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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第4章【路地裏の猫】
99/219

4-7

 治安の悪さで知られるソウルの裏通りを迷いのない足取りで進みながら、ジェビンは雑居ビルの地下にあるバーへと下りて行く。


「よぉ! ジェビンじゃねぇか」

「久しぶりだな。調子はどうだ?」


 ジェビンが店内に入るや否や、馴染みの客たちが声をかけてきた。ジェビンが口元だけで笑いながら店内を進んでいくと、スキンヘッドに丸めた頭にバラのタトゥーを入れた男が横から現れ、馴れ馴れしくジェビンの肩を抱いた。


「相変わらずつれねぇな。すっかりご無沙汰だったけど、何してたんだよ? 寂しかったんだぜ」


 ジェビンは男を見もせずに店の奥のカウンター席に腰を下ろすと、低い声でボソリと呟いた。


「……新しい情報、入ったか?」

「ああ……あるぜ」


 男はそう答えると、素早くカウンターの中のスタッフに目配せした。スタッフはジェビンに気付かれないように微かに男に頷いて、制服のポケットに手をやった。中から一瞬覗いたキーの柄がキラリと光った。


「今度のは、確かなスジのとっておきの情報だ。ここじゃちょいと言えねぇから、場所変えようぜ」


 男の手がジェビンの細い腰に回され、いやらしく蠢く。ジェビンは表情一つ変えずに男に促されるまま立ち上がった。


「……あっちへ」


 男はジェビンの耳に口付けせんばかりに唇を近付け囁く。男はさりげなくカウンターに合図を送って、スタッフが滑らせたキーの上に隠すように手を重ねた。

 その時だった。


 ダンッ!!


 短く重い音が響くと同時に、キーの上に重ねた男の手の甲には、直角に突き出たナイフが刺さっていた。


「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 店内を凍りつかせるような悲鳴を上げ、男はカウンターに手ごとナイフで縫い付けられたままガクンと膝を折る。


「……ジェ……貴……様……」


 息も絶え絶えになりながら、冷たい目で見下ろす隣りのジェビンを振り仰ぐ。


「ガセネタで抱こうなんて、図々しすぎないか?」


 抑揚のない声でそう呟いてカウンターの中のスタッフに視線を移すと、スタッフはヒッと息を飲んで身をすくめた。


「相手して欲しけりゃ、いい加減まともなネタ持って来い」


 ジェビンは膝をつく男の髪を掴んで、引き上げた顔にその美しく表情の無い顔を近づけた。


「……また来る」


 男の髪を掴んでいた手を離すと、ジェビンはポケットから取り出したウォン紙幣をカウンターに置いて、店を後にした。

 親指で頬を擦ると、先ほど男の手を串刺しにした時に飛び散った返り血が、乾いてこびりついていた。

 見ればジャケットにも転々と血の跡がついている。ジェビンはジャケットを脱ぎ去って腰に巻くと、もう一度顔に血の跡がついていないか確認してから、煌々と明かりを灯すコンビニに入っていった。



 数分後、コンビニの袋を提げて、ジェビンはアパートの前の道を歩いていた。

 行きがけに聞こえていた路地裏の猫の鳴き声が今は止んでいる。

 ジェビンが鳴き声のした路地に入っていくと、湿ったダンボールの中で小さな小さな子猫が二匹、寄り添いあったまま冷たくなっていた。

 ジェビンは眉を寄せて、コンビニの袋の中に視線を落とした。


 また今夜も鳴かれたら、適わないから――


 そう思って買ったミルクのパックが、ズシリと腕の中で重みを増す。

 そっと手を伸ばして小さな身体を人差し指で撫でてやると、雨に打たれて固く冷たくなった毛並みがしっとりとまとわりついてきた。

 その瞬間、どこで見ていたのか、灰色の痩せ衰えた猫がジェビンの前に降り立った。毛並みの悪い全身を逆立て、威嚇の証である耳を小さな頭に張りつかせんばかりに倒しながら、金色の瞳孔だけをギラギラと輝かせてジェビンを睨みつける。

 きっと、この子猫たちの母親なのであろうその姿に、ジェビンはそっと踵を返して、哀れな猫の親子たちに背を向ける。


 無駄になってしまったミルクパックをその辺に捨てて帰ろうか、そう思った時、朝聞いたのとは質の異なる鳴き声が聞こえてきた。



 ……ッフ……ッフ



 息を殺すように、控えめに吐き出される音は、口元に手の甲を当てているのか、くぐもって聞こえてきた。

 ジェビンが声の在りかを求めて視線を巡らせると、悪臭を放つゴミの集積所のポリバケツの影から、骨と皮のような二本の素足が伸びていた。


 死体か?


 一瞬そう思ったジェビンだったが、寒さに小刻みに震えているので、その持ち主がまだ生きていることが分かった。

 ジェビンは近付いていって、その足の持ち主の身体を隠していたポリバケツの上に屋根のように被さったダンボールを勢いよく取り払った。

 急に開け放たれた視界に、ゴミの影で蹲っていた少年は、ビクッと身体を震わせてジェビンを見上げた。

 丸く見開かれた幼い瞳は、雨に濡れた路面のように濡れて光っていた。

 その目が、つい先ほど人差し指で撫でてきた小さな生き物の姿に重なって、思わずジェビンの口を突いて出た言葉は――



「……猫?」



 潤んだまま、更に怯えたように大きく見開かれる瞳に、ジェビンは無意識の内に手を伸ばしていた。




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