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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第3章【雨が止んでも】
80/219

3-9


「……チョルスヒョン」


 資料室のビデオルームにチョルスがいるという話を聞き、ミンホはチョルスの後を追った。チョルスはヘッドフォンを嵌めて、今回の風俗店摘発で押収したビデオテープの一つをチェックしていた。


「チョルスヒョン」


 先ほどよりも少し大きな声で呼びかける。チョルスは回転式の椅子を回してミンホに向き直ると、ようやくヘッドフォンを取ってくれた。


「……何だよ?」


 相変わらず、正面からその鋭い目で見られると訳もなく緊張する。だが、ここで引いてはいけなかった。


「……本当に、申し訳ありませんでした」


 深く深く、頭を下げる。


「チョルスヒョンの言う通りでした。刑事として、あってはならない行動でした」


 狭いビデオルームに響き渡るミンホの固い声音に、頭を下げられているユノの方が面食らう。


「何だよ、突然……」

「僕、ちゃんと一人前になりたいです。チョルスヒョンみたいな、一人前の刑事になりたいんです」


 ミンホは頭を下げたまま、真剣な口調で言い募る。


「俺も別に……一人前なんかじゃねぇよ」


 気恥ずかしさを隠すように、モゴモゴとチョルスが答える。


「二度と、現場で気ぃ抜くな」

「はい」

「俺とこれからもコンビ組むつもりだったら、『僕ちゃん』は卒業だぜ。一人前の男になれよ」

「はいっ!」


 気合を込めたミンホの返事に、チョルスはニヤッと口角を上げて笑った。


「じゃあ、早速仕事だ」


 そう言うと、チョルスは先ほどまで自分がかけていたヘッドフォンを、ミンホに向かって放り投げた。


「ビデオん中に映りこんでる、顧客の身元の割り出した」


 ミンホは受け取ったヘッドフォンを頭にセットすると、チョルスの隣りに腰を下ろして、モニターを食い入るように見つめた。



***



 東の空が白み始めた頃、漢江ハンガンのほとりに、闇と同じ色をした黒い車がそっと横付けされた。

 今は小さな骨壷の中に納まった男を胸に抱いた少女は、白い韓服姿のまま、海へと向かう漢江の早い流れの前に立った。

 少女の髪には、喪帳である白いリボンが結ばれている。


「直系家族でもないのに」


 韓国における葬式のしきたりである、直系家族が身につける正装をしたジスクの後姿を目で追いながら、ギョウンが呟く。


「天涯孤独の身の上らしいよ。工業高校を卒業する頃、両親をいっぺんに亡くして、親戚とも絶縁状態らしい。葬式を出してやる家族もいないんだ」

「笑っちまう。陳腐なドラマ並みに、不幸なヤツ」


 だがそう吐き捨てるギョウンの声は、嘲笑どころか涙を含んで湿っていた。


「あの射程距離……」


 ボソリと呟いたオーサーの言葉に、ギョウンが振り返る。


「……素人の腕じゃない」


「だとしても、何であいつが? あんな、下っ端の、ガンホと直接会ったこともないようなあいつが何で殺されなきゃならねぇんだよ!」

「だからそれが、不可解だって言ってるんだよ」


 激高するギョウンを宥めるように、オーサーは努めて冷静な声で言う。


「今更だけど、こんなに早く釈放されたのも考えてみればおかしいんだ。仮にもジョンヒョンは警官を一人刺してる。命に別状は無いにしても、相手は重傷だ。『エデン』事件とは別にして、簡単に拘留が解かれるような罪じゃない」

「まさか……」


 自身の思い当たった恐ろしすぎる仮定に、ギョウンが思わず言葉を詰まらせる。


「最初から殺すつもりで、わざと釈放を?」


 震えるギョウンに、オーサーは無言で頷いて見せる。


「俺たちに知られたくない何かを話される前に、あの山の中でケリをつけるつもりだったんだ」

「知られたくない何かって何だよ? あんな奴が、そんな大層なこと、知ってるわけ無いじゃねぇか」


 ギョウンは拳を握り締め、悔し涙が頬を伝った。

 小さな骨の粉に変わったジョンヒョンが、ジスクの手のひらからサラサラと風に乗って、漢江の河流に向かって流れていく。


「好きだから、だよっ!」


 その時突然、ギョウンはジスクの背中に向かって叫んだ。


「死ぬ直前に、あんたに言いかけてただろ。大学生でもないくせに、恋人もいるあんたを助けるために、ヤクの密売に首突っ込んで、警察に捕まった理由なんて、それしかないじゃねぇか!」


 振り返ったジスクの瞳に、新たな涙が溢れだす。

 ジョンヒョンの骨が舞うのと同じ方向に、彼女の黒髪が流れ、涙に濡れた頬に張り付く。


「バカな奴……詰まんねぇ死に方しやがって……本当に、バカな奴だよっ」


 胸に広がる理不尽な怒りを持て余して、ギョウンは身体の向きを変えると、思い切り車のタイヤを蹴飛ばした。いつもなら叱りつけるところだが、泣きながら拳で幾度もボンネットを殴りつけるギョウンを、オーサーは今日だけは何も言わずにそっと見守ってやった。



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