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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第3章【雨が止んでも】
86/219

3-15



***



 カウンターに突っ伏した右肘に顎を乗せ、左手でマウスをイジリながら、ノートパソコンの液晶画面と睨めっこする。

 カチッ、カチッ、クリックしては、スクロールを繰り返す。

 目当てのものは、なかなか見つからなかった。

 右肘に乗った華奢の造りの顎の上に乗る口元からは、先ほどから彼に似合わない溜息ばかりが漏れている。


「激写! ナビのアンニュイバージョン!」


 その時、パシャリという軽いシャッター音とフラッシュの光が、少しだけ開かれたドアの隙間から伸びた手に握られた携帯から発せられた。


「……先生」


 ようやく画面から目を上げ、身体を起こしたナビの呆れた視線の先には、今日もからかってやろうという気満々の、いたずらっ子そのままのオーサーの顔があった。

 ナビはそんなオーサーを無視すると、パタンッとノートパソコンを閉じて、流しに向かう。


「あれあれ、つれないじゃない。何か飲む? とか、聞いてくれないの?」

「じゃあ、『何か飲む?』」


 面倒くさそうにナビがオウム返しすると、オーサーはパァッと顔を輝かせて、ナビに一番近いカウンター席を陣取って座り込んだ。


「エスプレッソお願い! ねぇ、もうアンニュイごっこ終わりなの? 『憂いナビヤパート1』しか、携帯に収められなかったんだけど」

「何だよ『憂いナビヤ』って、勝手に変なタイトルつけないでよ。そんで、知らない間に携帯に撮るのもいい加減止めてくれない? 兄貴ヒョンもたまにやるけどさ、そう言うの『盗撮』って言うんだって、知ってる?」

「えー?! ジェビンのはただのブラコン。俺のはシャイが故に、好きなコの姿を面と向かって見れなくて、こっそり撮り溜めした写真を代わりに見てる、純粋な乙女心じゃないか。一緒にしないでよ」

「誰がブラコンで、何が純粋な乙女心だって?」


 外から酒の詰まった箱を両肩に担いで入ってきたジェビンが、オーサーの言葉を聞き咎める。

 ナビはすぐにジェビンの元へ飛んで行き、よろけながら箱の一つを受け取る。


「親心って言ってほしいもんだね。ナビは一日一日、成長する」

「うわぁ、本気で引くわー。ねぇ、ナビ。ナビもそう思うよね?」


 カウンターの中に酒の箱を運び終えたナビは、中から顔を上げずに答える。


「ジェビニヒョンのは許せるよ。でも、先生のはアウト」

「ひどいっ! ナビちゃん」


 オーサーはカウンターに突っ伏して、ワッと泣くマネをした。


「勝負あったな」


 ジェビンがニヤリと笑いながら、ナビに続いてカウンターの中へ消える。


「はい、エスプレッソ」


 素っ気なくコーヒーカップを差し出すナビの手に視線を落としたオーサーは、そこで初めて、ナビの指に巻かれた痛々しい絆創膏の数々に気がついた。


「ナビ、その指どうしたの?」


 こんなに傷だらけの手では、毎日の皿洗いでも染みて痛かっただろうに。


「別に」


 ナビはちょっと怒ったように唇を尖らせ、プイッと横を向く。

 代わりにジェビンが話題を引き取って、カウンターの隅を親指でさした。


「鉛筆削ろうとして、自分の手を削っちまったんだよ」


 ジェビンの言うとおり、カウンターの隅の灰皿の上には、さんざん削られて吸殻のように小さくなってしまった鉛筆の数々が山積みになっていた。


「何で急に鉛筆削りなんか?」


 今の世の中、文字を書くにはシャーペンかボールペンが主流だし、鉛筆を使うにしても、立派な「鉛筆削り」という文明の利器があるのだ。

 わざわざ、お世辞にも手先が器用とはいえないナビが、指を削りながらナイフで鉛筆を削らなければならない理由がオーサーにはさっぱり思いつかなかった。


「僕だって、そのくらい出来るんだ」


 子どものように拗ねた口調でナビは主張する。


「……僕だって?」


 オーサーの目がキラリと光る。


「ふーん、誰と比べてるの?」


 その瞬間、ナビの頬がカッと染まったのをオーサーは見逃さなかった。


「早く飲んでよっ! いらないのっ!?」


 怒ったナビが乱暴に、カウンターの上でオーサーにコーヒーカップを押し付ける。タプンと揺れた真っ黒な液体は、危うくオーサーの白いシャツの胸を汚すところだった。

 オーサーはこれ以上ナビを怒らせてもいけないので、渋々差し出されたコーヒーカップに口を付ける。

恨めしげな目でナビを見上げて、一言。


「……苦い」

「エスプレッソだからね」

「怒ってるナビちゃんの味がする」

「気持ち悪いこと言わないで」

「だけどクセになる」

「人の話、聞いてる?」


 噛み合わない会話なのに、オーサーは先ほどまでの渋い顔はどこへやら、嬉しくて仕方ないという表情をしている。結局、怒らせても困らせても、ナビと絡んでいることそれ事態が幸せなのだ。

 ナビは、もう疲れたとでも言うように大きな溜息を吐き出してから、流しに山積みになった皿を手に取り、タオルで拭き始めた。


「……また、戻しちゃったんだね?」

「え?」


 苦いと文句を言っていたエスプレッソを優雅な仕草で口に運びながら、不意にオーサーが呟く。顔を上げたナビに、オーサーは小首を傾げながら、視線でその意味するところを指し示す。

 ナビは咄嗟に、濡れた布巾を持った傷だらけの手で、自分の襟足に手を伸ばした。ナビの髪は、黒く染め直した前よりも、更に明るい金色に戻っていた。


「どうして? 可愛かったのに」


 先ほどまでのふざけた口調とは違い、オーサーの声はどこまでも深く柔らかく、それが余計にナビの動揺を大きくした。


「……可愛いって言うな」


 それだけ言うのが、精一杯だった。

 グーにした拳で、襟足で跳ねる髪を乱暴に撫で付ける。

 オーサーに自分の心を見透かされそうで怖かった。



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