3-17
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「……いやぁ、参りましたね。お客さん」
タクシー運転手は、遥か彼方まで連なるテールランプを眺めながら、後部座席に声をかけた。
「さっきから、全然動いてないね」
運転席と助手席の間に顔を挟むようにして、後部座席から身を乗り出したナビは、赤い提灯行列と化したフロントガラスの向こうを恨めしげに見つめる。
「何かあったの?」
ナビの言葉に、タクシー運転手は車内無線の音に耳を凝らす。
「事故、みたいですね。漢南大橋が封鎖されてるそうです」
「ええー?!」
ナビはタクシー運転手の耳をキーンとさせる大声で叫んだ。
「どうしよう? 僕、帰らなきゃいけないのに」
「今夜は無理でしょう。引き返そうにもこんなに混んでちゃ、Uターンも出来やしない。どっかその辺りのホテルにでも泊まった方が無難ですね」
「そんなお金、持ってないよぉ」
ナビは困り果てたという表情で頭を抱えた。助手席にも後部座席にも、ジェビンに頼まれた山ほどの食材が詰まれている。生ものも含まれているから、夜間とは言えこの陽気の中では一晩で腐ってしまうものも出てくるだろう。そして、それらと引き換えに、ジェビンから預かった財布の中身はほぼ空っぽに近くなっている。タクシー代を払ったら、ギリギリ電車賃があるかないかという具合だった。
「運転手さん。ここで、降ろして」
決意を固めたナビは、顔を上げてキッパリと運転手に告げた。
「え? こんなところでですか?」
運転手は驚いたようにナビを振り返る。
「歩いてだったら、渡れるかもしれないでしょ? そのまま駅に行けたら、電車で帰れるから」
「え? ちょっと、無茶ですって……お客さんっ!」
慌てる運転手を尻目に、ナビはさっさとタクシー代を手渡すと、大荷物を抱えて車を降りた。
「お客さんっ!」
運転手の叫びに振り返ると、ナビは一瞬荷物を地面に置いて、運転手に向かって大きく手を振った。
「ありがとう、運転手さん!」
そう大声で叫ぶと、再び下ろした荷物を抱え上げ、テールランプの海の向こうへと歩き出した。
両手に一つずつ抱えた紙袋の他に、手首と肘を使って片手に二つずつ下げたビニールの買い物袋を持って、ナビは何度も細かい休憩を取りながら渋滞した道路の端を歩いていく。
どのくらいそうして歩いたのだろう。
視線の先に、事故が起きたという漢南大橋の入口が見えてきた。大勢の警察や消防隊が行き交い、担架に乗せられた怪我人などが、ナビの脇を通り抜けて言った。
ナビが想像していたよりも、大きな事故だったらしい。騒然とする空気が、離れた場所からも伝わってきた。
その時、不意に鋭い笛の音が、この生温い夜を切り裂いて鳴り響いた。
『そこの君っ! 危ないから、下がりなさいっ!!』
遠くの方から拡声器を使って響き渡ってくる声は、明らかにナビに向けられていた。
「え? 僕?」
分かっていても、ついキョロキョロと周囲を見回してしまう。
勿論、こんな状況下でのこのこと道路を歩いているような人間が他に居るはずもない。見れば、テールランプを点けた渋滞した車中にいる人たちも、窓を開けてナビを奇異な目で見つめている。
逃げようにも、両手にこんな大荷物を抱えていては、逃げ出すことも出来ない。
『そこで、止まりなさいっ! 動かないでっ!』
拡声器の声はそう言うと、マイクのスイッチをバチンッと切る音が聞こえてきた。それから、アスファルトを蹴る靴の音が段々と近付いてくる。
「え、え……どうしよう……」
咄嗟に頭を過ぎったのは、もしかして捕まってしまう? ということだった。冷静に考えれば、封鎖される手前の道路を歩いていただけなのだから、奇妙ではあっても捕まるようなことはしていないのだが、近付いてくる足音にナビはすっかり動揺していた。
ナビがそうしてオロオロしている間に、細身の影はあっという間にナビの元へ辿り着いた。
「どこへ行く気ですか? この先は事故で封鎖中ですよ」
「す、すみませんっ! でも、僕急いでて……」
ピョコンッと勢いよく頭を下げた瞬間に、手にしていた荷物を全部取り落とし、足元でグシャッとタマゴの潰れる嫌な音がした。
「……ヒョ……ン?」
「え?」
頭上で震える声に、ナビは恐る恐る顔を上げた。
「っな?!……お前っ!!」
ナビは口をパクパクさせて、その警官を指差す。
「何でいるのっ?!」
「あなたこそ、こんなところで何してるんですか?」
目の前に居たのは、キャンピングカーの前で別れて以来の、ミンホだった。