05/08 policy
ふ、と吹き出した煙が、雑木林を背景に、ふわりと流れていった。箒やら洗剤やら予備の机やらが押し込められた、この用具倉庫は、ちょうど校舎の角にあって、外から見られる事も無ければ飛んでいった煙が見咎められる心配も無い。絶対に見付からないから、ここに居る。けれど、見付かってしまっても良いと思っていた。
別に、何かあった訳じゃない。何も無い。いつも通り、退屈で空っぽで、ヘラヘラ笑える日。そんなだから、煙草を吸いたくなる。まあ、それにもあまり意味は無いんだけど。
中学生の頃が、変に充実し過ぎた。趣味の合う仲間が居て、恋なんかして、馬鹿な事もやって。高校生になったら、その反動が来てしまったんだ。ここには同じ趣味の奴も居ないし、興味を惹く相手も無い。だから、せめてもの馬鹿な事が、これだ。
コソコソやってる辺り、馬鹿な事、というより、ただ馬鹿な俺、なんだけど。
あーあだな。あーあ。
なんて、詰まらない事を口に出してみたりする。
すると、部屋の中から、ガタン、と物音がした。猫か鼠かなんていう発想はそもそも出ない。どうも、先客があったらしい。音がしたのは机の積み上げてある方で、人一人が――いや一人とは限らないけど――隠れられるとしたら、教卓の下だろう。
で、覗き込む。
そいつはヒッと息を呑んだ。眉毛をハの字に、眼鏡の奥で両目が怯えている。長い髪の毛がうっすら汗の滲む額に張り付いて、何とも情けない。膝を抱えて座り込んでいたものだから、パンツが見えそうで、見えない。残念でならないが、そんな事を考えた所為か、無言で「犯さないで!」と言われた気がした。
いや、確かに俺は、目付きが悪いし、頬には横一文字に傷跡がある。凶悪な見た目なのは認めざるを得ない。
何してんの、と尋ねると、その一年生らしき女は、口をぱくぱくさせて、どうにかこうにか答えた。
「あ、あの、その……ここが好きだから……」
嘘を吐くなと言いたい。好きでこんな埃臭い所に閉じこもる奴が居るものか。スカートを埃塗れにして、居心地が良い筈が無い。
取り敢えず、そこから出ろ、と言った。別に命令するつもりじゃなく、隠れている理由が無いから出てこいと言ったまでだが、女はおっかなびっくり這い出てきた。
さて、引き摺り出したものの、これからどうしようか。自己紹介って雰囲気でもないだろう。折角怖い奴だと思われている事だし、そうしておいても良いかも知れない。という訳で、俺は黙って相手を見下ろしていた。何となく、慣れた高低差だ。髪が長いところも似ていると言えば似ている。
「あ、あの……ご、ごめんなさい」
俺をチラッと見上げたり、目を泳がせたり、手をもじもじさせたりと、忙しい。もう少し虐めてやってもいいか、と酔狂に、何故謝るのか聞き返した。
「その……お邪魔しちゃったから……」
何だそりゃ、と思わず笑いそうになるのを堪えた。それにしても、「……」の多い奴だ。会話の間が掴みにくい。人に言えた義理でもないが。
「あ」
と女は俺の手元を見て言った。視線の先を見て、俺も、あ、と言ってしまう。人差し指と中指に挟んだ煙草が、もう全部灰になって、フィルターの先っちょでくすぶっている。勿体ない事をした。溜息と共に落とし、にじり消した。本当に、邪魔をしてくれたよ。
「ごめんなさい」
すぐに謝る。口癖にでもなっているのだろうか。だとしたら、だいぶ屈折している。初対面の相手にさえ、平謝りをして遣り過ごさなければやっていられない心境というのは、一体どういうものだろう。俺とは真逆の心理だ。自分の非を認め続けるのは、やっていられない。
気にするなよ、と言ってやった。
「えっ」
女は丸い目で俺を見上げた。そういう風に言ってくれる奴は、今まで居なかったのか。だとしたら、
ムカつく。
「ご、ごめ」
また謝り出す女に、思わず手が出た。いや、殴った訳じゃない。咄嗟にその口を塞いだだけだ。そういうのは嫌いなんだと教えてやると、目をぱちくりさせながら、小刻みに首肯して返してきた。
妙な感じだ。放課後、ワイワイやってる連中と帰りたくないからここに来ているのに、横に今さっき知り合ったばかりの女が居る。何か話すでもなく、無言でぼうっとしている。こういう状況は初めてだし、きっと慣れるものでも無いだろう。そんなだと、どうでも良い事をあれこれ考えてしまう。
俺がここに入る方法はピッキングだが、こいつはどうしたのだろう。俺が入る時、カチャカチャいう音に気付いて隠れたのは間違い無くて、つまりその時には既に居た。伸ばしたクリップを使っている姿は想像も付かない。だとすれば鍵を持っているのだろうが、普段から用具倉庫に出入りするのは用務員くらいで、生徒が鍵を手にする機会と言ったら大掃除の時くらいしかない。
考えても無駄だ。考えたってどうせ答えの出ない事だから、そのまま訊いた。
「それは……」
女はまた言い淀んで「……」だ。別にそこまで気にしちゃいないから、からかうつもりで、先生に合い鍵を貰ったのか、と訊いた。すると、予想外に女はハッとした。
「ち、違うよ!」
どうやら図星らしい。何でも顔に出る様だ。
マジかよ、と思わず笑ってしまった。誰先生か突っ込んで訊くと、観念したのか蚊の鳴く様な声で答えた。
「……音楽の、宮田先生……」
ああ、アイツね。いけ好かない優男だ。女って生き物は往々にして、いや殆ど、見る目が無い。気取り屋の宮田は女に人気があった。女達からキャーキャー黄色い声を上げられて、満更でも無いという顔をする。その癖、自分は教師なんだって事を殊更にアピールする。ああいう男程危険だって事は、経験上知っていた。
見るからに地味な女子生徒。遊び相手には丁度良いかも知れない。
「違うの、わたしから気持ちを伝えて、それで……」
それで、結局来なかった。なら、弄ばれたんだよ。体の良い、暇潰しの相手でしかなかったんだ。向こうに気持ちなんて一切無い。
女は俺に掴み掛かってきた。胸倉でなくて、脇腹の辺りに。そんなだから、狙われたんだよ。
翌日の音楽の授業。いつも通り、起立・礼・着席、をピアノのコードで鳴らす宮田。だけど俺は、着席だけ無視した。不思議そうに俺を見る宮田に、俺は音楽室中に聞こえる声で訊く。
先生、用具倉庫に女子を連れ込んでヨロシクやってるって、本当ですか?
空気が凍り着くのを肌に感じた。
「いきなり何言ってるの?」
「宮田先生がそんな事する訳無いじゃん」
と、女子がヒソヒソ話す声がする。当の宮田は笑顔を崩さなかったが、僅かに頬が引き攣るのを見た。宮田はすっとぼける。
「えっ、何の話かな、白沢君?」
だから前に出て行って、思いっきり宮田の顔面を殴った。
宮田は引っ繰り返って鍵盤に肘をぶつけ、背後から悲鳴を聞いた。
あーあ。またやらかしたよ、俺。中学生から何も変わってない。また、学校巻き込んで大問題になるだろう。また、誰かを泣かせるだろう。
まあ、こういう事しちゃうのが俺だし、良いんじゃないかな。
一日一話・第八日。
日付変わってますよーーーー!!!!