を集めた食事。贅沢を尽した宮殿。
王の寵愛を一身に受ける、幸せな寵妃。
「……いらない」
そんなものは……何も、いらない。豪華な金の腕環をはめられた白い手をぎゅっと握りしめる。
「……っ、誰か……っ」
ダレカ、タスケテ。ワタシヲ……タスケテ。
美しく、綺麗な牢獄の中。……今日も、王の寵妃が笑顔を見せる事はなかった。
***
「ふう……」
白いフードの下で、私は溜息をついた。ぎらぎらと輝く太陽の光は、肌を焼くような強さだった。肌を覆っておかないと、脱水症状になりかねない。
この世界で手に入れた皮の袋から一口飲む。中身は……スポーツ飲料だったりするが。
(どうやら……事態を重く見た方がいいようね……)
私は目を細めて、白い宮殿の方を見た。
和風小物の販売は、うまく言った。異国風のかんざしやビードロに、城下町の人々は夢中になった。
『この品だったら、王宮に行けばいいんじゃねえか?』
『王宮に?』
『ああ。今王宮では、珍しい品集めてるって噂だぜ? 何でも、王の寵妃が気難しくてさ……何を贈っても喜ばないんだと』
『王の寵妃……とは、どのような御方なのでしょうか』
『さあなあ……表にも出て来られないし』
『あ、お姿を見たって商人が言うには、白い肌の綺麗な御方だったそうだぜ?』
『綺麗な宝石見ても、眉一つ動かさないっていう話だよな』
『でも、あの御方、今……』
嫌な、予感がする。急がないと。
(クライアントがかなり追い詰められているかも、知れない……)
――お願いだから
――お願いだから、忘れないで
(あなたを……探している人がいることを)
――その人の想いを受けて……今、私は、この世界にいるのだから。
私は荷物をまとめ、街の中央に位置する宮殿に向かって、歩き出した。
***
「……サーヤ」
そう呼びかけても……返ってくるのは、表情のない、瞳だけ。
「……何でしょうか」
声も……感情は、見えない。
「珍しい品が手に入った。……旅の商人が、城下町で売っていた物だそうだ」
「……」
「お前が気に入れば……その商人を王宮お抱えにしても、よい」
「……」
白い布に包まれた品物を、彼女に差し出す。無表情のまま、彼女は品を受け取り、そっと布を剥いでいく。
「……!!」
かっと彼女の目が見開かれた。手が……僅かに震えている。こんな反応をした彼女を初めて見た。私は……暫くじっとサーヤを見つめた。
「これ……は」
彼女が手に取ったのは……白や青、ピンク色に染められた、小さなでこぼこのある、変わった形のモノ、だった。
「ああ……何でも、甘い菓子、だと言っていたそうだが……」
サーヤが一つつまんで、口に入れる。
「……あ、まい……」
サーヤの顔が歪む。何も映していなかった瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「き、気に入らないのか!?」
慌てて腰を上げる。この商人を締め上げて……と思った私の袖を、白い手が掴んでいた。
「サーヤ……?」
彼女が自分から私に触ったのは……初めて、だった。
「……たい」
小さな声。
「会い……たい」
私は目を見張った。いつも「いらない」としか言わなかった彼女が……
「これをくれた……人、に」
涙で潤んだ瞳に見つめられた私は……この商人を王宮に呼ぶ、と即座に約束した。
「……あり……がとう……」
初めて……彼女が私を見て、微笑んだ。心から、嬉しそうに。
(やっと……見られた)
胸が……痛くなった。ここに連れて来てから、ずっと心を閉ざしたままだった彼女の笑顔が、身体中に沁み渡っていく。
「すぐに手配する。待っていろ」
私がそう言うと、彼女はこくんと小さく頷いた。
私は高鳴る胸の鼓動を押さえながら、妃の部屋を後にした。
***
「……お前が、例の商人か」
私は目の前に跪いている、白いフード姿の人物を見た。
――サーヤよりも年下に見える、小娘ではないか……
「……はい。お妃さまのお目がねにかない、有りがたき幸せに存じます」
凛とした声。強い意志を感じる。サーヤの頼りなさげな声とは、質が違う。
「妃は……今、大事な時期にある。そなたが持参した菓子で、塞ぎがちな心が慰められたらしい」
「それはようございました」
娘が顔を上げる。黒い真っ直ぐな髪に……黒い瞳。サーヤと同じ。
(この……娘)
まさか……サーヤと同郷なのか?
――サーヤの国は、ここから遥か離れた場所にある、と聞いた。砂漠などなく、緑に囲まれた、それは美しい国、だとも。
嫌な、予感がした。
(いつも……窓の外を見ているサーヤに……この娘を会わせたら……)
共に行く、故郷に帰る、と言い出さないか。そんな不安が、じわじわと胸を蝕んでいく。
(だが……)
女官の話では、サーヤはほとんど物も食べず、部屋の外に出る事もない。人形のように生きているだけだ、このままでは身体が持たない、と。そのサーヤが初めて反応を見せた相手。初めて会いたいと言った相手。ここで、もし、会えない、と告げれば……
(また、自分の殻に閉じこもってしまうのだろう……)
この時期に、身体に負担をかけてはならない。その為にも、この娘に会わせなければ、ならない。
(幸い……)
屈強な男ならいざ知らず、小娘一人だ。あの状態のサーヤを連れて、王宮外に脱け出すことはできぬだろう。
(サーヤが興味を持った相手が……女でよかった)
そう思う自分がどこかに、いた。もし男だったら……? 私は正気でいられたか……?
ぐっと右手を握り締めた。
「――妃にそなたを会わせよう。外国の話などしてやってほしい」
「……御意」
――娘は静かに頭を下げた。
***
「サーヤ……例の商人を連れてきた」
長椅子に寝そべったままのサーヤを見て、娘が一瞬目を見張った、ように見えた。
「あなた……が……?」
サーヤの表情が……変わった。縋る様な瞳。娘がサーヤの傍に行き、跪いた。
「……はい。金平糖をお気に召されたようで、ようございました」
――コンペイトウ?
その言葉を聞いたサーヤは……大きく目を見開いて、わなわなと震えていた。私など目に入らぬようで……ただ、娘を見ていた。
「他にも、いろいろと取り揃えております。……お着物などいかがでしょう。桜の柄など、お妃さまにお似合いだと思いますよ?」
娘の言葉に、サーヤが一々反応する。それが……面白くなかった。私の心を察したのか、娘が立ち上がり、私に一礼した。
「お妃さまに、着付けをいたしたく。男性の方には御退席願いたいのですが」
「……私にこの場を退け、と?」
「はい。女性は、化粧や身支度をしている姿を殿方に見られたくない生き物、でございますから」
「……」
ならば、女官を呼んで……と思ったところで、サーヤが口を開いた。
「私……この方と二人きりでお話したいのです……」
潤んだ瞳で見上げられると……否、とは言えなかった。
「……わかった。用事が済めば、扉の前にいる近衛兵に声をかけるがいい」
「……ありがとうございます」
娘が頭を再び下げるのを見てから、私は妃の部屋を立ち去った。
***
「あ、あなたは……っ!!」
王が退出した途端、サーヤと呼ばれていた女性が私にしがみついて来た。私は左腕のブレスレットに右手をかざした。ぼうっと金色の光がブレスレットから立ち昇る。
『……網膜チェックOK。骨格チェックOK。本人ト断定』
「……工藤 さやかさん、ですね?」
「あ……」
大きな瞳に涙を溜めたまま、彼女は頷いた。私は懐から、警察手帳を取り出し、彼女に見せた。
「……私、警視庁特命課時空捜査係の、倉橋 里奈と申します。あなたの御家族から依頼を受け、安否確認に参りました」
「……!!」
サーヤ……さやかさんが、床に崩れ落ちた。私は跪き、彼女の身体を支えた。
「……来て、くれた、のね……」
「……はい。あなたの御家族は……ずっとあなたを探しておられました」
「助けてって……ずっとずっと……でも、誰も来てくれない……から……」
私はぎゅっと彼女を抱き締めた。
「……よく頑張りましたね。もう大丈夫ですよ」
「……」
さやかさんは、何も言わず、ただただ、嗚咽を漏らして涙を流し続けた。私は、そんな彼女の背中を優しくさすっていた。
「……ずっと帰りたかった。ここから出たかった」
掠れた声で、さやかさんが囁いた。扉の向こうにいる、近衛兵に気を使っているのだろう。
「でも……」
さやかさんは俯いてしまった。
「この身体じゃ……逃げ切れない。ここの周りは砂漠……だし……」
――さやかさんの身体は……どうみても、『妊婦』だった。お腹周りから言って……おそらく臨月だろう。
「体調はどうですか? きちんとお食事採られてます?」
「……あまり……食欲がなくて……」
私は眉を顰めた。元々華奢だっただろうさやかさんの身体は……下腹部だけ異様に膨らんでいて、あとは骨と皮、のような状態になっていた。
「それば、いけませんね……」
私は袋を漁り……小さなパックを取りだした。
「とりあえず、これをどうぞ。アミノ酸とビタミン配合のジェルです。冷えてますよ?」
さやかさんは、蓋を開け、アルミパックを絞る様に、中身を吸った。
「……ここに、いて」
飲み終わったさやかさんが……小さな声で言った。
「……終わるまで、ここにいて欲しいの……」
「……出産が、ということですか?」
びくん、とさやかさんの身体が揺れた。さやかさんの表情は苦悶に歪んでいた。
「……怖い、の」
「……」
「……わ、わたしっ……!!」
堰を切ったように、さやかさんの口から、言葉が飛び出していた。
「……産みたくない。こんな子、欲しくなかった。妊娠したくなかったのに、無理矢理っ……!!」
さやかさんの声には罪悪感も混ざっていた。自分のお腹の子を愛せないことに……罪の意識もある、と思う。
「で、でも、産んでしまったら……また、あの男に……っ……!!」
私はさやかさんを強く抱いた。悲痛な声。あと少し、で崩れてしまいそうな心を抱えたまま……誰にも言えなかったのだろう。
(王の子を孕む事が、女としての名誉……という価値観のこの国では、さやかさんの想いを判ってくれる人はいない……)
私は先程会った王を思い浮かべた。おそらく、彼はさやかさんの事を……
(……でも)
――クライアントの意志、が最優先だ。それが時空捜査官の掟。
私はさやかさんに言った。
「出産まで、私が付き添います。元の世界へは……それから戻りましょう。今の状態では、身体に負担がかかってしまいますから」
さやかさんは……涙を拭きながら、ゆっくりと頷いた。
***
『――との事情で、こちらに滞在します。医師の見立てでは、あと十日以内には産まれるだろう、との事です。ご本人は……かなり辛い思いをされて、精神的に衰弱されてます』
「……子どもは?」
『現時点で、さやかさんに育てる意志はない、と見ています。彼女の精神状態では……無理でしょう』
「……そうか」
『……必ず、産まれてくるお子さんの居場所を見つけます。どのような経緯があったにせよ、産まれてくる命に罪はありませんから』
「……判った。無理せず、状況を都度報告しろよ」
『はい……では失礼いたします、東郷係長』
ぷつっと連絡が切れた。
「今回は……辛い思いをしそうですね、倉橋さん」
「……ああ」
いつも冷静だが……彼女は情に厚い。特に子どもに対しては。自分が両親を探している立場だからか。
「……母親に望まれない子ども……しかも、異なる世界の血のブレンド、となれば……異能を持つ可能性が高いですね」
「……」
「せめて、向こうの世界で、受け入れてもらえればいいのですが……」
水野の言葉に、俺は……黙ったまま頷いた。